内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

罪浅からぬ哲学講義

2022-11-09 23:59:59 | 講義の余白から

 修士の演習で中井正一の『美学入門』を読んでいると以前このブログにも書いたことがあるが、実のところ、教室で本文を読んだのは最初の一回だけで、あとはテキストから何を問題として取り出すことができるか、どのようなテーマを発展させられるか、という話が中心で、学生たちにもその線に沿って発表してもらっていた。そして、万聖節前の演習と今日の演習では、私自身が中井のテキストに刺激されてどんなことを考えたか話した。前回は、『陰影の現象学』と題して、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』とメルロ=ポンティの『眼と精神』を交叉させることで開かれてくる現象学的美学の話をした。今日は、シモンドンの技術の哲学と個体化の哲学とに依拠しつつ、自然の技術性と技術の本性についてのシモンドンの考えを紹介した。予定ではそこからさらにどのような美学思想が引き出せるかまで話すつもりだったのだが、話しているうちに浮かんできた考えに話が何度も逸れてしまったので、美学思想については来週に回した。テキストを読んでいるときもそうなのだが、シモンドンは私の思考をよく刺激してくれて、いろいろとアイデアが浮かんできてしまうのである。学生たちにはいい迷惑に違いない。なんで日本学科の演習で哲学の講義を受けなくてはならないのかと内心不満に思っているであろう。残念ながら、三木清の技術の哲学と構想力の論理について話し終えるまでは哲学講義が続くのである。あと三回は必要だ。彼らにとっては生き地獄であろう。しかし、安心したまえ。この罪浅からぬ哲学講義ゆえに最終的に地獄に落ちるのは私の方であろうから。