きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

遅れる仮設住宅建設の課題(続)

2011-06-20 20:29:02 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
遅れる仮設住宅建設の課題(続)

引き続いて「しんぶん赤旗」の記事より転載です。

交流、介護も課題
 岩手県大船渡市の中学校の敷地内には70戸のプレハブ仮設住宅が並びます。
 5月下旬に入居した小川武さん(74)は「集落ごとに入居でき、顔なじみも多いので安心して暮らせる」と話します。その一方で、生活必需品を購入するために車で20分くらいかかるなど、買い物の不便さを感じています。「車を持たない人もいるし、ガソリン代もままならない。仮設店舗のようなものが設置できないものでしょうか」

阪神淡路の教訓
 小川さんは、住民同士が交流する場が身近にないことを指摘します。
 大船渡市でも29カ所の仮設住宅のうち、集会所があるのは5カ所、談話室は8カ所のみです。市の担当者は「すべての仮設住宅に設置したいという思いはあるが、敷地の制約があって難しい」と話します。近くに学校やコミュニティーセンターがある住宅ではその活用で代替するとしています。
 国は50戸以上の仮設住宅に集会所などを設置することを「目安」として示しています。
 仮設住宅における住民の交流施設の重要性は、阪神・淡路大震災後に多発した仮設住宅内の孤独死を生まないという教訓に基づくものです。「小さくても住民が顔を合わせる場所がほしい」という要望は、各地の仮設住宅の住民からも上がっています。しかし、設置するかどうかは自治体任せというのが政府の姿勢です。設置は進んでいません。
高齢者や介護の必要な住民への対応も課題です。




進まぬケア付き
 仮設住宅に暮らしながら介護サービスを受けられるケア付き仮設住宅など、福祉仮設住宅の設置は進んでいません。宮城県でグループホーム型施設の建設計画があるのは仙台市内のーカ所のみです。
 ケア付き仮設住宅の設置には、事業者の選定や運営も必要です。そのことが自治体には重荷になります。ある自治体の担当者は「国は施設を造るところまで面倒をみても、その後のことは財政面も含めてすべて自治体任せ。財源の厳しい中では躊躇(ちゅうちょ)せざるを得ない」と指摘します。
 福祉仮設住宅の設置が進まないなか、自治体が独自の判断で取り組みを強めている例もあります。岩手県の沿岸部、大きな被害を受けた大槌町では、グループホーム型施設を2カ所、デイサービス型施設を4カ所計画。7月上旬には完成の見込みです。担当者は「仮設住宅入居者に高齢者が多くなるのは明らか。要望が出るのを見越して対応することにした」と話します。
 「室内で車いすが使えない」「段差をなくすスロープが付いていなかった」といったバリアフリー化を求める声も広がっています。
 仮設住宅への入居が決まっても生活の不安からに避難所にとどまる人が増えています。仮設住宅では電気・水道代が自己負担です。食料などの生活支援がなくなり、通勤・通学の利便が悪くなることにも被災者は不安を募らせています。
 国のきめ細かな支援が不可欠になっています。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年6月16日付




地元産木材に注目
 地元産の木材を使った木造仮設住宅が注目を集めています。岩手県住田町の事業です。
 内陸部の同町には、沿岸の陸前高田市や大船渡市などから約600人が避難しています。5月末までに110戸の仮設住宅を建設しました。間取りは2DK、すべて1戸建てです。
 外壁、室内の壁や床などに特産の気仙杉をふんだんに使っています。建設費も1戸250万円ほど。プレハブと変わりありません。
 6月から入居した森良子さん(68)は「木の香りがほのかに漂い、やすらぎます。プレハブにはない良さがありますね」と話します。



