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チェクナヴォリアンの伴奏指揮による2枚目のハチャトゥリアン『ピアノ協奏曲』

2009年09月29日 07時02分18秒 | ライナーノート(日本クラウン編)





 以下は、昨日このブログに掲載したCDのライナーノートを執筆してから5年後の1997年7月23日に執筆したライナーノート。メインの曲目が同じハチャトゥリアンの「ピアノ協奏曲」で、指揮も同じチェクナヴォリアン。本日分は、アルメニア・フィルとの「ハチャトゥリアン管弦楽曲シリーズ」の1枚として発売されたもので、英ASVの国内盤です。余白にカップリングされた他の曲目は、どれもめずらしいものです。例によって、曲目解説も私が書きました。
 このところ続けてきた当ブログへのチェクナヴォリアン関連は、これが最後となります。曲目が昨日と同じなので、二日連続の掲載としました。合わせてお読みください。


《ライナーノート・全文》


■このCDについて
 これは、ロリス・チェクナヴォリアン指揮アルメニア・フィルによる「ハチャトゥリアン管弦楽曲シリーズ」の1枚。交響曲は既に全3曲が発売されているが、今回、初めて協奏曲が取り上げられた。
 アラム・イリイチ・ハチャトゥリアンは、1903年6月6日に生まれ、1978年5月1日に世を去った作曲家だ。その名は、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチと共に、ロシア=旧ソヴィエト連邦を代表する現代作曲家として語られることが多いが、生地は長い間ソヴィエト連邦に編入されていたグルジア共和国の中心地トビリシ(当時はチフリスと言った)近郊の村であり、幼い頃から青年時代までのほとんどを、このトビリシで育った。
 グルジア共和国は、アルメニア共和国、アゼルバイジャン共和国と並んで、ソ連邦の南西端、コーカサス山脈を越えた南側に位置する、いわゆる〈外コーカサス地方〉のひとつ。このあたりは南をトルコ、イラン国境と接しており、ロシアの文化圏とは異なるものを持っている。
 ところで、グルジアの中心地トビリシで育ったとはいえ、ハチャトゥリアンの家系がアルメニア人であったことを忘れてはならない。 〈アルメニア〉を名乗る地域は、現在では旧ソ連邦内のアルメニア共和国だけとなってしまったが、かつてはコーカサスからトルコのイスタンブールあたりまでを指していたこともある。そして、アルメニア民族は、ユダヤ民族と同じように、かなりの規模で世界中に散らばり、アルメニア商人として、世界経済の裏表で活動している。
 音楽の話に政治を持ち込むつもりはないが、ハチャトゥリアンが、ソ連の社会主義政権下でショスタコーヴィチらとは異なり厚遇され、しばしば国家的な賞の対象となったのは、彼が、党に妥協した作曲家だからではなく、党中央にとって、外コーカサス地方との融和策に貴重な存在だったからだろう。
 ハチャトゥリアンは、その生涯に、彼の最も広く知られた作品「剣の舞」を含む舞踊組曲「ガヤネー」(ガイーヌ)、「仮面舞踏会」、「スパルタクス」などの舞台用音楽の他に、大管弦楽のための主要作品としては、交響曲が3曲、協奏曲がピアノ、ヴァイオリン、チェロのためにそれぞれ1曲ずつ、「コンチェルト・ラプソディー」と名付けた連作が同じく各1曲ずつある。その他、ピアノ曲、室内楽曲、吹奏楽曲など、広い分野にわたって作品を残している。
 アルメニア共和国の国歌の作曲者でもあるハチャトゥリアンは、正に世界中のアルメニア民族の旗手であったといってよいだろう。彼は現代ソ連の中に身を置きながら、非ロシア的民族主義の立場で、アルメニア民族の精神を現代音楽の中に高い水準で花開かせた最初の作曲家であった。アルメニア共和国の首都エレヴァンには、彼の功績を讃えてハチャトゥリアンの名前を冠した音楽ホールが建設されたが、このCDで演奏しているアルメニア・フィルは、もちろんこのホールを本拠地としており、録音もここで行われている。
 別項で詳しく紹介するが、アルメニアの血をひく名指揮者チェクナヴォリアンは、1989年から、芸術監督兼首席指揮者として、アルメニア・フィルと深く関わっている。彼らが演奏するハチャトゥリアンの音楽は、ここ数年にわたって大きな話題となっている。

