内的自己対話-川の畔のささめごと

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未完の関係の様態の動的なシステムの原理 ― ジルベール・シモンドンを読む(7)

2016-02-22 19:28:13 | 哲学

 これまで見てきたところからもわかるように、シモンドン固有の語彙と既存の語彙についての先例のないシモンドン固有の用語法とは、その哲学を難解なものにしている。
 この難解さをさらに面倒なものにしているのが、他の思想家たちが使用している語に、ある点において、それと対立する意味をシモンドンが与えていることである。そして、まさにそのことがシモンドン哲学の中心的テーゼに関わっているだけに、そこで読み違えると、シモンドンをまったく誤解してしまうことになる。実際、その哲学の重要性が本格的に認識され、理解され始めたのはその没後だと言ってよい。
 すでに繰り返し述べてきたように、シモンドンにおける 「個体化」(« individuation »)とは、「生成」(« genèse »)一般に他ならない。つまり、「個体化」は、個々の存在物がそれ固有の特性によって他の存在物から区別される差異化の過程を意味する「個別化」(« individualisation »)とは厳密に区別されなくてはならない。
 ところが、厄介なことに、 « individuation » をこの後者の意味で使っているケースがある。例えば、 カール・グスタフ・ユングの場合がそうである。ユングにおいて、« individuation » は、シモンドンにおけるように「生成」を意味するのではなく、「汝がそれであるところのものになる」ということを意味する。つまり、それは、自己の底に潜む心理的・実存的特異性へと迫るプロセスのことである。
 さらに厄介なのは、シモンドンは、ユングにおける « individuation » の意味で « individualisation » という語を使っているわけでもないことである。
西洋哲学史の中でも、例えば、トマス・アクィナス、ドゥンス・スコトゥス、ライプニッツにおいても、 « individuation » は、個体差異化の原理として、つまり « individualisation » のことに他ならなかった。
 ところが、シモンドンにおいては、 « individualisation » は « individuation » を前提とし、後者なしに前者はありえず、前者を後者から切り離すことはできないと考えられている。つまり、個別的な個体の成立は、生成過程を前提とし、つねに生成の相の下にしか存立し得ない、ということである。
 このことを説明するのにシモンドンが好んで挙げる具体例が結晶(化)である。その説明を簡単にまとめると以下のようになる(詳しくは、L’individuation à la lumière des notions de forme et d’information, Jérôme Millon, 2005, op. cit., p. 85-92を参照)。
 生成された結晶の性質は、厳密にはその結晶の属性ではない。それは、その生成がそこで成立した非結晶質な環境と生成された結晶との、いわば「境界の属性」(« propriétés de limite »)である。言い換えれば、通常結晶の属性と呼ばれているものは、厳密には、結晶とその生成環境との間の関係の諸様態だということである。そして、この諸様態は、常に生成過程にあり、最終決定的にある個体に与えられた「属性」になることはなく、ましてや結晶化以前に環境に潜んでいた潜在的属性の顕現ではありえない。
 この未完の関係の様態の動的なシステムの原理が « individuation » である。



















































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