国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

中高生のための内田樹(さま) その17

2018-09-30 17:55:55 | 中高生のための内田樹(さま)
●基本的に読解力が減った。

 というのも病人だからである。

●しかし、だ。

●挑戦しましたよぉ。内田 樹 著『寝ながら学べる構造主義』を読みましたよ。

 しかも「寝ながら」読んでみた(病人だからね)。

●中高生諸子におかれては難しい本やもしれない。この私でも着実に読み進めるために6ページ読んでは3ページ戻りという感じで読んでいる部分も結構あったのだ。

●しかし、現代文の評論文のように難解な文章(実際、本書は入試にしばしば出ている)が延々と続いているなぁと思えるひとにも挑戦してほしい本である。

 100メートル競走の選手が100メートル以上の距離を練習で走っているように、評論文を読み続ける知的な走力も入試に必要だ。いや、本当は入試関わらず必要だ。

●それにしても「寝ながら」というのが最適であるのはわかるけど、気楽に構えず読める入門書の適例なんだけど、ちょっとこの題名はもったいないなぁ。おいらなら「構造主義英雄伝説」とでも名付けるかも。

●ちなみにこの本と比較する本としては橋爪大二郎『はじめての構造主義』を出さなくてはいけないんだが、断捨離で(というか二度の引っ越しで)どこかに消えた。こちらも面白い本だよ。アプローチの仕方が全然違うし。できれば両方読むべし。

 エドマンド・リーチについて『はじめての構造主義』で触れていたっけ。エドマンド・リーチで構造主義を活用していた身としてはいないのが、さみしいのである。

●ついでに言っておくと交易として「日本書紀の斉明天皇6年(660年)」と「天照大神と須佐之男命の誓約」を構造主義的に料理できないかと大学4年生のころ考えていたのだ。周りがとめたからやめたけど。

●閑話休題。

●なぜに『英雄伝説』と名付けたいかというと『銀河英雄伝説』なみに魅力のある思想・哲学上の偉人たちがでてくるからだ。まぁ、『英雄列伝』でもいいんだが。

●マルクス、フロイト、ニーチェ、ソシュール、フーコー、バルト、レヴィ=ストロース、ラカンとまぁ豪勢な人物をとりあげているのだ。

●中高生ならこれで思想かぶれになれる。十分になれる。ニーチェかっこいいとか言えるようになる。

●一度は難解なものをわかったふりをしなくては健全な大人になれない(んじゃないかと思う)。

●まして内田樹氏である。わかりやすい具体例、比喩が多いおかげで難しいことを意外と(そう意外と)わかりやすく説明してくださっている。

●たとえば「エクリチュール」の例の出し方はさすがだし、狂言の『ぶす』、『こぶとり爺さん』の活用も絶品である。どこに書いてあるかは読んでのお楽しみとして君たちにとっておこう。

●本の比較的冒頭に構造主義のタネあかしとして次のような部分がある。

「私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど主体的にものを見ているわけではない。」(25頁)

 ここに至るまでの思想界の英雄たちが動いているさまを見事に書いている。


●書店で見かけたら、まだ難しいだろうけど、思い切って買って読んでみよう。

 6ページ読んだら3ページ戻りながらでいいからさ。



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外堀

2018-09-30 13:00:28 | 日記



携帯ATMの外堀を公開。

●中に入れるお札と、拡大コピーした解説書ですね。

●ほら、「実際の演技では本物を使ってください」とあるじゃないですか。しかし、入手できるお札にも限界がありまして中国以外はややマイナーな国々になりました。

 すると説明書の通りだと読みにくい(紙幣が違うもんで)と思って書き込めるように拡大したんだね。

●ちなみに道具が入る財布も封筒も見つからず。外堀を埋めきったとは言えないな。

●いちおう紙幣の紹介を右上が中国の元。右下がベトナムのドン。左上がネパールのルピー。左下がカンボジアのリエル。

●渋いアジアツアーだな。




●はぁ、できるようになりてぇ(結論)。




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若気の至り

2018-09-30 10:30:11 | 国語
●前の前の奉職先でデビューしたての頃書いた文章。

●第一回の授業で配布した小冊子の1,2ページ目に書いた。

●今読むと赤面しちゃうし、こんなに熱い時期もあったんだなぁとしみじみしちゃうし、まぁ、誰にでも若気の至りってあるでしょ。

●この文章のあとに続く解法じみたのものも以降、公開していく予定。


序  現代文を過激にやるぜ!

