馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

青春の焦燥18 ドキュメントTV冬富士の青春。

2021-08-31 07:16:04 | 日記


コロナ禍での音楽イベント開催批判、謝罪
混乱が続出しています。


弊社は三つのビジネスを展開しています。


変圧器、トランスの製造、その他電子部品等

前年度と比較して何とか平準を保っています。


アマゾンショップ

はコロナ禍での引き籠り需要で安定しています。
混乱を極めているのが
OEM商品・ノベルティ製作関係です。

イベント会社からの見積り企画依頼が多くあります。
しかし、最終段階になると、コロナ禍での
イベント開催中止となり、販売グッズも
海外でのサンプル制作等を何度も重ねて
経費も掛かります。
全て経費負担が残り終わり。
イベント会社も経営を維持するために
必死なのですがコロナには勝てません。
政治の権力奪権闘争が勃発しました。
コロナ汚染は、休戦してくれません。
横浜市長選のように国民は冷静な
判断を下すでしょう





青春の焦燥17 少年から青年へ。

続きです。
10月、北アルプス縦走が終えて
11月 冬富士登頂と雪上、氷上訓練です。


雪富士は眺めての通り雪の急斜面が麓まで続いています。
マイナスの烈風が吹き荒れ、ヒマラヤ山脈の
危険度は同じかむしろ滑落死亡は多い。
1年生には、出発前から恐怖で眠れぬ夜が続く。
富士吉田から歩き始め樹海を抜けて
7号目で幕営っです。
アイゼンを装着、ピッケルで
滑落を食い止める訓練
ザイル確保訓練
体育会バレーボール部から、古いネットを貰い
氷斜面にネットを立てる。

海中での魚獲りです。
滑落して止めきれない部員を網で捉える。
標高3776.12 メートル、日本最高峰(剣ヶ峰) の独立峰です。
頂きで幕営します。
山頂の気圧は平地よりも低く、約640hPaしかありません。
平地の63%です。だから水の沸点も低くて約88度でお湯が沸いてしまいます。
料理は上手く作れません。
テント内での喫煙は交代で一人が吸い終わるまで待ちます。
酸素濃度は低く呼吸困難になる。