■曲目について
●「ピアノ協奏曲」
 ハチャトゥリアンにとって唯一の「ピアノ協奏曲」は、ハチャトゥリアンの評価を決定づけた出世作とされている。1936年に作曲された。この年ハチャトゥリアンはモスクワ音楽院の大学院を修了したが、既に33歳で、その2年前には「第1交響曲」を作曲している。
 初演は翌1937年7月12日にモスクワに於いて、レフ・オボーリンの独奏、レフ・シュテインベルクの指揮で行われたが、オーケストラが混成チームで、しかもリハーサルの時間があまりなかったこと、会場が野外劇場の夏のコンサートだったことなど悪条件が重なって、みじめなものであったようだ。
 だが、この年の秋にモスクワでアレクサンドル・ガウクの指揮で、レニングラードではエフゲニ・ムラヴィンスキーの指揮で、それぞれ優れた演奏が行われ、国内では正当に評価されるに至った。作品は初演者の名ピアニスト、レフ・オボーリンに捧げられた。
第1楽章 アレグロ・マ・ノン・トロッポ・エ・マエストーソ。ソナタ形式の1種と考えてよいだろう。管弦楽による序奏の後、独奏ピアノで第1主題が提示される。管弦楽も加わり次第に高揚し、いったん静まるとオーボエに導かれて第2主題が登場する。この主題はそのまま、独奏ピアノでカデンツァ風に展開される。やがて管弦楽と独奏ピアノが激しくわたりあい、ラプソディックに進行する。再現部は力強く第1主題が独奏ピアノに戻ってきて開始されるが、管弦楽がその周辺を装飾する。第2主題の再現は木管セクションが奏するが、今度は独奏ピアノがオブリガートを付ける。カデンツァとなり、第1主題の総奏による短いコーダで力強く結ばれる。
第2楽章 アンダンテ・コン・アニマ。夢想的な魅力にあふれた楽章だ。先にバス・クラリネットが即興的な旋律を奏し、ゆっくりとピアノが加わる。ゆったりとした歩みのまま高揚し、やがて耳慣れない響きが登場する。ここでは、「フレクサトーン」と呼ばれる体鳴楽器の一種が用いられているが、そのグリサンドを伴なう神秘的な響きは、かつて西欧で「おどろおどろしい楽器の音による神秘的な運命に捉えられる」と評された。
第3楽章 アレグロ・ブリランテ。フィナーレに相応しく輝かしく開始される。プロコフィエフの機能主義的なスタイルを思い出させる目も眩むようなトッカータ風の展開だ。生気にあふれたカデンツァが冒頭楽章の主題を想起させた後、冒頭楽章の第1主題が堂々と回想されて終る。
 なお、この曲には、初演者オボーリンのピアノと作曲者自身の指揮による録音が、1956年にソ連メロディアによって行われている。

●吹奏楽のための「ワルツ」と「ポルカ」
 音楽院在学中の習作。当時関心をもっていたフランス音楽の傾向も見えるが、明るく開放的で生気にあふれたハチャトゥリアンの音楽語法の源流が率直に表現されている。

●「舞踏組曲」
 これも学生時代、1933年に書かれた作品だが、ハチャトゥリアンにとって、これは、初めての大規模な作品であると同時に、民族的な音楽素材を交響化するという試みでも最初となった記念すべき作品だ。1933年6月22日にモスクワ音楽院大ホールで行われた「学生作品コンサート」に於て、ニコライ・アノーソフ指揮で3曲が抜粋初演されて注目を浴び、次のシーズンには全5曲がアレクサンドル・ガウク指揮で演奏された。
 作曲された当時、その独創的な旋律や、色彩感覚が驚嘆をもって迎えられたが、師ミヤスコフスキーは、更に、テーマの発展の豊かさや、低域を充実させたオーケストレーションを望んだと言われている。
 確かに、そうした指摘は的を得ていると思うが、同時に、後に生まれた傑作「舞踊組曲《ガヤネー(ガイーヌ)》」を想起させるという意味で、興味深い作品だ。中でも「剣の舞」と並んで有名な「レスギンカ舞曲」を、この若書きの「レスギンカ」と比べると、その書法の発展がよく理解できる。

■演奏についてのメモ
 「ピアノ協奏曲」は、これまでにも多くの録音がある。初演者たちによる前述の録音の他、古くは1950年の米RCAによるウィリアム・カペル/クーゼヴィツキーの録音や、ヨーロッパの一連の初演を行ったモーラ・リンパニーによる52年頃の英デッカ録音(フィストラーリ指揮)がある。70年代になってから録音されたアントルモン/小沢盤、ラローチャ/フリューベック・デ=ブルゴス盤も興味深いが、英ASVに、当CD以前に、ポルトゥギーズのピアノで、チェクナヴォリアン指揮ロンドン響による演奏がある。
 このチェクナヴォリアンの旧録音は、安定した見通しに支えられた演奏で、リズム・アクセントの配分もテンポの揺れも、全体の中での位置付けが明快で、論理的に構築された演奏となっていた。それは、この作品の構造を客観的に提示した演奏として貴重なものだったが、今回の録音は、それを踏まえて、豊かな肉付けを施した演奏と言えるだろう。
 安易にアルメニア的体臭に寄掛かる結果にはなっていないところが、さすがチェクナヴォリアンで、これは旧録音で把握されたものの成果が随所に生かされているからだろう。ピアノ独奏も、色彩的ニュアンスの豊かと力強さを兼ね備えたもので、ラプソディックな展開の乗切りも充分だ。
 この作品が、かって西欧で言われたようにイメージが拡散したものではなく、構成的で求心力のある作品だということがよく理解できる演奏だ。新たなスタンダードと言ってよいと思う。

 ロリス・チェクナヴォリアンは1937年にイランに生まれたアルメニア人の指揮者、兼作曲家。1954年からウィーン音楽アカデミーで、ハンス・スワロフスキーに指揮法を学んでいる。長らくイギリスを活動の本拠にしていたが、先頃のソ連邦の解体で独自の道を歩み始めたアルメニア共和国を代表するオーケストラ、アルメニア・フィルハーモニーの芸術監督及び主席指揮者にも就任して、このオーケストラの再建に尽力している。
 アルメニア・フィルは、アルメニアの首都エレヴァンに建った「ハチャトゥリアン・ホール」を本拠地にしており、生前のハチャトゥリアンとの関係も深かった。自然に備わっている豊かな音楽性と、大胆なダイナミズムは、とかく小さくまとまりがちな最近の音楽演奏の世界的傾向の中で、独自の魅力を保持している。西欧の音楽理論を身に付けたチェクナヴォリアンとのコンビでの、これからの演奏が期待されている。
 ピアノのセルヴィアリャーン=クーンは、アルメニアの血をひくレバノン生まれの女流で、ハチャトゥリアンの「ピアノ協奏曲」を得意にしているという。このCDがデビュー録音とされている。



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