岩手県住田町が建設した木造仮設住宅


一刻も早く救う
 大船渡市から避難した60歳代の女性も「山小屋風で気に入っています。広々としていて壁も有効
に使える」と満足そうな表情を見せました。
 住田町は町の面積の92%を山林が占め、林業が盛んな地域です。
 町には木の切り出しから製材、加工、建設まで木材に関係する業種がすべてそろっています。宮大工の伝統を受け継ぐ気仙大工も活躍しています。人口6300人のうち1割が木材関連の仕事に従事しています。
 そうした地域の特性と技術の結晶が木造仮設住宅です。180棟ある町営住宅もすべて木造で建設してきました。
 今回、町は独自の予算で木造仮設住宅を建設することになりました。「震災前から木造の仮設住宅を考えていた」と多田欣一町長。「隣接する自治体の人たちを一刻も早く救いたいという思いからの決断」と振り返ります。
 建設工事を担うのは地元の建設業者。その一つ、住田住宅産業は町も出資する第三セクターの会社です。
 佐々木一彦代表取締役は「軸組み工法という合板を使わない手作業でていねいに造りあげています。被災者に木のぬくもりと柔らかさを感じてもらえたらありがたい」と話します。



住田町の木造町営住宅

「循環型の経済」
 木造は解体後も再利用できます。製材で出る木材のくずはペレットとして燃料に使えます。町は再生可能エネルギーの活用にも力を入れています。
 町内にある木工団地の木材乾燥用機械はすべて木材端材、木くずを使ってまかなわれています。
多田町長は「町の貴重な資源である木材を有効に使うことが森を守ることになる。ヨーロッパに見るような循環型経済で地域を活性化していきたい」と期待を込めます。
 住田町の取り組みについて、九州や四国など各地の自治体関係者の見学が絶えないといいます。著名な建築家や写真家からの問い合わせも。個人からも木造仮設住宅を譲ってほしいとの相談が相次いでいます。町は陸前高田市のキャンプ場にも木造仮設住宅を建設する予定です。
 岩手県では1万4000戸の仮設住宅建設予定のうち、約2500戸を地元建設業者に発注。その多くが木造づくりです。
小さな町の取り組みが県内外に広がっています。

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年6月17日付掲載
(おわり)



仮設住宅への入居は、「プライバシーのある生活」「やっとゆっくり寝れる」などストレスから解放される反面、避難所で支給されていた食事などが自前になることで不安を抱えて「仮設に移りたくない」という人もいるといいます。
実際、今回の震災で住まいだけでなく職も失い収入が断たれている人もいます。仮設住宅に移っても食事の提供や健康・メンタル面でのケアは継続しなければなりません。

また、仮設住宅の建設に地元の建材、地元業者に頑張ってもらうことは地元産業の復興につながります。
ぜひ応援してほしいですネ。


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仮設住宅の建設の遅れについて・・・

2011-06-19 19:10:10 | 震災・災害・復興・地震&災害対策など
仮設住宅の建設の遅れについて・・・

東日本大震災の被災地の仮設住宅建設が遅れていることについて「しんぶん赤旗」に連載があった・・・

遅れる仮設住宅①
大手主導に弊害も


 東日本大震災の被災地では、今なお8万人を超える人が不自由な避難生活を強いられています。被災者の生活再建が急がれる中、仮設住宅の建設が遅れるなど、国や県の対応は不十分です。住宅確保の現状と課題について考えてみます。
(矢守一英記者)

 岩手県大船渡市市民文化会館の避難所。今も150人が生活しています。
 菅野耐子さん(64)は、隣接する陸前高田市で一時避難中に巨大津波に巻き込まれ、顔面などに重傷を負いながら救出されました。美容師をしていましたが、すべての財産を失い、残ったのは自宅のローンだけ。今は先のことを考える余裕がないといいます。「夜中に周りの音が気になり、熟睡できた日は1日もありません。薬に頼ることもあります」と訴えます。地元の仮設住宅への入居を希望していますが、通知はまだ届いていません。
 ある40歳代の女性は、「ほっとできる空間がほしい」といいます。介護してきた母親を震災後亡くしました。水につかりながら不自由な母親と逃げたときの体験が突然脳裏によみがえってくるといいます。市が借り上げる民間アパートヘの入居を求めています。できるだけ職場に近い場所に住んで、2年で自立できるようにしていきたいと考えています。




