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コジキジゲン

フンダくるサギは今昔、オカワリナシ・・・

2013-06-22 23:06:52 | 古事記字源
 訪ねて来るのは白黒の「たま?」と、トラ縞の「マイケル?」、ヨモギの「ヨモ」。恰幅もいいし、毛並みもいい・・・「タマ」と「マイケル」、「ヨモ」はボクが勝手にそう呼んでいるのだが・・・いずれも「雄猫」で近所の飼い猫らしい・・・
 猫の世界に「国家」も「国境」も無いとは思うが、守るべき「テリトリイー=縄張り」があると考えているらしいのは、「ブブ」である。この辺では「新サン者」のボクとボクの家族で、はるばる名古屋くんだりからこの地にやってきて住み着いている黒猫の母猫「もも」と、その息子の「ブブ」のコトである。この辺りの「猫たちのルール」は自由勝手に闊歩、「猫同士」も仲良しこよしで、出会いの挨拶もするし、時たま「猫の集会」も見かけるのだが・・・きっと、ご近所付き合いでの家の中への訪問滞在も自由なのに違いない。
 だが、「ブブ」には「家」を守る義務意識があるらしく、ボクと「もも」、「ブブ」の私有地である庭と、家の中に御近所の「猫タチ」が勝手に侵入してくるのを許さない・・・だが、相手は頻繁に、入れ替わり立ち代り、日にち、時間をたがえて波状的にやってくる。しかも「実力」では体格のいい「侵入者」には及ばない・・・のが「ブブ」である。侵入者がやってくるとモモは二階の隅に逃げ、「ブブ」が猫専用通路の出入り口で睨み合い、唸り合い、そして、取っ組み合いの決闘がはじまる。当然にもボクは公平な第三者の立場に立つワケにはいかない。「ブブ」の家族であるからして、「ブブ」に加勢するタメに出て行って加担するのだ。侵入者はボクの登場とその威嚇で逃げだす。加勢を得て「ブブ」が逃げる相手を追う・・・
 「猫好き」といっても「家族の猫」を、で、ある。「平和的」に、と言っても、「もも」も「ブブ」も極端に人間に人見知りで、同類の猫族の侵入者に対して更に嫌いなのだ。ボクもイイ顔をしてはいられない。「ブブ」の頭や頸、それに脚の毛も、侵入者の牙や爪で引っ掛けられ、抜け、生傷も絶えない・・・この小さな町には「獣医病院」は存在しないし・・・致命的な大怪我でもされたらタイヘンである・・・好きなのは「家族であるネコ」である・・・
 喧嘩には首輪を着けている「ブブ」には不利のようである・・・
 「ブブ」にはガールフレンドになってくれる相手はいない様である。
 時たま道端で「侵入者」に出会うのだが、相手は物怖じもせず一瞥を投げかけて歩いていく・・・なるほど、余裕があって格が違うようである・・・が、ボクも「ブブ」も、その「テリトリー」を侵入者に「解放」するワケにはいかない・・・

 それでも、執拗にやってくる・・・「ブブ」もタイヘンである・・・「棲息」するって、何処にいても、それなりに現実は厳しい・・・

 ・・・「詐欺事件」ですか・・・「アイ」がナインだろうなッ、「教授」・・・「国家」が「原発」を詐欺まがいのセールスしているんだから・・・いや、相手もシタタカに欠陥商品として「リコール」でフンダクル算段なのかも。それ以前に「契約違約金」をフンダクルつもり、カモ・・・ 