 のっけから、あやまるというのもなんだが、現代文を過激にやる、と聞いて、「おぉ!過激かぁ」と思った人には、申し訳ないと言っておこう。なぜなら、地味ぃなことを言うからだ。つまり、「現代文を過激にやるぜ」というのは、「基本に対して徹底的に忠実に行くぜ」ということを言いたいのである。では、何故に「過激」をつけるのかというとそれは「徹底的」ということを強調しておきたいからなのである。
 現代文という科目には特徴がある。それは「基本」しか出ないということである。というと、「嘘だぁ。京大とか早稲田とか難しいじゃん!」なんて言いたくなるだろうが、ちょっと待って、お兄さんの話をきいてごらん。
 まず、「基本」=「易しい」とは限らない。例えば人に迷惑をかけないなんていう人間の「基本」と言えることを実行するのは非常に難しいじゃないか。え、できて当たり前だって? 、んー、そういう人は自覚していないか、勘違いしているか、小生と同様に天使の生まれ変わりなんだろうな、きっと。
 次に現代文の難問というのは「基本」の組み合わせか、基本を間接的に表現したものなんだ。また、文章自体の難度が高いというだけのことだったりもする。まぁ、それは、おいおい実際に解きながら、諸君には実感していただこう。
 だから、「基本」に対して「徹底的」に「忠実」に行く。そのことを了解して欲しいのである。
 というわけでだ。この本には現代文の基本といえることを書きこんでいくことになる。その内容は講師である小生が説明していくが、注意して欲しいことがある。それは単なるテクニックやら、公式を書いていくつもりはないということである。
 ここで小生の話をしてしまったりするのだが、小生、高校二年生まで、ある程度だが、国語の出来る子で、偏差値は65程あって、国語なんて勉強するやつは馬鹿だよなどと思っていたもんだった。そう、何も勉強らしい勉強をしなかったのだ。ところが、ところがだ。なんと高三の春の模試で偏差値は35まで一気に下がったんだな、これが。なんの事はない馬鹿は俺だよ、というだけの話だ。その後、いろいろと独学で参考書を読んだり、読書をしたりしたのだが、偏差値は57までしか上がらない。で、冬に予備校に行って、感動したんだな。「これが現代文の講義かぁ」とね。何せ泣いたんだぜ。確かに小生、未だに純真だが、予備校の講義に泣くなんてなぁ。デブ、じゃない、ウブだったなぁ。
 でもね。泣くのは仕方なかったんだよ。その時、小生は「体」で現代文の解き方を実感したんだよ。それまで、独学でいろいろ壁にぶつかってたからこそ、その時の講義の意味と意義がわかったんだなと、振りかえってみると思ふ。でまぁ、その後、浪人して偏差値が79まであがることになるのだが、それはおいおい話すとして。
 ここで強調したいのは小生、「偏差値を上げる方法、下げる方法、維持する方法」を経験してきたということなんだな。その結論として、表面的なテクニックは役に立たないと判断したんだな。結局、「体」で理解してないと、読解という作業は無理なんだよ。口ではテクニックと言っている先生でも、それが身体化されてなければ意味がないのだ。だから、この本に書きこんでいくのは、「定石」とか、「コツ」というのが正しいと思う。単に暗記して使えるものじゃなくて、体で利用できるようになることを目標にしてほしい。(しかも、最終的には部分的にそれを無視していくんであるが、それは最終目標であり、後の話だ)
 だから、はじめは書きこんだことについて全部を利用できなくてもいい。いくつかを使いこなせる(=身体化する)ようにしていただきたい。そうして、地道にしかも過激に努力をしていけば、ある日、パズルがいきなり解けるように、あるいは、ある日突然逆上がりができるようになる瞬間が、現代文に対してもくるはずだ。(え、何?入試までに、その瞬間がこなかったらどうすんだ?だって。大丈夫だよ。お兄さんは「勝てる現代文」だけじゃなく、「負けない現代文」にも繋がるように講義をすすめていくからさ。合格最低点にはひっかかるようにはしてみせるよ。でも、今は負けないより勝つことに集中しようじゃないか)
 書きこみの方法は講義で教えますんで、その通りにやって欲しい。小生、諸君の合格のための計算はちゃんとしてあるから、安心してついてきて欲しい。さぁ、努力と情熱を武器に出撃するとしよう。

