続きです。
14時、墓石にお袋の骨壺を納めると
弟の車で実家に向かった。
15時 実家にて5人での酒食を始める。
切り盛りするのは弟の嫁さん。
晩婚で子供はいないが、仲よいお友達のような夫婦。
彼女がお袋との同居生活を承知してくれたのは
我が家族に多大な影響と幸運をもたらすのだ。
信州雪深い飯山の出身。
高校卒業して看護婦になりたくて
看護学部で学ぶ。
専門婦長となり弟と結婚。
その年、息子は医学部、薬学部、理学部がある
理系大学付属中高に入学。
嫁さんがいる大学。
幸せが一緒に3月にやって来た。
親父は既に死去。
息子は中学のテニス部でアキレス腱に小さな骨が入り込み
歩行困難となる。
面倒みてくれたのは専門婦長である弟の嫁さん。
後に、兄の娘の治療
私の妻の癌治療。
それから、私の前立腺癌治療
お袋の全面的介護も取り仕切る。
総婦長になり、副院長兼看護部長となる。
この大学の理学部教授は偶然縁あって弊社の相談役になったが
「医学部教授や医師より、看護部長が親族にいるほうが
治療入院には強力な援護になりますよ」と言った。
正しくその通りであった。
妻と私の癌治療も素早い検査で完璧にであった。
お袋が97歳まで生きたのも、弟の嫁さんの協力であった。
看護室の隣の個室にあり緊急事態にも対処できた。
医師よりも絶対的権力を陰でもっていた。
TVドラマでの「失敗しないので」悪役看護部長のイメージだが
迫力あるが、正義感が強く、医師に物申す人。
木曾義仲の豪妻であった巴御前の如き
家族を守る為獅子奮迅の活躍をするのだ。
人間的におおらかで明るい人柄です。
お袋が自宅で倒れた夜半、救急搬送したが
横浜の辺地では、受け入れる病院はなく
自ら乗り込み渋谷の勤務する病院へ運んだ。
車内では救急隊員に指示して容態判断と処置。
ナイチンゲールは救急車内で完璧。
那須の寒村で貧しい家に生まれたお袋は死出の旅路は
華やかであった。
最も、お袋は知る由もない。
9人乗りリンカーンで渋谷松濤から辺境地の実家
葬儀場、に向かったのだ。
葬儀の日、誰にも式参列を知らせなかったが
介護病院のオーナー院長が渋谷から参列
看護師の同窓会長でもあり、
10人に及ぶ看護幹部女性が参列。
嫁さんの看護学会でのプライドもあったのだろう。
逞しき嫁さん。
お袋は大学病院に入院中
孫息子の自慢話を事あるごとに
女性看護師に話した。
息子とは喧嘩ばかりしていたが
孫は別人格なのだ。
成長したイケメン孫息子には
4年間の留学費用を全て出したのだ。
逞しき嫁さん。
お袋は大学病院に入院中
孫息子の自慢話を事あるごとに
女性看護師に話した。
息子とは喧嘩ばかりしていたが
孫は別人格なのだ。
成長したイケメン孫息子には
4年間の留学費用を全て出したのだ。
貧しく苦しい子育てを経て
やっと晩年に得た幸せであった。
私には辛く当たったが
年年歳歳、私はひ弱な精神を強く賢くしたのは
お袋ではないかと気付き出した。
人生のたゆまない生き抜くための術をお袋の
叱咤を受けて、激情に駆られたが
次第に冷静沈着さに欠けていることに気付くのだ。
憎悪と怨念のくびきから徐々に解放され
労りの目でお袋を接するのだ。
続く。
竹内まりや Mariya Takeuchi - Mayonaka no Nightingale 真夜中のナイチンゲール