ーーーー

 枕草子

 (六一段)・・・六拾壱・六十一・六壱・陸足壱

         6+1=7=七=漆

         6×1=6=六=陸

 よろづ

 よりは、

 牛飼

 童の

 なり

 あしくて

 もたる

 こそ

 あれ。

 他

 物

 どもは、

 されど

 後に

 たちて

 こそ

 行け、

 先に

 つと

 まもられ

 行く

 もの、

 穢げ

 なるは

 心憂し。

 車の

 しりに

 殊なる

 こと

 なき

 男

 どもの

 つれ

 だち

 たる、

 いと

 見ぐるし。

 ほそら

 かなる

 男

 隨身

 など

 見えぬ

 べきが、

 黒き

 袴の

 末

 濃なる、

 狩衣は

 何も

 うち

 なれば

 みたる、

 走る

 車の

 かた

 などに、

 のど

 やかにて

 うち

 添ひ

 たる

 こそ、

 わが

 物とは

 見えね。

 なほ

 大かた

 樣子

 あしくて、

 人

 使ふは

 わろかりき。

 破れなど

 時々

 うちし

 たれど、

 馴れ

 ばみて

 罪

 なきは

 さるかた

 なりや。

 つかひ

 人などは

 ありて、

 わらはべの

 穢げ

 なる

 こそは、

 あるまじく

 見ゆれ。

 家に

 ゐたる

 人も、

 そこに

 ある

 人とて、

 使に

 ても、

 客人

 などの

 往き

 たる

 にも、

 をかしき

 童の

 數多

 見ゆるは

 いと

 をかし。

ーーーーー

 をかしき、童の、數多、見ゆるは、いと、をかし

 可変史記、同之、趨多、視喩留葉、意図、犯可示

     ワラベノ   ミユルハ イト ヲカシ

     話等部之   未諭流者 伊都 嗚掛詞

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慶長年間→傾聴→計帳→軽重

2013-06-21 23:56:42 | 古事記字源
 「コジキ字源」を再考だなんて、「枕草子」を下敷きにしてきたが、モウ、イイ加減にしたら、と、思うが・・・随分と「段」がある・・・・「323段+奥書」・・・今現在「60段」だから残り「263段」+「奥書」・・・「能因」・・・とは、ねッ・・・
ーーー

 「枕草紙」・「枕冊子」・「枕双紙」・・・現存最古の写本「前田本の蒔絵の箱」には「清少納言枕草子」・・・「清少納言記」、「清少納言抄」・・・

ーーー

 写本

 三条西家(旧蔵本)

 富岡家(旧蔵本)

 高野辰之氏(旧蔵本)

 木活字本

 慶長年間刊(十行)本

 慶長・元和年間刊(十二行)本

 寛永年間刊(十三行)本

 慶安二年(1649年)刊(整版)本

ーー↓慶長年間

 安土桃山時代~江戸時代

 1596年~1615年

 後陽成天皇

 後水尾天皇の代

 前元号は

 文禄

 次元号は

 元和(げんな)

 1596年(文禄五)10月27日改元

 「毛詩注疏(もうしちゅうそ)」出典

 将軍は

 徳川家康

 徳川秀忠(二代)

 1597年(慶長二)

 慶長の役(豊臣秀吉の第二次朝鮮出兵)

 1600年(慶長五)

 関ヶ原の戦い

 1603年(慶長八)

 家康が江戸幕府を開府

 1605年(慶長10)

 徳川秀忠が第二代将軍に就任

 1615年(元和一)

 大坂夏の陣で大坂城落城、豊臣氏滅亡

ーー↓慶長・源氏物語

 慶長年間初期の刊行の版本

 「慶長古活字版(源氏物語)」

 一面十行で構成

 「十行古活字本(源氏物語)」とも

 刊記も跋文も無い

 他の古活字本源氏物語と同じく

 注釈や挿絵などを含まず

 源氏物語の本文のみ

 「素源氏」と呼ばれる

ーー↓慶長年表

 元年

 12月17日 豊臣秀吉の子の

       「拾」が元服(後の豊臣秀頼)

