今日のうた

思いつくままに書いています

げいさい

2021-02-16 17:39:27 | ③好きな歌と句と詩とことばと
ツイッター上で、会田誠「げいさい」と書いてあるのを何度か
目にしたが、何のことか分からなかった。「げいさい」とは何ぞや?
図書館の新刊コーナーでそれが小説だということを知った。
会田誠著『げいさい』を読む。

会田さんの作品は、2013年に「天才でごめんなさい」を観ただけだ。
その時のことをブログに書いている。
        
「これでもかというくらい煩雑で残酷な作品にあっても、
 清浄で品のあるやさしさ、のびやかさを感じる。
 これは少女を描く時に際立つ。
 彼のやわらかい筆致や心根、そして男性ということにも拠るのだろうか」

この印象は小説を読んでも変わらない。
自分に誠実だという思いを、より強くした。
私は私小説として読んだのだが、違うかもしれない。
主人公は2浪して芸大を目指している。
1浪していた時の仲間の、「多摩美芸術祭ー通称「芸祭(げいさい)」
に加わった1986年の一日を描いている。

「行き交う人々の多くははしゃいでいる。無理もないーー年に一度の
 無礼講的なお祭りなのだ。この三日間だけは学生の自治が認められ、
 普段は地味なキャンパスが異空間に生まれ変わるのだ。
 何らかのビジュアルものを作るプロを目指す美大生なら、
 さぞや腕が鳴ることだろう」

「芸祭は・・・まさにオレたちの青春だった・・・クサいこと言っちゃう
 けどさ。それが終わっちまうってことなんだよォ!」

絵の予備校の仲間をはじめ、様々な人が出てくる。
これだけ登場人物が多いとごちゃまぜになるのだが、その一人一人が
くっきり浮かび上がってくる。そして時空を超えた展開にも、
すっと入っていける。余計な言葉を使っていないからなのか、
構成が見事なのか、気持ちよく読めるのだ。

主人公は予備校で、芸大に入るための訓練を徹底的に受ける。
だが入試の実技の課題は「自由に、絵を、描きなさい」
鎮魂のために絵を描く。

「廊下の方で試験終了の鐘が鳴り響いて、僕は我に返った。
 もはや自分の絵の良し悪しをあれこれ斟酌するような心境ではなかった。
 こうする他はなかったーーやれることはすべてやったーー
 という清々しい充実感だけがあった。こうして暫定的に描くことが
 終了した自分の絵を、僕は堂々と誇りを持って、真正面から
 見ることができた。にわかに感動がこみ上げてきて、
 落涙こそしなかったが、僕の目は涙で溢れ返った。

 こうして僕は芸大に落ちた。」     (引用ここまで)

誠実で繊細で品のあるやさしさ、あたたかさに満ちた文章は、
若い人たちが生きていく上でのマイルストーンになることだろう。
本のタイトルを、「芸祭」とせずに「げいさい」にした気持ちが
わかった気がする。

2013年4月2日のブログ「天才でごめんなさい」
           ↓
https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/efdb5a424993e713b138caa6245d116f







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