クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

心身が不調だと“選択”もにぶる?

2017年08月29日 | ウラ部屋
胃腸が不調をきたして疲弊した。
体調が悪化するとナイーブになる。
ちょっとしたことでも不安に苛まれ、身動きがとれなくなる。

こんなときは引き籠っていたい。
でも、そういうときに限って色んなことが立て込んでくる。
だから余計に疲弊する。

調子が悪いと選択も悪くなるらしい。
手を出していたのは、胃腸が不調なときに食べてはいけないものばかり。
狙ったかのように当たりを引いてしまう。
考えれば考えるほど当たりを引きやすい。

考えてはいけない。
感じるんだ。
直感で。
とはいえ、いささか心もとない。
基礎知識は大切。

ところで、人生にも波がある。
好調なときと不調のとき。

同級生からこんな言葉を聞いたことがある。
「うまくいかないときって、付き合う人も泥沼なんだよね」
普通だったら絶対に選ばない人と付き合っているという。

なるほど、一理あるのかもしれない。
わざわざ自分を苦しめる人を選んでしまう。
さらに泥沼の中へ足を踏み入れてしまう。
避けようがない。
そのときの自分がその人を選んだのであれば。

でも、逆に自分を救ってくれる人を選ぶ場合もあるのではないか。
苦しいときだからこそ助けてくれる人を……。

人生が終わりを迎えていないから、選択の良し悪しは判断しようがない。
ただ、例えそのときひどく傷つけられても、
それをバネにして前向きに生きられたら、
その人との出会いも「悪い」とは言い切れないと思う。

相手のせいにばかりしない。
自分を貶めて悲劇ぶらない。
そのまま素直に受け止める。
それがいいのかはわからないが、僕はそうありたい。

ちなみに、「うまくいかないときに付き合う人は泥沼」と言った同級生は、
結婚して達者に暮らしている。
結婚相手は、人生のどんな波のときに知り合った人なのだろう。
そんな同級生とは、人生の変わり目みたいな時期に顔を合わせている気がする。

突然やってきた胃腸不調の波。
疲弊する体と心。
その期間に新しく出会った人はいない。
本で知った詩人以外には。
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文人は三嶋大社で歌を詠むべし? ―コトノハ―

2017年08月26日 | コトノハ
三嶋大社を参拝したのは、
まだ娘が生まれていない夏だった。
写真を見ると、息子もまだプクプクして丸い。

  我君の初もとゆひの黒髪を
  千代ふる霜のしらかなるまで
  (『鎌倉大草紙』より)

このコトノハは木戸孝範が三嶋大社で詠んだ歌。
長禄元年(1457)12月24日、
京から東国を目指す足利政知一行は三嶋大社に参詣した。

当時政知(まさとも)は23歳。
僧の身だった政知は同社で元服した。
供奉した木戸孝範は三嶋大社に歌を献上。
と同時に、政知のこれからの運を祈念したのだった。

僕らは後世の人間として、足方政知たちがその後どうなったのかを知っている。
「千代ふる霜のしらかなるまで」と詠んだ孝範は、
その後の運命を予期していただろうか。

木戸孝範はその後歌人として活躍。
政知は関東に入ることができなかったが、
孝範は足を踏み入れたらしい。
江戸城にて催された歌合に参列している。

歌人としてその名を後世に留めた孝範。
その歌学は木戸氏に受け継がれていく。
歌人として名を遺すことは本望だったかはわからないけど……

『鎌倉大草紙』はいう。
「孝範ハ冷泉中納言持為卿の門弟にて、無双の歌人」と。
歌人と生きることが本望だったとすれば、
孝範が詠んだ歌は三嶋大社の神さまに気に入られたのかもしれない。
ならば、文人は三嶋大社で歌を詠むべし、か。
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貝塚村にある貝塚とは? ―綾瀬貝塚―