下記ブログは私が4年生で冬富士登頂の記録。
某TV局によるドキュメントTV制作に出た記録。
「冬富士の青春」。
再掲です。

2009-12-23 11:34:25
F1ドライバーの片山右京さんら3人パーティが富士山で遭難
二人が滑落凍死とう悲惨な報道された。
この方が登山をなさっていたとは思いもせず
南極に挑むための訓練していたと報道されていて驚いています。
軽々しく論評出来ないが冬富士登山は日本では最も危険な登山なのは
確かだ。
私は高校 大学と山岳部に所属 春夏秋冬登山に明け暮れ
大学山岳部では年間160日間、山合宿していた。
数々の困難危険生死の分かれ目を経験実感したが
取り分け、冬の富士山登頂は嫌で行きたくなかった。
今から40年以上前1970年(昭和45年)11月25日
三島由紀夫が陸上自衛隊市谷駐屯地で立てこもり
割腹自殺した。
その時私は大学4年生、富士山で雪上訓練をしていた。
中日テレビが冬富士の青春というドキュメンタリーを
撮影していて私達の山岳部も出演していた。
首筋が痛くなるほど仰ぎ見なければならない氷一直線の頂
青白く太陽を受け照り返すアイスバーン
さえぎる視界無しの強風突風
八本刃のアイゼンは堅氷に食い込まない。
数ミリの刃がかろうじて足を支えピッケルでバランスをとって
頂上に向かうが酸素が薄く荒い呼吸と重さ25キロのザックが
肩に食い込む。一瞬たりとも気は緩めない。
滑落すれば数百メートルを滑落、氷とヤッケの摩擦で焦げるほどの
スピードで溶岩に激突死してしまう。
その日、信じられないグループが冬富士に集団で登ってきた。
スキー板担ぎ靴は布製のキャラバンシューズ、防風衣を着ていたが
防寒着ではなかった。
私達を追い抜いてどんどん登っていった。
スキー滑降をするのだろうが、その行動を横目見てなぜか私は違和感があった。
「こいつら大丈夫なの、富士なめてないか」とそんなことがよぎった。
それから時間は覚えていないが、上から人間が滑落してきたのだ。
それも二人、偶然中日テレビが滑落の瞬間を撮影していた。
当然2名とも死亡。
片山さん達の当時の状況は分からないが
テント設営には強風さえぎるもの無し稜線は雪を深く掘りテントが埋まるぐらいにする。
そして雪上滑落訓練は下に横2列の人員で落下を止める。
それでも滑落をとめられない場合を防ぐため大学バレーボール部の
古いネットを譲り受け魚網のごとく杭で雪中打ち込み滑落を食い止める。
古くから言われているように富士は登るのではなく仰ぎ見るのが
一番美しい。
古い話だが、女優だかタレントだかあいまいだが突然南極に
行きたいとマスコミに発表。
話題になった。「おいおい、そんな思いつきで行ってしまうほど甘くないぜ」思ったが。
その後、南極に行ったことで人気が復活、講演活動や
南極グッズを売っていた。
タレントが冒険家として登場 ヨットで大海原走破
大陸を走り回りそれがニュースとなり商売に結びつける。
私目の率直な感想、46歳過ぎて冬富士に登らない、登れない。
F1ドライバーも主役ではあるがそれを支える多くのスタッフがいてこそ
華々しい活躍が出来る。
登山での団体行動には主役はいない。
経験豊富冷静な判断が出来るリーダーでなければならない。
学生時代、他大学の山岳部が冬の剣で遭難した。
その時のリーダーは友人だったが猛吹雪の中で下級生に自分の衣服を与え
凍死した時はシャツ一枚だった。
私の後輩も冬の北アルプス登山で凍死したが
その時は風も無い青空の天候であった。
樹林帯を登高中は雪面が太陽の照り返しで暖かくシャツ一枚で
登れるのだが、まもなくやって来る低気圧の接近への兆候でもある。
低気圧の接近前、風が止み生暖かくなる。
森林限界線を抜けた辺りで低気圧の猛吹雪に巻き込まれ
視界ゼロの中、山小屋に20メートル付近でシャツ一枚直立不動
「熱い!熱い!」叫び狂死凍死した。
冬富士は安易な事故、遭難を未然に防ぐ訓練場だからこそ
用意周到に装備、天気図作成して気象情報を常にチェック
隊員の健康状態を細心の注意をもって観察する。
片山パーティは5合目まで車で来たが
本来訓練であるななら富士吉田口より歩き出し樹海を抜け
体を対応できるように慣らす5合目で一泊
翌日から最適な場所にテント設営 滑落停止訓練
その後天候判断して頂上アタックとなる。
彼らがどのような計画書があったのか分からない。
予断はやめよう。
三島由紀夫割腹自殺と富士登山をなぜ鮮明に覚えているかというと
無事下山して御殿場のバス停に捨てられていた新聞に
三島事件が大きく報道され、楯の会隊員に私に友人がいたからだ。
あれから40年以上、下界での橋の下 濁流、泥流、急流に抗いながら
やっと河口まで来たが大不況という大風に私は立ちすくんでいる。
続く。

