クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

本が出ます

2018年08月30日 | クニ部屋の本棚
近日、自著が出ます。
その名も『古利根川奇譚』(ふるとねがわきたん)。
まつやま書房からの刊行です。

古利根川沿いに残る“漂着伝説”や“人柱伝説”、
国内でも珍しい内陸砂丘である“河畔砂丘”を取り上げました。
主に羽生市から杉戸町にかけて残っているものです。

僕自身のエピソードをたくさん盛り込みました。
もしかしたら知っている人が登場しているかもしれません。
(実名は出しませんでしたが)

書店に出回るのは9月に入ってからでしょうか。
利根川に関する本を書くのは、かねてからの宿願でした。
地域の歴史に興味を持ったのも利根川がきっかけです。

今回は“伝説”と“砂丘”の視点で古利根川を取り上げました。
伝説から見えてくるのは、度重なる大水。
現在、大雨による災害が相次いでいますが、
治水技術が進んでいるとはいえ、いまも昔も変わらないように思います。

川は脅威であり、恵みでもあります。
大水にまつわる伝説に触れたとき、
僕は先人たちの知恵や想いを感じますが、皆さまはどう思われるでしょうか。

手に取っていただけたならば幸甚です。

まつやま書房
http://www.matsuyama-syobou.com/
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夏の終わりに

2018年08月27日 | ウラ部屋
夏が終わりますね。
大人になったせいか、お盆が過ぎると秋モードです。

皆さま、どんな夏をお過ごしになったでしょうか。
2018年は猛暑続きで、台風も多く発生しました。
外に出る機会が増えたせいか、意図せず例年よりも日焼けした気がします。
いや、人からそう言われます。

取りかかっている原稿があって、
なかなかブログに手が付けられない状態が続きました(いや、いまも)。
また、その原稿とは別に校正作業が入り、
ここ2、3年の自分に再会するように文章を読み返しました。

そのせいというわけではありませんが、
今年は夏祭りへ行く機会が減った気がします。
子どもが風邪を引いたせいもあるかもしれません。
つい先日も、羽生の源昌院の盆花大会も行く機会を失ってしまいました。

でも、全く行けなかったわけではなく、羽生と加須の夏祭りには参加。
十代の頃と違って、行けば誰かと会えるというわけではありませんね。

たまに懐かしい人とばったり顔を合わせることもありますが、
もう「大人」です。
彼らのような「大人」ぶりに自分もなっているかと言えば、
全く自信がありません。

思えば、2018年は「平成」最後の夏。
僕にとっては30代最後の夏でした。

小説「放課後の羽生城」で埼玉文学賞を受賞したのが2018年だったので、
あれから10年が経つのだなぁと感慨深くなってしまいます。
ちなみに、2018年は1979年と同じ曜日だそうです。

1979年は僕が生まれた年。
1月生まれの僕は人生初めての夏だったわけですが、
むろん記憶していません。
少なくとも、2018年よりかは暑くはなかったでしょう。
世の中では、「うまい棒」や「ウォークマン」や発売された夏だったそうです。

どんな夏にもそれぞれの記憶があると思います。
夏を特別視しているわけではありませんが、
何か新しい物語が始まりそうな予感を覚えさせる季節かもしれません。

今年の夏は、どんなことが記憶に刻まれるのでしょう。
大きな出来事か、それとも自分でも意図しないくらい何でもないことか……。

僕の住む町ではツクツクホウシがよく鳴いています。
これを聞くと自ずと染まっていく秋めく心。
写真の整理をしていたら、
夏祭りのときに写した息子と娘の後ろ姿のものが見つかりました。

山車を見るその姿はまるで夏の後ろ姿のよう。
少しだけ寂しい気持ちになるのは、
3歳と1歳の彼らを見るのはいましかないからかもしれませんね。
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幼子を“館林市立資料館”に連れて行くと?

