クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

宵時の“杉山城”をひとりで攻める? ―ひとり散歩―

2015年08月31日 | ふるさと歴史探訪の部屋
杉山城は埼玉県嵐山町にある。
よく知られているように、山城の模範と言われる。

これだけ完全な形で残っているのは珍しい。
後北条氏による築城と考えられてきたが、
現在は山内上杉氏の手によるものとの可能性が高い。
国指定の史跡。

杉山城に辿り着いたのは夕方だった。
日は暮れかけ、城跡にはぼく以外に誰もいない。

かねてよりこの城とはじっくり語り合いたいと思っていた。
最後に足を運んだのはすでに数年前になる。
記憶もややぼやけている。

夕方とはいえ、誰もいないのは好都合。
人目を気にせず城と向き合える。

持ってきた見取り図を片手に城を攻める。
大手口をそのまま突き進むのではなく、南に折れて馬出廓から入城する。

“南三の廓”から食い違い虎口を通って“南二の廓”に行き、“井戸廓”に進む。
虎口に設けられているのは横矢掛かり。
突き出た土塁が廓の出入り口の防御を固めているわけだ。
すなわち、横から矢を放って敵を倒すという仕組み。

井戸廓からは本郭には進めない。
本郭の南虎口にあたる。
かつてここには木橋が架かっていた。

本郭では、ちょうどここに礫が発掘されている。
井戸廓に侵入した敵を撃退させるための武器だろう。

石という原始的な武器だが、
これがかなり効いたらしい。
いまでも石に当たれば痛い。
石の方が「痛い」と言うのは、よほど融通の利かない堅物くらいだ。

再び“南二の廓”に戻って、東側を通って“本廓”に入る。
本廓の東虎口では、ハの字形に広がる石積が発掘調査で見つかったという。
本郭から“北二の廓”に行く虎口は、
強力な横矢掛かりが設けられている。

そのまま“北三の廓”に足を運ぶ。
ここは木が生い茂っていて、かなり薄暗い。
日はどんどん翳り、逢魔の刻と言われる宵時となる。

再び本郭に戻り、“東二の郭”と“東三の郭”へ足を運ぶ。
ここはだだっ広く、杉山城の雄姿を望むことができる。
東の空には月が浮かんでいた。

南二の廓には戻らず、横堀に沿うように歩き、折れを見る。
再び馬出廓と南三の郭に戻り、
南二の郭には戻らず“井戸跡”に足を運んだ。

ここも樹木が多い。
木の陰から何かが覗いていたとしてもおかしくはない雰囲気である。
それはホラーではファンタジーだと思う。
不気味と言えば不気味。
でも、そこを気にしても城とは語り合えない。

竪堀を眺めながら井戸跡に辿り着く。
そこには深い穴があるわけではない。
井戸跡には大きな石でふさがれている。
杉山城で唯一見つかっている井戸だという。

そして、大手口から退城。
以上が今回進んだルートになるが、
再び引き戻って城に入る。

復習。
そう、ひとり散歩だと復習ができるのだ。
誰かと一緒だと、よほどの城好きでなければ遠慮してしまう。
妻でさえ遠慮が生じる。

しかも、自分のペースで好きなコースを辿れる。
多少端折って杉山城に再び入城した。
今度は駆け足で廓を巡った。

36歳の男が薄暗い城跡を走っている姿は、
ファンタジーではなくホラーかもしれない。
城の麓から犬の鳴き声が聞こえたのは、
ぼくに警戒してのことだったか。

大手口に戻ったときは、月光もだいぶ明るくなっていた。
城を眺めると、廓の輪郭が見えないほど闇の中に溶け込んでいる。
それでも3度目の復習に行く人はいるだろうか。

さすがに疲れた。
10代か20代だったら逆回りで攻めに行ったかもしれないが……。
ペットボトルの水を飲み干して杉山城をあとにした。

ちなみに、夏の杉山城はやぶ蚊が多い。
城跡見学の基本だが、
暑くても長そで・ズボンで行くことを薦める。


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羽生の“カウントダウンまつり”に行きませんか?

