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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)5 公民館と旧中村家住宅 池泉廻遊式庭園のある旧藩主邸

2023-03-16 10:57:59 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)5 公民館と旧中村家住宅 池泉廻遊式庭園のある旧藩主邸

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。
 

■■ 岩手県盛岡市 旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)5 公民館と旧中村家住宅 池泉廻遊式の大名庭園のある国登録記念物 

 

 旧南部氏別邸庭園は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。現在、中央公民館となっている建物も、もともとはこの別邸の一部として利用が始まりました。

 この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地となりました。

 明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、明治41年(1908)に南部家第43代当主南部利淳(としあつ)により、現在まで残る木造建築と庭園が整備されました。

 愛宕山に隣接する平坦な土地につくられた庭園は、3つの中島が浮かぶ広い池を中心としています。池の周囲および中島にはさまざまな意匠の燈籠類やマツ、モミジなどの樹木が配されています。

 何度かの改修がなされ、第二次世界大戦後には庭園の一部が失われてしまいましたが、江戸時代の絵図などをもとに、復元されました。江戸時代以降の東北地方における造園文化の発展に寄与した意義深い事例といわれています。

 現存する庭園(原設計:長岡安平)は、木造の本邸建物(設計:葛西萬司、指導:原敬)や蔵などともに南部伯爵家の別邸の附属施設として明治41(1908)年に造営されました。造営当時の庭園は、戦後に北側約5分の1が失われました。しかし、園地周囲や浮島に山灯篭・春日灯篭・銀閣寺垣を配した庭園は、旧別邸大広間からの座視鑑賞を重視した回遊式庭園といえます。面積は、約1万平方メートルと広大です。

 特徴として挙げられるのが、書院造の大広間からの座視鑑賞を重視した廻遊式庭園ということです。別邸当初は借景庭園と考えられますが、周囲の環境が変化してしまいました。 江戸時代から昭和20年代には、岩山・桜山・高洞山・名乗山・姫神山などの山が眺望できたが、現在では岩山・桜山・名乗山・姫神山・蝶が森の一部だけが眺望できるのみです。

 池泉について、下小路屋敷当時は約8000平方メートル、別邸造営時に3170平方メートルに縮小されてしまいました。

 鑓水は江戸時代から別邸当初は北東側1カ所、現在と同じ西側1カ所から取水しています。鑓水を伴う北東側の取水口は、敷地縮小により現在では井戸水のポンプアップによるそうです。

 園路は、江戸時代の絵図にみられますが、別邸前の園路は新設されたものです。中島にかかる橋は、当初は土橋、現在は反り橋(太鼓橋)に掛け替えられています。

 植栽関連は、当初は五葉松、枝垂桜、松など常緑針葉樹に、芳野桜、大盃紅葉などの落葉樹が配されていました。現在は、柿などの有用樹のほか、ヒマラヤ杉、桜、山モミジ、白樺、垂れ桂、モミなどの高木や、ツツジ、紫陽花などの80種以上の低木が追加されています。

 睡蓮は、昭和20年代以降に見られるようになりました。明治41年~昭和9年にかけて、皇族・宮家による松の植樹が行われました。そのほかに南部家の植樹もあります。

 別邸前の広場はについて、長岡安平は全国の公園や庭園の設計にあたり「遊戯場を備えることは必要条件」とし、別邸と池泉の間に広い空間を設けました。原敬も大勢があつまる園遊会などに混雑をしないように、また乗馬や馬車自動車などがふえることを考慮し、正面と玄関前に広い空間を設けるように指導しています。

 別邸庭園の設計上の特徴について、下小路屋敷の池泉などの地形と、敷地の平面系を踏襲しつつ、中島・出島の配置を見直し、廻遊性を高めています。

 しかし、昭和10(1935)年に記録した「御別邸敷地沿革及び新規造営物等の説明」(南部別邸略記)によれば、長岡の設計は規模が広大すぎ、工事費もかかるため参考にとどめるという記録があります。この長岡の設計思想を受け継ぎ、池泉の縮小などして完成されました。長岡は、桜の植樹、池泉に護岸石の採用、園路の整備、運動場の整備、公園的要素を加味するなどの配慮をしました。

 廻遊性を加味し、御座の間(和室)からの山灯籠のある滝・土橋、姫神山などの借景を第一に重視しながら、(1)謁見の間(大広間)からの庭園全体の眺望を大事にしたこと、(2)愛宕山を借景とした東側からの眺望、(3)桜山や岩山を借景とし、松と杉を背景に、手前に山モミジを配した西からの眺望、(4)南昌山などの山並みを借景に、山灯籠の乗る丘から別邸を見越した眺望が考えられます。

 

■ アクセス

 JR東北新幹線 盛岡駅より約3km(市内複数箇所にレンタサイクルあり)
 JR山田線 上盛岡駅より徒歩約15分
 盛岡駅より路線バス「中央公民館前」バス停下車すぐ 盛岡駅 バス15分
 所在地: 岩手県盛岡市愛宕町267番 公民館:019-654-5366
 駐車場:   有り(無料)
 開園時間    午前9時~午後5時
 入園料     無料

 

【 コメント 】
 独自のウェブサイトが見つからず、中央公民館のサイトを斜め読みしたために、冬期閉園などの情報を見落としてしまいました。

 訪問前に確認をすることをお薦めします。

  中央公民館サイト

  https://www.city.morioka.iwate.jp/kankou/kankou/1037106/rekishi/1009335/1009338.html

 

