クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“はしか門”にはどんな伝説がある? ―日光脇往還沿いの伝説―

2010年02月10日 | ふるさと歴史探訪の部屋
“はしか門”は羽生市下新郷の「漆原医院」にある。
“左甚五郎”の作と言われ、
門を通ると「はしか」が治るということから、
その名がついている。

2月6日の「埼玉新聞」に、そのはしか門が掲載された。
“掘越美恵子”氏から門の説明看板がリニューアルしたという情報を貰い、
漆原医院へ取材に行くことになった。
高校時代にそのわきの道を通っていたから馴染みがあったし、
そこは忍城の支城に比定されることから、
自ずと取材にも熱が入る。

取材を快く受けてくれたのは、
漆原家20代目当主の漆原俊一氏だった。
古びて危なくなった門をリニューアルした方でもある。

そもそもはしか門は、ある雪の日に漆原家に泊まった左甚五郎が、
そのお礼にと作った門である。
そのとき火災除けか盗難除け、
どちらの門にするかを訊ねたらしい。
当時の当主は後者を選ぶ。

すると、当家に盗みに入った盗賊は、
門を通った途端に罪悪感に襲われたという。
そして主人の前に平伏し、
腰の刀を置いていったと伝えられる。

「はしか門」と言われるようになったのは、
それからあとのことだ。
子どものはしか除けに効くと言われ、
遠方から訊ねてくる者もいた。

中には、門の一部を削り取って煎じて飲む者もいたという。
ゆえにリニューアル以前のはしか門は、
削られた跡や穴が多く見られた。

また面白いのは、残り木で作った亀の彫刻を池に放したら、
水を得た魚のごとく泳ぎだしたという伝説だ。
亀は遊泳したあと地中深く潜り、姿が見えなくなったという。
そんな伝説が語り継がれており、
門前市をなすほどの賑わいを見せていた。

かつては門の前に賽銭箱があって拝みに来る人がいたとか、
近くの小学生が絵を描きに来たという話を、
漆原氏は語って下さった。

タクシーが家の前に止まったから、
患者さんかと思いきや、はしか門の観覧者だったということもあったらしい。
なお、城の名残を思わせる堀の話も聞けて、
30分弱ではあったが充実した取材となる。

ちなみに、「埼玉新聞」掲載後、友人の家が盗難に遭ったらしい。
さほどの被害ではなかったそうだが、物騒この上ない。
「はしか門に参拝に行った方がいいかな?」
と、メールを貰った。

門は信仰の対象ではない。
だから、参拝に行ったところで盗難除けに効くのかは疑問である。
左甚五郎の子孫に門を作ってもらった方が、
効き目はあるかもしれない。
はしかについても、門を削り取って煎じるのではなく、
漆原医院で看てもらった方が確かなことは言うまでもない。

※最初の画像は“はしか門”(埼玉県羽生市下新郷)

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (漆原)
2011-03-25 11:19:03
漆原です今回の記事にのせてもらった家に住んでおります
漆原さんへ (クニ)
2011-03-25 23:16:47
以前、埼玉新聞の記事にも、
はしか門について取り上げさせていただいたことがあります。
医師の漆原先生には、お忙しい中大変親切に取材を受けて下さいました。
拙ブログに掲載している写真は、
その日に撮影したものです。
>< (漆原(嘘))
2011-04-08 19:10:46
ごめんなさい!!!!
私はこのコメントを書いた人の友です
本人ではありません
ホントにすみません
あの書き込みは嘘ですホントすみません
Unknown (上間違えた><訂正)
2011-04-08 19:13:19
正しくは上の家の友でこのコメント書きました
・・・ (漆原嘘)
2011-04-08 19:14:47
(本人知りません)・・・
Unknown (クニ)
2011-04-08 23:53:58
10代の頃、友人との間でこのはしか門の話題になったことは一度もありませんでした。
だから教えてくれる人もいなかった。
友人同士の間で話題にのぼるくらい知られるといいですよね。

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