2017年08月23日 | 考古の部屋
旧貝塚村にある“綾瀬貝塚”。
「ある」と言っても、貝塚そのものが見られるわけではなく、
神社の一角に標柱が建っている。

埼玉県の史跡として指定。
昭和3年に1部の発掘調査がされたという。
縄文時代前期の貝塚で、イルカの骨なども出土したらしい。

現在の風景からでは想像もできないが、
ここまで海が来ていたということだろう。
綾瀬貝塚の標柱は、閑静な住宅街にある。
大きな道路から離れ、細い道を入ったところにある。

地球温暖化と言われて久しい。
このまま温暖化が進めば、海面はさらに上昇するという。
綾瀬貝塚は考古学的な遺跡だが、
いまの世に何を訴えかけているだろうか。
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空腹時のほうが頭が冴える? ―コトノハ―

2017年08月18日 | コトノハ
  空腹時のほうが頭が冴えるからさ。
  ワトソン君も医者だからよくわかっているはずだが、消化のために血液を費やせば、
  それだけ頭脳のほうがお留守になるわけだからね。
  (コナン・ドイル作「マザリンの宝石」より、延原謙訳、『シャーロック・ホームズの事件簿』収録、新潮文庫)

シャーロック・ホームズが言うには、
空腹時の方が頭が冴えているらしい。
その理由は上に引用したとおり。

僕はこれに同意しかねる。
いや、ホームズのような鋭敏な頭脳ならば空腹の方がいいのかもしれない。
しかし、僕の凡庸な頭脳では、
ある程度の糖分が必要だ。

食べることが悪いのではない。
食べすぎがいけない。

腹八分目を越えると体も頭も怠くなる。
コーヒーをいくら飲んでも眠気に襲われる。
体も負担がかかる。
能率も悪くなるし、動きが遅くなる。
あまりいいことがない。

だからと言って、空腹すぎてもいけない。
頭脳にとって唯一の養分は糖だという。
たんぱく質でもビタミンでもない。
だから、『デスノート』に登場する「L」は、
あんなにも甘いものを摂取しているのだろう。

高校生の頃、僕はダイエットをしていた。
ダイエットを必要とする体重ではなかったのだが、そこは思春期。
痩せれば自分が変われる気がしたからダイエットに励んでいた。

昼をおにぎり1個で済まそうとしたこともある。
テスト期間中のときだ。
コンビニで買った昆布おにぎりを1個食べて終了。
そのあと図書館へ行って机に向かう。

ところが、全く集中できなかったのを覚えている。
年号や単語は右から左へ流れていく。
問題集を解こうとすれば、
そもそも問題文からして頭に入ってこない。

思考も浅い。
じっくり考えることができない。
いまだから思う。
糖が不足していたからにほかならない、と。

おにぎり1個ではなく、適度に食べればよかったのだ。
その方が勉強に集中できたし、
体にも優しかったはず。
若さの未熟さゆえ、そんなことができたのだろう。
いまだったら絶対にやらない。

もしもダイエットをしてなければ、
真面目に勉強していただろうか。
早くに自分のやりたいことが見付けられたかもしれない。

どんな年齢になっても「食」は大切。
だから、上のホームズの言葉にはいささか同意しかねる。

過去に戻れるのならば、
ダイエットなんかやめやっせと自分に言い聞かせたい。
素直に聞くタイプではないが、
そう言わずにはいられない。
せめて脳に養分がいきわたるほどの適度なダイエットにしなさい、と。
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虹が出たときに見る古墳は? ―尾崎古墳群―

2017年08月15日 | 考古の部屋
虹が出たから“尾崎古墳群”へ行ってみた。
そこは羽生市尾崎にある古墳群。
と言っても、円墳や大型前方後円墳が見えるわけではない。
地中に沈み込んでいるものと思われる。

