クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

1人で食べる“もんじゃ焼き”の味は?

2016年12月06日 | グルメ部屋
1人お好み焼き、
1人焼き肉、
1人鍋……

B型、山羊座、動物占いがペガサスのせいか、
幼い頃から1人で行動することにさほど抵抗感がない。
部活も、集団より個人競技の方が性に合っていた。
「孤独」ではなく、「孤高」に憧れる。

そんな僕の、とある感想。
1人で全く盛り上がらなかった食べ物。

それは1人もんじゃ焼き。
1人お好み焼きは全くOK。
それなのに、1人もんじゃになるとなぜかテンションが下がる。

もんじゃ焼きを1人ヘラで突いても、
妙な虚しさが通り過ぎていく。
2回やっても両方ともダメ。

コツを掴んでいないだけかもしれない。
あるいは、注文したもんじゃの具が悪かったのか。
締めではなく、最初に食べてもいいかもしれない。
(後日周囲に聞いたら最初に食べる人が多数だった)

グツグツと鉄板の上で湯気を立てるもんじゃ焼き。
鉄板の上で城の縄張り図なんかを描いて……。
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名前がかっこいい“沼”が蓮田にある? ―山ノ神沼―

2016年12月04日 | 利根川・荒川の部屋
名称がかっこいい「山ノ神沼」。
埼玉県蓮田市にある。

一般的に連想する「山」はない。
周囲は平地が広がり、近くには元荒川が流れている。
古くから水田の灌漑用水として使用されてきたという。
その成り立ちは定かではないが、
形からして川の流路跡を連想する。

山ノ神沼は整備され、現在は憩いの場となっている。
一時悪化した水質も改善。
動植物が多数見られ、豊かな自然環境が形成されている。

散策する人がいれば釣りをしている人もいる。
ベンチで休んでいる人や、体操している人、
池の畔はゆったりとした時間が流れている。


山ノ神沼(埼玉県蓮田市)
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羽生の下村君には隠れ画がある?

2016年12月02日 | はにゅう萌え
羽生市立村君小学校のそばには埼玉用水路が流れている。
この用水路沿いの歩道を歩くと、
地面に埋め込まれたかわいい絵が目を楽しませてくれる。

動物、魚、植物とそれぞれだ。
通学する小学生たちを楽しませるためのものでもあるのだろうか。

車で走っては気付かない。
歩くと出会える絵たち。
まるで隠れ画のよう……。
親子で歩いてみると楽しいかもしれない。
村君地区の心憎い演出だ。


埼玉県羽生市下村君にて










埼玉用水路
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幼な子と行く“栗橋城”は?

2016年11月30日 | 城・館の部屋
栗橋城は、関宿城攻略と舟運の要衝地として重要視された城だ。
野田氏が守っていたが、後北条氏が勢力を伸張してくると北条氏照が入城した。
周辺には、関宿城をはじめ水海城や古河城などがあり、
野田氏は古河公方とも関係が深かった。

ところで、「栗橋城」と言いながら、その城跡は栗橋(現久喜市)にはない。
あるのは茨城県五霞町。
権現堂川の改修により大幅に遺構は消滅したが、
堀や土塁の一部は現存している。

栗橋は、江戸時代に大水の影響により町を移転している。
現在でも五霞町内に「元栗橋」の地名が残っている。
新栗橋に鎮座する八坂神社の神輿も、
この元栗橋から鯉や亀に守られて漂着したとの伝説がある。
だから、「栗橋城」と言っても、現在の埼玉県ではなく茨城県に遺構があるのだ。

そんな栗橋城に息子に連れて行ってみる。
とはいえ、遺構の場所は民家になっており、
アポを取っていたわけではないので遠景を眺めたのみ。

民家の入り口には案内板が建っている。
かつて一人で訪れたときは年季の入った看板だったが、真新しくなっていた。
隣接するように法宣寺というお寺がある。
そこから北に少し行ったところに鎮座しているのは香取神社。
南北に道が延びていて、これを中心に町場が形成されたのだろう。

この道は案外交通量が多い。
車がどんどん通る。
幼い子どもを一人で歩かせるのは不安な道だ。
なので、訪れるときは注意が必要。

遺構の西側には権現堂川が流れている。
かつてここも城の一部だったのだろう。
野田氏、北条氏照、足利義氏、氏姫らが目にした栗橋城は、
どんな光景だったのか。

子どもは、城よりも権現堂川で羽を休める水鳥に興味があったらしい。
突然地面にしゃがんだから、遺物でも発見したのかと思ったが、
白い石を両手に持ってご満悦の表情。

その日はいささか風が強く吹いていた。
髪を風になびかせながら、息子は時折どこか遠くを見ていた。
いつか自分の意志でここを訪ねることはあるだろうか。
案外「城」そのものより、その周辺に興味を持っているかもしれない。


栗橋城遠景(茨城県五霞町)
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嵐山の博物館で“羽生城”が展示されている?

