クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

羽生のパリへ行く?

2018年11月30日 | 近現代の歴史部屋
歌手・菅原都々子氏が食事をしたという羽生の料亭「みやこ」。
現在そのお店はありません。

これも聞いた話ですが、
「みやこ」の西隣には、
「パリ」というカフェがあったそうです。

太平洋戦争前に営業しており、
戦後に閉店したのだとか。
店名からして、大正時代に開店したのでしょうか。
当時の羽生ではモダンなお店だったと思われます。

カフェに入店する若者たち。
服装もオシャレで、女性たちも着飾っていたでしょう。
というのは想像で、
農作業の合間に入店するおじいちゃん、おばあちゃんもいたかもしれません。

「パリ」ではどんなメニューを出していたのでしょうか。
そこではどんな会話が交わされていたのでしょう。
現在「パリ」の面影は全くありませんが、
想像すればモダンな香りがそこはかとなく漂ってくる気がします。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『青い麦』から見る“年上”の人 ―コトノハ―

2018年11月27日 | コトノハ
フランス文学の恋愛小説の古典『青い麦』。
作者はシドニー=ガブリエル・コレット。

小さい頃から仲が良かったけれど、思春期を迎えた2人は互いを意識するようになる。
ところが、そこに現れたのは年上の女性だった。
それぞれの想いが揺れ動き、ただの幼なじみだった2人の関係は変わっていく……。

という内容の小説です。
十代にとって「年上」の存在は眩しく見えるかもしれません。
女子から何度となく聞いた言葉があります。
「年上の人と一度でも付き合うと、同級生はとても幼く見える」
だから、同級生とは付き合えなくなる、と。

『青い麦』は、16歳の男子フィリップが年上の女性に惹かれていきます。
幼なじみのヴァンカとは別世界に住む人のように描かれ、
その吸引力には抗えません。

僕は、『青い麦』を年上の“恋敵”が登場する小説として読んでしまいます。
恋敵が「年上の人」だったらどうすればよいか?

同級生の女子からその対応策を教えてもらったことがあります。
渡されたのはいくつかの項目が書かれた星型の紙。
そこに書かれたものを総じて言えば、
無理に背伸びするのではなく、自然体で立ち向かえばよいということでした。

いや、立ち向かわざるを得ないということでしょう。
例えば、自分が高校生で相手が社会人の場合、
どんなに背伸びをしようと、車を持っているわけではないし、経済力もない。
オシャレなお店とか、気の利いた言葉や情報も少ない。

そんな土俵にのぼろうとしても無理がある。
それよりももっと純粋なひたむきさや一途さで勝負。

なるほど。
ひたむきさや一途さでは誰にも負けない。

ただ、それをどう表現するか?
そこに年上との違いが出てしまう気がしました。

つい口にしてしまう心にもない言葉。
なぜか出してしまう素っ気ない態度。
それが幼さというものなのでしょう。
同世代には、それが「幼さ」として目に映ってしまうのかもしれません。

月日が流れれば、そのときの「年上の人」の年齢を自分自身が越えることになります。
でも、心のどこかに残るわだかまりのようなものがあります。

痛みというわけでも、トラウマというわけでもありません。
埋められない隙間のようなもの。
どんなに月日が流れても、決して越えられない……
ティーンエイジャーに知る「年上」は
恋敵でもあり、何かもっと別の存在のような気がします。

『青い麦』を読みながら、僕はヴァンカに感情移入することはできません。
15歳という年齢のせいではなく、
ヴァンカが女だからなのでしょう。

刺激されるのは、「年上の人」に対する何か。
その「何か」とは、心の内に燃やした対抗心であり、
いつかそうなりたいと願った憧憬に近い感情なのかもしれません。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界キャラクターさみっとin羽生へ行こう!

2018年11月23日 | はにゅう萌え
11月24日(土)、25日(日)と、
埼玉県羽生市で開催されるのは「世界キャラクターさみっとin羽生」。
全国津々浦々のご当地キャラクターが集まります。

僕は25日に行きます(仕事ですけどね)。
バスで来られる方はお会いするかもしれませんが、
楽しんでいってくださいね。
それでは羽生でお会いしましょう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅白歌合戦の出演歌手が羽生に来た?