土を掘り返したら、たまたま埴輪が出てきたことがあったらしい。
それももう随分昔のこと。
尾崎にある遍照院や鷲宮神社も古墳の上に建っていると言われている。

虹は東の空に見えた。
古墳時代の人々も、こうやって空に架かる虹を眺めたのだろうか。

尾崎古墳群の詳しいことはよくわかっていない。
謎多き古墳と言える。
『万葉集』に読まれた「小埼沼」は、
羽生市尾崎を舞台にしていると一説にある。
古くから拓けた土地なのだろう。

ところで、夏は怪談の季節。
幽霊たちが騒ぎはじめる。
僕はいまのところ幽霊を見たことがない。
心霊体験というやつもない。

だからというわけではないが、
古墳時代の幽霊を見たとの話を聞いたことは一度もない。
弥生時代、縄文時代、旧石器時代の幽霊も聞かない。
例え縄文時代の幽霊が出たとしても、
「あ、縄文人だ」と時代がはっきりわかるものなのか……。

輪廻転生で、別の何かに生まれ変わっているのかもしれない。
だから、せいぜい戦国時代の武者くらいしか遡れないのだろう。
(大正時代や明治時代の幽霊も聞かないが……)

勝手なイメージだが、生まれ変わるときはキラキラ輝いているような気がする。
例えば、空を彩る虹のように。
あまりオドロオドロしいイメージはない。
虹色に輝いて昇天しそうな気がする。
テンションの高さを表しているかのように。

古墳群から見えた虹。
死者の眠りとは程遠い色に見える。
でも、実は紙一重だろうか。
虹と古墳群の相性は、案外いいのかもしれない。
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夜の水族館はどんな顔? ―さいたま水族館―

2017年08月13日 | お知らせ・イベント部屋
8月14日まで開催している“ナイトアクアリウム”。
夜の水族館を見られちゃうという企画だ。
まさにお盆企画。
羽生市三田ヶ谷にある“さいたま水族館”で開催されている。

動き出す夜行性の魚。
昼の疲れを癒す生きもの……
夜の水族館は、昼の顔とは違うかもしれない。

さいたま水族館は淡水魚専門の館だ。
羽生インターチェンジからも近い。
この夏、夜の水族館を体験してみてはいかがだろうか。

<ナイトアクアリウム>
8月14日(月)まで
開館時間延長 9:30~21:00(入館は20:30まで)
さいたま水族館
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「追想の花火 ―清水卯三郎伝―」のウラ話(2)

2017年08月11日 | ブンガク部屋
群馬県館林市にある田山花袋記念文学館。
田山花袋の生まれは館林です。
ゆえに文学館があるのでしょう。

そのそばには移築された生家も展示されています。
最近はゲームキャラ化した花袋もいるので(「文豪とアルケミスト」)、
訪れる人は増加したかもしれません。

拙作「追想の花火―清水卯三郎伝―」(「文芸埼玉97号」掲載)の主人公は“田山花袋”です。
花袋の視点から物語は進んでいきます。
言い方を換えれば、
花袋から見た“清水卯三郎”ということになります。

田山花袋と清水卯三郎の接点は、
いまのところ資料上で確認することはできません。
すれ違うことはあっても、
対面して言葉を交わしたことはなかったと思われます。

いや、実は花袋は行きつけの「丸善」のついでに、
その近くにあった「瑞穂屋」へ足を運んでいたかもしれない。
いずれも憶測の域です。

卯三郎は「田山花袋」の名を知っていたのではないでしょうか。
「蒲団」はセンセーショナルな作品として話題を呼びました。
卯三郎が亡くなる1年前に発行された『田舎教師』は、
彼の生まれ故郷が舞台となっています。

卯三郎が文学や小説に興味があったのかは定かではありません。
例え花袋の作品を読んだことはなくても、
情報として耳に入っていたとしてもおかしくはないと思うのです。

拙作では、僕自身が持つ『田舎教師』論のようなものを少し盛り込みました。
この作品は、いち教師の生涯に焦点を当てるよりも、
広い視点で読むべきだと思っています。
というのも、僕自身がこの小説を「物語」というより、
一つの「資料」として見ているからなのでしょう。

