内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

新しい社会存在の哲学の構築のために ― 西田がラヴェッソンの習慣論に見出した可能性

2013-09-16 01:20:00 | 哲学

 今日(15日日曜日)は、昨日とは打って変わって朝から快晴(午後からは曇りがち)。朝の気温は13度前後と低めだが、体を温めるための速歩にはちょうどよいくらい。日曜日市営プールは午前8時から。その5分前に門前に着いたが、いつもと違って待っている人が誰もいない。開門直前まで、待っていたのは私1人。また職員の抜き打ちストライキかと嫌な予感がしたが、ちゃんと予定通り開門。その時点で入場者は私の他には品の良い話し好きの老紳士が1人だけ。こんなことめったにない。どうしたのだろう、他の常連たちは? 昨日今日とフランス全土で毎年9月第2土曜・日曜に実施される文化遺産公開日だからだろうか。この2日間、普段は一般公開していない歴史的建造物などを無料で見学できる。国民議会の議事堂であるブルボン宮殿など、パリでもとりわけ有名なところは長蛇の列ができているのを見たことがある。ちなみに私はどこも見学したことがない(正直、あまり関心がない。見て、だからどうなのよ、って感じ)。それはともかく、プールで最初の30分間1コース独占。昨日以上のハイペースで泳ぐことができた(Vive la France, la République, la liberté !)。今日はクロール1100m、背泳ぎ1050m、平泳ぎ50m(C’est un peu comme une petite pause.)。
 プールに行く前、午前5時に起床して(alors même que l’on est dimanche)、小林論文の仏訳を進める。しかし、昨日も書いたが、西田の引用の訳に難儀する。朝起き抜けにやる仕事ではないですよね(といって、いつやるの?)。一文一文が複雑なのではない。それはむしろ単純な方だ。それに、もうこれまでに10年以上西田のテキストを仏訳してきているから、彼の文体には慣れてもいる。それにしてもである。フランス語では一般に、学術論文ではことのほか、前後の文のつながりを明確にする表現を各文に織り込んでいかないと文章にならない。ところが西田の文章にはそれがない。西田の文章は、飛ぶ、翻る、衝突する、そして突然、舞台が変わる(Au secours !)。かといって、こっちで親切心から繋ぎの要素を補ってしまうと、もうそれは「西田的」でなくなってしまう。そこで仕方なしに、できるだけ原文に「忠実に」ということになるのだが、できた仏訳を見ると、「これフランス語じゃないよなあ」と溜息が出る。これを読んでフランス人哲学研究者が本気で関心持ってくれるだろうかという疑念が兆すのをどうしようもない(去年の10月、今回のシンポジウムが開かれるユルム通りの高等師範学校(École normale supérieure Ulm)で、ジョスラン・ブノワと彼のフッサール・アルヒーフの研究室から一緒に参加した日独仏WEBシンポジウムでは、西田の哲学的方法論についての私の発表を聴いて、ブノワさんが「自分の問題意識とも重なるところがある」と西田哲学に関心を示してくれたけれど…)。しかもですね、引用している当の小林さん自身が(つまり西田哲学研究の現在の第1人者がですよ)、「この引用の解釈は大変難しい」と保証してくれている(Dieu merci !)。気持ちとしては西田に向かって「先生、あんまり無茶言わんといてください。訳す方の身にもなっておくれやす」と懇願したくもなります。だって「これは矛盾しておる。しかし、矛盾のままに統一されなくてはならんのだ」と仰っておられるのですから、「殿、何をご無体な。殺生でござりまするぅ」と叫びたくもなります(Arrête, ça suffit ! ― Bon, je m’arrête...)。
 さて、昨日の記事で予告したように、ベルクソン国際シンポジウムでの発表要旨の和訳を以下に掲載いたします。


新しい社会存在の哲学の構築のために
― 西田においてベルクソン解釈を超えたところで再評価されたラヴェッソンの習慣論 ―


『物質と記憶』の著者から離れるところで、西田は『習慣論』の著者に近づく。〈種〉の概念は、集団的社会生活をもその裡に含んだ生命の哲学の形成のために不可欠だが、〈個物〉と〈一般者〉を、そして〈個物〉と〈個物〉とを対立させることを基軸とするそれまでの西田哲学の構成の中では、欠落した構成要素であり、それをその構成の中に取り込むことは理論的に容易ではなかった。しかし、最晩年、西田はラヴェッソンにおける〈習慣〉概念の中にこの厄介な理論的困難を乗り越えるための有望な解決策を見出していた。この概念は、歴史的実在の世界の構成要素、しかし可塑性をもち実体的ではない構成要素としての〈種〉の論理を構想することを可能にする装置として西田によって再発見されたのである。この試みは、しかし残念なことに、宗教の問題を扱う西田最後の論文執筆のために中断され、その死によって結局未完のまま遺されたが、それでもなお私たちに新しい社会存在の哲学の構想について考えさせる。この哲学の構築には、ラヴェッソンが切り開き、西田がその理論的可能性を捉えたパースペクティヴの中で、西田がその哲学者としての生涯にわたって注意深い読み手であったベルクソンが、そして京都学派での西田の後継者、というよりもむしろその共同創設者というべき田辺元が、新たに大きな貢献をもたらすことであろう。


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