2015年08月28日 | お知らせ・イベント部屋

8月29日、イオンモール羽生において、
「カウントダウンまつり」が開催される。
何のカウントダウンか?
“世界キャラクターさみっとin羽生2015”のカウントダウンだ。

今年も羽生では“さみっと”が開催される。
第1回から足を運んでいる方も多いだろう。
羽生が住みよさランキングで埼玉県内2位をとったのも、
さみっとによる知名度アップが影響しているのだと思う。

カウントダウンまつりでも、
イベントが目白押しだ。
羽生のムジナもんの仲間たちをはじめ、
多数のキャラが参加。
盆踊り大会や歌手によるミニライブ。
模擬店もたくさん出店されるという。

時間は夕方3時から夜の8時30分まで。
イオンモール羽生の“平面南B駐車場”が会場となる。
入場は無料。
キャラと一緒にさみっとを盛り上げてみてはいかがだろうか。
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戦後70年目の夏、“熊谷空襲”の展示を開催している?

2015年08月27日 | お知らせ・イベント部屋
熊谷市立図書館美術展示室では、
「戦国70周年記念 熊谷空襲の記憶展」が開催中だ。

終戦日の前夜、空襲を受けたことで知られる熊谷。
あと1日終戦が早ければ……。
その想いはずっと続くのだろう。

空襲後の荒廃した風景を撮影した写真や、
熱で歪んだ仏具、焦げた祖師像や血に染まった手ぬぐいなど、
その被害を生々しく伝える資料が展示されている。

かつて熊谷市出身の森本誠一氏の講演を聞きに行ったとき、
空襲で焼けただれた焼死体の話をされていたのを覚えている。
展示を見ながらその言葉がよみがえった。
現実は、展示資料だけでは語り尽されないほど、凄惨なものだったのだろう。

展示室の中央には、熊谷空襲を題材にしたDVDが流れている。
30分くらいのアニメである。
途中から見始めたのだが、涙がにじみ出てきた。
子どもが泣き叫んだり、辛い目にあったりしているものを見ると、
深い悲しみと怒りを覚える。

子どもが被害にあう痛ましい事件も増えているが、
あってはならないことだ。
繰り返してはならない。
事件も戦争も。

「熊谷空襲の記憶展」は8月30日(日)まで。
開館時間は午前9時~午後5時となっている。
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戦国BASARAが埼玉の博物館にやってきた?

2015年08月26日 | お知らせ・イベント部屋
夏休みもあと残りわずか。
埼玉県立歴史と民俗の博物館では、
特別展「戦国図鑑―クール バサラ スタイル―」が開催中だ。

カプコンのゲーム「戦国BASARA」との共催であり、
異色の展示とも言える。
学芸員の話を聞くと、若い女の人の来館者も多いらしい。
「戦国BASARA」を目当てに来る人も少なくないのだろう。

同館のホームページでは、「スタッフブログ」が開設されている。
そこには展示の裏側や学芸員の心情が書かれていて、
結構面白い。
ブログと併せて展示会場に足を運べば、
展示が少し違って見えてくる。

日本人はキャラクター好きだ。
イラスト化された戦国武将は、
さらに人気を博している。
今回の展示は賛否両論だろう。
「いいね」と言う人もいれば、眉をひそめる人もいる。

ぼくは決して嫌いではない。
歴史に親しむ取っ掛かりになると思う。

無論、学術的な視点は大切で、
それを踏まえてこその展示である。
一部の研究者しか見に来ないお堅い展示と、
子どもからお年寄りまで幅広く親しまれる博物館。
長い目で見たとき、博物館にとってどちらがいいのだろう。

特別展「戦国図鑑―クール バサラ スタイル―」は8月30日までの開催だ。
開館時間は9時から5時まで(4時30分まで観覧受付)。
夏の最後を戦国時代で彩りたい。
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焼きまんじゅうは埼玉の祭りで食べられるか?