執筆中、「田山花袋記念文学館」を訪れることはありませんでした。
というのも、文学館を訪れることで、
僕のイメージする花袋像に影響を受ける恐れがあったからです。

評伝はいざしらず、
小説の場合は「史実」という外枠をなるべく弱めたいのが本音です。
荒唐無稽ではなく、弱まった外枠の上で発想を自由にする。
そうありたいと思っています。

拙作が活字になってから、改めて「田山花袋文学記念館」を訪れました。
数ある展示の中でまじまじと見てしまうのは、
花袋の自筆原稿、デスマスク、使用していた机です。
今回は愛用のメガネの前でも長く立ち止まりました。
時期によって企画展示も開催しています。

文学館のそばには城沼が広がっています。
かつて館林城の天然の堀として使用された沼です。
湿地と水生植物、
その周辺の神社仏閣や歴史施設……
文学館のあとに城沼を眺めれば、
田山花袋という「文豪」を育んだ郷土性のようなものを感じられるかもしれません。


※「文芸埼玉」はさいたま文学館等で購入できます。
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京極夏彦氏の「本の読み方」の本を読みたい ―コトノハ―

2017年08月09日 | コトノハ
 (本が)面白くないというのはそこが酌めない人でしょう。ぼくの場合は、もし読んで面白くない本があったりしたら、自分にそれを『読み取る力』が欠落していたのだと判断して逆に反省してしまいます。そもそもぼくは本を悪く言うこと自体が嫌いなんです。
(ダ・ヴィンチ編集部編『究極の10冊物語』京極夏彦の章より、ダ・ヴィンチブックス)

巷には多くの読書術が出ている。
経営者、コンサルタント、医者、元官僚、学者など書き手の立場はさまざまだ。
小説家の書いた読書術がないこともない。

興味があるのは小説家の京極夏彦。
本に対する愛情、膨大な蔵書量など、けた違いであることはよく知られている。

もしも京極氏が読書術のようなものを書いたならば、
どんな内容になるのだろう。
思いが強すぎて1冊にまとまらないかもしれない。
それとも「弁当箱」のようなボリュームになるだろうか。

管見によるが、多くの読書術は実用的なもの。
本を読んで(インプット)して、
それをいかに活かすか(アウトプット)ということに焦点が当てられていると思う。
大雑把に言えば、読書によって仕事の能率を上げ、収入をアップさせ、
幸せな人生を送りましょう、ということを目的としている。

京極氏はそもそも読書を目的としていない。
書くために読むことはしないという。
だから、収入を上げ、幸せになるための読書ではないということだ。
空気を吸うように読んでいるのだろう。

そんなスタイルだから、「読書術」なる企画は成り立たないかもしれない。
上に引用した本では、各分野の著名人たちが「10冊」を挙げている。
その人たちが「~のための10冊」と切り口を定めている中、
京極氏の場合は「1996年、年頭に読んだ10冊」となっている。

その10冊は『古事類苑』『続群書類従』『謎ジパング』といったもの。
当時高校生だった僕には馴染みのない本だった。
でも、そんな書名から窺い知る京極氏の世界観に心惹かれたものだ。

いまでもときどき手に取る『究極の10冊物語』は、
京極夏彦氏の章だけは外さない。
いつか氏が読書をテーマにしたエッセイか随筆を書かないだろうか。
気が付けば、20年近く密かな期待を抱き続けている。

どんな立場の人の書いた読書術でも、
僕は少なからずの刺激を受ける。
でも、もしも京極氏がその手の本を出したら、
世界が揺るぎそうな影響を受けそうな気がする。
例えば、あの「夏」に出会ったときのように……
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幼な子を“埼玉県立自然の博物館”に連れていくと……

