昨日(2024年3月31日)をもって、JR根室線の富良野~新得間、81.7kmが営業運行を終了して廃線となりました。
札幌から帯広・釧路へ向かう鉄路としては、明治時代の初期は旭川までいってそこから富良野方面へ南下する路線で始まりました。
なので明治41年の冬に札幌から釧路へ汽車で向かった石川啄木は途中旭川で下車して一泊、十数時間を過ごして、翌日の汽車で釧路へ向かったのです。
2012年になって旭川駅には啄木が旭川で詠んだであろう短歌と共にモニュメントが建てられています。
さて鉄路はその後、旭川手前の滝川駅から東へ折れて富良野まで行く新しい路線になり、そこからは金山湖の南を通りながら新得を経由して帯広へ行く路線になりました。
やがて頂戴トンネルと作る技術が確立して、1981年に南千歳駅から東へ折れて夕張を経由する石勝線が整備され、この路線は金山湖の東南にの新狩勝トンネル手前で既存の根室線と合流して道東へと向かう鉄路になっていました。
昨日なにげなく国土地理院のネット地図を見ていて金山湖あたりで、なんと鉄路の記号が無くなっているのに気がつきました。
確かに営業終了ですが、線路はまだ残っているわけで、一見鉄路の印はあってもよいように思いますが、列車が走らないという事は鉄路ではない、ということなのでしょうか。
同じエリアのグーグルマップでを見ると、こちらにはまだ鉄路が残っていて、ある意味、国土地理院の仕事が早い、ということになるでしょうか。
汽車の窓から見られる風景は歴史と共に多様性を失ってゆくようで残念です。