2015年08月24日 | グルメ部屋
館林のお祭りで食べた“焼きまんじゅう”。
『お前はまだグンマを知らない』(井田ヒロト、新潮社)に出てくるあの食べ物である。

甘くて香ばしい。
皮はカリカリで、中はふんわり。

そういえば、羽生の夏祭りにも焼きまんじゅうの屋台があったことを思い出す。
中学生の頃、同級生が真っ先に買ったのが焼きまんじゅうだった。
八雲神社の鳥居のわきにそれはあった。

栗橋に住んでいる知人は、
この焼きまんじゅうをまだ食べたことがないという。
いわゆる未知の味。
栗橋の祭りには屋台が出ていないのだろうか。
聞けば、町中の祭りには行かないのだとか……

羽生の祭りではとんと見かけなくなった。
が、ほかではよく目にする。
というか、上掲のマンガを読んで以来、目に留まるようになった。

熊谷や加須の祭りでは見かけた焼きまんじゅうを売る屋台。
果たしてあなたの町の祭りには、
焼きまんじゅうの姿はあるだろうか?
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菅谷館は1回で2度おいしい? ―ひとり散歩―

2015年08月21日 | 歴史さんぽ部屋
菅谷館は国指定の史跡だ。
「館」というより城郭である。
5つの郭で構成され、
敷地内には埼玉県立嵐山史跡の博物館が建っている。

博物館の北東の出入り口からして、
土塁と堀が目に留まる。
ここは搦手門跡で、食い違い虎口になっている。

菅谷館は郭の面積がやけに大きい。
最大なのは、博物館が位置する三の廓。
北を土塁が張り巡り、
その西側には木橋が復元されている。
昭和54年の発掘調査では、
橋を架けるための基礎とされる石積みが発見されたという。

本廓は博物館から南に位置する。
そびえ立つのは土塁。
高い。
二の郭からは見上げるほどである。
堀底から頂部までの高さは、
最大で9メートルにも及ぶという。

菅谷館は畠山重忠が居館したと伝わる。
それが事実ならば、本郭に館があったのだろうか。

本郭の土塁を眺めるように二の郭を歩く。
階段を下りると、低いところに南廓がある。
木々が生い茂っていて、
夏場だと降り注ぐように蝉の鳴き声が響いてくる。
幼い頃、夢中になって遊んだ里山を思い出さずにはいられない。

そのまま南へ行けば、都幾川にぶつかる。
普段は細い川だが、
館が機能していた時代は、
防御を固める難所の川だったのだろう。

館の西には、鎌倉街道上道の遺構と言われる細い道がある。
これが上道の遺構なのかどうかはっきりしない。
菅谷館の空堀とも言われる。
ただ、この辺りを鎌倉街道上道が通っていることは間違いなく、
菅谷館はそこに位置する重要な施設だった。

館跡巡りで少し疲れたら、
博物館に入ってもいい。
自動販売機があって水分補給もできる。
もちろん、そのまま入館して展示を見てもいい。

展示見学と史跡巡り。
二度おいしい場所である。
なお、館跡は木々が生い茂っているから、
自然の視点で行ってもいいと思う。






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まだ“自由研究”に間に合う? ―羽生市立郷土資料館―

2015年08月19日 | お知らせ・イベント部屋
以前にも紹介したが、現在“羽生市立郷土資料館”において、
企画展「埼玉の鳥と生きもの」が開催されている。

「資料館ってどこ?」と思った方。
資料館は“図書館”にある。
図書館に併設された施設なのだ。

入口に入って左手に“展示室”がある。
そこが図書館と思っている人も多いが、全く別物だ。

図書館のお仕事をする人は“司書”。
資料館・博物館等で働く人は“学芸員”。
その違いと資格を知っておくと、
将来の進路を考えるときに参考になるかもしれない。

さて、夏休みも終盤に入ってきたが、
宿題はもう終わっているだろうか。
余裕の子、全く手を付けてない子、
中途半端に進めている子、それぞれだと思う。

まだ自由研究のテーマが決まっていないのであれば、
資料館で開催中の「埼玉の鳥と生きもの」は参考になりそうだ。
理解系の展示だが、自由研究に使えるテーマがゴロゴロある。