2017年08月07日 | 子どもの部屋
埼玉県立自然の博物館(埼玉県秩父郡長瀞町)で、
企画展「埼玉生きもの情報―最新レッドデータブックの世界―」が開催されている。
“ムジナモ”も展示されているというから足を運んでみた。

夏と自然系博物館はよく似合う。
夏休み中ということもあって、
博物館内は来館者で賑わっていた。
僕は門外漢なのだが、この世界に触れるのは好きだ。

企画展は2階で開催されている。
「埼玉県内から絶滅した昆虫」「限られた環境にくらす生きもの」「生きものをおびやかすいきもの」といった観点から、
それぞれ資料が展示されている。

ムジナモ(標本)が展示されていたのは「レッドデータは生きている」のコーナー。
解説の中に「調査が進むとランクが変わる!?」や
「いつかランクが変わるかも!」が目に留まった。
人文系と同じで、調査や研究が進むことで変わるものもあるということだろう。

どの分野にも「絶対」はない。
いまは当たり前のことと認識されているものでも、
いつかはそれが非常識に変わることがあるのかもしれない。

一緒に連れてきた幼い息子も、
自然の博物館なら心の琴線に触れるものがあったらしい。
触れるはく製や、生物展示ホールで立ち止まる。
ご執心だったのは、押すとはく製にライトアップするボタンだったのだが……
ちなみに、ムジナモは生物展示ホールに複製として展示されている。

企画展「埼玉生きもの情報―最新レッドデータブックの世界―」は
8月31日(木)までの開催。
7月、8月は無休で開館している。
ムジナモも無休で展示されている。
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一篇の詩のような……

2017年08月05日 | コトノハ
  おれは偉大な詩人なんだ。
  とはいえ文字で詩を書くんじゃない。
  おれの詩ってのは、行動と感情でできているんだ。
  (バルザック作『ゴリオ爺さん』より、中村佳子訳、光文社)

記憶と結びつける文章を書き綴ることがある。
すると、拙ブログのある記事を読んで、
あれは自分のことではないかと友人が言った。
かつての自分が僕を傷つけてしまったのではないかと心配したらしい。

なんだか申し訳ないことをした。
その記事は彼との記憶を題材にしたものではなかった。
それだけに文章を書く難しさを改めて実感させられた。
心優しい彼は、実は繊細で周囲の空気を読む性格は変わっていないらしい。

たまたま拙ブログを読んだ別の同級生が、
自分のことではないかと感じることもあるかもしれない。
例えそうだとしても気にしないでほしい、というのは勝手だろうか。
もしも感情の変化があったとすれば、
それはむしろ「影響を与えた」と思ってほしい。

過去の記憶を題材にするとき、
僕は恨みつらみを書きたいわけではない(そもそも恨みなどない)。
心に積もったものを発散させたいわけでもない。
一篇の詩のような文章を書きたいだけ。
誰もが「詩人」だったあの季節を描きたい。

遠い記憶はもはや一篇の「詩」に変わっている。
同じ時間を過ごした彼らは「詩人」だったのだと思う。

「文字で詩を書くんじゃない。おれの詩ってのは、行動と感情でできているんだ」と言ったヴォートラン(上掲書)。
僕らはかつて詩人だった。
あの頃の感情と行動は「詩」そのものだったと思う。
一冊の詩集を編むように、僕らは同じ季節を過ごしたのだろう。
その詩はいまでも心に響き続けている。

友人から聞いた話によれば、
同級生たちは息災に暮らしているらしい。
黄色い服が好きだったY君、
北国で働いているというH君、
研究畑から外国で活躍しているN君、などなど。

「青春」の終わりを感じたのはいつだっただろう。
ともに過ごした季節はどんどん遠ざかっている。

でも、時間が止まったわけではない。
新しい季節の中を過ごしている。
背負うものが増えても、手探りで生きていることに変わりはない。
例えどんなに時代が変わろうと、価値観が変化しようと、
何が良くて悪いかなんてわからない。
迷いながら生きている。
僕らはいまでも一篇の「詩」を編み続けているのかもしれない。
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宙ぶらりんでも「それでいいじゃない」 ―コトノハ―