2018年11月20日 | 近現代の歴史部屋
かつて羽生市に、歌手・菅原都々子が来た、
という話を同市在住の女性から聞いたことがあります。

菅原都々子(すがわらつづこ)とは何者なのか?
「エレジー(悲歌)の女王」として知られ、
「憧れの住む町」や「江の島悲歌」、「月がとっても青いから」などの代表曲がある歌手です。
第1回NHK紅白歌合戦の第1号歌唱者でもあり、
同回最後の存命者でもあるのだとか。
(2018年11月現在91歳)

そんな菅原都々子氏が羽生に来たのはいつ頃のことだったのでしょう。
かつて“曼荼羅堀”沿いにあった料亭「みやこ」で食事をしたそうです。
(中央公民館から徒歩2分くらいでしょうか)

現在「みやこ」はありません。
跡地は駐車場になっており、その面影を偲ぶこともできません。

なぜ羽生に来たのでしょう。
当時存在した“羽生座”で歌を披露。
(キンカ堂跡の近くに羽生座という芝居小屋がありました)
その後、「みやこ」で食事をしたということです。

菅原都々子を見た!という女性曰く、
とても綺麗な方で、存在感がほかの人と違っていたそうです。
その女性の年齢から考えて、いまからおよそ70年前の話かもしれません。

料亭「みやこ」がいつ頃まで営業していたかによるのですが、
昭和20年代の来羽ではないでしょうか。
戦争が終わり、羽生に新しい時代の波が到来しつつあった頃の話と思われます。

ところで、2018年10月に羽生の町中と川俣地区の案内をする機会がありました。
ちょうど「みやこ」跡地を通ったので、
菅原都々子氏が来羽した話を説明。
参加者が若い方ばかりだったからでしょうか。
「菅原都々子」を知ってはいても、「みやこ」は初耳という方がほとんどでした。

歴史書等ではなかなか叙述されない情報です。
ご縁がなければいまでも知らないままだったでしょう。
教えてくださった方に、改めて御礼申し上げます。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

声が出ない金曜日

2018年11月18日 | ウラ部屋
羽生市内の稲子集会所へ足を運びました。
高齢者学級の講師としてお話ししたのは「郷土羽生の歴史について」。

古代からの歴史を辿りつつ、
近現代篇では古写真をたくさん使いました。
市制施行間もない頃の駅前の様子や、
昭和30年代の本町通りを写したものなど、
「懐かしさ」を感じられるものです。

とはいえ、単に「懐かしい」だけでは物足りないですね。
その写真から読み取る「ストーリー」を伝えることの必要性を感じました。

ところで、数日前から咳が出ています。
熱はなく、体調不良で講師をとても務められない、というわけではありません。
実際、高齢者学級に足を運び、お話をしました。

ところが、午後になって時間が経つにつれ、かすれていく声。
仕事の電話をかけたところ、
僕のかすれた声で聞きとりにくかったのでしょうか。
電話に出たおばあちゃんは、無言で電話を切りました。

夜になると、声が全く出なくなります。
痛みはないのに、声が出なくなるのは人生で初めてのことです。
なんと不便で心細いものか……。
これでは電話で出前もとれません。

翌日は「羽生学講座」の開催です。
こちらは僕が講師ではないので難を逃れました。
もしも講師を務めることになっていたら、
この声の出ない具合は「中止」レベルです。
稲子の高齢者学級には声がもってよかったと、つくづく思います。

出なくなった声はいつ戻るのでしょう。
これでは電話をかけることもままならず、
窓口対応もできないレベル。
どうしよう……。

ちなみに、稲子集会所の近くには源昌院があります。
分福茶釜で有名な茂林寺の孫寺であり、
境内には石造のタヌキが見られます。
人生で初めて声が出なくなり、まるでタヌキに化かされたような気分です。

こんなときは源昌院を参拝するのがいいかもしれませんね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の羽生にて ―城沼公園のケヤキ―

2018年11月16日 | はにゅう萌え
羽生の城沼公園に立つケヤキ。
すでに木の葉が散っています。

20年以上前から立っているケヤキです。
当時から何も変わっていないように見えますが、
きっと樹高は高くなり、幹回りも太くなったはずです。
人間も年を重ねるわけです。