2016年11月28日 | お知らせ・イベント部屋
埼玉県立嵐山史跡の博物館において、
「戦国を生き抜いた武将たち」が開催されている。
リフレッシュオープン記念企画展だ。

関東の戦国後期に焦点を当てている。
関東を舞台に激しく火花を散らした後北条氏と上杉謙信。
その中で懸命に生きた国衆たち。
岩付城主太田氏や忍城主成田氏に関する資料をはじめ、
城跡から出土した遺物も多数展示されている。

その中で注目されるのは羽生城主広田・木戸氏だ。
周囲の城が後北条氏に属す中、上杉氏から離反しなかったのが羽生城だった。

羽生城に焦点が当たるのは珍しい。
展示室に広田・木戸氏のコーナーが設けられている。

展示されているのは、
木戸(河田谷)忠朝が皿尾城攻防戦で勝利したことを上杉方に伝える文書と、
上杉謙信が菅原為繁(広田直繁の嫡子)に宛てた心苦しい書状の2点だ。
いずれも埼玉県立文書館所蔵の資料で複製品。
決して大きなコーナーではないが、
略系図や城主一覧もあり、とてもわかりやすい。

太田氏や成田氏が取り上げられるのは「当然」といった感がある。
その中で、広田・木戸氏に焦点が当たるのは珍しい。
どちらかと言えば見過ごされがちだったかもしれない。

今回、県がその存在に着目し、クローズアップしたことはとても意義深い。
関東戦国史の中に、
羽生城はしかと足跡を刻んでいるということだ。

「戦国を生き抜いた武将たち」の開催は、平成29年2月19日(日)まで。
毎週月曜日が休館日となっている。

余談だが、現在羽生市の広報誌「Hanyu」では、
羽生城の大まかな歴史が毎号紹介されている。
そろそろ終盤の気配ではあるが、
興味のある方は手に取ってみると参考になるかもしれない。
バックナンバーを含めて、羽生市ホームページで見ることが可能。

「真田丸」も間もなく終わりを迎える2016年の暮れ。
遠い戦国時代に想いを馳せ、
地域に生きた武将たちの熱を感じたい。

埼玉県立嵐山史跡の博物館
http://www.ranzan-shiseki.spec.ed.jp/

羽生市ホームページ
http://www.city.hanyu.lg.jp/
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小さな池が大河に変わる? ―巻の台池―

2016年11月26日 | 利根川・荒川の部屋
旧大利根町にある巻の台池(現加須市)。
小さな池だ。
案内看板も立っておらず、余程注意しなければ通り過ごしてしまう。

この池は、かつてここを流れていた浅間川(利根川)の流路跡だ。
現在も小さな排水路が流れている。

川が流れなくなったそのあとに池として残ったのだろう。
大河らしものは見当たらない。
が、近くには旧提が現存している。

加須市大越付近から南流した利根川は浅間川と呼ばれた。
これは、大利根町の阿佐間を流れるのでその名が付けられたという。
南流した浅間川は、琴を抱いたゴゼが漂着したという“琴寄”へと流れていく。

小さな池が大河に変わる。
その流れは広がる田んぼの向こうまで続いていく。
そんな景色を垣間見るのは楽しい。

小さく横たわる巻の台池。
水鳥の姿もない。
止まった水の表面に、暮れゆく空が映っていた。


巻の台池(埼玉県加須市)
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羽生の“永明寺”を黄色く彩るものは?

