アートプラス京めぐり

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関連0007  戊辰戦争 ・戊辰役

2017年11月18日 09時33分40秒 | 関連記事

戊辰戦争 ・戊辰役

1  神社伏0076-4 御香宮神社4 明治維新碑

2  黒谷 金戒光明寺

3  大村益次郎が襲撃された宿舎跡

4  寺院右0001-2  鹿王院  境内に静寂な竹林

5  薩藩戦死者の墓  1864年 1868年

6  寺院伏0408 妙教寺 淀古城址 戊辰役東軍戦死者碑 木村久夫碑

 

 

 

 


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寺院伏0408 妙教寺 淀古城址 戊辰役東軍戦死者碑 木村久夫碑

2017年11月18日 09時31分58秒 | 寺院

 

納所集落の真ん中に法華宗の妙教寺がある。

日孝上人を開山とする法華宗真門流の寺。寛永3年(1626)、淀城主松平定綱が寺地を寄進し、淀城の守りとしたと伝える。

淀城の守りとなっていた。鳥羽伏見の戦いのさい大砲の弾痕が本堂の柱に残り、そのおり戦死した幕軍の碑が建てられている。この地は室町末期の元亀元年(1570~73)、三好長慶の臣、岩城左通が城をかまえた所といわれ、境内南の低地が深い溝となっているのは、そのときの壕堀の址と伝える。

 

史跡

淀古城址 此所は戦国時代の始め細川管領家が築城し薬師寺与一岩成左通 淀君らの居城となった淀古城の址である。

戊辰役砲弾貫通跡

慶應4年正月4日戊申役の際東軍砲弾が飛来し本堂を貫通したその弾痕がある。

 

 

木村久夫君は京都大学在学中学徒兵に○○れ終戦後シンガポールにて逃げ去った○○責任を負わされ無惨にも絞首刑と○○若い命を絶たれた時昭和21年5月22日28歳この歌は刑執行確定後の作である 木村君の遺書全文は「きけわだつみの声」に収録されている  必読

音もなく我より

去りしものなれど

書きて偲ひぬ

明日といふ

字を

木村久夫

 

 

戊辰之役東軍戦死者之碑

戦死者埋骨地三所一在下鳥羽村悲願寺墓地一

 納所村愛宕茶屋堤防一八番楳木

子爵榎本武揚書

明治40年 京都十七日会建

この碑は、慶応4(1868)年正月に勃発した鳥羽伏見戦の東軍(幕府側)戦死者の招魂碑である。

  明治40年に東軍戦死者四十年祭典が京都十七日会により挙行され,あわせて15基の碑が建立された。十七日会は徳川家康の命日である十七日(元和2年4月17日)にちなんだ,徳川家恩顧者の会である。

  碑はふたつのカテゴリーにわけて建立された。一は「戊辰之役東軍戦死者之碑」と刻んだ3基の招魂碑(この碑もそのひとつ)。一は「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻んだ12基の碑(墓石)である。それぞれのカテゴリー内の碑は同一形式で,刻まれた文字も表題部は同じ。招魂碑は榎本武揚書。

  3基の招魂碑に記された埋骨地碑は,伏見町悟真寺内招魂碑が同寺内2か所。納所村妙教寺内招魂碑が悲願寺墓地・愛宕茶屋・八番楳木。淀町長円寺相招魂碑が同寺内・光明寺墓地・大専寺・文相寺・東運寺・八幡番賀。

  上記の埋骨地碑を合計すると11基になるが,長円寺内には2基の埋骨地碑が現存するから,所在は10か所で碑は12基ということになる。招魂碑・埋骨地碑計15基は百年以上たった現在もすべて当初の建立地,あるいはその近辺に残存し,希有な例として注目できる。

  なお,この建碑事業の経緯は京都十七日会編『戊辰東軍戦死者四十年祭典及墓標建設報告書』(1907年同会刊)に詳しい。

 

平成29年11月6日撮影

 

妙見堂

関連記事 ➡   関連0007  戊辰戦争 ・戊辰役

寺院 前回の記事 ➡ 寺院伏0407 法行寺 浄土真宗本願寺派

五七五

ただいまも言わずに落葉差し出しぬ /大川

ことわざ

畳の上の水練

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まち歩き伏0657 五番ノ橋  明治の石橋だ

2017年11月17日 23時28分39秒 | まち歩き

 

 

石橋

五番ノ橋

 

