クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

“神社”と“お寺”にいるヘビの正体は何か?

2009年07月03日 | 神社とお寺の部屋
(注)
記事の最後にヘビの画像があります。
苦手な方はご注意下さい。

ヘビは苦手だ。
できれば、一度も出会わずに夏を過ごしたい。

しかし、必ず会う。
一度も見なかった年などない。
町中でも油断はできず、
フタに覆われた下水道の隙間から、
ひょっこり顔を出すヘビと出会ったこともある。

よく知られているように、ヘビは「聖」でもあり「邪」でもある。
日本では畏敬も、嫌悪の対象ともしてきた。
ヘビは水神の化身ともされてきたし、
「ヘビ婿入り」を代表するような昔話・伝説が数多い。

古代から人々に密接に関わってきたことは間違いない。
吉野裕子氏の研究によると、
鏡餅やカカシなどはヘビを象徴するものだという(『蛇 日本の蛇信仰』)

そのせいだろうか。
神社やお寺で出会うヘビはどことなく意味深に見える。
羽生の社寺調査をはじめ、
個人的に神社仏閣へ行くことが多いが、
ヘビに遭遇することは一度や二度ではない。

閑散とした誰もいない村の神社へ行き、
その社殿の前でのんびり横たわるヘビの姿は、
まるで昼寝をする神様のようである。
村人があまり来ないから、
ちょっと外に出てきてうつらうつらしていたのかもしれない。

人の気配を察知して逃げるヘビもいれば、
全く動じないヘビもいる。
埼玉県騎西の“玉敷神社”には、
“ぶく”のときに参拝しようとしたところ、
白蛇に妨げられたという話が伝わっている。

いまのところそのようなヘビに出会っていないし、
戦闘的なヘビもいない。
ただ、印象的だったのは、
源長寺(同県羽生)で出会ったつがいのヘビである。

羽生郷土資料館主催の「ふるさと講座」で羽生城巡りをしたのだが、
境内の木に2匹のヘビがとまっていた。
つがいかどうかはわからない。
でも、それは羽生城代“不得道可”夫妻の化身だったと思っている。

不得道可は出家する前の名を“鷺坂軍蔵”と言い、
羽生城主木戸忠朝の家臣だった。
天正2年(1574)に城が自落したあとは、
上州へ移る城兵たちとは別に羽生に残ったらしい。

同18年から“大久保忠隣”が羽生城主となると、
軍蔵は城代として羽生領支配を行った。
そして、かつての主忠朝を弔うために源長寺を再興したという。

現在、不得道可夫妻の肖像画が残っている(市指定文化財)。
彼らは激動の羽生城を目の当たりにしたはずである。
いわば、城の歴史を知る生き証人であった。

その夫妻は亡くなったあとも、
この源長寺を守っているのかもしれない。
そんなことを思わせる2匹のヘビだった。

それから何年かが経ち、源長寺へ足を運んでいるが、
そのヘビとは出会っていない。
あれは羽生城巡りにやってきた我々を出迎えたのか、
それとも警戒だったのか……

いまでも道可は亡き主の墓を守り、
忠節を尽くしていることだろう。
かつて主が仕えた上杉謙信のごとく、
“義”を貫いて……

















2009年、ばったり会ったヘビ
カメラを向けると、ポーズをとっているのか動かなくなった。


2007年「羽生城跡めぐり」(羽生郷土資料館主催)で出会ったつがいのヘビ。
羽生城主の旧臣不得道可とその妻の化身か……?


『田舎教師』ゆかりの寺として知られる“建福寺”
ここにはヘビにまつわる不思議な話が伝わっているのだが……

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