そろそろお盆を迎える。
夏の年中行事だ。
お盆前後で夏休みの彩りが全く違っていたのを覚えている。
幼い頃、お盆と言えば「親戚がやってくる期間」というイメージがあった。
実家は本家のため、親戚たちが線香をあげにやってきた。
だから、家では盆棚を兼ねた仏壇を整え、酒や料理を用意して、
足を運んでくる親戚たちを迎えたものだ。
むろん、やってくるのは親戚ばかりではない。
先祖たちも帰ってくる。
先祖の霊を迎え、盆棚ではランプの火が絶えることはなかった。
本来、お盆には先祖のほかに、無縁仏や新仏もやってくる。
無縁仏用の祀り方がそれぞれの地域であるが、
ぼくの家では特にそのような区別はなかった。
あくまでも先祖の霊を迎えるという意識だったと思う。
そんな夏の年中行事のお盆だが、
盆月の1日は特別な日となっている。
先祖や無縁仏、新仏が遠いところからやってくるのである。
だからこの日を“カマノクチアキ”“カマブタツイタチ”“カマブタアキ”
“地獄の釜のふた開け”などと言った。
地獄の釜のフタが開いて、霊たちが帰ってくるというイメージだ。
「釜」なのと、ちゃんと「フタ」が閉まっているイメージがいい。
早朝にナス畑やイモ畑に耳をつけると、
いろいろなものが聞こえてくるらしい。
すなわち、釜のフタが開く音や精霊たちの叫び声などである。
これは、関東地方一円のイメージだという。
「フタの開く音が聞こえたよ」と自慢めいて言う人もいただろうか。
旧暦7月1日がこの日に該当するが、
現在は8月1日が多いだろう。
ぼくはいまだこの日にナス畑やイモ畑で地面に耳を付けたことがない。
もし耳を澄ませたならば、何か聞こえてくるだろうか。
地獄の釜のフタが開いてお盆が始まる……
夏の年中行事だ。
お盆前後で夏休みの彩りが全く違っていたのを覚えている。
幼い頃、お盆と言えば「親戚がやってくる期間」というイメージがあった。
実家は本家のため、親戚たちが線香をあげにやってきた。
だから、家では盆棚を兼ねた仏壇を整え、酒や料理を用意して、
足を運んでくる親戚たちを迎えたものだ。
むろん、やってくるのは親戚ばかりではない。
先祖たちも帰ってくる。
先祖の霊を迎え、盆棚ではランプの火が絶えることはなかった。
本来、お盆には先祖のほかに、無縁仏や新仏もやってくる。
無縁仏用の祀り方がそれぞれの地域であるが、
ぼくの家では特にそのような区別はなかった。
あくまでも先祖の霊を迎えるという意識だったと思う。
そんな夏の年中行事のお盆だが、
盆月の1日は特別な日となっている。
先祖や無縁仏、新仏が遠いところからやってくるのである。
だからこの日を“カマノクチアキ”“カマブタツイタチ”“カマブタアキ”
“地獄の釜のふた開け”などと言った。
地獄の釜のフタが開いて、霊たちが帰ってくるというイメージだ。
「釜」なのと、ちゃんと「フタ」が閉まっているイメージがいい。
早朝にナス畑やイモ畑に耳をつけると、
いろいろなものが聞こえてくるらしい。
すなわち、釜のフタが開く音や精霊たちの叫び声などである。
これは、関東地方一円のイメージだという。
「フタの開く音が聞こえたよ」と自慢めいて言う人もいただろうか。
旧暦7月1日がこの日に該当するが、
現在は8月1日が多いだろう。
ぼくはいまだこの日にナス畑やイモ畑で地面に耳を付けたことがない。
もし耳を澄ませたならば、何か聞こえてくるだろうか。
地獄の釜のフタが開いてお盆が始まる……