 最後に諸君へ。
 この国の変化が始まるにあたって(でなくてもかまわないんだが)、「伝説」となる講義を共に作ろう。講師××も全力で講義していきたいと思う。諸君も全力で受講して欲しい。諸君は、今、戦う必要はないのかもしれない。だけど、戦える力をつけておくのは大切なことだ、と小生は考える。そして、「言葉」は諸君の戦える力に必要なアイテムになると考えている。(「言葉」に関しては講義を通じて伝えていくだろう)

 いつの日か、今日のこの日を振り返って、「すべては、ここから始まったのだ」と一緒に言おうじゃないか。





●熱いなぁ。

●当時はSLGのBegning of Legend(確かロンメル将軍のゲーム)にこっていたんじゃないかな。最後の部分がその影響っぽい。

●橋爪大二郎によると社会(間身体性)は「貨幣」「権力」「言語」しかないそうだ。

 権力と貨幣は受験生にどうしようとできなくても「言語」だけはプレゼントしたいと考えていたんだね、当時は。いや、そこだけは今も変わらないかもしれない。




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月餅とブログとマジックと

2018-09-29 20:45:08 | 日記
●月餅食べたよ。妻が買ってきてくれた。

 うまいな、あれ。

●スーパーで売っている月餅すらうまい。況や横濱中華街をや。

●神戸の中華街のでもいいから、本格的な月餅を食べたいものだ。

●詳しいことはgooブログの場合、わからないのだが、こんなブログでも一日平均140~200IP程度の方がいらしているようである。

 これが多いのか少ないのかわからないが、これだけいらっしゃるというのはありがたいことだ。

●不肖ながら私にも師匠といってくださる方がいて、その方が一部の記事を読んでくださり、高評価を得た。

●「国語屋稼業国語化計画」も進んできた証拠かもしれない。

●次は「戯言復活計画」といきたいところだが、いかんせん、脳の調子がなぁ。

●マジックブログとしての拡充をはかりたいが、右手から左手のエルム〇レイでゆきづまっている体たらくだからなぁ。

●三枚目にブレイクでこけるレベルだからなぁ。

●よし、まずは携帯ATMの外堀の公開からいこう。

●次に10月中に会う友人へのマジックで苦しんでいる姿を笑っていただこう。

 カードマジックを封印したクロースアップマジシャン(初級)のあたふたを楽しんでいただこう。

 あ。コインは苦手だから避けたいところ。

 トリクッスのダイナミックコインを知っている人向けのひっかけるマジックでもやろうかしら。



●何かヒントや作品などがあったら、コメントやメール(コンテンツの連絡先参照)をくだされ。

●現在、ブルークリスタル(テンヨー)を見せてみせてみようかなと目論見中。






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叫びにも似た

2018-09-29 13:55:00 | 日記
●三枚目にブレイク取れない。

●唐突に月餅が食べたい。

●白州の空き瓶ほしい(これは酒屋にきいてくれるという善意の友人が登場。あるといいな、本当に)。

●出てくるカードが説明書と違う。

●マジックイベントに参加してぇ。

●台風怖ええよ。

●スマホを変えたら同じメールが三通届くようになった。

●先輩から連絡がない。無事なんだろうか。

●もう九月が終わるのか。早いな。






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中高生のための内田樹(さま) その16

2018-09-29 11:44:02 | 中高生のための内田樹(さま)
 私は授業中に実はよくわかっていない文章や純粋には解けていない設問を突然理解し、生徒らに自信をもって説明したことが何度かある。ひどいときなど、一度解いておいて、こういう解き方もあるがこっちの方が解き方としてきれいだねみたいなこともやった。そう、教えている最中に「なにもの」かが降りてくるのである。新しい解釈や解き方が唐突にやってくるのだ。予習の時も降りてくるけどね。
きみたちにも次の文章に出る「なにもの」かはいると思う。そういう視点で以下の文章を楽しんでほしい。