2018年08月26日 | 子どもの部屋
館林市立資料館は図書館と併設されている。
図書館へ行ったついでに資料館、
あるいは資料館へ行ったついでに図書館というコースが可能だ。

同館では、9月2日まで収蔵資料展「水辺の風景」を開催している。
低地に暮らす身としては心くすぐられるテーマだ。
以下の切り口で展示構成されていた。

 ・水辺の環境
 ・歴史に見られる水との関わり
 ・水辺の環境を描いた芸術家
 ・生業と道具に見られる水との関わり

僕が目当てとしたのは「上毛館林城所産水草図」(8月26日までの実物展示)。
弘化2年(1845)に作成されたもので、
その名のとおり、城沼に生息する水草が描かれている。

描かれた水生植物は12種類に及ぶという。
よく見ると、タヌキモとその黄色い花も見ることができる。
ここには描かれていないが、食虫植物ムジナモもいたのだろう。
館林最古の野生植物の記録であり、
オモダカ、ハス、ヒシなどと一緒に、水中に遊ぶ魚も描かれている。

もうすぐ2歳になる娘を連れて館林市立資料館を訪れた。
まだ展示の内容はわからないし、
そこがどんな場所なのかも把握していない。
展示資料も目にしているようで見ていないのだろう。

何かと走り回ろうとする息子に比べて、娘は大人しい。
男の子と女の子の違いだろうか。
展示室には僕たち親子以外に誰もいない。
展示室に設けられたイスの上で、
娘は泣きもせず、騒ぎもせず、チョコンと座っていた。
もの言わない水生植物の花のように。
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古本店で自著を見かけたら

2018年08月22日 | クニ部屋の本棚
拙著『歴史周訪ヒストリア』が出版されたのは2015年12月のこと。
数年経ったわけですが、古本店で自著を見かけることがあります。
嬉しいような、ちょっと切ないような……。

夏祭りの日、司書を目指す友人の娘が、
書店に自著があったことを教えてくれました。
(あれ、父親の方だったかな)
それは羽生市民プラザの近くにある書店。
数冊あったそうです。

羽生市内の大型ショッピングモールの中にある書店にも、
自著を見かけたという言葉をもらいました。
「奥付に写真を載せないの?」とも。
なるほど、著者近影を入れてもよかったかもしれません。

池袋と神保町にある大きな書店へ行ったとき、
『歴史周訪ヒストリア』が書棚にささっているのを目にしました。
さすが大規模書店。
えこひいきをするわけではありませんが、
買い物をするときは自著の置いてある書店を選びたくなりますね。

では、古本店の場合はどうでしょう。
うーん、何とも言えない気分。
でも、後日それが売れているのを目にしたときは嬉しく思います。
出戻った子どもが再び旅立っていくような、
そんな気持ちに似ているでしょうか。
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夏休み中の羽生にて

2018年08月20日 | はにゅう萌え
お盆が過ぎると、一気に夏休み終了モードが漂う。
夏休みの友だち「自由研究」。
僕が小学生のときは、アリやバーコードを調べたのを覚えている。
と言っても、専ら調べたのは親だったが……。

自由研究の取材で、羽生市を訪れた親子がいる。
市外から電車に乗ってやってきたという親子三人組。
小学校中学年の男の子は、自ら調べたくて両親に相談したらしい。

炎天下の中、羽生の自然について見学、調査、写真撮影をする。
男の子はカメラを持ち、気になるところを撮影していた。
両親も事前に勉強してきたらしく、
なかなか鋭い観点で観察をする。

ひと通り終わったあと、明日は千葉県にある博物館を訪れるという。
むろん、自由研究の一環で。

いい夏休みだなぁ、と思う。
何か研究テーマを決めて、色々と追いかけるなんて素敵ではないか。
現地に行けば色々な発見もあるし、新しい出会いもあるだろう。

両親も熱心で、子どものために色々調べて、
その世界の入り口まで連れて行っているのに違いない。
親自身も学んでいるのだろう。
「大変です」とは言っていたけれど、
親も好奇心の芽を育んでいるように見えたのは気のせいではあるまい。

親子一緒に研究テーマを追いかける夏。
子どもにとって、それはどんな「思い出」として残るのだろう。
もしかすると、いつか忘れてしまうかもしれない。
大人になって、全く別のことに興味を持つかもしれない。

でも、親と一緒に調べた夏は、
きっと真夏の太陽のようにキラキラして記憶に残るのではないだろうか。
まあ、それは親の希望かもしれないけれど。
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“文豪ストレイドッグス”と“さいたま文学館”がコラボした?