完成率は58%
 被災者は肉体的にも精神的にも限界にきています。住まいの確保は緊急の課題です。
 政府は「8月のお盆までには希望者全員が入れるようにする」と約束していますが、仮設住宅の建設は遅れています。
 被害の大きかった岩手、宮城、福島の3県を中心に、合計5万2200戸の仮設住宅が必要になっていますが、完成したのは3万71戸(13日現在)。完成率は58%にとどまっています。
 宮城県石巻市では目標戸数の8000戸に対し、完成・着工合わせて4300戸余り。進ちょく率は5割程度です。もともと浸水した市街地での用地が限られている上、できるだけ海に近い場所を求める住民の要請を受け、選定が難航しています。市の担当者は「内陸部では希望者がなくなるのではないかとためらいもある。民有地も含め作業を急いでいるが、造成などにも手間取ることが多く、人手も足りない」と訴えます。自治体が行う土地の造成や整地費用を全面的に支援する施策を、国が進めていないことも障害になっています。

一括発注方式
 建設が進まない原因は、用地確保の困難さだけではありません。大手プレハブメーカー主導で建設が進められていることも原因です。大手メーカー主導では、ほぼ同じ形式のプレハブ住宅を広い敷地に大規模に建設することが効率的とされます。ところが平たん地が少ない被災地では適地の確保は容易ではありません。見つからなければそれだけ建設が遅れることになります。
 大手メーカーへの一括発注方式に固執してきた宮城県では、必要建設戸数2万3000戸に対し、完成は約5割にとどまっています。5月末時点で7200戸は発注の見通しさえ立っていません。他方、完成率が6割を超える岩手、福島両県では大手への発注以外にも県内建設業者の公募選定を行い、木造を含めた10~20戸程度の小規模な供給を行ってきました。
 地元建設業者への発注を増やすことが建設促進にもつながります。公営住宅の活用や民闇賃貸住宅の借り上げも必要です。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年6月15日付


 宮城県は、漁業の再建でも「漁業特区をつくる」「漁港を集約する」などとトップダウンの手法を発表し、漁業者・水産業界から非難があがっています。
 仮設住宅建設でも、同じようにトップダウンの手法をとっていたんですね。
 福島や岩手県の完成率6割代が決して高いとは言えないと思いますが、木造を含めた小規模住宅を作っていくことで、全体として数を確保していくことは被災者のきめ細かいニーズにも応えることになるんでしょうね。

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節電 一律「がまん」では知恵足りぬ

2011-06-18 23:25:54 | 政治・社会問題について
節電 一律「がまん」では知恵足りぬ

夏場の電力不足に備えて関西電力は15%節電を企業や一般家庭に呼びかけました。

それに先立って、首都圏ではすでに節電が行われているようです。

「しんぶん赤旗」日刊紙の6月15日の「主張」に以下の内容が掲載されました・・・



 高齢者や障害のある人、妊婦、乳幼児連れの人など、すべての人が快適な生活をおくれるよう、障壁を取り除いていく「バリアフリー」の実現をめざすことは社会的な要請です。ところが、東京電力福島第1原発事故後の節電で、多くの障害者に「がまん」が強いられているのは見逃せません。
 暗い駅、止まったエスカレーター、電車の運行本数減での混雑など、障害を持たない人には想像もつかないつらさです。障害者を置き去りにした一律の節電ではなく、きめこまかな対策が求められています。

