男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

簗瀬さん

2011年05月06日 | この名字のルーツは?
ヤナセというと、高級外車を扱うあの自動車販売会社を思い出すが、

ヤナは魚を取るための仕掛けのこと。

それを川瀬に仕掛けて魚をとる。

現代のヤナセさんは、高級外車の仕掛けで魚(人)を釣る。

このヤナセさん、ヤナガセさんともいうが、全国約3,900人。

三河国発祥、藤原氏。ほか会津藩、黒羽藩、岩代、日向に存す。


余談ですが、現代では不景気のため、200万円前後の新車のファミリーカーがなかなか売れない時代ですが、不思議と、ベンツやBMWなどの新車を購入する人は減っていないそうです。

二極化が進んだ結果でしょうか?

平均年収が406万円(平成21年)と言われる時代、新中間層、中流家庭などという言葉はとっくに死語化しています。
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2 コメント

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落人・簗瀬三左衛門 (秋田の簗瀬三左衛門の子孫より)
2012-06-18 19:12:52
ウィキペディアに「源義光の子孫は、平賀氏、武田氏、佐竹氏、小笠原氏、南部氏、簗瀬氏と在地武士として発展した。」とありました。我が家の祖は四百年以上前、戦に敗れ秋田領雄勝郡小野村に住み着いたと伝えられています。氏神は諏訪八幡宮。ご神体は馬に乗った源義家。後三年合戦のとき、源義光は朝廷の許可なく官位を捨てて兄義家の応援に出羽に馳せ参じました。先祖義光が活躍した秋田領を目指して、我が先祖簗瀬三左衛門は落ち延びてきたのでしょう。新庄(山形)の辺りで浪人していた簗瀬三左衛門は、保科正之に召し抱えられ会津藩の家老になりました。我が祖は小野小町伝説の里で、帰農しました。
Unknown (sy)
2019-11-05 07:09:35
熊本県阿蘇郡小国町に住む簗瀬です、
江戸期の先祖墓名は高野で何故簗瀬性
に成ったのか経緯は判りません、熊本県
では我が一族だけの様です。

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