明治45年6月  の竣工か

関連記事 ➡  関連0006 石橋

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き伏0656 京阪電車 淀駅前の水車

五七五

もう一杯自分で許すハレの宵 /小澤

ことわざ

背に腹はかえられぬ

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関連0006 石橋

2017年11月17日 06時16分47秒 | 関連記事

石橋

1  0645 疏水分流  石橋だ

2 まち歩き東 七条大橋  鴨川に架かる石橋

3 まち歩き編集   石橋 報恩寺にかかる橋  1602年

4 まち歩き編集 石橋 七条大橋

5 まち歩き東0189  七条大橋の石橋の眺め

6 正面橋  高瀬川にかかる 昭和4年竣工

7 堀川第一橋  石橋です

8 まち歩き伏0657 五番ノ橋  明治の石橋だ

 


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道標0140  納所村 道路元標

2017年11月16日 22時14分46秒 | 道標

道路元標の大きさ・形は一定のようだ  

見慣れてくると すぐ判断できるようにまります

関連記事 ➡   関連0005  道路元標

                     

道標 前回の記事 ➡  道標東0139 動物園  三條通

五七五

膝小僧今日も頼むとなぜて起き /山崎

ことわざ

無い袖は振れぬ

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寺院伏0407 法行寺 浄土真宗本願寺派

2017年11月16日 20時29分28秒 | 寺院

浄土真宗本願寺派

寺院 前回の記事 ➡  寺院左0406 永観堂 境内図

五七五

隠し金よりも確かな芋を掘る /川上

ことわざ

子を視ること親に如かず

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関連0005  道路元標

2017年11月16日 05時58分00秒 | 関連記事

道路元標

1  道標西0049  淳和天皇御陵  大原野村道路元標 

2  道標中0010 京都市道路元標 

3  道標右0027  花園村 道路元標

4  道標右0037  西院村 道路元標   春日神社で

5  道標向0042  道路元標 向日町 

6  松尾村  道路元標 半分くらい埋もれていました 

7  道標0140  納所村 道路元標

 


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石碑伏0139 唐人雁木 旧跡

2017年11月15日 20時54分49秒 | 石碑

 

江戸時代には淀城下からみれば宇治川の対岸で、あいだに淀小橋がかけられていた。宇治川のつけかえ工事で淀小橋がなくなるのは明治の末である。石碑は淀小橋のたもとにあたる場所に建っている。

唐人雁木 旧跡

唐人雁木旧跡  唐の文字がちょっと違うのだが

唐人雁木碑の唐人は朝鮮通信使をさす。朝鮮通信使は江戸時代に徳川将軍の代替わりを祝うために朝鮮から派遣された使節団である。雁木は船着き場の階段。通信使は瀬戸内海を東へ進み、大坂から川舩で淀へ着く。淀小橋のたもとの雁木から上陸し京都へ向かった。文化8年(1811)を最後に朝鮮通信使がとだえ、唐人雁木という名前の意味を知る人が無くなってきた。

平成2年 結成15周年記念 京都淀ライオンズクラブ建立 

  元の石碑は何処にあるんだろう

昭和2年春  再建 三宅安兵衛遺志建立

三宅安兵衛(1842~1920)は京都の帯問屋。息子清治郎(1872~1940)に遺言し、京都府下に400箇所以上の道標などを建てさせた。

納所交差点 石碑は 赤信号の道を少し行き 左側にありました 2本目の電柱

関連記事 ➡  関連0003 朝鮮通信使

石碑前回の記事 ➡ 石碑伏0138 京阪電車 淀駅前 架橋石碑

五七五

深呼吸朝一番のくすりです /村上

ことわざ

画餅に帰す

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ポスター0077 與杼神社 秋季大祭 神輿渡御 

2017年11月15日 14時43分15秒 | 掲示ポスター

與杼(よど)  → 淀

関連記事 ➡  與杼神社

ポスター前回の記事 ➡  東寺の天部像 守りと祈りのかたち 春の特別展 

五七五

失言を拾っていたらきりがない /樋口

ことわざ

地蔵は言わぬがわれ言うな

 


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関連0003 朝鮮通信使

2017年11月15日 05時53分08秒 | 関連記事

朝鮮通信使

1  まち歩き伏0656 京阪電車 淀駅前の水車

2  本能寺

3  本法寺  光悦・長谷川等伯 ゆかりの寺

4  本実院  日蓮宗  江戸時代 朝鮮通信使の京都宿舎だった

5  松林院 日蓮宗 江戸時代 朝鮮通信使の京都宿舎だった

6  松陽院  日蓮宗 江戸時代 朝鮮通信使の京都宿舎だった

7  本圀寺跡 石碑

8  寺院下0292  久成院  日蓮宗  江戸時代 朝鮮通信使の京都宿舎だった

9  石碑伏0139 唐人雁木 旧跡


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まち歩き伏0656 京阪電車 淀駅前の水車

2017年11月14日 21時36分45秒 | まち歩き

「淀の川瀬の水車誰を待つやらくるくると」で有名な淀の水車は、淀城の淀川沿いの城壁に二つあって、一つは淀小橋下流の宇治川と桂川の合流する辺りもう一つはさらに下流の庭園近くに取付けられていました。 