アメージング グレース/歌/英語、日本語字幕  

青春の焦燥17 少年から青年へ。 孫への誕生日プレゼント。

2021-08-30 08:23:47 | 日記
8月29日(日)10時 漁港の船溜まりを通って駅ビルまで。
橋を渡る途中 ハゼ釣りを眺める。
ハゼ釣り
親子連れが多い。
密にならず、陽射し照り海風が吹き、
コロナを吹き飛ばす。釣りも徒歩10分
ショッピングセンター徒歩2分
駅まで徒歩10分
利便性は最高なのだが、半ば引退だが
取り立て必要性は無し。
むしろ、動くことが少なくなるので
徒歩30分の駅まで行く。
駅ビルにてウインドウを覗いて回る。
9月1日は孫娘の6歳の誕生日。
語呂合わせでキュウイの日である。
コロナ禍以前は、出向きキュウイ入りの生ケーキを買い
息子宅に出向いた。
コロナで訪問は控えるので、駅ビル売り場でプレゼントを調べる。
生ケーキを物色するが、送りは難しい。


ドライアイスに詰めても3時間。
諦める。
ケーキ写真を息子に送った。
仕方ない。
デザイナー女性女性がプレゼントしてくれた
電池操作のしゃぼん玉セットを送る。
来宅した時、一緒に遊ぶつもりであった。


息子夫婦はワクチン未接種。
接種が終えた段階で遊びに来た時、プレゼントを考える。
コロナは、日常生活での家族の交わりも邪魔する。




青春の焦燥16  遅れて来た青年 ガース 黒百合滑落寸前。


続きです

1967年昭和42年10月
体育会山岳部の秋山縦走です。
立山 剣岳 薬師岳、黒部五郎岳、三俣蓮華、雲の平
双六岳 槍ヶ岳、上高地を辿る長距離縦走。
秋山登山は厳冬期山行の偵察と事前食料燃料を
基点となる峰に保存。
目印の赤旗に大学名と山行予定に記す。

この保存をデポと言う



部員の1年生は30キロ以上の荷をリュックに詰める
10日間の行程です。
4年生4人
3年生2人
2年生3人
1年生8人
17人の行軍?
過酷な縦走で、1年生の試練が待ち構えているのを知る由もない。
先輩がこっそり教えたくれた。
日本山岳全集という登山の名著がある。
その中にイニシャルで、当山岳部のシゴキが語られている。
凄まじい、殴る蹴る、失神すると雪を
顔 口に入れて立たせる。
秋の3千メートルの峰々は氷点下の烈風が吹き抜け
風よけ出来ないハイマツと凍結する岩稜。
一瞬たりとも緊張を緩められない。
夕闇迫るが頂きは遠く月明りに浮かぶ。
1年生は声も出せず泣き出すものもいる。
軍隊以上の過酷。
合宿を終えると退部者が出る。
少年から逞しい青年になる通り道。
台湾は18歳から兵役義務がある。
「現在は緩やかになった」
兵役を終えると、1人前の男として
未婚女性が認知して恋愛対象となる。






続く。


讃美歌【讃美歌】森山良子『山路こえて(讃美歌404番)』

歌詞
山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし。
松のあらし、谷のながれ、みつかいの歌もかくやありなん。
峯の雪とこころきよく、雲なきみ空とむねは澄みぬ。
みちけわしくゆくてとおし、こころざすかたにいつか着くらん。
されども主よ、われいのらじ、旅路のおわりのちかかれとは。
日もくれなば、石のまくらかりねの夢にもみ国しのばん。


介護保険料。

2021-08-29 06:26:47 | 日記


8月28日(土)午前 晩夏の炎天下 ウオーキング。
くたびれた帽子から、拭けども際限なく額に汗が滴る。
茜浜に到着。
茜浜
東京湾最奥の海原は霞で覆われた。

学生時代からの山登りで肉体を自虐的酷使するのは
苦痛ではない。
前立腺癌放射線治療目的と健康寿命を保持するためだ。

昼前帰宅。
シャワーを浴びてランチビールを飲んで
ソファでごろ寝。
この2時間程の脳内が閉ざされるのがたまらない。
起きて昨日届いた保険会社の通知書を見る。
介護保険の契約内容確認書の知らせ。



介護諸費用20万円
介護施設料10万円
臨時費用200万円
経緯はプレビューをご覧ください。


介護保険 月額支払い金額。(1)





