クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

『万葉集』に詠まれた板倉の沼は? ―板倉沼―

2018年03月26日 | ブンガク部屋
『万葉集』に詠まれた歌。

 上毛野の伊奈良の沼の大藺草
  よそに見しよは今こそ勝れ

この歌に見える「伊奈良の沼」は、
かつて群馬県板倉町に広がっていた“板倉沼”に比定される。
板倉沼は昭和51~55年にかけて埋め立てられ、完全に消滅。
現在は工業団地と穀倉地帯に様変わりしている。

沼が広がっていた頃、藺草(いぐさ)が大量に茂っていたのだろう。
この藺草はカヤツリグサ科のフトイのことで、
2メートル以上も伸びるという。
なお、『万葉集』後に成立した『夫木和歌抄』にもこの沼の名前が見られる。

 逢う事は いならの沼の大藺草 よそにや恋ひん袖はくつとも(順徳院)
 おほゐ草 波はうへにぞなりにける いならの沼に晴れぬ五月雨(民部卿為家)

板倉沼は田山花袋の小説『田舎教師』にも登場する。
主人公と校長が談話しているときに、魚売りが来るのだが、
板倉沼で捕れたものと話す。
そこで捕れた魚はおいしいと評判だったという。

大小さまざまな沼が点在していた板倉町では、
川魚を専門とする問屋がたくさんいた。
往時は天秤をかついで行商に行き、
主にマブナ、小魚、エビを販売していた。
対象は、川向うの羽生や加須、行田などの埼玉県があれば、
茨城県古河市や栃木県佐野市など、広範囲に及んだ。

時代が下れば、自転車やバイクに乗って売りに行く。
農閑期には主婦が売り歩いた。
『田舎教師』で描かれた行商人は天秤をかついでいたが、
やがては自転車やバイクに乗って売りに行ったのかもしれない。

ところが、自然環境は不変とは言えない。
時代を下って外来種が登場する。
その代表格と言えるのはウシガエル、ザリガニ、ミドリガメなど。
いまでこそ当たり前のように見る生きものだが、
生態系に大きな影響を及ぼしている。

板倉沼も無関係ではない。
広大な面積を有し、利根川中流域の低湿地帯ということもあり、
ザリガニにとって住み心地は最高だったのだろう。
気が付けば、群馬県内で一番のザリガニ生息地となる。
『万葉集』にも詠まれた沼がザリガニ天国になるのだから、
これも時代の流れというものだろう。

そんな板倉沼は昭和50年代に消滅。
景色はすっかり変わった。
近くに鎮座する雷電さままで変わったような……。

その沼でフナやエビが捕れることはもうない。
藺草もない。
問屋さんはあるが、川魚を売り歩く姿を見るのは難しいだろう。

『万葉集』や『夫木和歌抄』に詠まれた伊奈良沼。
群馬県で一番ザリガニが生息していた板倉沼。
いまは工業団地と田んぼに変わったその跡地で歌を詠むならば、
どんな情景が描かれるだろう。

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1 コメント

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Unknown (隣り町で詠まれている万葉歌)
2023-10-13 21:27:32
許我の渡り
許奈良の須

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