馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

スワロスキー付きボールペン検品作業。

2011-11-27 22:24:22 | 日記

グアムでの結婚式に出かけている間、弊社マドンナがスワロスキーシルバーペン

の製作を一人でしていた。

  

クリップ部分ドリルで削りスワロスキーを装着する。

微妙な削り作業と貼り付けは職人技でないと出来ない。

銀座にある有名化粧品ショップで使われる。

 

私達夫婦も帰国翌日からスワロスキー付き革巻きボールペンの

検品作業を始めた。

事務所と自宅に分けて作業だ。

数量6800本

11月末までに納品しなけならない。

海外製作だが必ず日本国内にて検品をする。

革巻きペン 5千本検品したが

スプリング不良1本、ボールペントップに付けられた

スワロスキーの接着不良2本あった。

この作業に対する労力は3人が関わって5日間要している。

たった3本の欠陥ボールペンの為に関わる時間と金は莫大だ。

だが、疎かにしてはならない。

  

 

だが常夏の島から帰国した翌日朝から検品作業!

嫌になっちゃうな!

 

生きてゆくためには

致し方ございません。

頭無き輩は手を使ってボールペン1本の検品作業料を

自らやるべし。

6千本作業しても夫婦で3万円

明日の支払い光熱費が払える。

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常夏の島 (4)番外編。

2011-11-24 22:22:42 | 日記

常夏の島結婚式 出発の朝迷い事があった。

亡くなった友人の遺品である靴を持って行った。

あいつが療養中 病室で「回復したら台湾に連れて行くからな」と言った。

既に自力で起き上がれなくなったベッドで目元が少しだが微笑んだ。

後で心にも無いことを言ったと後悔したのだった。

 

17日 チャペルであいつの靴を履いたのだ。

彼は妻、息子、娘ともよく知っていた。

私にはサイズは大きかったが構わなかった。

遺品を何も使わずに朽ち果せたくなかった。

これでいつでも捨てることが出来る。

  

娘のことも気がかりだった。

とても仲の良い兄妹なので

兄が女の子を連れて来る度に、不機嫌で

一緒の食事もしなかった。

 

小姑は難しく嫁さんにとっては怖いらしいと聞いていた。

お兄ちゃんが結婚すると伝えた時、泣き崩れた。

私は男兄弟3人で育ったので、その心情を解くことは困難で不可能と感じた。

 

しかし徐々に心開き常夏の島では仲良くなった。

  

私と妻はこれからも口出しせずに見守るだけだ。

 

息子、娘 優秀ではなく平凡な常識的な男と女だ。

娘は友達多く明るい。

 

息子も仕事の関係者皆様に祝福していただき感謝しています。

今後ともご厚情の程お願い申し上げます。

  

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常夏の島へ!(3)帰国。

2011-11-23 14:16:21 | 日記

1117日(木)15時披露宴終った。

  

午睡して

18時 バーベキューに行く。

各ホテルの乗客を巡回で集め会場へ。

途中 乗車したバスがトラブルでバスを乗り換え予定より30分ほど遅れて到着。

既に ショーは始まり会場は満席状態。

パンフレットには

「炭焼きバーベキュー(牛肉、チキン、ポーク、エビ、イカ、白身魚など)とともに、南国グアムの雰囲気漂う華麗なポリネシアンダンスショーや迫力満点のフャイヤーショーを満喫」!

    

食べる、飲む、見るの (ル・ム・ル)は時間少なく暑さと煙に巻かれて

物足りなさで終了。

ホテルに戻り、海とプールの前のテラスで飲み直し。

新月で殆ど明かりないテーブルに息子と嫁とその母親で

バーボンを飲む。

バンドの演奏が会話も出来ない程ボリューム響かせていて早々に退散

部屋に戻り成田空港で買った日本酒八海山と漬物で飲み直し。

日本で昼間、披露宴すれば親族は酒酔いなど出来ないが

身内だけで気遣いも無しで、そして後はホテルの部屋で寝るだけは楽だな。

 

息子は23時過ぎ、ITルームで日本 香港、中国、台湾へメールしていた。

ご苦労様!