 12月19日 二十六聖人殉教事件

 二年

 1月14日  慶長の役

 3月1日   浅間山噴火

 三年

 4月8日   浅間山噴火

 8月18日  豊臣秀吉死去

 四年

 閏3月3日  勅版の

       「日本書紀・神代巻」刊行

 9月28日  徳川家康、大坂城西の丸に入る

 五年

 3月16日  オランダ船リーフデ号、

        豊後に漂着・ウイリア・ムアダムス

 6月16日  徳川家康、

        豊臣家大老として

        会津征伐決行

        遠征軍を自ら率いて大坂城進発

 8月1日   伏見城の戦い

        宇喜多秀家を総大将とする

        西軍により伏見城陥落

        守将

        鳥居元忠以下1800将兵戦死

 9月15日  関ヶ原の戦い

 六年

 1月     徳川家康、東海道に

        伝馬制を定める

 5月     大黒常是を長として

        京都伏見に銀座を開設

 7月     慶長丁銀の発行

 8月16日  徳川家康、

        上杉景勝を米沢へ転封

        不詳月日

        慶長小判の発行

        慶長の幣制の始まり

 七年

 12月4日  再建中の方広寺大仏殿焼失

 八年

 2月12日  徳川家康、征夷大将軍

        江戸幕府を開府

 4月22日  豊臣秀頼が内大臣

        日本橋ができる

 九年

 12月16日 慶長の大地震

        犬吠崎から九州まで

        太平洋沿岸で津波被害

      冬、畿内で痘瘡・麻疹が流行

 十年

 4月16日  徳川秀忠

        江戸幕府二代将軍に就任

 9月15日  八丈島噴火

 11月    浅間山噴火

 十一年

 9月23日  江戸城本丸完成

 十二年

 閏4月26日 徳川義直

        清洲城主になる

 12月22日 駿府城全焼

 十四年

 4月5日   琉球の尚寧王

        首里城を開城

        薩摩藩に降伏(島津侵入事件)

 5月     己酉約条調印

 8月22日  平戸にオランダ商館が出来る

 十六年

 3月27日  後陽成天皇が

        政仁親王(後水尾天皇)に譲位

 8月21日  会津地震発生、若松城半壊

 10月28日 慶長三陸地震

        三陸地方で大地震・大津波発生

        北海道南東岸にまで及ぶ

 十八年

 9月15日  遣欧使節

        支倉常長一行出発

 十九年

 1月19日  大久保忠隣が改易される

 7月26日  方広寺鐘銘事件

 10月25日 大地震

        高田領大地震

 11月15日 大坂冬の陣

 二十年

 4月26日  大坂夏の陣はじまる

 5月8日   大坂城が落城

        豊臣氏滅亡(元和偃武)

 閏6月13日 一国一城令

 7月7日   武家諸法度制定

 7月13日  元和に改元

ー↓「慶長」←酒名の銘柄

 「平和酒造」の酒名

 延享元年(1744)創業

 酒蔵所在地

 京都市

 伏見区東組町



「和久井酒造」の酒名

 万延元年(1860)創業

 平成20年(2008)廃業

 酒蔵所在地

 埼玉県

 秩父市

 上吉田

ーーーーー↓

 枕草子

 (六〇段)・・・六拾段・六十段・陸足段

         6+0=6=六=陸

         6×0=0=零

 わかき

 人と

 兒は

 肥え

 たる

 よし。

 受領

 など

 おとな

 だち

 たる

 人は、

 太き

 よし。

 あまり

 痩せ

 から

 め

 き

 たるは、

 心

 いられ

 たらんと

 推し

 量らる。

ーーーーー

 ・・・いと、おかし・・・アマリ、ヤセ、絡め、記・・・

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蹴鞠は「大化の改新」の陰謀の始まり

2013-06-20 21:36:34 | 古事記字源
 ・・・「3・サブライ、ジャパンVS伊太利亜・4」・・・審判、「ハンド」はナイだろうッ、誤審・・・マケは「ヲ負け」か・・・蹴鞠、蹴球、週休・週給、周球・・・修旧・・・嗅覚・・・宮角十二区分(十五度)・・・子(シ・鼠=ソ)・丑(チュウ・牛=ゴ・ギュウ)・寅(イン・虎=コ)・卯(ボウ・兎=ト)・辰(シン・龍=リュウ)・巳(シ・蛇=ダ)・午(ゴ・馬=マ・バ)・未(ミ・ビ・羊=ヨウ)・申(シン・猿=エン)・酉(ユウ・鳥=チョウ)・戌(ジュツ・犬=ケン・狗=グ)・亥(ガイ・猪=チョ)・・・「シチュウインボウシンシゴビシンユウジュツガイ」=「史中(史註・支柱・詞註・示注)音望審詞語備真有述外」=「死中(市中・詩中・士忠)陰謀新史語備憂述害」・・・「ソゴコトリュウダマヨウエンチョウケンチョ」=「齟齬糊塗留拿万葉延長顕著」=「祖語言流拿真葉縁調愚著」・・・「語り部」は「もの述べ」・・・おきなわ、琉球・・・球磨・・・ 
ーーーーー

