語られた歴史によっては到達不可能な黙せる過去への哀切なる追想が文学的創造の根本動機の一つなのだと思う。
万葉の時代の宮廷歌人たちの使命は、その追想に詩的表現を与え、一つの共同体内でその追想を共有させ、永続させることにあったと言えると思う。
近江の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしへ思ほゆ (III-266)
『万葉集』を代表する名歌の一首であるこの柿本人麻呂の歌を読むとき、私たちは詩歌の生誕の現場そのものに立ち会うという幸福を恵まれている。
かつてわずか数年の間とはいえ大陸風の華やかさを謳歌したであろう近江朝廷は、今はもう跡形もない。「夕浪千鳥」という『万葉集』中屈指の美しさを湛える詩語によって一挙に形象化された夕暮れの湖上にその千鳥たちの鳴き声を聞くとき、抑えがたく、心が撓み萎えるように、古のことが痛切に偲ばれてならない。
千年の時を超えて、同様な心情の内的共鳴を芭蕉の『おくのほそ道』の中の著名な名句のうちにも聴くことができる。
夏草や兵どもが夢の跡