 冬期は、雪が積もり、雪解け後も、土が湿っているために、人がはいることが好ましくないようです。
 私は、暖冬の3月に訪れ、雪は日陰などを除いてほとんどありませんでしたが、休園でした。楽しみに訪れたので、諦めるのはあまりにも忍びなく、残念に思い、隣にある公民館に掛け合いました。
 なんと、ありがたいことに、庭園に附属する旧藩主邸の建物から庭園を見せてくれました。それだけではなく、建物の内部を案内してくださいました。池泉廻遊式庭園を廻ることはできませんでしたが、鑑賞庭園として充分に楽しめました。
 隣接する公民館の敷地内に、国指定文化財である旧中村家住宅もあります。内部は見られませんでしたが、うだつの上がった建物を拝見することができました。

 なお、公共交通機関を利用して訪問する場合には、本数が少ないので、事前に時刻表で確認しておくことをお薦めします。

 とりわけJR山田線は、大変に本数が少ないです。

 


旧南部氏別邸は、盛岡市街地の北東、中津川の右岸(北側)に位置します。

この地には江戸時代初期に盛岡藩の「御薬園(おやくえん)」が設けられていました。

同園の廃止後に、御殿や庭園が造られ、代々の藩主の別荘地として利用されていました。

 

左の白い建物:中央公民館 右の木造建物が旧南部家別邸

 

明治維新後、建物は取り壊され、庭園も荒廃してしまいましたが、

明治41年(1908)に木造建築と庭園が整備されました。

近代に入り、公民館として利用されていましたが、

昭和55年に中央公民館が新築されました。

現在は、建物の一部が公開され、市民の活動に利用されています。

 

■ 中央公民館


 中央公民館は、盛岡市の地域団体やサークルなどの学習活動を支援するための施設です。学びの循環推進事業や地域社会促進事業などが行われています。

 中央公民館は、もともとは旧南部家別邸建物を利用し、その一部を改造してに1958年(昭和33年)に盛岡市公民館の名称に改められました。1980年(昭和55年)には「中央公民館」として増改築されて、現在の白と黒を基調とした建物になりました。デザイン的にも旧南部家別邸の雰囲気を残しています。
 

 

中央公民館

左手に、旧中村家住宅が、右手に旧南部家別邸があります。

 

左が中央公民館、右の赤瓦の木造建物が旧南部家別邸

公民館の前は、広い駐車スペースになっていて

公民館利用者や旧南部家別邸・旧中村家住宅を訪れる

観光客が利用しやすくなっています。

 

 

旧南部家別邸側から見た中央公民館

 

旧南部家別邸側から見た中央公民館

 

 

 

■ 旧中村家住宅


 中村家は、「糸屋」または「糸治」とよばれた城下町盛岡でも指折りの大きな商家で、呉服・古着などを主に商っていました。その後、盛岡藩の特産である紫根染を一手に商うなどして繁盛しました。

 現在の母屋は文久元年(1861年)に造られたもので、主屋は田の字型の4間取りからなる座敷部分に土間を付け、前面に店舗施設としての土廂を持ち、切妻屋根平入りで、防火壁「うだつ」も残り、藩政末期の完成された典型的な町屋建築として貴重な遺構です。

 主屋は田の字型の4間取りからなる座敷部分に土間を付け、前面に店舗施設としての土廂を持ち、切妻屋根平入りで、防火壁「うだつ」も残り、藩政末期の完成された典型的な町屋建築として貴重な遺構です。1階には雪国によく見られる「こみせ」のような土間空間が「みせ」前にあり、風雪に凌げるようになっています。

 表二階が発達し、戸棚押入れなどの収納が多く造られる江戸時代末期の特徴がよく残されています。増改築の多い商家が建築当初の形をとどめている例はきわめて珍しく、重要文化財の商家としては、東北では数少ないものの1つです。

 盛岡市では、昭和46年(1971年)に中村家から建物などの寄贈をうけ、重要文化財に指定されました。昭和48年に盛岡市が寄贈を受け、旧盛岡藩主の下屋敷であった現在地(愛宕町盛岡市中央公民館内)に移築された。移築工事は、昭和49年(1974年)3月に完成し、現在に至っています。

問合せ
教育委員会 中央公民館
〒020-0013 盛岡市愛宕町14-1
電話番号:019-654-5366 ファクス番号:019-653-3505

 

旧南部家別邸前から見る旧中村家住宅

 

旧中村家住宅 全景

旧中村家住宅は、現在の盛岡市南大通(旧町名新穀町)にあったものを

中村七三氏から寄贈され、

現在地の盛岡市中央公民館構内に移築された町屋建築です。

 

うだつが上がる建物

建物左外壁は隣家への防火対策として

この地方独特な「うだつ」が上がり

壁一面が土壁で仕上げられています。

 

うだつの裏側

2階屋根の上まで壁を延ばしたうだつがあがっています

 

土蔵

主屋に隣接する土蔵は、明治時代のものです。

この土蔵と主屋のはかりばを合わせて、

昭和46年(1971)に国指定重要文化財に指定されています。

 

旧中村家住宅の裏側に立つ「やまなしの木」

盛岡出身の俳人である山口青邨が

幼少の頃よく登って遊んだ
山梨の木です。

秋には小さな実をつけます。
この場所に、青邨が中学時代まで育てられた笹間忠一宅もありました。

その家は、現在、庭園に移築され「愛宕亭」と呼ばれていまず。

また、庭園には、青邨の句碑

遠山の くつかへるさま 郭公鳴く

もあります。
 

関連写真を下記でご覧いただけます。

 

旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)1 外から見学     

旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)2 別邸内部      

旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)3  外から覗く庭園   

旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)4 別邸広縁から見る庭園  

旧南部氏別邸(盛岡中央公民館)5 公民館と旧中村家住宅 

 

 

 

  「ナレーション付きカシャリひとり旅」映像をご覧いただけます。

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 


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