内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

補助器具をつけた神としての人間 ― フロイト『文化の中の居心地の悪さ』より

2021-12-26 08:31:02 | 読游摘録

 Das Unbehagen in der Kultur が出版されたのは1930年、その四年後の1934年には最初の仏訳が Revue française de PsychanalyseMalaise dans la civilisation というタイトルで発表されている。原書初版出版からちょうど80年後の2010年に、三つの新しい仏訳 Le malaise dans la civilisation, Éditions du Seuil, coll. « Points Essais », Malaise dans la civilisation, Éditions Payot & Rivages, coll. « Petite Biblio Payot Classiques », Le malaise dans la culture, GF-Flammarion が出版されている。同じ年に同じ原書の新訳が三つも出版されるというのは、あまり例のないことだと思う。それだけフランス読書界での本書に対する関心が高いということであろう。現代社会で私たちが感じている居心地の悪さについて考えるとき、本書の「悲観的な」文化・文明観が一つの重要な手掛かりを与えてくれるからでもあろう。
 しかし、タイトルの翻訳からして、独仏の文化・文明観には共約困難なものがあることを読み取ることができる。それに、フロイト自身が Kultur と Zivilisation について、十九世紀ドイツの知識人たちに広く共有されていた前者を優位に置く文化・文明観に対して批判的で、本書では、前者をほぼ中立的に用い、後者は一切使っていないということも忘れるわけにはいかない。
 フランスでは、十九世紀から civilisation に普遍的価値を見いだす思想(例えば、福沢諭吉も参照した François Guizot の Histoire générale de la civilisation en Europe, 1838)が普及する。そこでは、civilisation という概念はそのうちに「市民」(citoyen)を含み、進歩の観念と分かちがたく結びついている。したがって、Kultur を civilisation と訳すことには大いに問題がある。この点に自覚的なのは上掲三つの仏訳のうち、GF-Flammarion 版だけである。
 フロイトによれば、神々はその文化の理想を表現したものであり、1930年当時、人間はその理想の一部を自らの手で実現しつつある。かくして、人間は、言ってみれば、一種の「補助器具をつけた神」となった。その補助器官をまとえば、人間は確かに素晴らしいものになる。しかし、それらの器官は、人間とともに成長したわけではなく、人間にあれこれ厄介事を引き起こしもする。
 それら補助器官、未来において目覚ましく進歩するだろう。そして、人間はそれだけ神に近づくであろう。しかし、神に似ることで人間はそれだけ幸福だと感じているわけではないことを忘れてはならないとフロイトは言う。
 第一次世界大戦後のヨーロッパ社会の混乱や反ユダヤ主義の席捲、優秀な弟子たちの離反、自らの癌疾患など、フロイトを悲観主義に傾かせる要素はいくつもあった。しかし、今それらの要素は措いて、私たちが現に置かれている世界の状況の中でテキストそのものを虚心に読むとき、フロイトはあまりにも悲観主義的だとは私には言えない。