国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

若気の至り

2018-09-30 10:30:11 | 国語
●前の前の奉職先でデビューしたての頃書いた文章。

●第一回の授業で配布した小冊子の1,2ページ目に書いた。

●今読むと赤面しちゃうし、こんなに熱い時期もあったんだなぁとしみじみしちゃうし、まぁ、誰にでも若気の至りってあるでしょ。

●この文章のあとに続く解法じみたのものも以降、公開していく予定。


序  現代文を過激にやるぜ!

 のっけから、あやまるというのもなんだが、現代文を過激にやる、と聞いて、「おぉ!過激かぁ」と思った人には、申し訳ないと言っておこう。なぜなら、地味ぃなことを言うからだ。つまり、「現代文を過激にやるぜ」というのは、「基本に対して徹底的に忠実に行くぜ」ということを言いたいのである。では、何故に「過激」をつけるのかというとそれは「徹底的」ということを強調しておきたいからなのである。
 現代文という科目には特徴がある。それは「基本」しか出ないということである。というと、「嘘だぁ。京大とか早稲田とか難しいじゃん!」なんて言いたくなるだろうが、ちょっと待って、お兄さんの話をきいてごらん。
 まず、「基本」=「易しい」とは限らない。例えば人に迷惑をかけないなんていう人間の「基本」と言えることを実行するのは非常に難しいじゃないか。え、できて当たり前だって? 、んー、そういう人は自覚していないか、勘違いしているか、小生と同様に天使の生まれ変わりなんだろうな、きっと。
 次に現代文の難問というのは「基本」の組み合わせか、基本を間接的に表現したものなんだ。また、文章自体の難度が高いというだけのことだったりもする。まぁ、それは、おいおい実際に解きながら、諸君には実感していただこう。
 だから、「基本」に対して「徹底的」に「忠実」に行く。そのことを了解して欲しいのである。
 というわけでだ。この本には現代文の基本といえることを書きこんでいくことになる。その内容は講師である小生が説明していくが、注意して欲しいことがある。それは単なるテクニックやら、公式を書いていくつもりはないということである。
 ここで小生の話をしてしまったりするのだが、小生、高校二年生まで、ある程度だが、国語の出来る子で、偏差値は65程あって、国語なんて勉強するやつは馬鹿だよなどと思っていたもんだった。そう、何も勉強らしい勉強をしなかったのだ。ところが、ところがだ。なんと高三の春の模試で偏差値は35まで一気に下がったんだな、これが。なんの事はない馬鹿は俺だよ、というだけの話だ。その後、いろいろと独学で参考書を読んだり、読書をしたりしたのだが、偏差値は57までしか上がらない。で、冬に予備校に行って、感動したんだな。「これが現代文の講義かぁ」とね。何せ泣いたんだぜ。確かに小生、未だに純真だが、予備校の講義に泣くなんてなぁ。デブ、じゃない、ウブだったなぁ。
 でもね。泣くのは仕方なかったんだよ。その時、小生は「体」で現代文の解き方を実感したんだよ。それまで、独学でいろいろ壁にぶつかってたからこそ、その時の講義の意味と意義がわかったんだなと、振りかえってみると思ふ。でまぁ、その後、浪人して偏差値が79まであがることになるのだが、それはおいおい話すとして。
 ここで強調したいのは小生、「偏差値を上げる方法、下げる方法、維持する方法」を経験してきたということなんだな。その結論として、表面的なテクニックは役に立たないと判断したんだな。結局、「体」で理解してないと、読解という作業は無理なんだよ。口ではテクニックと言っている先生でも、それが身体化されてなければ意味がないのだ。だから、この本に書きこんでいくのは、「定石」とか、「コツ」というのが正しいと思う。単に暗記して使えるものじゃなくて、体で利用できるようになることを目標にしてほしい。(しかも、最終的には部分的にそれを無視していくんであるが、それは最終目標であり、後の話だ)
 だから、はじめは書きこんだことについて全部を利用できなくてもいい。いくつかを使いこなせる(=身体化する)ようにしていただきたい。そうして、地道にしかも過激に努力をしていけば、ある日、パズルがいきなり解けるように、あるいは、ある日突然逆上がりができるようになる瞬間が、現代文に対してもくるはずだ。(え、何?入試までに、その瞬間がこなかったらどうすんだ?だって。大丈夫だよ。お兄さんは「勝てる現代文」だけじゃなく、「負けない現代文」にも繋がるように講義をすすめていくからさ。合格最低点にはひっかかるようにはしてみせるよ。でも、今は負けないより勝つことに集中しようじゃないか)
 書きこみの方法は講義で教えますんで、その通りにやって欲しい。小生、諸君の合格のための計算はちゃんとしてあるから、安心してついてきて欲しい。さぁ、努力と情熱を武器に出撃するとしよう。

 最後に諸君へ。
 この国の変化が始まるにあたって(でなくてもかまわないんだが)、「伝説」となる講義を共に作ろう。講師××も全力で講義していきたいと思う。諸君も全力で受講して欲しい。諸君は、今、戦う必要はないのかもしれない。だけど、戦える力をつけておくのは大切なことだ、と小生は考える。そして、「言葉」は諸君の戦える力に必要なアイテムになると考えている。(「言葉」に関しては講義を通じて伝えていくだろう)

 いつの日か、今日のこの日を振り返って、「すべては、ここから始まったのだ」と一緒に言おうじゃないか。





●熱いなぁ。

●当時はSLGのBegning of Legend(確かロンメル将軍のゲーム)にこっていたんじゃないかな。最後の部分がその影響っぽい。

●橋爪大二郎によると社会(間身体性)は「貨幣」「権力」「言語」しかないそうだ。

 権力と貨幣は受験生にどうしようとできなくても「言語」だけはプレゼントしたいと考えていたんだね、当時は。いや、そこだけは今も変わらないかもしれない。




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 月餅とブログとマジックと | トップ | 外堀 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

国語」カテゴリの最新記事