次の文章を読んで後の問に答えなさい。

 自分の賢い所以をすらすらと自力で説明できる(「やっぱ、子どものときにネギぎょうさん喰うたからやないですか」とか)ような人間は「賢者」とは言われない。
 真の賢者は恐ろしいほどに頭がいいので、他の人がわからないことがすらすらわかるばかりか、自分がわかるはずのないこと(それについてそれまで一度も勉強したこともないし、興味をもったことさえないこと)についても、「あ、それはね」といきなりわかってしまう。
 だから、自分でだって「ぎくり」とするはずなのである。
 何でわかっちゃうんだろう。
 そして、どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。
 私たちは自分の知らないことを知っている。
 自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない。
 私たちが「問題」として意識するのは、その解き方が「なんとなくわかるような気がする」ものだけである。
 なぜ、解いてもいないのに、「解けそうな気がする」のか。
 それは解答するに先立って、私たちの知性の暗黙の次元がそれを「先駆的に解いている」からである。
 私たちが寝入っている夜中に「こびとさん」が「じゃがいもの皮むき」をしてご飯の支度をしてくれているように、「二重底」の裏側のこちらからは見えないところで、「何か」がこつこつと「下ごしらえ」の仕事をしているのである。
 そういう「こびとさん」的なものが「いる」と思っている人と思っていない人がいる。
 「こびとさん」がいて、いつもこつこつ働いてくれているおかげで自分の心身が今日も順調に活動しているのだと思っている人は、「どうやったら『こびとさん』は明日も機嫌良く仕事をしてくれるだろう」と考える。
 暴飲暴食を控え、夜はぐっすり眠り、適度の運動をして・・・くらいのことはとりあえずしてみる。
それが有効かどうかわからないけれど、身体的リソースを「私」が使い切ってしまうと、「こびとさん」のシェアが減るかもしれないというふうには考える。
 「こびとさん」なんかいなくて、自分の労働はまるごと自分の努力の成果であり、それゆえ、自分の労働がうみだした利益を私はすべて占有する権利があると思っている人はそんなことを考えない。
 けれども、自分の労働を無言でサポートしてくれているものに対する感謝の気持ちを忘れて、活動がもたらすものをすべて占有的に享受し、費消していると、そのうちサポートはなくなる。
 「こびとさん」が餓死してしまったのである。



問 「こびとさん」と同じ意味の言葉を文中から10字以上25字以内で二か所。抜き出しなさい。














【解答】
私たちの知性の暗黙の次元
自分の労働を無言でサポートしてくれているもの





全文はこちらkara.から。


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今の欲求

2018-09-28 19:48:20 | 日記
●空き瓶でいいから700mlの「白州」が欲しい。

●近所のドラッグストアでも(ちょっと遠い)デパートでも入荷の予定はまったくなしと言われるし(デパートからは本当に「まったく」と言われた)。

●誰かくれませんか。空き瓶でいいので。

●誰かの結婚式までに欲しいんだよぉ(何に使う気か)。

●気楽に見せられるカード、コイン、カップ&ボール以外のマジックを知りたい。

 「マジックバタフライ(テンヨー)」かねぇ。スポンジボールはもう見せているし。

●こう考えるとカードマジックって偉大だねぇ。いくらでもやれるのあるもんな。

●コインが偉大に入らないのは俺が下手だからな。

●外堀も埋めたことだし、携帯ATMの練習するか。

 これってカードマジックに入りませんよね。





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意外

2018-09-28 11:10:44 | 日記
スリーカードモンテ (メガサイズ)


麦谷眞里氏の『60歳からのマジック入門』の「エースをとらえよ」に出てくるカードってDPのメガサイズの「3カードモンテ」じゃないんだんね。

●だって麦谷眞里氏の『介護に役立つリハビリ・マジック』に出てくる「プロダクション・マジック ブラック・アートを使った筒とハコ」に結構DPの商品を紹介していたんもん。

 DPをわりと活用されている方なんだなと思うじゃん。

●サロンでやるのにはいいな「スリーカードモンテ(メガサイズ)」。

●「携帯ATM(ポータブルATM)」(マジックランド)の外堀は埋めた。後は練習あるのみじゃが、病気がのう。

 意外っちゃあ意外。これくらいの元気、こないだまであったはずなのに。

●ま、外堀を埋める元気はあるし、何とかなるでしょ。

●さて、外堀の正体は何か。練習に成功したら書く。




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最近

2018-09-27 19:30:00 | 日記
●「国語屋稼業国語化計画」が進んでいますが、「注釈付自己推薦書の書き方」(タイトルを注釈方式にすればよかった)と「小論文の上達法(メモ活用)」は自信作。このあと、国語の記事はどうしましょうと思える記事だ(誰も褒めてくれないから自画自賛)。

