国語屋稼業の戯言

国語の記事、多数あり。国語屋を営むこと三〇余年。趣味記事(手品)多し。

中高生のための内田樹(さま) その7

2018-09-08 10:10:00 | 中高生のための内田樹(さま)
暴力の再確認と言語論入門です。

後に言語論3大重要語を付録につけています。


 

 
 私たちはソラとかアオイとかのオトを、熟慮の上で、美しいからと言って選んだのではない。まだもの心つかぬうちに、無理やり、社会の暴力によっておぼえさせられたにすぎない。暴力というのは決して誇張ではない。選択の余地がなく、それを受け入れないと生存もむつかしいからだ。こういう個人がただただ受け入れるしかない社会のシステムを、ソシュールは「社会的事実」と呼び、言語は社会的事実の中でも最も強力な圧力を及ぼすものだと述べたのである。社会的事実――つまり、その社会を成り立たせている個々人の意志をこえて、その上に君臨するシステムである。

※ 「暴力」が本人の意思と無関係に働く力の例。





言語論三大重要語

記号

言葉は記号であり、記号を使って何かを表している。その記号の使用には規則=コードがあり、コードが違えば、似ているものでも、その示す内容が異なる場合がある。例えば、日本語のコードで「あし」(記号表現=シニフィアン)と言ったとしても、「足(Foot)」「脚(Leg)」なのか中国や英語圏のコードを使用している人にはわかりにくい(記号内容=シニフィエを捉えにくい)ということになる。ちなみに表す記号は恣意的に(勝手に)決まっている。必然性はない


分節化

ぐちゃぐちゃした=混沌とした世界を認識するために人間は言葉によって世界を「分」ける。そうすることによって世界を区別し、秩序を作るのである。しかし、全員にとって同じように分けることができないので、同じ言語を使っていても、意味が完全に同じとは限らない。また、現実に存在するという具体的な世界を分節するのだから、言葉はどうしても抽象的なものになる。そうしなければ無限に言葉ができてしまうからである。これを常識として、固有名詞などが論じられている。子供が言う「おかあさん」は特定の一人しかささない。だとすると、固有名詞と一般名詞の区別は明確にあるのだろうかという具合。


レトリック

文章などを修辞する技法のことだが、現代文では、単なる言葉の飾りではなくて、新しい認識を与える知覚として評価されることがある。なぜなら、日常と違う視点がなければレトリックは使用できないからである。そして、レトリックを使うことは想像力と創造力を使うことになり、他者の立場への理解へも通じることになる。例えば「壁が彼の顔面にキスをした」というレトリックだと「彼が」の立場でなく、「壁が」という日常と違う視点になり、そこには想像力と創造力が必要である。その二つの力を持っていれば、他者の立場を想像し、そこから他者との関係を創造できるということになる。

参考 抽象・・・物事の共通した性質をまとめたもの
   具体・・・実体のある事実に基づくもの
  (抽象と具体はレベルによって差が生じるので注意。犬が具体として使われるか、抽象として使われるかは文脈で判断する。ポチ、マサル、ハチなどをまとめているなら犬は抽象。哺乳類の例ならば具体。)
 



※この文は内田樹氏のものではないかしれません。その場合、引用ということで勘弁してください。




コメント
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