 枕草子

 (五九段)・・・五拾九段・五十九段・伍足玖段

         5+9=14=十四=壱拾四=壱足肆

         5×9=45=四十五=四拾五=肆足伍

 わかく・・・和歌句(矩)

 て・・・・・出(弟・乙・音)・弖・氐

 よろ・・・・与賂

 しき・・・・詞記・史記・子規・始期

 男の、・・・音故之

 下衆・・・・解修

 (げ・・・・下・外・夏・気・毛・ゲ

  す)・・・素・諏・州・主・須・数・守・栖・酢

 女の・・・・音名之

 名を・・・・名嗚

 いひ・・・・意比

 なれて・・・名例出

 呼び・・・・予備・預尾・与尾・誉備

 たる・・・・他留・多留(流)

 こそ、・・・故蘇

 いと・・・・意図・異賭

 にく・・・・似句

 けれ。・・・懸例

 知り・・・・後・支離・私利・尻・詞理・史理

 なが・・・・名臥

 らも、・・・等模・羅摸

 何・・・・・名爾・名似・拿爾・納爾

 とかや、・・賭掛埜(也・耶・椰・夜・谷・哉)

 かた・・・・過多・加太・形・片・方・肩・潟

 もじは・・・文字葉

 覺え・・・・嗚模重

 で・・・・・出

 いふは・・・移付葉・委付葉・異付葉

       異父葉・畏怖葉・意付葉

 をかし。・・可笑詞(史)・可変史(詞)

 宮・・・・・球・旧・給・級

 仕・・・・・爾・字・事・時・地・辞・似

 所の・・・・賭拠賂之

 局・・・・・通補(模・摸・母)音

       「壺・壷」音・坪値

 (つ・・・・都

  ぼ・・・・母

  ね)・・・音

 などに・・・等爾

 よりて、・・撚り・選り・拠り・因り・縁り

 夜・・・・・与・預・代・世・誉・輿・余

 などぞ、・・等措(蘇・素・祖・鼠)

 さ・・・・・作・差・佐・鎖

 おぼめ・・・於簿目

 かんは・・・巻葉・漢葉・諌葉・官頗

 惡し・・・・あし・足・芦・葦・蘆・肢・脚

       亜詞・亜史・蛙史・鴉示

 かり・・・・仮・借り・掛理

 ぬべ・・・・奴部・塗部・濡辺

 けれど、・・懸例土(度・努)

 主殿司、・・主伝示

 さらぬ・・・佐等奴

 處・・・・・書・諸・初

 にては、・・似出葉

 侍、・・・・はべる→葉部留

 藏人・・・・くらんど→句覧(蘭・乱・藍)度

 所に・・・・序・叙・助・如・鋤・汝・女

 ある・・・・亜留・蛙留・鴉留・阿留

 ものを・・・者(は・もの・シャ)緒

         葉 摸之 写

 率て・・・・ひきいて

      「引・牽・曳・挽・弾・惹・退」

       記意出

 行きて・・・行記出

 よばせ・・・与葉施

 よかし、・・代掛詞(史・示)

 てづ・・・・氐(氏の一)事=蘇我氏

       弖(弓の一)頭=物部氏

 からは・・・唐葉・漢葉・韓葉

 聲も・・・・殸(こえ・ケイ・セイ)+耳

       声+殳(ほこ・シュ・ズ)+耳

 しるき・・・示留記

 に。・・・・爾・似・弐・二・荷・邇・丹

 はした・・・葉示多

 もの、・・・模之

 わら・・・・話等・倭羅・輪羅

 はべ・・・・葉部・葉辺

 など・・・・等

      「名・納・拿・那・菜・奈」度

 は・・・・・葉

 されど・・・作例努

 よし・・・・「善・良・好・四・余」詞

       代示(詞・シのスベテ)

