内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

中世的自然観と漱石の『草枕』― 伝統からの離脱としての「俳句的小説」

2014-10-07 19:55:56 | 講義の余白から

 今朝は午前五時に起床して、まずは午後の修士の演習の準備の仕上げ。それが済み、大学に持っていく文献等をすべて鞄に詰めてから、プールに出かける。思っていたよりも出るのが遅くなって、これでは一時間も泳げない。玄関を出たところで雨が降り始めたが、大した降りではないし、外気はむしろ生暖かい。プールはコースに三人ずつくらい。まあまあ快適に泳げそう。泳ぎ出すと、雨足が強くなった。体に当たる雨を感じながらの雨中の水泳。
 演習では西行を中心に話す。特に西行の歌に詠まれている月の有する多元的な意味に注意を促しながら、代表的な数首を丁寧に語釈しながら読み、その作歌の思想的背景にまで説き及ぶ。
 この演習の基礎テキストとした家永三郎の『日本思想史における宗教的自然観の展開』の方はと言えば、最初の十数頁しか読めていないが、その中に出てくる鍵概念を説明するために、様々な文献を参照しつつ、それぞれの概念を巡る問題の射程と広がりを示していこうとすると、どうしてもそうなってしまう。
 同書には、中世に生まれた「自然を排悶散鬱の場所とたのむ人生観」が近代文学にまで連綿と続いている例として、漱石の『草枕』が挙げられ、同作品からのかなり長い引用もあるのだが(『家永三郎集』第一巻八七頁)、ここは私が家永に賛成いたしかねるところなので、その理由を詳しく説明するために、『草枕』における漱石の文学的課題が何であったかについて話す。
 そのために、漱石が同作を発表した明治三九(一九〇六)年に『文章世界』に掲載された漱石の談話「余が『草枕』」を引用する。この談話で漱石は記者の求めに応じて、同作の創作意図について説明している。わずか四頁ほどの談話記録なのだが、その終わりの方で漱石は次のように言っている。

分りやすい例を取っていえば、在来の小説は川柳的である。穿ちを主としている。が、この外に美を生命とする俳句的小説もあってよいと思う。[中略]でもし、この俳句的小説 ―― 名前は変であるが ―― が成り立つとすれば、文学界に新しい境域を拓く訳である。この種の小説はまだ西洋にもないようだ。日本には無論ない。それが日本に出来るとすれば、先ず、小説界における新しい運動が、日本から起ったといえるのだ(磯田光一編『漱石文芸論集』岩波文庫、二八五頁)。

 ここでの漱石の文学的自己主張の文学史的観点からの当否は措くとして、少なくとも漱石自身は、新しいタイプの文学を創造しようという意図を持っていたと言うことができる。それを「俳句的小説」という自身の造語によって端的に示そうとしているのである。
 したがって、『草枕』に中世以来の伝統的自然観を読み取るのは二重の意味で無理があるというのが私の見解である。一つには、漱石は同作品で日本的伝統からの離脱をむしろ試みていたからであり、一つには、和歌に詠まれた自然詠にむしろ対立的なものとして「俳句的な」作品を創造しようとしていたからである。