例えば、鳥の仕組みを探るものとして、
“骨格標本”と“はく製”がそれぞれセットで展示されている。
精密な構造に驚くだろう。

また、「鳥の大きさくらべ」として、
大きさの異なる鳥たちのはく製が大型ケースの中にいる。
圧巻なのは“クロハゲワシ”。
かなり大きい。
これに心をくすぐられる男子は少なくない。
(クロハゲワシは埼玉に生息していない)

ちなみに、世界で最小の鳥は“ハチドリ”。
では、日本で最小の鳥は?
答えは展示室の中にある。

また、鳥と巣がセットで展示されている。
巣と一言で言っても、鳥によってさまざまだ。
木に穴を掘って巣とする“アオゲラ”。
クモの巣を使って羽毛などで巣を作る“エナガ”など、
それぞれの習性がある。

興味深いのは“カラス”の巣。
展示されているカラスの巣は、
なんと“ハンガー”でできているのだ。
大きさも幅1メートルくらいあるだろうか。

民家からハンガーを盗み、巣の材料とするカラスもいるという。
なかなか見る機会がないから、
ある意味“目玉資料”と言える。
カラスの賢さとあざとさを目の当たりにする思いがする。

このように、自由研究に使えそうなテーマが展示室内には転がっている。
3種類ある“ワークシート”や、
同企画展の“リーフレット”も参考になるだろう。
もしテーマが決まらなくて悩んでいたら、
一度見に行くことをおススメする。

企画展「埼玉の鳥と生きもの」は、8月31日(月)までの展示。
開館時間は午前9時~午後5時まで。
休館日は毎週火曜日となっている。
なお、もっと自然のテーマを突っ込んで調べたいという方は、
埼玉県立自然の博物館へ足を運ぶことをおススメしたい。


羽生市立図書館・郷土資料館ホームページ内
http://www.lib.city.hanyu.saitama.jp/museum/moyoosimono.html

埼玉県立自然の博物館ホームページ
http://www.shizen.spec.ed.jp/
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鎌倉街道を歩いて“大蔵宿”に行く? ―ひとり散歩―

2015年08月17日 | ふるさと歴史探訪の部屋
大蔵宿は、都幾川を南に渡ってすぐの集落だ。
鎌倉街道上道沿いに発達した集落と言われる。
鎌倉時代の僧・明空が手がけた『宴曲抄』にも、

 げに大蔵に槻河の流もはやく比企野が原

と、「大蔵」の地名が見える。

大蔵宿につながる橋付近が、
鎌倉街道上道が通っていたと言われる。
ただ、菅谷館の南西に位置する二瀬橋もまた上道と考えられるので、
一概にどちらとも言えないし、
あるいは両方だったのかもしれない。

なお、学校橋の麓はバーベキューができるようになっている。
夏に通れば、河原で遊んでいる人たちの姿を目にすることができるだろう。

大蔵宿の近くには大蔵神社が鎮座している。
これは大蔵館跡であり、土塁が現存。
木曽義仲の父“源義賢”が、
秩父重隆と共に源義平によって討たれた場所と伝わる。
かの源頼朝も、大蔵宿を訪ねたことがあったという。

大蔵宿は、鎌倉時代当時の集落が復原されているわけではない。
ごく一般的な町の一角だ。
道もアスファルトで整備されているし、
車で通りやすい。
ただ、少しだけ歴史的な視点で眺めたとき、
中世の息吹が感じられる。
何気ないところに歴史は眠っている。
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羽生には恋する“お地蔵さま”がいる? ―地蔵祭り―