2017年08月03日 | コトノハ
  ピーマン にんじん イエスマン
  食べられない 食べられないnoサンキュー
  I know You know 世紀の才能
  一度の人生勝手に生きたいの 
  いいじゃな いいじゃな いいじゃない
  それでいいじゃない
  (三浦徳子作詞「Ja-nay」より)

1996年の夏、「ポンキッキ」に回せば必ず流れていた曲「Ja-nay」。
歌っているのは鹿賀丈史さんだ。
夏休みに入ると、番組スタッフは各地に出張していたみたいで、
ガチャピンやムックたちが色んな場所で「Ja-nay」の曲に合わせて踊っていた。

1996年、僕は高校3年生だった。
なぜかその年の春から毎朝「ポンキッキ」を観ていた。
朝がとても楽しくなったのを覚えている。

何度「Ja-nay」を聞いただろう。
英語の補習で学校に行ったとき、
夏休みの図書室で同級生2人の姿を見かけたとき、
図書館へ勉強しに行ったときも「Ja-nay」は流れていた。

「それでいいじゃない」と鹿賀さんは歌う。
いいのか悪いのかよくわからない。
あの頃はそんな感覚だった。
高校3年生の夏なのに具体的な未来像が思い描けない。
ただ漠然としたのものを感じていた。

「それでいいじゃない」と踊るガチャピンとムック。
よかったのかもしれない。
人生はなるようにしかならないらしい。
どんなに「正解」と言われていても、
ある日変わってしまうことも何度かあった。
戦後50年目を迎えた1995年から、
変わらないとされた物語はたぶん終わりを迎えたのだろう。

だとしたら、自分が強く想うことをやればいいのだと思う。
社会に迷惑をかけるものでなければ、
臆せず飛び込んでもいいのかも。
「一度の人生」なのだから。

例え失敗したとしても「それでいいじゃない」。
自分の信じたことをやって失敗したのなら、
それは素敵なことじゃない、と作家の石田衣良さんが言っているのを
何かで読んだことがある。

高校生最後の夏。
進路を決めなければならなかった夏。
毎日流れていた鹿賀さんの「Ja-nay」。

僕は宙ぶらりんに生きていた。
日々は曖昧に過ぎていった。
「思い悩む」ほど僕は真面目ではなかった。

「それでいいじゃない」と唄う鹿賀さん。
それでいいのかも。
自分の想いだけではなかなか決められないこともある。
夏だから思い悩んでいる人も少なくないだろう。
そんなときは「それでいいじゃない」と一度声に出してみるといいかもしれない。
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羽生には“魚の休憩所”がある? ―はにゅう萌え―

2017年08月01日 | はにゅう萌え
金山圦用水路を新しく作り直したのは平成14年度のこと。
このとき、水路整備とともに「魚の休憩所」が設置された。
自然石や埼玉県内産の材木を利用して、
水中の生きものたちが住みやすい環境を創出したという。

そこは御霊神社の裏にある(羽生市上岩瀬)。
小さなスペースなのだが、通れば必ず目に留まる。
妙に心惹かれる。
穴場かもしれない。

隣に設置された看板によると、
ギンブナやドジョウ、オイカワやアブラハヤ、モツゴ、ヨシノボリ、
タモロコ、コイがいるという。
ただ、この看板が設置されたのが平成14年度だとすると、
多少の環境の変化は考慮しなければならないだろう。

冬になるとほとんど枯れてしまうが、
夏の用水路は水で潤い、周辺の樹木も緑鮮やかだ。
「魚の休憩所」で、心を休めてもいいかもしれない。

癒される場所ではあるものの、
水場であることに変わりはない。
小さな子だけでは危険のため、
必ず保護者同伴で行きましょう。
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