2016年11月24日 | はにゅう萌え
羽生市下村君にある永明寺(ようめいじ)。
境内に立つイチョウが見頃を迎えている。

葉っぱは黄色く色付き、風が吹くとはらはらと舞い落ちる。
あと数日も経てば、葉っぱは全て落ちてしまうかもしれない。

永明寺の境内には前方後円墳もある。
埼玉県指定文化財になったばかりということもあり何かと注目されている古墳だ。

紅葉したイチョウと永明寺。
あるいはイチョウと古墳。
この組み合わせは何百年もの間人々の目を楽しませてきたはずだ。
歴史的な組み合わせを目にしておきたい。
繰り返して言えば、
あとわずかで葉っぱはみんな消えてしまうかもしれないが……


埼玉県羽生市
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“語り継がれる天下人・徳川家康”が展示されている?

2016年11月22日 | お知らせ・イベント部屋
11月27日(日)まで、埼玉県立歴史と民俗の博物館において、
「徳川家康―語り継がれる天下人―」が開催されている。
家康没後400年を記念しての特別展だ。

NHKの大河ドラマ「真田丸」にも登場している徳川家康。
真田幸村から見れば悪役のような描かれ方だが、
天下人であることに間違いない。

天正18年(1590)に関東に入府して以来、
埼玉とも何かと関係が深い。
羽生市内で言えば、鷹狩に来た跡地や東照大権現を祀る石祠もある。
本展示では、新たに発見された木造の家康像も公開されている。

「真田丸」ももう終盤。
家康の策略ぶりが今後どう描かれるのか。
家康が光るほど、幸村もまた輝きを放つのだろう。
ドラマも展示も目が離せない。

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世界キャラクターさみっとin羽生のあとのラーメンは?

2016年11月21日 | グルメ部屋
今年も埼玉県羽生市で開催された世界キャラクターさみっとin羽生。
この時期になると、家系ラーメンが食べたくなる。
なぜか?
数年前、世界キャラクターさみっとin羽生の開催後に、
家系ラーメンを食べたことがあるからだ。

たった1回のことなのに、刷り込みのように食べたくなる。
行動の基本原理は一体どんな仕組みになっているのだろう。

寒さが日に日に増している今日この頃。
熱いラーメンを食べたくなる。
が、健康診断の結果も気になる。
でも、さみっとの勢いに便乗してラーメン屋さんに足を運んでもいいかもしれない。
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幼な子を“山中城”に連れて行くと?

2016年11月18日 | 利根川・荒川の部屋
山中城は静岡県三島市にある。
山中城と言えば後北条氏。
障子堀や畝堀を目の当たりにできる城としても知られている。

永禄年間に北条氏康が築城し、
北条氏政が改修した。
天正18年(1590)に豊臣秀吉の大軍勢を迎え撃つとき、
山中城は防衛ラインの一つだった。
当然、城の守りを固めるのに力が入る。

来るなら来い。
東国武士の強さを見せつけてやる。
とはいえ、ちょっと不安。
上杉謙信や武田信玄に攻められても滅亡しなかったが、
秀吉がどんな男なのかは未知数……
といった心情で城の整備を急いだのか。

やがて、豊臣勢7万が山中城に到着。
熾烈な力攻めとなる。
城方は力の限り抵抗したが、
大軍勢の前では成す術もなかった。

およそ半日で落城してしまう。
後北条氏にとって「落城」は想定していたにしても、
半日という速さは予想外だっただろう。
城兵が怖気づいて開城したわけではなく、
激しい攻防戦の果てでの落城だった。
そのため、豊臣勢も少なくはない犠牲を出している。

この戦い以後、城は廃城。
現在は国指定の史跡となり、大切に保護されている。
きらびやかな天守閣はないが、障子堀や畝堀が見られるのが大きな特徴だ。
絢爛豪華さより、土の城に興味のある人には胸熱な城だろう。

息子を山中城へ連れていってみた。
季節は夏だった。
夕方に到着したせいもあっただろう。
大軍の藪蚊に襲われてしまう。

城跡は公園になっているのだが、
周囲は木に覆われている。
木のない広場に出ても、蚊は執拗に追ってくる。
これは、埼玉県の杉山城でも体験したことだ。

そのせいというわけでもないが、全く落ち着かなかった。
じっくり城を見学できず、ささっと流す程度。
「10」ある内、「6」くらいしか見られなかったと思う。
息子もなぜかくずついていた。

7万の軍勢が攻め寄せたときも、
大軍の藪蚊のように執拗な攻撃だっただろうか。
どんなに払っても、次から次へと攻められたに違いない。

周知のごとく、その後本城である小田原城も開城を余儀なくされている。
山中城がどんなに持ち応えたところで、
力の差や時代感覚は埋められなかったかもしれない。
それでも、後北条氏が時代の波に抗おうとした障子堀や畝堀は埋まらず、
現代の僕たちにその生きざまを伝えている。


山中城(静岡県三島市)
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戦国時代の羽生に各地から武将がやってきた?