ーーーーー

 ・・・いと、オモシロシ、コツジキの材料なりカナ・・・

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揚げ足取り

2013-06-19 23:20:46 | 古事記字源
 映画なみ・・・「女性検察事務官」・・・でも「正義に加担する」女性ではなかった?・・・「云わなくてもイイことを言って」いるのは、ボクだけれど・・・ダレが「迷惑」しているんだかネッ・・・「トリチュム」・・・「ストロンチュウム」汚染洩れは2週間後の発表・・・「イランことは言わない」のがイイ・・・「揚げ足取り」ってコトバもあるが・・・「沈黙はキン」か?・・・
ーーーーー

 枕草子

 (五八段)・・・五拾八・五十八・伍足捌

         5+8=13=十三=壱拾参=壱参

         5×8=40=四十=四拾=肆足=四足

 殿上の・・・・伝上

 名対面・・・・謎碓面・名体面・命題目霧・拿終面

 (なだい・・・名代・名題・名大・灘意・拿題・納弟

  めん)・・・面・目務

 こそ・・・・・拠措

 猶・・・・・・ナオ→名補・名保

 をしけれ。・・於史懸例・尾史懸例

 御前に・・・・語全爾

 人・・・・・・訊・比渡

 さぶらふ・・・差部等付・作分羅付

 をりは、・・・尾理葉

 やがて・・・・埜臥氐(弖)

 問ふ・・・・・当・都府

 も・・・・・・模・摸

 をかし。・・・可笑し・可変し・犯し

 足音・・・・・促音・即音・脚根

      足=あし・たり・ソク→則・測・措句

 音・・・・・・音・乙

 ども・・・・・度摸

 して・・・・・詞出・史出・仕手

 くづれ・・・・九図例・句頭例・矩通例・句通例

 出づるを、

 うへの

 御局の・・・・音曲・音極

 東面に、・・・当面似

 耳を・・・・・「みみ・視見・字」嗚

 となへて・・・称え出・唱え出

 聞くに、・・・起句爾

 知る

 人の・・・・・比賭

 名のり

 には、・・・・爾葉

 ふと・・・・・付賭(渡)・府都

 胸・・・・・・今日・経・兄

 つぶる・・・・通部留

 らん・・・・・乱・覧・蘭・藍

 かし。

 又

 あり

 とも

 よく

 聞かぬ

 人を

 も、

 この

 折に

 聞き

 つけ

 たらん

 は、

 いかが

 覺ゆ

 らん。

 名

 のり

 よし

 あし、

 聞き

 にくく

 定むる

 も

 をかし。

 はてぬ

 なりと

 聞く

 ほどに、

 瀧口の

 弓

 ならし、

 沓の

 音

 そそめき

 出づる

 に、

 藏人の

 いと

 高く

 ふみこ

 ほめ

 かして、

 うし

 とらの

 隅の

 高欄に、

 たかひ

 ざま

 づき

 とかや

 いふ

 ゐず

 まひに、

 御前の

 かたに

 向ひて、

 後

 ざま

 に

 「誰々か

  侍る」と

 問ふ

 ほど

 こそ

 をかし

 けれ。

 細う

 たかう

 名のり、

 また

 人人

 さぶ

 らは

 ねば

 にや、

 名対面

 (な

  だい

  めん)