かつて、城沼公園のベンチに財布を忘れたことがあります。
すると、翌日財布が落ちていることをわざわざ電話をかけてくれた人がいました。
羽生の人はいい人ばかりだなぁと思ったことがあります。

そんな遠い日の一幕も、ケヤキは見下ろしていたのですね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ここにいて、ここにない ―コトノハ―

2018年11月12日 | コトノハ
いまここにない人生はどのようなものだっただろう、
と考えたとしても、
そんなもう一つの人生は存在し得ない。
存在し得たとしたら、それは夢なのでしょう。

「ベイビー夫妻」、「さようならギャングたち」、「ドグラ・マグラ」からのコトノハ。

  どうして私はここにいて、ここじゃないところにいないのだろう?
  どうして私はこのような人生を送ることを選んで、
  このようじゃない人生を選ばなかったのだろう?
  私はどうしてこのように感じ、またときとしてこのようじゃなく感じるのだろう?
  そのようにしてボブ・ベイビーは、彼にとっての最初の詩を書いた。
  (マーク・ストランド、村上春樹訳「ベイビー夫妻」より、中央公論新社)

  詩人にとって、自分は最初の他人だ
 (高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』より、講談社文芸文庫)

  吾輩ポカンは断言する。
  「物を考える脳髄が、物を考える脳髄のことを考え得ない」ということは
  「二つの物体が、同時に、同所に、存在し得ない」という物理学上の原則と同様に、万古不易の公理でなければならぬ。
  (夢野久作『ドグラ・マグラ』より、角川文庫)

40歳がそろそろ見えてきた今日この頃。
思うものがいろいろあります。
感じることもあります。
だって人生80年ならば、40歳は折り返し地点ですから。

だから、そろそろ「詩」が書けるかもしれません。
40年が経っても、
自分は「他人」のまま。

他者のような自分。
過ぎ去った時間。

もし、「このようじゃない人生」ならば、
いまいる人とは出会うこともなかったでしょうか。
直面する死もなかったでしょうか、
いまとは全く別の気持ちで空を眺めていたでしょうか。

「二つの物体が、同時に、同所に、存在し得ない」ように、
人生もまた同時に同所に存在し得ないのでしょう。
「もう一つの人生」なんてありようもなく、
「考え得ない」ものなのかもしれません。

ただ、過去に「もしも」を考えてしまいますけれど。
つい、そこにいることを願ってしまいますが……。
いまも、当たり前のように、
そこに、
元気な姿で。

例えば、どこか懐かしい風が吹く夜などに、
悔いや痛みではなく、
やさしい気持ちで。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忌中により

2018年11月11日 | ウラ部屋
身内に不幸がありました。
冥福を祈り、ブログの更新を控えました。
色々ありましたが、ひと区切りはついたように思います。

幼子には初めて接する死でした。
またその意味はわかっていません。
死を理解するのはいつ頃になるのでしょう。

僕自身が初めて接した死は小学2年生のときでした。
同居していた祖母を亡くし、
それが「死」であることはわかっていました。
ただ、「理解」していたかというと自信がありません。

運命とはいえ、幼い頃に死に接することは不幸なことです。
大切な人を失ったのですから。
幼子の成長を見届けることができなかったのですから……。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人がたくさんいるところは好きでも……

2018年11月04日 | ウラ部屋
人がたくさんいるところは好きだけど、
孤独を嗜好するところがあって、
例えば大人数のところで本を読んでいるような性質かもしれません。

思えば小学生の頃、
放課後に2、3人で会うときは一緒に遊んでも、
5、6人以上で集まったときは一人で本を読んだり音楽を聴いたりしていました。
僕としては居心地がいいのだけど、
一緒にいる人にはかえって不快な思いをさせてしまった気がします。

そんな性質は大人になっても変わらないものです。
ある日、出掛けたときのことです。
見知った3人で向かっている最中は、
ごく普通に会話に参加。
自分から言葉を発しました。