あまりに機械的だ
 駅の照明が暗いなど、節電によって障害者が不便を感じている問題で、東京視覚障害者協会が、会員の要望の確認、駅周辺の実地調査などにとりくんでいます。
 ▽エスカレーターが止まり併設の狭い階段に乗降客が集中し、人にぶつからずには歩けない▽駅入り口の誘導チャイムやホーム階段を示す音の案内が止まっている▽エスカレーター停止の音声案内がなく入り口をふさぐ鎖につまずき転んだ―など、深刻なトラブルが障害者をおそっています。
 視覚障害者でもまったく見えないわけではありません。全国で約165万人の視覚障害者の87%約145万人は、失明していない目の矯正視力が0・5未満の「見えにくい人」です。目から得る光の情報が大事なのです。
この人たちにとって駅の暗さは死活問題で、「これまで通いなれた場所なのに目印がわからず道に迷ってしまう」、「点字ブロックの場所が分からない」と悲鳴があがっています。とりわけ、暗いところで視力が失われる夜盲を伴う網膜色素変性症の人には、駅が完全な闇の世界になっています。
 不便は視覚障害の人だけではありません。ポリオで日常の歩行に杖を使う女性は、エスカレーターに乗れず、エレベーターも不便な場所にあるため、通勤が困難で、「仕事をやめなければならないかもしれない」と訴えています。
 障害者の人たちは、いまの節電に反対しているわけではありません。照明を間引くときに点字ブロックの上だけは切れ目なく光が当たるようにしてほしい、大事な目印となる案内板の光を弱くしないでほしいと、最低限の心遺いを求めているのです。事故に結びつけば生死にもかかわることなのに、あまりに機械的な節電の危険性を訴えているのです。
 国土交通省は、今回の節電について「基本的に鉄道事業者が判断すること」としています。しかし、バリアフリー法を所管する同省は、ガイドラインに従い、高齢者や視覚障害者に配慮した十分な駅の明るさの確保を事業者に指導する責任があります。障害者の立場に立ち、その責任を果たすべきです。

だれもが人間らしく
 深刻な原発災害をうけ、これからの日本は原発からの撤退と自然エネルギーの本格的な導入が求められます。同時に、エネルギー浪費型の社会ではなく、低エネルギ社会への大きな転換を図ることが避けられません。
 その道は「がまん社会」をつくることではないはずです。だれもが人間らしく働き、暮らせる社会を実現すること、バリアフリーの実現もそうした社会への大きな柱です。



無駄な電力を使わない節電は必要です。一般家庭ではエアコンや電子レンジなどを減らすと効果が大きいようです。
でも、必要なものは消したり止めたりしないでほしいですね。
昼間の間引き運転なども言われていますが、神戸市の北区や三木市・小野市などを走っている神戸電鉄はもともと15分間隔でしか走っていないので、間引きすると30分間隔になってしまう。間引きは難しいそうです。
場所にかかわらず24時間営業のコンビニとか、自動販売機など、もっと見直すべきところもあると思います。


ちなみに、駅構内や大学構内のコンビニは夜は閉店しています。
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原発の源流と日米関係③ 米のウラン義務付け 「逆立ち」のスタート

2011-06-15 21:19:47 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
原発の源流と日米関係③

米のウラン義務付け 「逆立ち」のスタート


 米国、フランスに次ぎ、世界3番目の54基もの原発が林立する日本―。米国は、原子炉の燃料となる濃縮ウランの提供をテコにして、日本を危険極まりない“原発列島”に仕立て上げました。

「建前」が一変
 この濃縮ウラン提供を取り決めたのが、日米原子力協定です。
 最初の協定は、1955年11月調印の「日米原子力研究協定」です。「研究」用に米国が日本に濃縮ウランを最大で6キロ(ウラン235の量)貸与することを定めました。
 日本の原子力開発の動きは当初から米国の世界原子力戦略に呼応していましたが、建前上は「自主開発」が基本とされていました。
 政府の原子力委員会が1957年12月に刊行した『昭和31年版原子力白書』でも、「わが国の原子力開発がスタートした際には、わが国の原子力開発はすべて国産技術を基礎から培養しようとする心構えであり、原子力技術の育成計画もこの線に沿ってたてられていた」と述べています。