 仕う

 奉らぬ

 よし

 奏する

 も、

 いかにと

 問へば

 さはる

 事ども

 申すに、

 さ聞きて

 歸るを、

 「方弘は

  きかず」

 とて

 公達の

 教へ

 ければ、

 いみじう

 腹だち

 しかりて、

 勘へて、

 瀧口に

 さへ

 笑はる。

 御

 厨子

 所の

 御

 膳

 棚と

 いふ

 もの

 に、

 沓

 おきて、

 はらへ

 いひ

 ののしるを、

 いと

 ほしがりて、

 「誰が

  沓

  にか

  あ

  らん、

  え

  知らず」と

 主

 殿

 司

 人々の

 いひ

 けるを、

 「やや

  方弘が

  きた

  なき

  物

  ぞ

  や」

 とりに

 來て

 も

 いと

 さわがし。

ーーーーー

 ・・・

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馬鞍の創始

2013-06-18 23:30:58 | 古事記字源
 風疹?・・・風聞・・・風文・・・風の便り・・・長い文章は・・・読むのも書くのも、厭(嫌)になる・・・「クラウドソーシング(crowdsourcing)」形式で「枕草子(まくらのそうし・マクラノソウシ・マクラのソウシ・マクラのクサのコ・ま-く-ら-の-そ-う-し・チンソウシ・チンのソウのシ・チンのグサのコ・)の文字」を「解釈」したらドウなる・・・?・・・のカナ・・・明治「文+明」、「文+化」・・・
ーー↓まくらのそうし

 「幕等乃壮士=佐幕」

 「巻(捲)螺之創始=種子島=鉄砲」

 「蒔玖等之繰覗=王宮絵巻」

 「膜羅能藪視=藪睨・斜視・乜」、

 「真暗之相思=日食・真夜中の子刻」、

 「馬鞍埜宗氏=蘇我馬子・蝦夷・入鹿=海豚」、

 「磨蔵之争死=播磨、赤穂、忠臣蔵、大石蔵之助」

        播磨国、兵庫県

        播州・「針間国」・「幡麻国」

        加古郡の自治体名「播磨町」

 「麻倉廼荘子=朝倉氏先祖、

        日下部氏嫡流を称する

        但馬の古代武士団

        越前土着豪族

        南北朝時代、越前守護の

        斯波氏の重臣」

  朝倉孝景(越前朝倉氏の七代目当主)

  応永三十五年四月十九日(1428年6月2日)

    ~

  文明十三年七月二十六日(1481年8月21日)

  当初は

  教景と名乗り、次いで

  敏景→教景→孝景と改名

  同名の曾孫と区別し「朝倉敏景」と表記

  法名は

  英林孝景

  分国法の「朝倉孝景条々(朝倉敏景十七箇条)」を制定

  応仁元年(1467年)

  応仁の乱

  孝景は主家の

  斯波義廉と協力して西軍

  御霊合戦、上京の戦い、相国寺の戦い

  主要合戦に参戦、

  伏見稲荷に籠もって

  西軍を苦しめた

  足軽大将

  骨皮道賢を討ち取った

  ・・・「骨皮道賢」?・・・これが「氏・姓名」?・・・嗚可思惟、いと、可笑しい、可変しい・・・以下に原文を添付・・・

ーー↓

朝倉孝景 (七代当主) - Wikipedia

ーー↓

   枕草子        枕

  \―――       枕草子

 枕|草子枕      枕草子枕草

 草|子枕草     枕草子枕草子枕

 子|枕草子    枕草子枕草子枕草子

         枕草子枕草子枕草子枕子

ーーーーー↓

 枕草子

 (五七段)・・・五拾七段・五十七段・伍足漆段

         5+7=12=十二=壱拾弐=拾弐=足弐

         5×7=35=三十五=参拾五=参足伍=

 職の・・・・・「初句

        食・織

        色・蝕・蜀

        飾・植・埴

        殖・識」

        之

 御・・・・・・禦・音・語

 曹・・・・・・操・騒・捜

 司の・・・・・詞・視・示

 西面の・・・・差異面

 立蔀の・・・・立=リツ・たつ→建

        蔀=ブ・ボウ・しとみ

         =丱(サ・廾)+部

 もと・・・・・本・元・下・基・素・許

 にて、・・・・爾出・似出・邇出

 頭辨の、・・・蔵人頭を兼務する弁官(役人)

        頭を弁(わき)える→辮髪

        トウベン=答弁・問う弁

 人と・・・・・比図・日都

       「訊・壬・陣・仁・神」途(賭)

 物を

 いと

 久しく

 いひ

 たち

 給へれば、

 さし

 出でて、

 「それは

  誰ぞ」と

 いへば、

 「辨の・・・・・弁之

  内侍・・・・・名意字

  なり」と・・・名理渡

 の給ふ。

 「何かは

  さも・・・・・作模・差摸

  かた・・・・・過多・加汰・掛他・片=扁

  らひ・・・・・等意

  給ふ。

  大辨・・・・・代弁・大便・題弁

  見えば、

  うち

  すて

  奉りて

  いなん・・・・意名務

  もの

  を」と

  いへば、

  いみじく

  笑ひて、・・・話等意出

 「誰か

  かかる

  事を・・・・・字嗚(於・緒・尾・牡)

