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チェクナヴォリアンの「個性」とは?

2008年10月09日 15時48分06秒 | 「指揮者120人のコレを聴け!」より


 以下の一文は、『指揮者120人のコレを聴け!』(洋泉社ムック/絶版)に掲載したものの再録です。執筆してから10年近い歳月が経ってしまいました。この文章を書いてからしばらくしてキングインターナショナル系で井上喜惟~アルメニア・フィルのCDがかなり発売されたり、チェクナヴォリアンのRCA時代のめずらしい録音が、タワーレコードの復刻シリーズで発売されるなど、かなり状況に変化が出てきましたが、もちろん、私が以下の文章で展開していることには何の変更も加える必要はないでしょう。
 このブログの「7月28日」掲載分は、この小文より後に書かれたもので、チェクナヴォリアンに関する部分は、言わば「補説」となります。改めて合わせてお読みいただければ幸いです。私としては、その補説でも少々触れている、いわゆる西洋音楽の拍節感覚との違いについて、もっと掘り下げてみたいと思っているのですが、まだ果たせていません。これは日本人演奏の多くに聴かれる特徴を解く鍵でもあります。

■ロリス・チェクナヴォリアン Loris Tjeknavorian (1937~ )

略歴:1937年にイランに生まれたアルメニア人の指揮者、兼、作曲家。54年にウィーン音楽アカデミーでスワロフスキーに指揮法を学んだが、それ以前は、ほとんど独学でヴァイオリン、ピアノ、作曲を勉強、16歳で、テヘランで合唱団を組織したといわれている。イギリスを活動の本拠にしていたが、近年アルメニア・フィルの芸術監督にも就任して、このオーケストラの再建に尽力した。

 チェクナヴォリアンは、アルメニア・フィルハーモニーを振るアルメニア人ということもあって、アルメニア物のスペシャリストと目されがちだ。オーケストラの強烈な個性に関心が寄せられ、そのためにチェクナヴォリアンに対しては誤解されている部分も多い。チェクナヴォリアンは、必ずしも一般的に言われているような〈野生味〉一辺倒ではないように思う。例えば、作曲家でもある彼自身の作品を聴くと、アルメニア・フィルのハチャトリアン演奏で話題になった骨太の力強さよりは、むしろ、おおらかな歌や、中東的な執拗な反復と自在な衝動性との融合に、チェクナヴォリアンの最大の特徴が潜んでいるように感じられる。
 これはアルメニア人とは言え、イランに生まれ、その首都テヘランで音楽家としての修業を積んだチェクナヴォリアンの音楽性のルーツに関わることかも知れない。彼の感性の源泉は、ハチャトリアンの故郷アルメニアのコーカサス山脈よりもずっと南下したあたりにあるのだ。
 例えば、英EMI盤で自作自演している演奏時間50分を越える大作、交響組曲《オテロ》にそうした特質が顕著に表れている。
 もともとチェクナヴォリアンのレパートリーは、ハチャトリアンに集中していたわけではなく、過去にはベートーヴェン《運命》、チャイコフスキー《悲愴》《第4》、ボロディン《第2》などの録音もヴァレーズ・サラバンドというレーベルにあり、中でも80年7月録音の《運命》の独特の執拗な拍節感が、西欧の構築的な語法にとらわれずに音楽を聴かせるチェクナヴォリアンの個性を表出していた。とても、明るく、軽やかなベートーヴェンだが、この演奏では、特に第3楽章にチェクナヴォリアンの特徴がでている。全体に対しても言えることだが、旋律を縦のラインできちっと仕切らずに、連鎖させていくのは、いかにも中東音楽的だった。
 英ASVレーベルでのアルメニア・フィルを起用してのチェクナヴォリアンのCDでは、プロコフィエフ《ロメオとジュリエット》に、チェクナヴォリアンの個性が現れている。特にいくつかの曲目でのテンポ設定には、耳を洗われるような新鮮な発見がある。第1組曲第6曲〈バルコニーの情景〉では異常にゆったりとしたテンポでの歌い上げが実に効果的で、中東から東洋にかけての、我々の感性に近いものを聴きとることができる。そう言えば、このあたりのテンポ感はマゼール盤やサロネン盤がチェクナヴォリアン盤から遠く、最も近いのがチョン・ミュンフン盤だというのも偶然ではないだろう。
 第2組曲第1曲の〈モンターギュ家とキャピュレット家〉などでも、反復音型を強調した輪郭の太々とした音楽の、地に根差したような足取りが、オケの音色の特質と重なり合って、このプロコフィエフの作品のモダニズムの陰にあるゴツゴツした手触りを明らかにしている。
 このチェクナヴォリアンの演奏の特徴を表す白眉は、終曲〈ジュリエットの死〉だろう。ここでもチェクナヴォリアンは、ゆったりとしたテンポで旋律を豊かに朗々と鳴りわたらせる。深い呼吸で、あくまでも堂々たる響きで押して行く。ここには、神経質で傷つきやすい精神ではなく、広々とした大地の大きな包容力にあふれた精神の胎動が聞こえている。
 ハチャトゥリアンの『ピアノ協奏曲』の2種ある録音では、ロンドン響との旧録音は、安定した見通しに支えられた演奏で、リズム・アクセントの配分もテンポの揺れも、全体の中での位置付けが明快で、論理的に構築された演奏となっていた。それは、この作品の構造を客観的に提示した演奏として貴重なものだったが、アルメニア・フィルとの新録音は、それを踏まえて、豊かな肉付けを施した演奏。いずれも安易にアルメニア的体臭に寄り掛かる結果にはなっていないところが、チェクナヴォリアンだ。 
 ハチャトゥリアンの有名曲『ガイーヌ』も、ASVとのアルメニア・フィル盤以前にRCAにナショナル響との旧録音がある。これはサウンドの細部がかなり透けて聞こえる演奏。アルメニア・フィルはそれに血肉を加えた骨太の演奏といった感じ。旧録は「アイシェの目覚めと踊り」に代表される薄くへらへらとして奇妙に音楽が持続する感覚に、〈中東〉が聞こえる。
 だが、勘違いしてはならないのは、チェクノヴォリアンは、決してヨーロッパのローカル指揮者ではないということだ。彼の感性に中東的なものがあるのは間違いないが、それと、彼が修得した西欧の合理精神とが、奇妙に重なり合っているのが、この人のユニークさだ。

【チェクナヴォリアンを聴く3枚のCD】

○プロコフィエフ:《ロミオとジュリエット》第1、第2、第3組曲/アルメニアpo.
[Cr-ASV:CRCB209]1993年録音

○ハチャトゥリアン:ピアノ協奏曲他/ロンドンso.,ポルトゥゲイズ(pf)
[Cr-ASV:CRCB121]1986年録音

○ハチャトゥリアン:バレエ曲《ガイーヌ》全曲/ナショナルpo.
[BV-RCA:BVCC8905~6]1976年録音



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