 ところが「日米原子力(研究)協定が登場するにおよび事情は一変した」(前出の『原子力白書』)のです。
 日本政府は、日米原子力研究協定の仮調印(1955年6月)を受け、貸与されることになる濃縮ウランを使用するため、米国から研究用原子炉の購入を計画。「濃縮ウランの受入れは、小規模かつ長期にわたって低い処から自力で原子力技術を養ってゆくという考え方を、海外(米国)からの援助を取入れて急速かつ大規模に行うという風に計画を変える大きな要因となった」(同)のです。
 原子力の研究計画もないのに原子炉築造予算を計上(1954年度)し、導入する炉型の判断もなしに濃縮ウラン受け入れを決め、炉を設置する研究所(原子力研究所)の設立(1956年6月)は最後になりました。こうしたやり方は、世界に例のない「逆立ちした研究のスタート」と指摘されました。




30年分も購入
 こうした「逆立ち」は、それ以後も続きます。1955年の研究協定は1958年、動力用原子炉の開発を目的にした新たな協定(6月調印)に置き換えられます。同協定は、米国から日本への濃縮ウラン提供量を拡大し、最大で2.7トン(ウラン235の量)を貸与できることを明記。これと一体に実験用動力炉が導入されました。
 さらに、1968年2月に調印された日米原子力協定では、日本で建設中または計画・考慮中の原発に、今後30年間必要なウラン235の量を個々に明記。その総量154トンを日本が米国から受け入れることが義務付けられました。その中には、東日本大震災で事故を起こした福島原発も含まれていました。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年6月11日付掲載




日本は施設の実験場
核燃料サイタル計画


 日本で福島第1原発など商業用原子炉の建設が始まったばかりの1967年4月、政府の原子力委員会は、新たな「原子力の研究、開発及び利用に関する長期計画」を発表しました。
 同「計画」では、日本の原子力発電が今後、長期問にわたり米国が開発した軽水炉に依存し、その燃料である濃縮ウランの供給も米国一国に頼ってしまうことは、原子力開発の自主性を確保する上で「必ずしも望ましいことではない」と強調していました。

すべて軽水炉
 ところが現在、日本にある原発54基すべてが、米国で開発された加圧水型軽水炉(PWR)と沸騰水型軽水炉(BWR、改良型4基を含む)です。
 濃縮ウランは、米国からの輸入に100%頼っていた当初に比べれば、フランスやイギリスなど輸入先の拡大が図られてきたものの、今でも7割が米国からの輸入に頼っています。(表)


濃縮ウランの主な輸入先の数量・割合(2004~2010年の割合)
順位輸入先輸入量比率
アメリカ4602.7トン73%
フランス1146.2トン18%
イギリス532.3トン8%
オランダ30.2トン0%
ロシア25.8トン0%
全体計6306.9トン
全体計が合わないのは、ベルギーなどからもわずかに輸入があるため





 原子力委員会の『昭和62年版原子力白書』は、日本の原発事業者が米国以外からの濃縮ウランを混焼する場合、30%を上限にする契約を結んでいると指摘。制約が課されていることを明らかにしています。
 さらに重大なのは、1988年の目米原子力協定で、「核燃料サイクル施設」の建設をはじめ危険な計画が新たに大きく動き出したことです。協定の付属書4は、使用済み核燃料からウランやプルトニウムを取り出して再び燃料にする「六ケ所村商業用再処理施設」(青森県)や、使用した以上の燃料(プルトニウム)を生み出せるとした高速増殖炉「もんじゅ」(福井県)などを列挙し、米国の同意が与えられています。
 米国自身は技術的に未完成だとして再処理施設の運転は行っていないにもかかわらず、一連の施設建設への同意は、日本を「実験場」とすることを意味しました。

政権交代後も
 こうして進められてきた原発の大量建設は、民主党政権になっても引き継がれました。
 2010年6月、菅直人首椙は、総電力に占める原子力発電の割合を20年後に50%以上にすることを想定し、最低でも14基以上の原発を新増設するとした「エネルギー基本計画」を閣議決定。11月にはオバマ米大統領との会談で、原子力分野での日米協力の推進を確認しました。
 今年3月の東日本大震災による福島原発事故を受け、菅首相は「エネルギー基本計画」を「いったん白紙に戻して議論する」と表明しました。しかし、5月末のフランスでの主要8力国首脳会議(G8サミット)では、オバマ大統領らを前に「最高度の原子力の安全を実現する」などと表明し、原子力発電を今後も続けていくことを国際公約しました。
 「安全神話」が完全に崩壊した福島原発事故の現実を見れば、「最高度の安全」という首相の言葉はむなしく響くばかりです。日本が原発ゼロの道に踏み出すためにも、対米従属のくびきから抜け出すことが必要です。
(おわり)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年6月12日付掲載
(この連載は、榎本好孝、竹下岳が担当しました)