●基本、病人なんで寝たきり状態である。そんな中でもマジックのリハビリを続けつつ、国語関係での企みも進行中だが、目途がついてきた。



●結婚式を誰かやらないかなぁ。

 不思議さはたりない(ゆうき様のコメント参照のこと)けど、派手なマジックをやりたい。

 いつもはクロースアップ(カードマジック)ばかりだから、ステージORサロンもしてみたい。

●あ。クロースアップだかサロンだか不明にやっているけど、忘れていた4本リングの手順を思い出してきた。やはり、なんだね、体が覚えているね。

●リセット(つーか「デリシャス」)と輪ゴムは思い出せないけど。

●そういえばビリーさんの4本リング手順の初レクチャーがあるそうですね。行きたかったなぁ。


●最近、驚いたこと。

 今のイギリスの1ペニーコインって小さいんだな。「本物の貨幣コレクションVol1」でおいちゃん、びっくりしたよ。

 まぁ、常識なんでしょうが。

●そんな最近の日常。そんな日常をうだうだ書いてみたので、記事も日記らしい日記になる。

 なっていますよね。



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小論文の上達法(メモ活用)

2018-09-27 11:50:03 | 国語
●小論文を書く時にいきなり書いている人は全体の構成がめちゃくちゃになったり、結論が付け足し程度になったりすることが多い。

●そこでメモを取るのだが、自由な発想でメモを取るというのもいきなりでは難しい。

●さらに課題文を読む時にもメモを取ることは有効である。

●そういうわけで課題文をメモすることと小論文を同時にやればよいのである。

●手順としてはこうなる。

 課題文を読む→メモを取る→メモから文章をつくる

●これをやると要約力は身につくわ、小論文のためのメモから文章を起こすときのコツはつかめるわでいいこと尽くめ。

●強いてアドバイスをするなら、自分でわかることだけをメモにしないで、わからないままにメモをとることかな。




練習
【課題文】(以前の記事も参照のこと)
(大澤真幸『不可能性の時代』より)

 リスク社会のリスクに関して直ちに見出しうる、表層的な特徴をはっきりさせておかねばばらない。リスク社会のリスクには二つの顕著な特徴がある。第一に、予想され、危惧されているリスクは、しばしば、極めて大きく、破滅的な結果をもたらす。たとえば、温室効果ガス(二酸化炭素等)の増大に代表される、自然生態系の破壊はリスクの典型だが、その結果は、場合によっては、人類のあるいは地球の生物全体の絶滅でさえありえる。あるいは、テロもまた、リスク社会のリスクだが、それがもたらす死傷者数や精神的なダメージがいかに大きなものであるかを、われわれはすでによく知っている。
 第二に、このようなリスクが生じうる確率は、一般に、非常に低いか、あるいは計算不能である。たとえば、地球の温暖化によってある島が完全に水没してしまう確率を、きちんと算定することはほとんど不可能である。あるいは、東京やロンドンのような先進国の大都市で無差別テロが起こりうることは分かっているが、その確率は、非常に低いと見積もらざるをえない。
 つまり、リスクがもたらす損害は、計り知れないほどに大きいが、実際にそれが起こる確率は、極めて小さい(と考えないわけにはいかない)。それゆえ、損害の予想(確率論でいうところの期待値)に関して、人は、互いに相殺しあうような分裂した感覚を持たざるをえない。










【メモ】
リスク社会のリスク
表層的な二つの特徴
・ 予想され、危惧されているリスクは、しばしば、極めて大きく、破滅的な結果をもたらす
    (例)自然生態系の破壊=人類のあるいは地球の生物全体の絶滅
       テロ=死傷者数や精神的なダメージ(大きい)
  ・ リスクが生じうる確率は、一般に、非常に低いか、あるいは計算不能である
   (例)地球の温暖化によってある島が完全に水没してしまう確率を、きちんと算定することはほとんど不可能
     東京やロンドンのような先進国の大都市で無差別テロ=確率は、非常に低い


リスクの損害=計り知れないほどに大きい+起こる確率は、極めて小さい
∴分裂した感覚を持つ








【メモから文章にしたもの】
 リスク社会のリスクには二つの特徴がある。まず、予想され、危惧されているリスクは極めて大きく破滅的な結果をもたらす。例えば自然の生態系の破壊は人類や地球の生物全体の絶滅をまねきかねないし、テロは死傷者に加え精神的なダメージが大きいものとなる。次にリスク社会のリスクは生じる可能性が非常に低いか、計算不能である。例えば地球の温暖化によってある島が水没してしまう確率を算定することは不可能だし、また、先進国の大都市で無差別テロが起きる可能性は極めて低い。
 つまり、リスク社会のリスクは計り知れないほど大きく、加えて、起こる確率は極めて小さいものになる。
 その結果、私たちは分裂した感覚をリスクに対して持つことになる。




  


※課題文と比べるとだいぶ君たちの書く文章っぽくなったのではなかろうか。




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