北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人は椅子に挨拶をする

2024-03-26 23:32:55 | Weblog

 

 いよいよ年度の変わり目の3月も終わろうとしています。。

 数カ月前から挨拶回りで道内を巡っていて、「私も今年限りで定年ですので」という後輩が結構多くいました。

「そうか、それじゃあ退職前にはまた挨拶に来るよ」などと調子良く返事をしていたものの、いざその時が近づいてくるとなかなか実際に会いにはゆけません。

 一日おきに用事や会議が入ってしまって、宿泊を前提にした出張行程が組みにくくなってゆくのです。

 本当ならばそこも見越したうえで余裕をもって挨拶回りに行けばよいのですが、さすがに(1月ではまだ早いだろう)とか、(2月は除雪などで忙しいだろう)などと勝手な"行かない理由"を見つけているうちにどんどんと残り時間は少なくなってきます。

 だんだんと職場での今の立場の後輩にはもう会えない人が多くなってきました。

 OBとしては、行けば世間話に付き合ってくれるだけでもありがたいものですが、そういうことへの感謝の気持ちを伝えられない不義理には忸怩たる思いがします。


     ◆


 たまに、「現役の時はたくさんの人が挨拶に来てくれたのに、その立場を離れたらまちなかで見かけても挨拶一つしてくれなくなった」と嘆く人がいます。

 きっとその人は、世間の人は"その椅子に座っている人"に挨拶をしているのであって、"個人としてのあなた"に挨拶をしているのではない、ということに気がついていないのでしょう。

 そういう人に「世間の人は、あなたに、ではなく、椅子に挨拶をしているのですよ」というとそこで初めてその道理に気がついて「ははあ」と腹落ちします。

 立場上どうしても、他の人に指示をしたりお願いをしたり質問をしたりするときも、相手に対する敬意を払わずにいると、人の心は離れてゆくものです。
 
 人の評判や信頼は、そういう他人に対する敬意という薄紙を一枚一枚積み重ねたり、言行が一致しているかというようなことが厚みになるようにして得られるものです。

 決して一朝一夕にできあがるものではない、ということに早く気がついて、「その椅子に座っていても座っていなくても」素の自分と語り合ってくれるような関係の友達ができると良いですね。

 もう転勤をするようなことのない立場になりましたが、現役時代のこの時期の転勤による出会いと別れを思い出すと、緊張感が思い出されて身震いがする思いです。

 出会いと別れの春が近づいてきました。
 

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