2018年08月18日 | ブンガク部屋
若者の姿が目立つ“さいたま文学館”。
9月2日まで、企画展「田山花袋と明治の文学」が開催中だ。

若者の間で、“田山花袋”や“明治の文学”が熱いのだろうか?
岩波文庫版の『田舎教師』がリニューアルして刊行されたばかりだし、
2018年は明治150年目の区切りの年だから、
新しい読者を増やしているのかもしれない。

とまれ。
文学館の入り口に展示されていたのは、
キャラクターのパネル。

そう、企画展とコラボして、
「文豪ストレイドッグス×さいた文学館」が開催されているのだ。
それを目的に訪れる若者が多いのかもしれない。

だいぶ変わったなぁ、と思う。
見せ方、切り口は大切だ。
同じ材料でも、料理の仕方によって味が異なる。
若者が増えて、年輩者の来館者が減ったかといえば、
そういう印象はない。

さて、企画展「田山花袋と明治の文学」の展示構成は以下の通り。

 其の壱:花袋とたどる明治の文学
 其の弐:花袋もおすすめ、大宮公園
 其の参:花袋と『抒情詩』の仲間
 其の肆:花袋と明治の文学雑誌

個人的には、花袋の学友であり、義兄である太田玉茗の直筆に釘付けだった。
物腰が低く、温和なイメージのある太田玉茗だが、
思いのほか文字は力強くて太い。
案外、決めたことは何がなんでも貫き通すような、
情熱的な人物だったのかもしれない。

ちなみに、「文豪ストレイドッグス×さいたま文学館」の開催地中は、
スタンプラリーも行っているらしい。
やってみたら、キャラクターのイラストが描かれたポストカードが貰えた。
これを目当てに訪れる若者もいるのだろう。

ちなみに職場の後輩にこのことを話したら、
「文豪ストレイドッグス」を読んでいたという。
彼女の口調がいささか熱っぽくなったのは気のせいだっただろうか。
その人曰く、「文豪ストレイドッグス」における田山花袋の“能力”は「蒲団」だという。

能力が蒲団?
その世界にハマればきっと楽しいのだろう。

若い女性の姿が目立つさいたま文学館。
常設展で解説員による展示解説に耳を傾ける若い女性の姿を目にすると、
やはり変わったなぁと思う。
それは、群馬県館林市にある「田山花袋記念文学館」でも感じたことだ。
もしも花袋がこれを知ったら、
第二の「蒲団」のような作品ができるだろうか。
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トーハクで“縄文土器先生”と羽生の“土面”に会う?

2018年08月16日 | 考古の部屋
9月2日まで、東京国立博物館で開催されている特別展「縄文―1万年の美の鼓動」。
幼子を連れて博物館を訪れたのは2つの理由がある。

①「縄文―1万年の美の鼓動」で、埼玉県羽生市から出土した“土面”が展示されていること。
②Eテレの番組「びじゅチューン」のライブコンサート(?)のチケットが当たったこと。

後者は、アーティストの井上涼 氏が生出演し、
「縄文土器先生」(火炎土器がモチーフ)や、
「夢パフューマー麗子」(岸田劉生「麗子微笑」がモチーフ)などを熱唱。
これは、現在トーハクで「なりきり日本美術館」というコラボ企画を開催しているためだろう。

妻が応募したら見事当選。
電車に乗ってトーハクを訪れ、
息子は目をキラキラさせながら舞台を見ていた。
井上涼氏とハイタッチもできたし。

①は、縄文文化を学術ではなく“美”で捉えたもの。
国宝級の資料が一堂に会しており、圧巻だ。
その中でも異彩を放っているのが“土面”。
出土例があまりなく、関東ではまだ羽生市だけではないだろうか(発戸遺跡)。

18歳のとき、何気なく足を運んだトーハクで偶然目にした「土面」のインパクトは強烈だった。
羽生には何の歴史も文化もないと思っていた若僧だったから、
国の博物館の考古コーナーに、
地元出土の資料が展示されていたことに度肝を抜かれたのを覚えている。

学校の授業で習ったことはなかったし、
身近な人間が「土面」について話しているのを一度も聞いたことがなかった。
郷土の歴史に興味を持つのはもう少しあとのことだが、
いま思えば「土面」はやがて芽生える好奇心の伏線になった気がする。

そのためか、土面を見るのは古い知人に会うような感覚に近い。
あるいは18歳の自分に会うかのよう。
佐倉の「国立歴史民俗博物館」にも土面のレプリカが展示されている。

