クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

5度の期せずして

2024年01月12日 | コトノハ
羽生市内の須影小学校が創立されて150年が経つ。
最初は「日正小学校」という校名だった。
その150周年記念行事が執り行われる。
期せずして河田羽生市長と電話でお話をする。
今日はここから始まった気がする。
いつもと違う金曜日が始まる予感。
それにしても、150年という年輪の中に、我々も刻まれているかと思うと感慨深い。

午前、羽生郷土研究会からの依頼を受けて講師をさせていただく。
思えば、同会を知ってから20年が経つ。
20代半ばだった僕にとって、何にも代えがたいご縁だった。
右も左もわからぬ若造を優しく迎え入れてくれた。
羽生郷土研究会に育てていただいたようなものである。
自分が講師などおこがましい。
先日も、間仁田会長から資料をいただいたばかりだった。
今回も色々なことを教わり、逆に勉強させていただく。

午後、ずっとバタバタしていた。
コーヒーを飲む時間もなかった。
体が追いついていかない。
が、職場の皆様の助けにより、今日中に文書を発送し、書類上の直したい文言を修正し、割り出したい面積もヒントを得た。
感謝申し上げます。

歯科医院の予約時間の直前、期せずして同僚から連絡が入る。
急遽仕事の対応をする。
今日はこの思いがけないことが5度あった気がする。
最後は歯科医院で起こる。
歯科医のY先生が、拙著『歴史周訪ヒストリア』を以前から所蔵していただいたらしく、そこにサインをする機会を得た。

中学生、いや小学生の頃から診てもらっている先生である。
中学一年の春休み、手術が必要なものを見付けてくださったのがY先生だった。
もし発見が遅れていたら、春休み中に退院できなかったかもしれない。
以来、ずっとY先生にお世話になっている。
むしろ、こちらがサインをいただきたいくらいである。
その歯科医院を訪れるたび、1995年の冬に待合室で太宰治の『津軽』を読んだのを思い出す。
サインをいただくとしたら、『津軽』の中かもしれない。

医院を出たら、妙に力が抜けた。
その後は何もできず、羽生郷土研究で教えてもらった情報をコンパスに、ふらふらしただけだった。
思い付いて飲みに行こうとしたが、自らセーブをかけてしまう。
体が心に追いついていかない。

帰宅して、『『アリス・ミラー城』殺人事件』(北山猛邦、講談社文庫)を読み終える。
うーん、思いがけない結末。
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