男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

家系譜新聞8月号 特集:サイコパスとソシオパス

2023年07月31日 | 家系鑑定とアドバイスなど
特集:サイコパスとソシオパス
暑中お見舞い申し上げます
最近の気温上昇は異常なくらいですね。災害級の暑さです。熱中症などには十分お気を付けください。

最近多くなりつつある傾向
当方の返答が終わらないうちに話を切り出す人が最近多い気がします。じっくりと相手の話を聞く余裕がないといいますか、とにかく自分の話を聞いてもらいたいという意志が強いのでしょう。そういうことは良くあることですが、一般的な常識の範疇を逸しているケースが度々見受けます。
人間関係や社会生活がうまくいかない人の中には精神病質の範疇に該当するケースもありますが、程度が軽く社会生活にそれほど問題が起こらない軽度なケースもあり、芸能人や会社の経営者等では押しが強く力を発揮する人もいるようです。
世の中は少子化が進んでいる傾向にありますが、昔は兄弟の数が多く、その中でもまれて育っていくと、それが良い意味で社会生活の訓練になっていたような気がします。子供の数が少ないということは親自体も経験不足のようなもので、どのように扱ったらよいのかわからないので、子育てを失敗することも多いでしょう。

サイコパスとソシオパス
サイコパスやアスペルガー症候群という言葉をよく耳にすることが多いです。サイコパスとは、精神障害の一種であり、社会に適応することが難しい恒常的なパーソナリティ障害をいいます。精神病(妄想・幻覚・乱雑な思考と発語・非現実的で奇妙な行動などの症状)と健常との中間状態を言います。
サイコパスと同じように使用される言葉に、ソシオパスがあります。医学用語でいうと、サイコパスもソシオパスも反社会性パーソナリティ障害として分類されています。サイコパスとソシオパスの明確な違いは定義されていないのですが、「ソシオパスは後天的、サイコパスは先天的」という分類をするようです。

親子関係が原因か?
サイコパスになる原因は、脳自体に異常が有るケースもありますが、ソシオパスは子供時代の生い立ちによるものが多いです。
子供時代の生い立ちが、精神障害になる大きな原因でもあるのです。子供時代に親から愛情を与えられなかったり、育児放棄されたり、精神的・身体的な虐待を受けていたりすると、トラウマとなり、精神障害になる原因を作ってしまうのです。

家系的な影響も
つまりは親子関係(特に父親と息子)に出てきやすいのですが、家系的にみると代々連鎖傾向にあります。代々、それで苦しんできたのです。そういう育てられ方をした息子は、自分が親になったら正していこうと思うのですが、不思議な事に自分が親になったら自然と同じことをやってしまいます。それほど家系的影響というものは強いのです。
しかし、今からでも遅くありません。気が付いた時が「時」です。愛されなかった、或いは偏った愛の犠牲になった自分が良いほうに変わるには、親や先祖を自分から愛していくしかありません。それを乗り越えた時、家系の流れが変わっていくでしょう。
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ご存じ?地震の周期説

2023年07月15日 | その他
寛永大地震が1633年。
それから70年後の1703年に宝永大地震。
さらにそこから79年後の1782年に天明大地震が起こっている。
さらにそこから73年後の1855年に安政大地震が起こっている。
さらにそこから68年後の1923年に関東大震災が起こっている。
つまり、平均すると70数年の間隔で大地震が起こっていることになる。
それでは、関東大震災から70数年後というと、あの阪神淡路大震災が1995年のこと。
人間の周期は60干支があり還暦というが、宇宙は波でできているから、あらゆるものに周期があって当然。
ところで・・・阪神淡路大震災から東北関東大地震までは16年だ。最近、周期説が崩れるほど頻発してないか!
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分限帳に出てくる役職名

2023年07月14日 | 日本の歴史、地域の歴史
江戸時代に大名家家臣の名や禄高、地位、役職などを記した帳面を分限帳といいます。身分、役職はほぼ下記のようになっています。
御一門家:藩主の正室に生まれた男子。藩主の一族として特別の待遇を与えられた家柄。
寄合衆:藩の大切な政務に参与する家柄。家老はこの家から選ばれる。
騎馬:外出、行列、戦に乗馬できる身分。
中小姓ちゅうごしょう:騎馬につぐ家柄。ほとんどが城下に住んだ。
歩行かち:中小姓につぐ家柄で、城下や外城に住んだ。
足軽:小者と呼ばれ、戦時の食料運搬、戦死傷者の始末、罪人の逮捕護送その他の雑務に従事した。
その他:士分の待遇を受ける者に、医師、茶道家、大工、神官、山伏、舟頭、鍛冶等がある。
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渋沢姓