でも、トーハクは本物。
羽生の土面は畑から偶然出土したという。
発掘調査をしたわけではないから、
発見者はよく捨てることなく届け出たと思う。
それが国の博物館に展示されるなど、その人は想像しただろうか。

井上涼氏のように、自分に歌や作曲の才があったならば、
「土面」の曲を作って熱唱したい。
(詞なら書けるだろうか)。
縄文というと遠い昔に感じられるが、
「土面」にはついこの間会ったような親近感を覚える。

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抜かりない休日はどう過ごす? ―コトノハ―

2018年08月13日 | コトノハ
『となりの怪物くん』と『美術館で働くということ』からのコトノハ。
両方ともマンガだ。
何度も読み返したくなる作品。

  昨日はつい数学ばかりになってしまったし
  今日は暗記モノやって 午後は軽く全教科おさらいしよう
  やっぱり休みはいいな
  物事が集中してはかどる
  (ろびこ作『となりの怪物くん』より、講談社刊)

  だって休みにしか行けねーもん(中略)
  日々ストックを貯めないとかないとさ。
  展覧会見に行っているときだけじゃない、旅行しても人に会ってくっちゃべってるときも
  いずれやる企画のアイディアになるかもしれないし…
  休みは有効に使わねーとな
  (オノユウリ作『美術館で働くということ~東京都現代美術館学芸員ひみつ日記~』より、KADOKAWA刊)

「学芸員」だけではない。
何かを生業にしている人にとって、オンもオフもない。
「24時間学芸員」という表現があったように、
常にアンテナを張り巡らせている人は多い。

むろん、テーマから視線をそらすことで、気分転換を図ることもある。
全く関係のないことをやったり、
他業種の人と話をしたりする。
心身ともにリフレッシュ。

それでも、無意識のところにアンテナは張られている。
距離を置いたために、意外なアイディアが浮かぶことは多い。

休日は、「シズク」(『となりの怪物くん』)のように、
自分のやるべきことを少しでも進めたい。
知人の「学芸員」は、休日にフィールドワークに出かけたり、
論文を書き進めたりしている。
他の博物館巡り、シンポジウムへの参加。

産休中の子連れ学芸員は、
子どもと一緒に他地域の年中行事を積極的に見に行っているという。
子どもと図書館へ行き、自分の研究テーマに関連する文献を集めたりと、
情報収集に余念がない。

退職した自然系の学芸員は、
現役の頃より昆虫を求めて日本全国を巡り歩いている。
2年ぶりに見るその人は、
虫取り網を片手にとても生き生きしていた。
かえって若返ったかもしれない。

自分の道とは全く別の業種を生業にしている人でも、
休日は“労働”ではなく、“仕事”をしている。
労働が忙しくてなかなか時間が取れない人でも、
間隙を縫って情報収集にいそしんだりしている。
「24時間○○」なのだろう。

その手のタイプは自分の生き方を持っている。
ポリシーがある。
信念がある。
独自の世界がある。

省みて、自分の休日の過ごし方はどうだろう。
抜かりなくやっているだろうか。
それともただ漠然と過ごしているだろうか。

休日検定というものがあったらどんな結果になるだろう。
何を求め、何に時間を割き、充実感とは何なのか?
それは人によって異なる。

自分のやりたいこと、やるべきことを知れば、
休日に対する考え方は180度変わる。

それがいいのか悪いのかわからない。
付き合いは悪くなるし、
何もできなかったときにのしかかるのはストレスの何ものでもない。
不安感や焦燥感に駆られる休日など本末転倒だと思う。

有限かつ貴重な休み。
年を重ねるほど、時間は限られてくる。
充実した休日を過ごすのは、
思いのほか難しい。
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校正と万年筆

2018年08月09日 | ウラ部屋
最終校正のゲラが届いたので作業中です。
正確には最終校正の「最終」といったところです。
この作業の成果は9月に出るかなぁ。

校正には専ら赤ペンを使っています。
中字か細字。
フィリクションはコピーをしたり日にちが経つと消えてしまうので、
校正作業には使いません。

ステーショナリーディレクターの土橋正 氏は、
校正用の万年筆を使用しているそうです。
それにならって、僕も万年筆に赤インキを入れて試したことがありました。

しかし、キャップの開け閉めが案外面倒なものです。
それに中字の万年筆のせいか、余白に文章を書くのが大変。
余白に気を遣ってしまいます。

ということで、万年筆を校正に使うのはやめにしました。
使用するなら、校正に合った万年筆を選ばないとですね。

ところで、校正原稿を読むのは50回は越えていると思います。
草稿段階から数えれば100回以上は読んでいるはず。
あまりに読みすぎて、ずっと同じ料理を食しているかのよう。
それでもあとになって修正箇所が見付かるのでしょうから、
あてにはなりませんね。
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羽生の下新郷に“砦”があった? ―中島砦―