2016年11月15日 | 戦国時代の部屋
羽生市で開催される一大イベント“世界キャラクターさみっとin羽生”。
日本全国からキャラクターたちが集結する。
日本だけではなく、外国からもやってくるからすごい。

羽生の歴史の中で、全国から、いや世界から人が一気に集まることはあっただろうか。
皆無ではなかったかもしれない。
でも、すぐには思い浮かばない。

群雄割拠の時代にも、羽生にはさまざまな武将たちが足を踏み入れたことはあった。
天正2年(1574)には“上杉謙信”が確かに羽生城へ来ているし、
北条氏政も羽生の小松に着陣したこともあった。
武田信玄の重臣“土屋昌次”は羽生の源長寺に高札を出し、
石田三成の水攻めにあった忍城の“成田氏”も来攻している。

一般的によく知られていないかもしれない“北条氏繁”も、
羽生城攻略のために来羽。
智将と知られ、小田原城攻めでは蓮池門まで攻め入った岩付城主“太田資正”も、
金山城の後詰として羽生に来たことがあった。
そのとき小泉城主の“富岡重朝”も羽生に入っている。

このように上杉謙信と武田信玄、後北条氏が火花を散らしていた頃は、
羽生城攻防のため色々な人が出入りしていた。
さすがに織田信長や豊臣秀吉が羽生に来ることはなかったが、
徳川家康は鷹狩で市内の上新郷の地に立っている。

とはいえ、たった2日間で世界から人々が集まることはなかった。
やはり「さみっと」は歴史的事件だ。

戦国時代の羽生城主は広田直繁と木戸忠朝という兄弟だった。
彼らがいまの羽生と一大イベントを目にしたら、
どんなことを感じるだろう。
逆に、いまからおよそ450年後の羽生は、
どんな姿になっているのだろうか。
現代の我々が見たら、腰を抜かす世界になっているのかもしれない。

世界が一つになる。
国境を越えて想いを一つにする。
その願いを未来へつなげていく。
約450年前に生きた羽生城主に「世界」という概念はなかったかもしれないが、
領地の発展と未来につなげていこうとする想いは、
いまと通じるものがあったに違いない。
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中ノ目橋のたもとに佇む供養塔は?

2016年11月13日 | 利根川・荒川の部屋
旧騎西町(現加須市)を流れる見沼代用水路のたもとに、
悲しい出来事を伝える石碑が建っている。
それは中ノ目橋のたもと。
石碑の正面には「施餓鬼供養塔」と刻されている。

これは、享保2年(1742)の水害で亡くなった人々を供養するもの。
大洪水が起き、多くの人々が命を落としたという。

決壊したのは北河原村(行田市)だった。
8月2日の朝6時頃に堤が破れたという。
また、阿良川村(現加須市)に連なっていた阿良川堤も決壊。
濁流は田畑や家々を呑み込み、
家畜も犠牲になったのだろう。

供養塔が建っている場所は小さな広場になっている。
石のベンチが設けられ、文化財案内板も建っている。
とはいえ、目立つ場所にあるとは言えない。
ひっそりと佇んでいるが、
水害の恐ろしさを伝えている。


旧騎西町(現加須市)
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堰き止められても流れ続ける? ―茂林寺沼―

2016年11月10日 | 利根川・荒川の部屋
秋になると行きたくなる茂林寺沼(群馬県館林市)。
分福茶釜でよく知られた茂林寺の裏に低湿地が広がっている。
かつて川が流れていた場所で、
それが堰き止められて沼として残っている。

沼の周囲は葦が生い茂り、
人の手で管理されているとはいえ、ほぼ自然に近い風景に見える。
館林には城沼や多々良沼、近藤沼があるが、
最も自然ぽく見えるのが茂林寺沼ではないだろうか。