2015年08月15日 | 民俗の部屋
8月23日(日)に開催される地蔵祭り。
羽生、行田、加須近隣を歩けば、
路傍の地蔵に集まる人々の姿を目にすることができるだろう。

ぼくも幼い頃は、夕方に近所のお地蔵さまのところに参拝した。
そのとき貰ったのは“団子”である。
この地蔵祭りがいつから始まったのかは定かではないが、
人々のお地蔵さまに対する親しみと感謝の念がお盆行事と重なって、
村々へ伝わっていったのだろう。

羽生市内で地蔵祭りを実施するところは多い。
その中で、“市民プラザ”裏のお地蔵さまは、
恋をしたことで知られている。
相手は上町のお地蔵さま。
羽生北小学校近くに建つお地蔵さまである。

拙ブログで何度も紹介したことだが、
真っ赤な火の玉となって上町のお地蔵さまに会いに行っていたらしい。
それを畏れる人もいれば、
好奇心に駆られる人もいた。

恋するお地蔵さまとして人々に親しまれ、
また畏敬の念を寄せられていたのだろう。
この話は脈々と語り継がれてきた。

とても人間くさいお地蔵さまである。
それだけ人々の暮らしに密着していたに違いない。
いま恋をしている人は、
このお地蔵さまを参拝すれば成就するだろうか。

とはいえ、恋するお地蔵さまは青銅でできていたらし。
惜しくも、先の大戦で供出されてしまった。
現在は二代目。
でも、恋の霊験は健在と思いたい。

この市民プラザ裏の地蔵祭りは、
午後4時から午後8時頃まで開催しているという。
繰り返すが、日にちは8月23日(日)。

車で行けなくはないが、細い道を通らないといけない。
市民プラザに駐車して、歩いて行くのが無難だろう。
真っ赤な火の玉のごとく、
恋の炎を燃やして参拝すれば、
お地蔵さまはその願いを聞き届けてくれるかもしれない?!
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夏休みの自然博で「ふ~ん」な特別展が開催されている?

2015年08月13日 | お知らせ・イベント部屋
8月31日まで、埼玉県立自然の博物館において、
面白い展示が開催されている。

題して、特別展「糞・うんち・フン~ダンゴムシからゾウまで~」。
さすがは自然史博物館。
目の付け所が違う。
「それってどうなのよ?」という声もあったに違いないが、
7月11日より開催している。

糞によって、生き物の生態など色々なことがわかるという。
大小それぞれちがうものから、
虫の小さな糞まで、多角的に展示されている。

子どもを連れて展示を見に行ったが、
テンションが上がっていた。
やはりうんちネタは子どもの心をくすぐるのだろうか。
夏休みの自由研究にも使えるかもしれない。

特別展「糞・うんち・フン~ダンゴムシからゾウまで~」は8月31日までの開催。
開館時間は午前9時~午後5時まで。
普段は月曜日が休館日だが、
7・8月は無休でオープンしている。

普段、特別に目を向けないであろううんち。
特別展を見ながら、「ふ~ん」と感心してみよう。




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風邪を引いたら食事を奮発する?

2015年08月11日 | グルメ部屋
夏風邪は何も食べられなかったのが特徴で、
食欲もゼロ。
喉は痛いし、声も出したくない。
おかげで2キロ減量。

ダイエットにいいかなと思ったが、
風邪が全然治らない。
頭はふらふらするし、
遠い昔の記憶が何の脈絡もなく思い浮かんだりと、
生活に支障が出る。

そんな中、職場の暑気払いで羽生の鉄板焼き店に入店。
全く食べたくなかったが、
せっかくの料理である。
値段もそれなりにお高い。

出てくる料理はみんなオシャレかつ美味。
味がしつこくないし、胃にも優しい。
量もちょうどいい。

気が付けば完食。
食べられるではないか。
熱は上がっていたが、
やり遂げた感をもって退出。
古城天満宮に参拝して帰路に就いた。

それからだ、回復傾向になったのは。
熱は引き、喉の痛みはだんだん和らぎ、
遠い記憶も顔を出さなくなってくる。

しっかり食べたのがよかったらしい。
それとも、料理の栄養バランスがよかったのか。
あるいは、古城天満宮の霊験が効いたのか……

夏風邪で食欲がなくなったら、
ちょっと奮発した料理を食べるのもいいのかもしれない。
体力が基本。
体力がなければ、好きなラーメンも食べられず、
図書館にも行けず、史跡もまわれない……から。