  さへ・・・・・差重・作得

  いひ・・・・・意比

  聞かせ

  けん、・・・・兼

  それ

  さ

  なせ・・・・・名施

  そ

  と

  かたらふ

  なり」と

  の給(のたま)ふ。

 いみじく

 見えて、

 をかしき

 筋

 など

 たてたる

 事は

 なくて、

 ただ

 あり

 なる

 やう

 なるを、

 皆・・・・・視名

 人さ

 のみ

 知り

 たる

 に、

 なほ・・・・名補・名保

 奧・・・・・置・憶

 ふ

 か

 き

 御心

 ざまを

 見知り

 たれば、

 「おし・・・緒詞

  なべ・・・名部

  たら

  ず」

 など

 御前・・・・御膳・午前

 にも

 啓し、

 又

 さ

 しろしめ

 したるを、

 常に、・・・通音爾

 「女は・・・音名葉

  おのれを

  悦ぶ者の

  ために

  かほ・・・掛補・化保

  づくりす、

  士は

  おのれを

  知れる人の

  ために

  死ぬと

  いひたる」と

 いひ合せ

 つつ

 申し

 給ふ。

 「遠江の・・・円光・猿考・塩項

  濱・・・・・ヒン→品→本・はま→葉真

  や・・・・・埜=林+十一

  な・・・・・名

  ぎ」・・・・偽・義

 など

 いひ

 かはして

 あるに、

 わかき・・・・和歌紀

 人々は・・・・訊仁葉・比渡秘賭葉

 唯

 いひ

 にくみ、

 見ぐる

 しき

 事ども

 など

 つくろはず

 いふに、

 「この

  君・・・・・訓・薫・勲・釧

  こそ

  うたて

  見

  にくけれ。

  他人の

  やうに

  讀經し、

  歌

  うたひ

  などもせず、

  け

  すさまじ」など

  謗る。・・・・謗=言+旁(かたわら・ボウ・ホウ)

