男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

家系譜新聞9月号

2019年09月01日 | 家系鑑定とアドバイスなど
特集:「家系調査体験談」
東北出張での家系調査
現地調査は戸籍調査が終わった後に行いますが、かなり遠方に出張することがあります。先月は東北方面に三件ほど現地調査に行って参りました。まったく行ったことがない土地に現地調査に行くときは、さすがに緊張します。しかも、そのうちの二件が、明治初期に一族全てが遠く離れた他県の新地に移動しているので、先祖のことは全くわからないというのです。(いつもはこういう調査は引き受けないのですが)

現地調査の前の資料収集
遠方の調査は時々、赤字になる事が有るので、なるべく効率よく行おうとします。そのために事前調査として、国立国会図書館等で文献調査や苗字の分布、家紋の分布、或いは地図を調べたりしますが、それでもわからないことが多いのです。どうなるだろうと心配し、去年から、調査がうまくいくように願をかけ、般若心経を毎日唱えました。
先ず本家を探すが
S家の戸籍上の一番古い住所は岩手県の江釣子という土地です。現在、同姓の家は一軒だけでした。明治初期の住所と現在の住所は違いますが、S家の先祖と同じ地に住んでいると思われ本家になります。その家を探して訪問しましたが、不在でした。翌日行ってみても住んでいないような感じがしました。他に方法がないので、S家の墓を探すことにしました。広い地域の中で、何の情報もなく墓を探すことは、太平洋に落ちた一本の針を探すようなものです。

前日の夜は眠れず、朝早くから、地域のお寺というお寺の墓地を片っ端から探しました。八月は曇り空が多かったとはいえ、ピーク時は軽く三十度を越えます。あまり長い時間は、熱中症になる恐れがあるので、様子を見ながら行いますが、遠方に来ているので、どうしても無理をせざるを得ません。結局、数件のお寺を探すも、S家と同じ苗字のお墓は一基も有りませんでした。
困り果てて、地域の小さい図書館に行ってみると、地域の屋号を調べた自費出版と思わしき書物に出会いました。S家は「別当」(神主を意味する)と呼ばれている家系であることがわかったので、神社近くの墓を探しました。

朝から般若心経を唱えながら、徒歩で探していると、約一キロ先にこんもりした林が見え、気になって行ってみました。そこは八幡神社の裏側でした。神社の裏鳥居から入ると江釣子古墳群の中に多くの墓が見えます。片っ端から見て歩きましたが、見当たりませんでした。
そのうち小雨が降り始めたので、墓地に向かって(いつも行う)最後の般若心経を終えて、目を開けると、前方二十メートルあたりにS家の墓を見つけました。S家本家を守っていた人は九年前に亡くなっていました。何度訪問しても会えなかったはずです。
家系調査は奇跡の連続
八幡神社の表から入ったら、神社からお墓がかなり離れた距離にあったので、当家墓に出会うことはなかったと思われます。こんもりした林が気になったというのも不思議です。田舎には林がたくさんあるし、本家からかなり離れていたので、初めは調査対象から外していました。
今回、このお墓を発見することで、江戸時代中期頃までわかりました。お墓を見つけることができなかったら、岩手県まで来て空振りで帰るところでした。まさに奇跡のような体験でした。
コメント
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