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羽生の“砂山”には本当に砂山があったのか? ―子ども学芸員―

2015年08月09日 | 子どもの部屋
羽生市内に「砂山」と呼ばれる地域がある。
初めて耳にしたときは、読んで字のごとく「砂の山」があると思っていた。

そのイメージは間違ってはいない。
実際にこの地域には砂の山が連なっていた。
かつて古利根川の営みによってできた“砂丘”である。

いまも砂山を流れる“会の川”が、かつての利根川だった。
川が土砂を運び、それを巻き上げる冬の風によって、
川沿いにはいつしか大きな砂丘が発達した。
これを“河畔砂丘”(かはんさきゅう)と言う。

いまでもその一部を見ることができるが、
高度経済成長期以前はもっとすごかったらしい。
一番高いところで7メートル近くの砂丘があり、
その上を松林が覆っていた。
第2次世界大戦のとき、戦車をこの松林に隠すという話も持ち上がっていたそうだ。

しかし、高度経済成長期のとき、どんどん作られる高層ビルの材料として、
多くの砂が必要とされた。
河畔砂丘の砂は良質で、業者から目を付けられたらしい。
砂は瞬く間に売れ、往古の利根川の営みを伝える地形は姿を変えた。
松林は伐採され、砂丘は容赦なく削られる。
いまも残っているとはいえ、
往時に比べたら微々たるものなのだろう。

河畔砂丘は会の川沿いに発達していた。
ゆえに砂山だけのものではない。
ただ、その地名は地形に由来するものである。
地名は地域の歴史を紐解くカギでもあるのだ。

ところで、この砂山村にいつから人が住んでいたのだろうか。
おそらく、舟運によって人の行き来はあったと思われるが、
水害によって大きな集落には発展しなかったのだろう。
『新編武蔵風土記稿』によると、文禄の頃に開墾されるようなったという。

文禄年間は1592年~96年である。
実はこの時期、一つの事件が起こっている。
それは、会の川の締め切りだ。
二つに分かれていた利根川の一つ(会の川)を締め切り、
東へ流す工事が文禄3年(1594)に行われた。

これが利根川東遷の第1期工事と言われるが、
その後の研究で忍藩による単独事業という説が浮上している。
文禄3年当時、会の川はすでに利根川の主流ではなくなっていたが、
その流れを締め切ったことで、流域の村々は安定するようになったのだろう。

砂山村に開墾のクワが入り、やがて人々が定住するようになった。
上掲書には、「新田」の文字の付く小名が3つ見られる。
すなわち、白石新田、新田前、稗田新田である。

江戸時代初期に開墾が始まり、新田の数も増えていった。
締め切られた会の川は細々とした川になり、
少なくとも村を飲み込む大河ではなくなった。
そこで獲れる魚は、村人のたんぱく源になったようだ。

大型ショッピングモールができたことによって、
砂山も全く影響がないわけではない。
昔では考えられないところが交通渋滞となり、
道路も新しく敷設された。
開発によって、「砂山」は消えていく一方だろうか。
ぼくらが遊んでいた頃の砂山の景色は、すでに遠い昔になっている。
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受験当日の“相棒”にした神社の鉛筆は? ―高鳥天満宮―