         そしる→措知る・素知る・蘇詞留

 更に

 これ

 かれに

 物いひなどもせず、

 「女は

  目は

  たてざま

  に

  つき、

  眉は

  額に

  おひ

  かかり、

  鼻は

  横ざま

  に

  ありとも、

  ただ

  口つき

  愛敬づき、

  頤の

  した、

  頸など

  を

  かしげにて、

  聲

  にく

  から

  ざらん人

  なん

  思は

  しかるべき。

  とは

  いひながら、

  なほ

  顏の

  いと

  にくげ

  なるは

  心憂し」と

 の給へば、

 まいて

 頤ほそく

 愛敬

 おくれたらん人は、

 あいなう

 かたきにして、

 御前にさへ

 あしう

 啓する。

 物など

 啓せ

 させん

 とても、

 その

 初

 いひ

 そめし

 人を

 たづね、

 下なる

 をも

 呼び

 のぼせ、

 局にも

 來て

 いひ、

 里なる

 には

 文書き

 ても、

 みづから

 も

 おはして、

 「遲く

  參らば、

  さなん

  申し

  たると

  申し

  に

  參らせよ」などの給ふ。

 「その人の

  侍ふ」

 など

 いひ

 出づれど、

 さし

 も

 うけ

 ひかず

 など

 ぞ

 おはする。

 「あるに

  隨ひ、

  定めず、

  何事も

  もて

  なし

  たる

  を

  こそ、

  よき

  事

  には

  すれ」と

 うしろみ

 聞ゆれど、

 「わが

  もとの

  心の

  本性」と

 のみ

 の

 給ひ

 つつ、

 「改らざる

  ものは

  心

  なり」と

 の給へば、

 「さて

  憚り

  なし

  とは

  いかなる

  事を

  いふ

  に

  か」と

 怪し

 がれば、

 笑ひ

 つつ、

 「中

  よし

  など

  人々

  にも

  いはるる。

  かう

  かたらふと

  ならば

  何か

  恥づる、

  見え

  など

  も

  せよ

  かし」と

 の給ふを、

 「いみじく

  にくげ

  なれば、

  さ

  あらん

  はえ

  思はじと

  の給ひ

  し

  に

  よりて、

  え

  見え

  奉らぬ」と

 いへば、

 「實に

  にく

  く

  も

  ぞ

  なる。

  さらば

  な

  見え

  そ」とて、

 おのづから

 見つ

 べき

 をりも

 顏を

 ふたぎ

 など

 して、

 まことに

 見

 給はぬも、

 眞心に

 そら

 ごと

 し給は

 ざり

 けりと

 思ふ

 に、

 三月

 晦日

 頃、

 冬の

 直衣の

 著

 にくき

 にや

 あらん、

 うへの

 衣がち

 にて、

 殿上の

 宿直

 すがた

 も

 あり。

 翌朝

 日さし

 出づる

 まで、

 式部の

 おもと

 と

 廂に

 寢

 たる

 に、

 奧の

 遣戸を

 あけさせ

 給ひて、

 うへの

 御前、

 宮の

 御前

 出で

 させ

 給へ

 れば、

 起きも

 あへず

 まどふを、

 いみじく

 笑はせ

 給ふ。

 唐衣を

 髮の

 うへに

 うち

 著て、

 宿直物も

 何も

 うづもれ

 ながら

 ある

 上に

 おはし

 まして、

 陣より

 出で

 入る

 もの

 など

 御覽ず。

 殿上人の

 つゆ

 知らで、

 より

 來て

 物

 いふ

 なども

 あるを、

 「けしき

  な

  見せ

  そ」

 と

 笑はせ給ふ。

 さて

 たたせ

 給ふ

 に、

 「二人

  ながら

  いざ」と

 仰せ

 らるれど、

 今顏

 など

 つくろひ

 て

 こそ

 とて

 まゐ

 らず。

 入らせ給ひて、

 なほ

 めでたき

 事ども

 いひ

 あはせて

 ゐたる

 に、

 南の

 遣戸の

 そばに、

 儿帳の

 手の

 さし

 出で

 たる

 に

 さはりて、

 簾の

 少し

 あき

 たる

 より、

 黒み

 たる

 もの

 の

 見

 ゆれば、

 のり

 たか

 が

 居

 たる

 な

 めりと

 思ひて、

 見も

 入れ

 で、

 なほ

 事ども

 を

 いふ

 に、

 いと

 よく

 笑み

 たる

 顏の

 さし

 出で

 たる

 を、

 「のり

  たか

  な

  め

  り、

  そは」

 とて

 見

 やり

 たれば、

 あらぬ

 顏なり。

 あさましと

 笑ひ

 さわぎて

 几帳

 ひき

 直し

 かくるれど、

 頭辨に

 こそ

 おはし

 けれ。

 見え

 奉らじと

 しつる

 もの

 を

 と、

 いと

 くちをし。

 もろともに

 居

 たる

 人は、

 こなたに

 向きて

 ゐたれば、

 顏も

 見えず。

 立ち

 出でて、

 「いみじく

  名

  殘なく

  見つる

  かな」と

 の給へば、

 「のり

  たか

  と

  思ひ

  侍れば、

  あな

  づりて

  ぞ

  かし。

  など

  かは

  見じ

  との

  給ひ

  しに、

  さ

  つく

  づく

  とは」と

 いふに、

 「女は

  寢

  おき

  たる

  顏

  なん

  いと

  よき

  と

  いへば、

  ある

  人の

  局に

  行きて

 かいば

 みして、

 又

 も

 し

 見え

 や

 する

 とて

 來り

 つる

 なり。

 まだ

 うへの

 おはし

 つる

 折

 から

 あるを、

 え

 知ら

 ざり

 ける

 よ」とて、

 それより

 後は、

 局の

 すだれ

 うち

 かづき

 など

 し給ふ

 めり。

ーーーーー

 ・・・いと、ながし・・・

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