2018年08月06日 | 城・館の部屋
かつて、下新郷には砦があったとされる。
“丸の内”という地名があるが、
現在は田んぼとなっており、どこに砦があったのか、
一見しただけではわからない。

漆原家の先祖の新井氏がここにやってきて、
砦を築いて居住したと伝えられる。
それがいつ頃の話なのかはわからないが、
戦国時代には忍領と羽生領を分ける会の川の近くにあることから、
監視を担っていたと思われる。
もし敵勢が攻め込んで来れば、前線基地として機能したのかもしれない。

中島砦は会の川の右岸に当たる。
つまりかつては忍領だった。
敵勢というのは、羽生城勢ということになる。

中島砦から北西へ行ったところに、大物忌神社が鎮座している。
ここは合戦で亡くなった者を祀ったとの伝承がある。
伝承のため真偽は定かではないが、
戦況の悪化によって、会の川沿いでは緊迫した空気に包まれていたのかもしれない。

中島砦は、現在羽生市側だ。
市境は関根落になっており、会の川より少し西へ移る。
砦ということは、堀や土塁があったと思われるが、
その遺構は全く見えない。
本当にあったのか? と疑いたくなる。
しかし、地理的なことを考えると否定できない。

ところで、行田の同級生と羽生から自転車で走ったことがある。
北条氏政がやってきた小松や、地中に眠る埋没古墳、
利根川の本流だった会の川や漆原医院のはしか門、
中島砦や消滅した古墳など、その道沿いには面白いものがたくさんあったと思う。

知らなければ何もない。
知れば突如見えてくる。

20年前の帰り道、
400年以上前の中島砦。
共通しているのは、二度と帰ることができないということだろうか。
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羽生城の支城が“大越”にあった? ―館山・館野―

2018年08月01日 | 城・館の部屋
息子がいなかったので、
娘と行った加須市大越の古墳群と館跡。
10年以上も前、大越を訪ねたのが春だったから、
桜の季節になると足を運ぶ癖がある。

大越には、「館山」と呼ばれる館跡がある。
堀や土塁が一部現存しているものの、詳細は不明。
ここが館跡であることは認識されていたらしい。
江戸後期に成立した地誌『新編武蔵風土記稿』は言う。

  館野、古へ羽生城のありし頃、砦などありし跡なりと云のみにて、
  何人の住せしと云ことは伝えず

当時から詳細は不明だったようだ。
ただ、羽生城が存在していた頃の砦の跡という記述は目を引く。
大越は羽生領の一部で、
羽生城の支配下にあったのだろう。

なぜここに砦を設けたのか?
それは、近くを流れる利根川を監視するためではなかったか。

北に利根川、川向うに合の川、
東に浅間川が流れている。
合の川について、戦国時代当時どれだけの水量があったかは疑問だが、
「館野」と呼ばれる砦は、川の監視と舟運に関する任を担っていたと思われる。

とはいえ、「羽生城のありし頃、砦などありし跡なり」の記述を裏付けるものない。
『新編武蔵風土記稿』の前身にあたる『武蔵志』(武蔵鑑)の大越の項に、

小山義政打手の先手木戸将監範季ト云事アリ
木戸ハ羽生城主

とあることから、風土記稿の記述者がこれを見て推測した可能性もある。
あるいは、この館が軍事施設として機能していたのはもっと昔に遡り、
その跡地ということもあるかもしれない。

ところで、娘はまだ幼い。
「館」がわかる年齢ではない。

が、娘と大越にある館跡と古墳を遠くから眺める。
古墳は神社が建ち、館山は個人宅となっている。
個人宅だから、勝手に敷地内に入れない。
だからと言って、お声を掛けるにはあまりにも気軽に来すぎた。
大越は思い付いて立ち寄っただけなのだから。
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