開発と無関係なわけではない。
湿地帯のそばには民家や施設が建っているし、電車も通っている。
ただ、葦原といい、その向こう側に生い茂る樹木といい、
人工的なものを覆い隠しているから、
より自然ぽさが出ているのだろう。

湿地帯を歩くことのできる木道もある。
ぼくが中学生だったときにも歩いた道だ。
何ら変わっていないように見えるが、
生態系は微妙に変化しているのかもしれない。

ところで、高校の修学旅行の前日、
一人で館林に服を買いに来たことがある。
本当は自転車で行きたかったのだが、風が強くて断念。
電車で茂林寺駅まで行き、そこから湿地帯を抜けて店まで歩いた。

そんなことを思い出したら、修学旅行で一緒の班だった同級生と偶然再会した。
その縁で、部活で一緒だった同級生とも約20年ぶりに再会。
人と人との縁は儚くもなり、案外強い。
あるいはタヌキにもでも化かされたか。

茂林寺沼と低湿地。
初めてここを訪れたときから、20年以上もの歳月が流れている。
堰き止められた沼のように時間が止まったように思えても、
人との縁は自分の意識を越えたところで結びついているのかもしれない。


群馬県館林市


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幼な子を“騎西城”に連れて行くと? ―騎西城―

2016年11月07日 | 城・館の部屋
騎西城は旧騎西町(現加須市)にある。
観光地ではないかもしれないが、知る人ぞ知る城だ。
発掘調査によって出土したその遺物の量は全国でも上位だろう。

享徳の乱では古河公方足利成氏の前線基地となり、
戦国末期には上杉謙信の猛攻を受けている。
近世以降は松平氏や大久保氏の支配を受けたが、
城主転封をもって廃城となった。

城の遺構としては土塁が残っているのみ。
本丸や二の丸は住宅地となり、
城を覆っていた沼も田んぼとなっている。
発掘調査で障子堀が検出し、その中から兜が出土した大きな注目を集めた。
が、現在は埋め立てられて道路になっている。

騎西城には思い入れがある。
城跡の上に図書館が建っていることもあり、
「城」目当てでなくても足を運ぶ機会は多い。
拙著『羽生加須行田 歴史周訪ヒストリア』(まつやま書房)でも、
思い入れをもって騎西城を取り上げた。

城の遺構はほとんど失われているものの、
跡地には天守閣めいたものが建っている。
郷土資料室となり出土した遺物などが展示されているのだが、
常時開いているわけではない。
一般公開は特別な時期のみだから、
思い付いて足を運んだところで中に入ることはできない。

息子を連れて騎西城を訪問。
幼い息子は土塁よりも天守閣に興味があったらしい。
天守閣に続く階段を登り始める。

放っておけばどんどん登ってしまう。
階段が急になったところでキャッチ。

騎西城の南側には、道路を挟んで荻原遺跡がある。
ここは公園になっていて、休日になると親子で遊んでいる姿を見かける。
城に興味のない子、あるいは幼過ぎて「城」がわからない子がいたら、
萩原遺跡の方が楽しめるかもしれない。
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新川用水の起点には何がある?

2016年11月04日 | 利根川・荒川の部屋
騎西領用水を上流に向かっていくと、
やがて見沼代用水路にぶつかる。
騎西領用水の別名は“新川用水”。
かつての領地を分ける境界(日川)に比定される流れだ。

見沼代用水路から分水される場所は小さな公園になっている。
行くと、サイクリングの人たちが休んでいる姿を見かける。

僕はなぜかこの場所が好きだ。
20代のはじめに自転車を走らせて公園で休んだり、
法事の帰りに喪服姿のまま妻と立ち寄ったり、
子どもと2人で訪ねたり、
大晦日の夕方に1人で何とはなしに川を眺めたりと、
妙に心惹かれてならない。

むろん、観光地ではないからビジュアル的に目を引くものがあるわけではない。
見沼代用水路と騎西用水路がすぐそばを流れているだけだ。
ただ日川と比定され、
重要なラインの可能性とロマンを秘めているからかもしれない。
その情報を知らなくても、
何か惹かれるものがあったことは確かだ。

頻繁に行くわけではない。
が、ときどきふらり足を運びたくなる場所。
そんな場所が1つか2つあると、
少し弱っているときに心穏やかになれる気がする。


新川用水(騎西領用水)


旧騎西町(現加須市)
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