 

18日(金)8時起床、妻と娘はカフェで買ったサンドイッチとコーヒーで朝食。

私はポットで湯沸して日本から持参したチキンラーメンをやはり持ってきた丼で食べた。

妻、娘は呆れ顔で見向きもしない。

 

帰国便は16時50分発なので時間は余裕があるのだが

娘が起きない。仕事では毎朝5時半起床、帰宅は平均22時頃

土日も仕事とダンスで休まる時間無し。

この時くらいルーズでいたいのだろう。

結局 海辺にも行かず昼になってしまった。

嫁さんの母親は午前中 シュノーケル付けて珊瑚礁の海に入り

魚見てきたと元気一杯。

一人ツインルームで宿泊、娘を嫁がせ

ゆったりと50歳の南国旅行を楽しんだ。

女一人で昼間と夜ダブルで働き子供3人を育てたのだ。

新婦は言った。「これからは、お母さんに幸せになって欲しい」

母親は娘が嫁いだので再婚すると聞いた。

 

昼はプールサイドのレストランでハワイアンピザにサッポロビール

  

15時 タクシーで空港へ

 手荷物検査で大失敗をしてしまった。

弊社の女性への土産で買った化粧水を機内持ち込みに入れてしまった。

当然 没収された。 出国検査は念入りに爪垢まで調べるがごとき

妥協許さない検査だった。

この時 ハタと気付いた。

「グアムはアメリカなんだ」

三浦和義の疑惑の銃弾事件を30年経過しても忘れずサイパンで逮捕したのだ。

 

テロとの戦いが常在戦場のアメリカ。

緊張感欠如の日本。

成田に予定到着時刻は30分遅れの20時に着いた。

昨年末まで娘は成田空港勤務だったので

知り合いも多いのだがこの時間はいなかった。

機内食が不味かったので食べずに空腹、空港内のレストランで食べたかったが

既に閉店 、娘ご推薦の中華レストラン謝朋殿で坦坦麺を食べたかった。

 

23時 自宅着 お疲れ様でした。

 

 

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常夏の島へ!(2)結婚式。

2011-11-20 21:10:30 | 日記

1111日(木)節約の為、ツインルームにエキストラベッドを入れた。

7時起床、海辺を散策 既にプールには白河馬のごとき外国人老夫婦が

ビーチマットに横たわっている。

シュノーケルを着けたオバサンが珊瑚礁の波間に頭を潜り込ませていた。

このような朝を迎えられるのは久しくなかった。

日本の世相は変転、流転が毎日繰り返され

毎朝の新聞は読むのはストレスが溜るだけだ。

 

しかし 部屋に戻ると

朝 エキストラベッドで寝た娘が

「お父さんのイビキが凄くて眠れなかった」

非常に不機嫌である。

一階のカフェテリアでサンドイッチ、ロールパン、ジュースを買った。

オーシャンビューのベランダで朝食。

妻は私のスーツにアイロン架けをしている。

11時半 妻、娘もドレスアップしてロビーに降りる。

私も一張らいのVANベージュスーツに白ワイシャツ、ケントのネクタイ

茶の靴という七五三スタイルになった。

 

17日(木)正午ホテルロビーで待っていると

小柄だが脂肪がたっぷり付いた体で上下の服が

歩く度にハチ切れそうな典型的サモア人女性の案内で式場へ向かう。

小さな白いチャペル玄関に黒の上下装いの女性が二人立っている。

ここでも緑の芝生の道、白、黒の端整な配合

ゆっくりと扉を開かれると白大理石の礼拝堂の奥正面はガラス張りで

エメラルドの海原広がる。

私達はホワイトのソファに座る。

  

長身 浅黒い宣教師が入ってきた。

壁際にサモア女性とカメラマンが立っている。

サモア女性が聖歌をアカペラで声量豊かなソプラノで歌う。

扉が開かれ、息子がウエディングドレスの彼女に寄り添い

少し緊張して祭壇に上がる。

 

式が始まったのだ。

列席者は 私 妻 娘 嫁さんのお母さんの5

説教の最中 ガラス越しにスコールの水しぶきが叩きつけ滝のような流れだ。

花嫁のお母さんは大粒の涙が止まらない。

女手一つで子供3人を育てた 兄弟がいて

真ん中の娘として母親の手助けをずっとしてきたのだった。

 