2023年07月13日 | 日本の歴史、地域の歴史
最近、母方が渋沢家というお客様にお会いしました。
渋沢姓は群馬県と埼玉県に集住しています。清和源氏(甲斐源氏)逸見氏流がルーツといわれ、甲斐国北巨摩郡渋沢村が発祥地です。武蔵国榛沢郡血洗島(埼玉県)の渋沢栄一が著名です。
「澁澤 榮一」は1840年3月16日(天保11年2月13日)~ 1931年(昭和6年)11月11日。家紋は丸に違い柏。戒名は泰徳院殿仁智義譲青淵大居士。日本の豪農出身の武士、官僚、実業家、慈善家。位階勲等爵位は正二位勲一等子爵。雅号は青淵(せいえん)。
日本近代化の父。論語とそろばん。日本的倫理の発信者。
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日本の地名 軽井沢

2023年07月12日 | 日本の歴史、地域の歴史
 遠く県外からお越しになったお客様を、ホテルを予約していた軽井沢にお送りした。今日はレンタカーでお嬢さんと一緒に河口湖に向かっているころでしょう。
 軽井沢は日光と並び昔から避暑地として有名な観光地として知られ、ショー宣教師が教会を作ったことからキリスト教的避暑地のようなイメージが有り、これも日光と似ている。軽井沢は五街道の一つである中山道に軽井沢宿という宿場町があった。明治時代には軽井沢駅ができ、大正時代に軽井沢町という地名になったといいます。地名由来は浅間の噴火で軽石が多い地域なので軽石沢が軽井沢になったというが諸説ある。「かるいざわ」で知られているが、群馬の老人の方々は「かるいさわ」と呼ぶので、ほぼほぼ「かるいさわ」で通っている。写真は大好きでいつも行ってる雲場池。
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日本の地名 岩村田

2023年07月11日 | 日本の歴史、地域の歴史
長野県佐久市に岩村田という地名があります。地名の由来については文献等は残っていませんが、イワムラとは岩が群れるという意味があり、そこに田んぼが付いています。岩村田宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十二番目の宿場でした。当時、岩村田藩1万5千石の城下町であり商業の町でしたが、宿場としては本陣が無く旅籠も最盛期で8軒と少なかったようです。岩村田宿内の戸数は350軒でした。街の中央にはさびれた昭和の雰囲気の岩村田商店街があります。東部、鼻顔稲荷神社とは湯川を挟んで対岸に位置していた地域は岩村田遊郭がありました。
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日本の地名 高崎

2023年07月06日 | 日本の歴史、地域の歴史
群馬県高崎市に住んでいますが、高崎の地名は地形とは関係なく、慶長三年(1598年)に井伊直政が城名を高崎城と命名しただけの話しです。

高崎と言うと大分県大分市の高崎山とよく間違われますが、あちらは高い山尾根の突出した地をいう意味があります。

日本家系調査会
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「先祖を知れば未来が見える」改訂増補版 男澤惠一著
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篠塚城

2023年07月05日 | 日本の歴史、地域の歴史
今日は篠塚さんという人に会いました。新田家臣はご本人も知っていました。
篠塚城がありました。
所在地:群馬県邑楽郡邑楽町大字篠塚 八幡神社
主要城主:篠塚氏
元亨年間(1321~1324)に、新田義貞の四天王の一人・篠塚重広が築いた城です。遺構はほとんど残っていません。八幡神社に大手門があったといわれています。
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家紋地図 中国

2023年07月04日 | 家紋いろいろ
戦乱のときは兵が往来した中国地方。山口県周辺はよく調査に行きました。安芸には、「丸に離れ三引」の吉川・鳩紋の熊谷・「左三つ巴」の小早川など鎌倉御家人が多く西遷したことから関東ゆかりの家紋が多い。
大内家「唐花菱」はルーツである多々良氏の「唐花」を誇示。中国地方の覇者「一文字に三つ星」の毛利家の本拠地。
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家紋地図 四国

2023年07月03日 | 家紋いろいろ
四国は、阿波・讃岐・伊予・土佐の四つで四国と呼ばれました。
阿波は「三階菱」の三好氏一族、讃岐は「三階松」の讃州藤氏、伊予は「折敷に三文字」の河野氏、土佐は「一条藤」の一条氏がそれぞれ本拠とした。戦国時代四国に勢いが有ったのは「酢漿草」の長宗我部氏です。
四国は調査でまわること度々でした。土佐國の瑞山こと武市半平太「四つ柿葉」が印象的でしたが、徳島の武市家は河野氏の流れを組むだけあって、折敷に三ではありませんが丸に三文字でした。
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