最初は「実験炉」と言いながら、結局30年間のアメリカ産の「濃縮ウラン」の購入義務付けされるってのはおかしいですよね。
さらに問題は、使用済み核燃料でも危険なのに、そこからウランやプルトニウムを取り出して再び核燃料にする「核燃料サイクル」で、高速増殖炉やプルサーマルが取り組まれていることです。
言い出しっぺのアメリカでさえ技術的に未完成として行っていないことを日本を「実験場」にしていることです。


今こそ、アメリカの呪縛(じゅばく)から脱却して、エネルギー政策も自然エネルギー中心に転換していく時だと思います。
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原発の源流と日米関係② 原潜からはじまった 軍事優先の開発

2011-06-14 21:16:13 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
原発の源流と日米関係②

原潜からはじまった 軍事優先の開発


 東日本大震災当日の3月11日に炉心溶融(メルトダウン)し、翌12日に水素爆発をおこした福島第1原発1号機は、米ゼネラル・エレクトリック(GE)社が建造したものでした。

2社が独占的
 日本で商業用原子炉の運転が本格化した1970年代前半に建設された原子炉はいずれも、米国のGEとウェスティング・ハウス(WH)が受注しています。(表)
 米国の原子力開発はもともと、原爆開発や原子力艦船の建造といった軍事目的で進められてきました。
商業用原発の実用化が進んだ1950年代、米国は1954年に世界初の原潜ノーチラスを進水させ、核兵器は1953年の1000発から、1960年には2万2000発に増えました。
 GEとWHは、軍事開発から商業利用にいたるまで原子力開発をほぼ独占的に受注してきました。
両社は米原子力委員会の下で艦船用の原子炉を開発し、アイゼンハワー大統領はWHの加圧水型(PWR)原子炉を採用。米海軍は現在にいたるまでこの型を使用しています。
 米国は当初、原子力発電には消極的でしたが、英国とソ連が原発の運転に成功すると路線を転換。急きょ、WH社の原潜用原子炉を陸揚げし、1957年にシッピングポート原発の運転を開始しました。同原発の運転は米海軍が主導しました。
 一方、GE社はWH社に対抗するため、沸騰水型(BWR)原子炉の開発を続け、1959年10月にドレスデン原発で臨界を達成しました。それから数年後に、日本との契約にこぎつけたのです。




原発名号機主契約企業運転開始
敦賀1号機GE1970・3・14
美浜1号機WH/三菱1970・11・28
福島第一1号機GE1971・3・26
福島第一2号機GE/東芝1974・7・18



構造的な欠陥
 軍事的なニーズを発端として、ほとんど駆け足で開発された原子炉には、構造的な欠陥がありました。
 米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版=3月15日付)によれば、福島第1原発など日本に9基ある「マーク1」型について、米原子力委員会は1972年、原子炉の格納容器が小さいことを問題視。水素がたまって爆発した場合、格納容器が損傷しやすいとして「使用を停止すべきだ」と指摘していたのです。
 この警告どおり、福島第1で1号機の格納容器が損傷しました。
 さらに、福島第1原発で1~4、6号機の開発に関わった東芝元技術者の小倉志郎氏は3月16日、外国特派員協会でこう指摘しました。「GE社の原子炉はそもそも津波を想定しない設定だった。2号機以降は日本で建設したが、1号機の設定が踏襲された」
 津波で非常用電源が喪失し、原子炉の冷却機能が失われる危険性は、日本共産党福島県委員会などが繰り返し、警告していたことでした。
 日本共産党の吉井英勝議員は5月27日の衆院経済産業委員会で、福島第1原発事故に伴うGE社の製造者責任を追及。外務省の武藤義哉審議官は「現在の日米原子力協定では旧協定の免責規定は継続されていない」と答弁し、協定上は責任を問うことができるとの見解を示しました。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年6月9日付掲載