ところが、別便で来た同じく見知った2人と合流すると、
途端に聞き役に転換。
彼らの話に耳を傾け、頷くこともあれば一緒に笑うといった感じです。

6人で町を歩きながら改めて思いました。
自分の性質は変わってないなぁ、と。

ずっと昔、自分の居場所が欲しくてグループの中に入ろうとしましたが、
彼らとの間に透明の膜のようなものを感じたことがありました。
それは、彼らが距離をとっていたのではなく、
僕自身の性質にほかなりません。
例えるなら、バンドだと曲を奏でられないのに、
ソロならば歌う、といったところでしょうか。

誤解がないように言えば、
大人数が苦手というわけではありません。
はみ出たいわけではないですし、
協調性もあると思います(たぶん)。

最初にも言いましたが、人がたくさんいるところは好きなのです。
たくさんの人が話す楽しい言葉に耳を傾けていたいだけ。
ただ、それで相手に不快な思いをさせたり気を遣わせてしまったら、
申し訳ない気持ちでいっぱいです。

昼、6人でラーメン店に入りました。
とてもおいしいラーメンでした。
いくつになっても変わらない自分の性質を思い、
また感じながら食べたラーメンです。
目を細めれば、湯気の向こうの彼らはとても眩しく、
過去の自分の姿が浮かんでは消えていくようでした。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の羽生にて

2018年11月02日 | はにゅう萌え
なかなかブログに手を付けられない状況が続いていました。
秋は何かとバタつく季節です。

来年度のデザインを描かなければならない時期ですし、
依頼があった講師の仕事も引き受けたからには一生懸命やりたいし、
夏から書いている原稿が終わらずにかかりきりになっていますし、
心配事もありますし、
健康診断に向けて体重を落とさなければならないし……と、
何かと目白押しでした。

気が付けば、めっきり日が短くなりました。
朝と夜が涼しくなりましたね。
羽生市に自生する食虫植物ムジナモもそろそろ冬支度です。

ムジナモは「冬芽」という芽のような形になって、
水底で冬を越します。
なかなか面白い植物です。

20歳以上年の離れた後輩が、ムジナモ研究ですごい結果を出しました。
公になったら取り上げたいな。
バタバタしているときに入った嬉しい一報でした。

ところで、十代のときに一生懸命だったものは、
大人になってもずっと影響を及ぼしていると思います。
後輩の研究に夢中になった日々は、
きっと大人になっても影響し続けていくのでしょう。

夢中になるものは、勉強や部活だけに限りません。
例えば好きになった人も……

人は人に惹かれます。
影響も受けます。
感受性が豊かな時期ほど、それは大きなもの。

好きになった人から受けた影響は、
遠い過去になっても続いているのかもしれません。
いい影響もあれば、「悪い」と判断する人もいるでしょう。
僕は根が単純で、楽観にできているせいか、
「悪い影響」と区別することはありません。

「好き」とひと言で言っても、
恋愛、憧れ、尊敬、敬愛などとその感情はさまざまです。
例えば、20代のときに出会った95歳の羽生城研究者・冨田勝治先生は、
僕にとって尊敬と憧れの存在でした。
先生から受けた影響はいまも続いています。

そんな風に、その時代ごとに気持ちを動かされた感情の延長線上に僕たちは生きているのではないでしょうか。
個人の感情・体験レベルは小さなものです。
しかし、そうしたものが多く集まって、「時代」を創り出している気がしてなりません。
どんなに歳月が流れも、
遠く離れても、例え「忘れた」としても、
歴史は分断されないのですから……

好きになったことは事実です。
何よりもそこに自分がいた証。

「過去」というと、後ろ向きなイメージがあります。
「歴史」というと、ややお堅い。
いずれにしても、僕はいちいち思い出して感傷的になることはありません。
感傷に溺れるのは嫌いです。

ただ、「過去は過去」とまるで不要なものみたいにないがしろにするのではなく、
大切にしてしまっておきたいとは思います。
ときに、指標として人生を指し示すこともあるのですから。

なんて、窓越しに色付く木々の葉を眺めながら思ったりします。
そう考えられるのだから、気持ちに余裕ができたのかもしれません。
と、すれば秋は終わり。
そろそろ冬ですね。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする