馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

再掲 海で魚獲る人は貧乏人、その魚をタダで銀座で食べる人は官僚!

2021-02-28 06:32:51 | 日記

権力の「順口溜」
政治家➡官僚➡経営者➡高級サラリーマン➡愚民


ガース総理 ➡官僚➡息子➡経営者➡高級料理
癒着構造は変わらず生き続ける。
下記ブログは10年前のブログ


再掲 

 2011-04-29 23:01:09

 

中国文学に「順口溜」という風刺文学があると読んだ。

その中に

 

田んぼで稲を植える奴は貧乏人だが、庭で花育てる奴は金持ちである。

 

土を耕す奴は一生貧乏人だが、土地を売買する奴は子孫まで金持ちである。

 

それでいけば日本では表題のようになるか?

 

三陸の漁師は魚獲り、逃電役員は銀座でその魚を鮨で食べる。


 

政治家 官僚 癒着構造の阿吽の呼吸

官僚は男世界ですが、女が競り合うには、酒席も断らず媚びる?
要求する官僚世界は歪んでます。

唐獅子牡丹 歌 高倉健

江利チエミ 健さん慕情 寂しきテネシーワルツ。


悲しい。


死ぬのは後回し。

2021-02-27 06:57:25 | 日記



海老川大橋から40年の歳月、邂逅に想いを馳せる。

40年の歳月 続きです。
生きて74歳になった。
何だかんだ思い悩みながらも
濁流激流にに飲み込まれ浮き沈みを繰り返し
河口の橋まで辿り着いた。
行き詰って何度も死にたいとの誘惑が生じた。
やっと判ったのは、いつだって死ねるから
後回しにしようってことだ。
身近に死を心身に背負いこんだのは
17歳高校生の時だ。
朝10時 一報が入った。
同級生の牛乳配達途中で、横道から出て来たところで
ダンプカーに激突され10メートル以上空中に飛んで即死。
家業であり、高校へ行く前の早朝の仕事だった。
直ぐに駆け付けた。
布団に全身を白布で覆われ、血潮が滲んでいた。
自分が死んだことも知らずに死んだ。
それから間もなく谷川岳の死
山岳遭難と救助隊との関係Ⅱ 自衛隊による射撃。


他大学山岳部の5人の雪崩死
中学生の時喧嘩した相手が後に米軍基地の憲兵を日本刀で刺し殺した報道。
学校後輩が同じ同級生に柳刀で背後から刺殺されたのをTV報道で知った時。
行きつけの飲み屋の店主が店内での首吊り自死。
駅ホームからの投身自殺。
親族の20歳でマンション上階からの飛び降り自死。
ある日突然 予測だにしない場面に遭遇。
親父の新潟山間での客死。


死は軽々しく語れない。
が 想いずる心は人それぞれ。
願わくば 畳の上で死。
死ぬことに失敗はないだから
自ら選択する必要はない。

生死有命!


富貴在天!


(財産や地位は天命によって決まっており、人の思い通りにはならないということ)。


一切是命運決定!


死ぬか生きるかは天命による。富貴になるかどうかも天命による。(しょせん人間の力ではどうにもならない


幼き時、物事知らず
老いては白髪老人、体弱く
若い頃 青春は一瞬の光芒か


若い頃 人間が体苛め
老いては 体が人間苛める。


残るは 残影のみ!

Celtic Woman - Over The Rainbow (Live From Johnstown Castle, Wexford, Ireland/2018)

Memorial Day tribute to fallen soldiers

海老川大橋から40年の歳月、邂逅に想いを馳せる。

2021-02-26 06:24:50 | 日記
2月25日(木)AM9時から、妻とトランス組み立て作業始める。
正午 千個完成に11個不足。
急いでランチ。
11個を銅線巻きしてハンダ付け。
14時完成。
直ちに荷造り梱包
最終の送り先 横浜に出荷。


これで当分は休めそうだ。
右肩酷使で痛む。
湿布薬を貼って散歩に出る。
海岸沿い公園を通り
マリーナ 親水公園1
マリーナ親水公園2
東関道のトラック道路沿い坂を歩き
マリーナ、と水門先漁港
そして 450店舗が入る日本一のショッピングセンターを俯瞰する。
東関道1

東関道2

船橋マリーナと漁港 ショッピングセンター
この地に住んで約40年。
住んで故あって横浜の実家へ引っ越し
2年後再び戻る。
更に2回、500メートル以内に引っ越し。
結婚してから7回引っ越し。
人生 波乱万丈。
橋上から、40年の邂逅に想いを馳せる。
人も街並みも10年も満たないで移り変わり
今、コロナ禍でショッピングセンターは経営にもがき苦しんでいる。

ショッピングセンターの以前40年前は




栄枯盛衰




行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず!



買って住みたい街 第一位 栄枯衰退。


回る地球の表面はただらぬ恐怖に怯えて動きが取れない。


哀愁の街に霧が降る/難忘的鳳凰橋-Saxruby

哀愁の街に霧が降る(山田真二)

コロナ禍でリフォーム工事が殺到?