手厚い看護費用だが、個人的には
心身が自らの意思を持って喋ること、動くこと
ままならないで生きたくない。
しかし、身内にとっては経済的負担と精神的な負担軽減にはなる。
介護保険とは生前の安心料ととらえる。
寿命尽きる生命保険は簡素な葬儀でよかれだ。


95歳のお袋は既に6年以上介護病院で暮らす。


幾多の看護ブログを読んでいます。
看護されるのは全て娘であろう女性。
その献身的介護には私には真似出来ない。
男兄弟3人は全くもって役立たず。
コロナ禍で1年以上見舞い叶わず。
如何にせん。
焦燥感が募るばかり。

ミッション系の学校の出身なので違和感はない。

讃美歌312番 What a Friend We Have in Jesus

Far Away(彼方の光) / リベラ 歌詞付き 軽井沢高原教会スライドショー


青春の焦燥  遅れて来た青年 山暮らしは非衛生不潔か?

2021-08-28 06:50:34 | 日記


青春の焦燥16  遅れて来た青年


続きです。


その前に
不織布マスクリサイクル 夏場の男の加齢臭対策。

ブログでは 夏山に一か月近く過ごし
風呂にも入らず、歯磨きもせず
顔は、澤水で洗うだけ。
非衛生不潔極まりないのだが、
病を生じる、体調不良になることはない。


山岳部4年間を通じてなかった。
これは、どうしてか?
医学的見地は無知な私には解説出来ない。
私に実体験から語ります。
幼い頃 気付いた頃から
蓄膿症が酷く、小学校から中学卒業まで
耳鼻咽喉科で毎日治療していた。
過度の治療で中学時代、頭髪が抜けた。
治療を中断すると戻る。
勉強が出来ないのは蓄膿症のせいだと
周囲に言い訳した。
内心は「俺 本当に馬鹿なんだと思っていた」
短距離走は早く学年で2番、大会にも出場。
長距離走は、鼻汁吹き出して途中落後。
高校生になり登山するようになった。
南アルプス3千メートル峰に登った時
気付いたのだ。
「あれ 鼻汁が出ていない」
以前の山登りを反芻した。
高度を上がる程に鼻詰まりが解消するのだ。
登ることに懸命で意識していなかった。
地上での排気ガス等の大気汚染が
私の鼻粘膜に反応して鼻汁を出すのではないか?
山の大気は汚れがない。
希薄の言葉があるように鼻粘膜に刺激しない。
目だって、濃い緑薄い緑、
秋の色づく木の葉は気候変化により
様々な色づき模様をがある。
地上で見る目とは違う。
目もやすらぐ。
人間の暮らしでの廃棄汚染がないことに気付く。
北アルプスから下山して、新宿駅ホームに降り立つ。
同時に鼻粘膜が反応する。
下界に下りた途端 鼻詰まり、体調不良が生じる。
高山で手洗い励行せず、着替えもせず
ひと月過ごす。
罹病しない。
表面肌は細菌侵入を防御している。
コロナ汚染も自然界の営みに
人間生活のエゴが優先順位が一番とされた。
森で暮らす様々な動物、海中の生き物
調和しないと、ワクチン開発しても
治まらない。
コロナウイルスは上空には舞っていない。


尚 現在74歳なるが2週間に一度
耳鼻咽喉科に通院中。








不織布マスクリサイクル 夏場の男の加齢臭対策。

2021-08-27 07:33:42 | 日記


8月26日(木)
午前9時半 銀行へ、そのまま 炎天下の遊歩道を
ウオーキングして市場で買い物。
妻は松葉杖を使わなくとも歩行は可能になった。
リハビリには一人で行けるので
タクシーで向かった。
今日も激暑だ。
帰宅してシャワーを、体重測定すると
2キロも減量。

