小野田寛郎さんが亡くなった。
小野田さんは、太平洋戦争が終了したのを知らずに、戦後30年にわたりフィリピン・ルバング島で潜伏していた。
私が高校三年生の時、小野田さんはフィリピン軍に投降し、日本に帰ってきた。
私はその時のニュースをよく覚えている。
そのころの日本は、まだまだ活力にあふれ、成長の最中だった。
52歳で帰国するも、日本に馴染めずブラジルに移住。
牧場経営を成功させたのち、日本とブラジルを行き来しながら、講演活動を行うなど活発に活動していた。
小野田さんは言っていた。
「国が何とかしてくれるじゃないでしょう。自分が国のために何ができるかを考えなくては・・・」
何かして貰えることはないか、そんなことばかり考えている人が増えてきたように思う。
合掌。
小野田さんは、太平洋戦争が終了したのを知らずに、戦後30年にわたりフィリピン・ルバング島で潜伏していた。
私が高校三年生の時、小野田さんはフィリピン軍に投降し、日本に帰ってきた。
私はその時のニュースをよく覚えている。
そのころの日本は、まだまだ活力にあふれ、成長の最中だった。
52歳で帰国するも、日本に馴染めずブラジルに移住。
牧場経営を成功させたのち、日本とブラジルを行き来しながら、講演活動を行うなど活発に活動していた。
小野田さんは言っていた。
「国が何とかしてくれるじゃないでしょう。自分が国のために何ができるかを考えなくては・・・」
何かして貰えることはないか、そんなことばかり考えている人が増えてきたように思う。
合掌。