私も 男なのに恥ずかしくも涙が出た。

 

息子2歳、娘0歳の時失業。

育てるために あらゆる屈辱に耐えた。

耐え切れず、寒風の深夜、酒を胃袋一杯に詰め込んで

彷徨った。酒は排尿で出ていくが 屈辱は吐き出せなかった。

赤ん坊の寝顔を見て毎晩 「辛抱だ」!と唱え続けた。

 

指輪を花嫁にはめてキスして式は終わった。

隣の白い建物で披露宴が始まる。

  

スコールは去って

白大理石の建物、ガラスの向うにホワイトブルーの海原と

白い波頭が絵画のように見えた。

陽光が小さなゲストルームの大理石床に

白い雲と紺青の空を映し出している。

7人のフレンチ宴が始まった。

和やかにゆっくり、にこやかに会話が弾む。

常夏島の陽射しがスーパーホワイトルームを輝かせ

まるで、サイレントカラームービーのようだ。

    

宴の最後に新郎新婦からプレゼントがあった。

私達の結婚記念日のために

妻にアイスブーケ、私に冬用の帽子がプレゼントされた。

  

私達夫婦が結婚した頃は、いい夫婦の日とは呼ばれていなかった

1122日に結婚式を挙げたのを知っていたのだ。

当時は次の日が勤労感謝の休日なので地方からの列席者には

都合が良いだろうと考えただけだった。

 

私達夫婦も結婚式は貧しかった。

上司の不正を糾した結果の報復人事異動だった。

レストラン事業部で失意の皿洗いをしていた時だった。

大手町にある会社の小さなレストランで披露宴をした。

レストラン事業部のコックさんや店長さんが無償で調理してくれ

会社の会議ホールを使用 会費制とした。

音楽は大学のマンドリンクラブが演奏してくれた。

当時としては画期的な披露宴だったが、貧しく

お金が無かったからだった。

 

イケメン息子にとって挫折挫折の青春であった。

名門私学の中高に入りながらも登校拒否を繰り返し

職員室の清掃を単位として認定を受けて卒業。

大学進学を拒否、コンビニ」で深夜バイト

台湾の筆記具工場で働かせた。

予備校講師である私の兄の勧めで

冬にサテライト講義を受講させて大学に無理やり入学させた。

卒業後、台湾留学、現地日系メーカー勤務後

私の仕事を引き継いだが不況に悪戦苦闘している。

女性関係も妹が「今度は何人」と聞くほど目まぐるしかった。

最終的に選んだのは、見てくれ、学歴、資産、家柄ではなかった。

夫婦とは、偉そうには言えないが、互いの我慢と気遣いで築きあげることだ。

 

15時 披露宴終了。

身内だけのパーティー いいもんだ。

  

ホテルに戻り珊瑚礁の海原を眺めていると寝入った。

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常夏の島へ!(1)

2011-11-20 15:09:51 | 日記

1116日(水)午前11時 成田空港から飛び立った。

久しぶりの海外だ。

 

今回は妻、娘一緒。家族旅行は16年以上前のことだ。

現地時間15時半 気温31度 常夏の島に降り立った。

タクシーで中心から離れたホテルに向かう。

料金$20、円高なので約¥1.600

パッケージツアーではないので空港で出迎え団体バスを待たないので

スムースにホテル到着。

アメリカの有名なお騒がせセレブ娘の親父が経営している。

かなり古いが悪くはない。

本館4階 オーシャンビューの部屋。

  

ベランダから眺めると曇り空だがグレーの綿菓子が青空に並び

薄紺碧の湾内に規則正しい白波が押し寄せている。

 

若い頃旅行関係の仕事していたが現在も貿易の仕事しているが

常夏の島に行ったことはない。

弊社のデザイナー女性は常夏の島が大好きで

毎年何処かの国の島に行っている。

しばし、眺めて「なるほど、観光ポスターの通りだな」と

妙に感心した?

少しの時間 珊瑚礁の浅瀬に足を浸かって

これが 椰子の実流れ着く遠き島の海水か!

   

暖かい。 太平洋戦争が終結後27年間も横井庄一さんが

生き続けたのは納得するな。

 

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