湯川氏 抗議の辞任
原子力協定の攻防


 「本件発表は慎重を要する」。外務省の解禁文書(1955年3月18日付メモ)にある「本件」とは、同年1月11日、米国が日本政府に示した、対日原子力援助に関する口上書のことです。アイゼンハワー大統領が提唱した「原子力の平和利用」政策の具体化として、濃縮ウランや原子炉の提供が盛り込まれました。井口貞夫駐米大使はただちに、「日本においても推進するとの建前をとること内外共に時宜を得たる」(1955年1月25日付公電)との見解を示します。
 しかし、「朝日」同年4月14日付で暴露されるまで、口上書の存在は極秘扱いでした。「原子炉建設に関する米国の協力に対する一部学界の反対ないし原子力問題に関する敏感な一般世論に無用の刺激を与えることを避けるため」(前出メモ)という理由からでした。

自主・民主・公開
 「科学者の国会」と言われる日本学術会議は、第五福竜丸事件が明らかになった直後の1954年3月18日の原子核特別部会で、後に科学者9条の会発起人になった伏見康治氏らが提案した「自主・民主・公開」の原子力研究3原則を決めました。
 ところが原子力協定の米国案9条に「動力用原子炉(原発)についての協定が行われることを希望しかつ期待し、その可能性について随時協議する」との規定がありました。
 濃縮ウランも、原子炉も米国産。しかも、米原子力法に沿って機密保護まで求められていたのです。「自主・民主・公開」の3原則に真っ向から反する内容でした。
 財界は米国からの原子炉購入を強く主張しましたが、政府は9条の削除と機密保護条項の適用除外の要請を決断。「動力用原子炉に関する日米間協定の実施から独占的米国資本の導入を誘致し、またわが方の学術的研究の自主性を殿損する恐れある云々との有力にしてかつ多分に感情的なる意見をも考慮」(55年6月7日、井口大使宛て公電)した結果でした。




慎重でなければ
 1955年11月、原発建設を前提としない「日米原子力研究協定」が調印されました。
 自立的な原子力研究が担保されたかに思われましたが、初代原子力委員長に就任した正力松太郎氏は1956年1月4日、「5年後に原発建設、米国と動力協定の締結」構想を発表しました。14日には米原子力委員会のストローズ委員長が「正力構想」に対する異例の「歓迎」声明を出しました。56年末には原子力協定見直し作業が始まります。
 これに抗議して原子力委員を辞任したのが、日本人初のノーベル賞受賞者の物理学者・湯川秀樹氏でした。湯川氏は辞任直前、こう訴えました。「動力協定や動力炉導入に関して何等かの決断をするということは、わが国の原子力開発の将来に対して長期に亘って重大な影響を及ぼすに違いないのであるから、慎重な上にも慎重でなければならない」(『原子力委員会月報』1957年1月号)
 しかし、原子力委員会は歴代自民党政権に牛耳られ、安全性を二の次にした原発推進機関に変貌してしまいました。(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年6月10日付掲載



日本の原発はアメリカが原子力潜水艦用に急場仕込みで開発した動力炉をもとにしたものなのです。
その開発会社は、GE(ゼネラル・エレクトリック)とWH(ウェスティング・ハウス)です。
独占ということで、より安全はおろそかになったのでしょうね。


「アメリカの濃縮ウランを受け入れる義務を負わされる」ってのも、変な話ですね。湯川秀樹が抗議の辞任をするってのも当然の事でしょうね。

あと、ちょっとした疑問。自動車のゼネラル・モータース、パソコン機器のウェスタン・デジタル。原発の会社と同じ頭文字を持っていますが、関係はないのでしょうか???
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