2021-02-25 08:34:14 | 日記

日曜祭日、ショッピングセンターオープンが10時だが
駅からショッピングセンターに向かう動く歩道は、
11時過ぎると行列。
若者 家族多いです。
動く歩道1

動く歩道2
緊急事態宣言後であっても、動かざるを得ない
政府が声高に自粛と叫んでも
必要性があるからだ。
馬鹿政治家と官僚の癒着迷走にはほとほと呆れるが
国民は黙って耐える日常生活を送っている。
あんたらの偉そうなご託宣に庶民は反発します。


自宅のバスルームのシャワーが水の吹き出し悪くなり
それと、トイレの鍵に不具合。
付き合いの長いリフォーム会社担当者に
来てもらった。
去年 賃貸している船橋の風呂場を全面リフォーム

東京柳橋は事務所賃貸なのでバスルームは無いが
トイレの水漏れが生じて、土台鉄管まで取り換え工事。
コロナ禍で中国からの部品調達が出来ず難儀
費用も高額になった。
当時 営業担当は、リフォーム工事依頼が
キャンセル、中断が続き仕事が減少。
室内での接触感染を恐れてのが要因。
営業も職人も自宅待機になった。
しかし今年に入ると、急速にリフォーム工事依頼が殺到。
職人さん不足で捌ききれないそうだ。
営業担当は言った。
コロナ終息を待っていたが、その気配はなく
この状態で室内欠陥を放置出来ずコロナ禍への馴れもあり
一気に依頼が増えた。


自宅待機の方が多く、時間があるので
ネットでリフォーム価格を念入りに調べ
詳細見積りと要求が多い。
私の自宅工事は、緊急事態ではないので
職人の手すきの時に来て頂ければオッケーとした。
そこで思った考えた
コロナ禍なので、不要不急は控えるとの
お達しだが、身辺の物理的トラブルは早めに対策処理すべき。
ワクチン接種が国民にいきわたり安心感を生じると
一気に大きなリバウンドがでそうだ。
ご同輩、早めに手を打ちましょう?


宮本浩次-あなた

マヒナスターズと立川談志さんの思い出。

2021-02-24 08:25:09 | 日記
アメージンググレイスとマヒナスターズ。



続きです。
マヒナスターズ 日高さんとは音楽とは別仕事でしたが
京王プラザホテルホテルで開かれた
マヒナスターズを応援する内輪のパーティーに招かれた。
関係者は、名の知れた著名人ばかり。
大鵬親方、プロゴルファー 尾崎将司 青木功
徳光、王貞治、国会議長になった土井たか子さん
綺羅星の如く方々が会場にいた。
司会は立川談志さん。
会場にいた方々はかなり人が没した。


再掲
2011-12-04 14:51:33
落語家立川談志さんが亡くなった。
私が小学生低学年だった頃
夏祭りの神社境内で演芸会が開かれるというので観に行った。
裸電球が灯る境内に臨時舞台らしき櫓が組まれ
立ち見の大人達の間をすり抜け舞台のまん前に立った。
落語家が来るというので大人達は大騒ぎだった。
小さかったので舞台演台に手を伸ばしぶらさがった。
落語の意味も分からなかったが登場を待った。
 
素人喉自慢大会だっのだろう知り合いのオバサンが
浴衣姿で舞台に登場歌っていたのを驚いて見ていた。
その隣にやはり浴衣の20歳前後の目がキョロとした
お兄ちゃんがいて喋っていた。
名前は「柳家こえん」と名乗っていた。
新聞も読めない田舎の小学生には
当時はラジオしかなく、声でしか聞けなかった。
我が家にも中学生になって白黒テレビが入ってきた。
ある日 テレビ画面に夏祭りで見た柳家こえんが
演芸場を走り回っていた。
唯一人名前と顔が一致する落語家だった。
幾年月後、立川談志を襲名、毒舌で有名となり
参議議員になったが酒酔い発言で政務官を首になった。
それから私もサラリーマンを辞め悪戦苦闘をしている頃
ムード歌謡コーラスとして一斉風靡したグループのメンバーと
知り合い仕事した時期があった。
人気が下がりメンバーも脱退していった。
再復活すべき催しをホテルで開かれた。


私もなぜか招かれた。
有名歌手、俳優、スポーツ選手、昭和の大横綱、経済界、政治家、 革新政党の女性委員長まで応援に駆けつけた。
これだけの有名人を生で身近に見られることはない。
その時 司会者が立川談志さんだった。
壇上の下には著名人が酒グラス片手にムード歌謡を聴き観ていたが
その人たちを掻き分け舞台下に立って観た。
47年近い歳月を経て再び柳家こえんを観たのだ。
著名人を前にした内輪の会なので
緊張していて毒舌話はなく、平凡な謎解き問答をしゃべっていた。
意外だった。
やはり稼業としての商売の顔と違う一面を出していたのだった。

まだ日本が貧しく戦後復興途上にあった頃
小さな町の夏祭りの宵舞台下で尻にミシン目の縫いがある半ズボンの
子供としてじっと見たが、成長して少年、青年、中年、老年となり
一番上等なスーツを装い 胸には招待のリボンを付け
華やかな饗宴の渦中にいるのは不思議だった。

75歳で談志さんはこの世を去った。
己が人生を途切れることなき毒舌で突っ走り
息絶えた。
友人も食道癌1年半前生涯独身で息絶えた。
どんな人も様々な人生辿り、思いがけない病である日突然死ぬのだ。

速度を増して遠ざかる思い出、夜祭の演芸会の太鼓お囃子の音色が
幼い日々の記憶として奥底から聞こえてきた。

死ぬのに失敗はない。
ご冥福に。
合掌!

The True Meaning of Memorial Day