2015年08月07日 | 神社とお寺の部屋
群馬県板倉町に“高鳥天満宮”という神社がある。
子育て、知恵付け天神として信仰されている。

以前にも書いたことだが、
高校受験のとき、
担任の先生が高鳥天満宮から鉛筆を買ってきて、
受験生全員に渡したことがあった。

結果は合格。
神社のご利益が効いたのかもしれない。
実際に高鳥天満宮へ足を運んだのは20歳を過ぎてからだったが、
妙な親近感を覚えるのは、
自分と同じ苗字ということもさることながら、
受験当日の相棒だったからだと思う。

高鳥天満宮に願掛けをする受験生は多い。
境内にはたくさんの絵馬が奉納されている。

受験の結果は、当然のことながら本人の努力が物をいう。
でも、ときには運が左右することもある。

受けた学校が全不合格になり、
たまたま知った二次試験を受けたら合格し、
そのまま教授になった人もいるのだ。
何がきっかけになるかわからない。
勝負事を控えているとき、
足を運んでみるのもいいかもしれない。

本殿の裏は小さな公園になっている。
池のわきに休憩舎があり、ブランコもある。

ちなみに、高鳥天満宮の鉛筆を買ってきてくれた先生は、
いまも現役の教員だ。
随分と長い年月が経ってしまった。
教員になった同級生もいるし、
ぼく自身、子どもを相手に郷土の歴史を話すこともある。
ぼくらの日常は、あのとき高鳥天満宮の鉛筆で引いた線の先にあって、
揺れるブランコのように迷いながらも生きている。




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風邪をひいた午後、そば屋にて

2015年08月04日 | ウラ部屋
風邪をひいた。
8月2日にあった企画展関連講座「親子で昆虫を調べてみよう!」のあと、
急激に症状が悪化。

熱、喉の痛み、食欲のなさ……
頭の中はポワンポワンして、
ふと世の中の構造を垣間見たような……

病院へ行った帰り、
高校時代にバイトしていたそば屋に寄り道。
少し遅い昼下がりで、店内にはお客はぼくひとり。
店長としばし会話。

言葉の端々には「人生」が透けて見える。
魂とポリシー、
少々のお金の話。
白衣を着ていた10代の頃、
ぼくはそれを「哲学」と呼んでいた。

見えたのは、過ぎ去った季節の後ろ姿。
20年も経てばいろんなことが変わるよね。
「あのね この間ふと思ったの
 “幸せ”ってつまりなんなのよ」(桜井和寿作詞「デルモ」)。
風邪をひいた午後のそば屋で、
ぼくは小さなくしゃみをした。
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ひとり焼き肉はどんな味? ―ひとり散歩―

2015年08月02日 | ふるさと歴史探訪の部屋
ひとりで焼いた“お好み焼き”は、
案外楽しかったしおいしかった。
ならば焼き肉は?
そう思って焼き肉店の暖簾をくぐった。

お好み焼きのように盛り上がるのかと思いきや、
意外にも普通だった。
特にテンションが上がらない。
ひとりで網に肉を乗せ、焼いて、食べるだけ。

23歳のとき、池袋でひとり焼き肉をしたことを思い出した。
そう、すっかり忘れていたが、初めてではなかったのだ。
それはランチ焼き肉で、何かと心労が多い職場だっただけに、
逃げるように、隠れるように入った焼き肉店だった。

テンションが上がらなかったのは、
その頃の記憶が無意識に影響を及ぼしていたからかもしれない。
そこは池袋でも何でもないのに……。

横にはカップル、後ろには中学生の娘と母親、向かいには夫婦、
さらに奥にはおじいちゃん、おばあちゃんの団体がいた。
カップルや夫婦よりも、
おじいちゃん、おばあちゃんの団体テーブルの方が賑やかだった。

何の集まりだったのだろう。
金網からあがる煙の向こうで陽気に笑っている。
たくさん肉を焼いている。
みんないい顔している。

肉を食べることもさることながら、
陽気に肉を焼くおじいちゃん、おばあちゃんを見ることは、
気持ちをほっこりさせるかもしれない。
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