文禄4年(1595) 巨大な大仏
文禄5年(1596) 地震によって壊れる
逸話 秀吉は自分をも守れぬかと怒り大仏に矢を放った
秀吉の遺志は秀頼に引き継がれたが
工事中に大仏の腹中から出火して焼失
慶長17年(1612) やっと完成 しかし 鐘楼の銘文で
言いがかりをつけられ
大阪 冬の陣・夏の陣を経て 豊臣家滅亡
寛文2年(1662) 地震で倒壊 大仏は 木像にあらためられた
寛政10年(1798) 雷火によって焼失
天保10年(1843) 再建された木像大仏は
旧大仏の 10分の1 の大きさにすぎなかった
昭和48年(1973) 3月28日深夜 焼失
現在に至る
言いがかりをつけられた鐘楼 西から見る
東から見る
天井には 彩色画が描かれています
大仏建立に使われた 大仏を支える 鉄輪など
国家安康・・・・・ 君臣豊楽
手水舎
大黒尊天 標柱は昭和8年建立
内部の天井画
本堂
賽銭入れは 低い位置にあります
感應
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