こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

溢れるあまたの中から納得できるものを選んで

2017年10月12日 | 日々思うこと、考えること

デマ、流言飛語の類は古今東西にあって、多くの悲喜劇を生んで来た。古代ギリシャの時代にはすでに政治手法にも用いられていたので、人類の歴史からしたら数千年の歴史を持つ伝統だ。最近ではフェイクニュースという言い方をされるネット上を飛び交う情報もそうだし、またぞろ始まった女性政治家おろしの週刊誌ネタのようなものだってどこまで本当なのかわかりはしない。

人間の持つ能力はごく限られていて、世界のことを全て知ることはできない。わかるのはせいぜい、高いところに立って見回す周囲1、2キロの風景ぐらいで、人間関係となると家族のことのごく一部の古語ぐらいだろう。でも、妻が何を考えているかの全てを知ることはできない。選挙になると政治家が街頭に立って直接話を聞くことができるが、いつの間にか政党が変わっていたりとかしてややこしい。だから、人の言うことを聞くのだけど、それが嘘偽りではどうしようもない。

医療情報にしてもずいぶん錯綜している。効くのか効かないのかわからないサプリも氾濫している一方、癌治療のような高度な専門性を求められる領域でもよくわからない治療方法がどんどん提案されている。サプリについては私もしばらく前からあるものを一つ飲んでいるが、効果のほどはわからない。だが、一時期味覚が著しく減退した時があって、そのときに飲み始めた亜鉛は確実に効いて、味覚が戻った。亜鉛の補充はサプリの服用とは若干意味合いが違うが、少なくともその錠剤に亜鉛が入っていて効果をもたらしてくれたということは確かだ。実体験が何よりも確かであることの証左だ。

結局のところ、情報を集め、取捨選択した上で身をもって経験することでしか、物事の真贋、真実を確かめることはできない。なんのためにそうするかというと、自分の行動への身体的、精神的安定がある。だから、行動基準はこれ以外にはない。”納得”できさえすれば人間どうとでもなる。そのために、世の中に溢れるいろいろな情報から、一番自分が納得できることを選ぶ。今度の総選挙もそうだ。民主主義の根幹、というか最大公約数が選挙という方法なのだから、トランプさんを大統領に選んだアメリカ人はそれはそれで納得しているだろうし、今回、投票する私たち日本人も、一番信用できる情報を探し出して投票し、誰が勝っても納得するしかない。

棄権はダメ

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