ランチで缶ビールを飲むと元に復元?
明日は桜上水事務所に行かねばならない。
帰宅して玄関でマスクを外す。
ふと 
気付いたのだ。
下駄箱にある革靴を取り出した。
15年以上履いたボロ靴で、かなり劣化。
不織布マスクで拭き磨いた。
不織布のザラザラでカビ類は取れ
輝きを取り戻す。

今までは外出から戻ると、マスクは
ビニール袋に入れて処分。
そうか 
妻 娘も牛詰めの下駄箱のシューズだが
なかなか廃棄しない。
自分の廃棄マスクで拭き取りさせよう。
多分 聞き入れないが?
下駄箱には、銅箔を敷詰めてある。

ベッド下
ワードローブ下
要所要所の隅の置いてある。
弊社はトランス製造をしている。
カットした余分な銅箔は金出して処分している。
銅は殺菌作用があるので10円玉硬貨に使用。
病院 ホテルのドアノブには銅が使われる。
男70歳過ぎると夏場は加齢臭が漂う。
クーラー、扇風機も苦手なので
起床後、枕シーツは汗が滲む。
妻にとっては、耐えられない。
匂いを発散するご当人は鈍感で気づかない。
都心に出かけ電車に乗るので
朝 全身をシャンプーと牛乳石鹸で洗い流す。


何故 牛乳石鹸かと言えば、柳橋に事務所を置いていた頃
墨田テラスをジョギングして
銭湯へ行くのだが、その湯での石鹼が
牛乳石鹼であった。
事務所に戻るとデザイナー女性が
「ああああ 石鹸の良い匂い」
学生時代、仲間と集団で銭湯に入る。
その後、集団で居酒屋に繰り出す。
入店した途端、飲み屋のおばちゃんが
「あんたら、牛乳の匂いがする
風呂に入って来たか良いね」
1年前 コロナ感染が騒がれた頃
真偽の程は不明だが、牛乳石鹼は
細菌を除去すると雑誌で読んだことがある。
20代のサラリーマン時代
大手町の職場は20代独身男は私一人
上司の課長は30代半ばで
妻子と別居生活。
女子独身女性が20人以上。
寝坊助の僕は、辺境地の自宅からバスに乗り
クーラーのない相鉄線で横浜駅、横須賀線に乗り換え
大手町のビルへ駆け込んだ。
噴き出す汗とワイシャツにに滲む汗
くたびれた革靴を暫し眺め
課長は女子社員に言った。
「金渡すから、銀座で靴とシャツを買え」
女子社員は何故かルンルン気分で
銀座の店を回った。
後に銀座4丁目角のファッションビル勤務になった。
偶然にも、大学同級生の女子社員と
職種は異なるが一緒になった。
九州の大病院の娘である。

このフロアは、頭脳より容姿が優先される。
人事担当者が公言する。
営業先出向くと、相手が
「いいね 可愛い子ばかりに囲まれて」
「私は既に残念ながら?結婚しております」
同級生の女子社員と気さくに会話する」
すると、
「ねえ~ ○○君 匂いがしないわね」?
一瞬 何を言っているのか理解できない。
「カウンター越しで対面する顧客に
加齢臭が強い人がいて困る」
「俺 匂わないか」
「そう匂わない]
「同じ位の年齢の男性でも強烈体臭がいる」
男兄弟3人で貧しく粗野で育ったので無頓着だった。
大学山岳部時代、夏山一か月
風呂にも入らず過ごす。

帰りの信州松本発の急行列車に集団で乗り込む
車両は立つのもいる。
爺さんが叫び
「おめ~達臭すぎる」
牛詰めの列車内なのに、我々の周囲は
新宿駅まで快適空間が出来るのある。
周囲は悪臭であるが
僕たちは遥かなる郷愁?。
当時は何事にも鈍感なのか
おおらかだったのか。
皆さま ご迷惑をお掛けしました。

悪臭漂う男を消して
清潔な少女の歌声で悪臭を消してください。
Amelia Uzun - O sole mio (Vorbe bune cu Lilu)