もともと宇治川筋には古来より灌漑用の水車があったと言われており、淀においても淀城が出来る以前に住んでいた河村与三右衛門の屋敷に水車があったと「淀下津町記録」には記されています。

「帝都を守護せむ地、淀にまされるはなし、汝今より淀に城築くべし」との徳川二代将軍秀忠の命を受けた松平定綱は寛永2年(1625)に淀城を完成させ初代城主に就きました。淀は宇治川、桂川、木津川、巨椋池、四方を川と池に囲まれた美しい水上の城下町となり、さらに二代目城主永井尚政が寛永15年(1638)、木津川を南に下げて城下を拡張し、庭園を新設しました。

永井藩主の家老、佐田川昌俊によって作られたという説が残っていることから、どうやらこの頃までに二基の水車が整備されたようです。

元禄5年(1692)に江戸参府の途中、淀を通過したオランダ一行の医師ケンペルは「淀の町は美しく、水車小屋がその城の一部になっている」と書いています。また、江戸時代に来日した朝鮮通信使も絵と文章で淀の水車のことを伝えました。宝暦年間(1753以降)淀稲葉藩士渡辺善右衛門はその著「淀古今真佐子」で次のように「淀の水車は日本国は言うに及ばす朝鮮、琉球、オランダまでも知れ渡ったものである。二つ二ヵ所にあって、二の丸居間の庭園用と花畑の茶屋の水鉢用に使用している。直径は四間(7.2メートル)、全体が竹製でわらび縄(蕨の繊維で作った縄)で結んだものである。心棒に毎朝小船に乗って水油(菜種油などの液状の油)を一升注さねばならない。油を多く注すと良く回る。箱形の釣瓶が20個付けられるようになっているが、多く付けると早く痛むので普段は三個にしている。この釣瓶の古いものが茶の湯の花入れとして大坂や西国で、人気となっている。」と記しています。安永9年(1780)に刊行された「都名所図会」や文久3年(1863)に出版された「淀川両岸一覧」に淀城と水車が描かれ、淀城と言えば水車が付き物となっていました。葛飾北斎も「雪月花淀川」で淀城と水車を描きました。明治時代の画家冨田渓仙は淀の水車が好きで作品を残しています。

溶溶と流れる淀川の波に従い優雅に廻る水車の姿は、淀川を行き来する旅人の心を癒したに違いありません。

「ほととぎす待つやら淀の水車」  西山宗因

「霧の中何やら見ゆる水車」  上島鬼貫

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き下0655 塀際の石の並び

五七五

柿の実の色づく家のそば通る /河村

ことわざ

たくらだ猫の隣歩き

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蔵のある風景下0360回 八条御前通 付近

2017年11月14日 19時46分54秒 | 蔵のある風景

 

 

蔵のある風景 前回の記事 ➡  蔵のある風景左0359回 若王子 付近

五七五

空の青 免許返納ウォーキング /西河

ことわざ

鷺を烏と言いくろむ

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石碑伏0138 京阪電車 淀駅前 架橋石碑

2017年11月14日 12時01分05秒 | 石碑

 

淀小橋従前架スル者長四百五拾尺今回北ノ橋壹長拾貮尺ヲ増築シ南ノ橋壹左右川幅ヲ廣メ改造シ長五百五拾六尺五寸トス中央ニ於テ七拾貮尺ノ間柱ヲ設ケス通舩ノ便利ニ供スルナリ

維持期 明治11年2月

起工式 明治10年成功

石碑 前回の記事 ➡  石碑中0137  平安時代 弘文院 址

五七五

月光を独り占めして猫眠る /小西

ことわざ

引かれ者の小唄

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まち歩き下0655 塀際の石の並び  

2017年11月13日 06時00分26秒 | まち歩き

 昔は何かに使われていたのでしょう  柵ぐらいしか思いつきませんが

そのまま残っています

まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き下0654  シルバーゾーン

五七五

空の青君への思いありったけ /大杉

ことわざ

昔は今の鏡

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まち歩き下0654  シルバーゾーン

2017年11月13日 05時04分07秒 | まち歩き

 京都府のシルバーゾーンは こんなものです

まち歩き 前回の記事 ➡  まち歩き右0653 サザンカ 鈴なり  

     

五七五

故郷にまだ立っている丸ポスト /津知

ことわざ

見目より心

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