今日のうた

思いつくままに書いています

八月のひかり

2019-10-15 10:43:47 | ⑤エッセーと物語
日本人は礼儀正しい、道徳心がある、思いやりがあって優しい、我慢強い、
おもてなしの精神がある・・・などと言われるが、はたしてそうであろうか。
もちろんそういう人はいるだろう。
だが国として見た場合に、弱者や本当に困っている人に対して
手を差し伸べているだろうか。
富裕層はますます富み、大企業が内部留保を増やしてゆく政策ばかりが目に付く。
最近は報道されることがなくなったが、ホームレスの人たちはどうしているのだろう。
給食費が払えずに学校に行けない子はいないのか。
こうした人たちに手を差し伸べるのが政治の役割ではないのか。
幼児教育や保育の無償化で一番得をするのは高額所得者だ。
軽減税率で一番得をするのも高額所得者だ。

こうした逆進税を改め、まずは給食費を無料にし、保育士や介護士の手当を改善して、
誰もが保育所に入れるようにするのが政治ではないのか!
働いても働いても生活がギリギリで、子どもたちにまともな食事を与えられない
家庭を支援するのが政治ではないのか!
人々の善意に支えられている子ども食堂に、国として無条件で支援すべきではないのか!

児童文学者の中島信子著『八月のひかり』は、このことを静かに訴えている。
この小説は、お母さんと5年生の女の子、そして弟のひと夏を描いている。
お母さんは足が悪く、もっと働きたくても働けないので家は貧しい。
家事を受け持っているのは5年生の美貴だ。
夏休みは給食がないので、二人のお昼まで用意しなくてはならない。
少ない食材で食事を作る。この献立が工夫に富んでいる。
キャベツと人参、そして一玉のそばで作る焼きそばが二人のお昼だ。
美貴の分はおそば5,6本。弟も5口で食べ終わってしまう。
こうして3人は助け合いながら、つましく暮らしている。

小説の最後に、中島さんからのメッセージが書かれているので
引用させて頂きます。

「現代の日本では、十七歳以下の子供の七人に一人、
 およそ二百七十万人が貧困状態にあります。」

政治家は国民の生活を知らなさ過ぎる。是非、政治家にこの小説を読んで欲しい。
幼稚園児は、読んであげれば理解出来るし、小学生の低学年でも
漢字にはルビが振ってあるので自分で読めると思う。
幼稚園や保育所、小学校、中学校、高校、大学、そして公立の図書館に
この本を置いて欲しいと思います。詳しいことは
                   ↓
https://www.choubunsha.com/special/hachigatsunohikari/


10月12日には、多くの死者を出した狩野(かの)川台風の時ような大雨や、
風速60メートルの強風が予想されていた。
その日の午後に、救いを求めて避難所を訪れた3人のホームレスの人を、
住民票がないという理由で、台東区の職員が追い返してしまう事件が起きた。
外にいたら命が危ない状況で、外に追いやってしまうとは!
人間の命がかかっているのですよ!
受け入れた場合の住民からの苦情を忖度したのかもしれない。
見て見ぬふりをすることや、体裁ばかりを気にしている間に、人間として一番大切な
ものがどんどん失われていくように感じる。

自然災害のニュースが流れない日がないほど、日本は災害大国になってしまった。
誰もが被災者に成り得る時代だ。
このことを考えても、避難所の環境があまりにもお粗末ではないだろうか。
こういうところにこそ税金を使って日頃から各地に、もっとプライバシーを考慮した
環境作りを準備すべきではないか。(早急に段ボールベッドを)
10月15日の「荻上チキ セッション22」でもこのことを取り上げていた。
国会で森ゆうこさんがこうした提案したそうである。大賛成だ。
国会は杓子定規の答弁をするのではなく、こうした実のある討論をして欲しい。
もっとプライバシーが保てる環境だったなら、もしかしたら台東区のような事件は
起きなかったのでは、というチキさんの意見に大いに納得した。


追記1
朝4時に目覚めてしまった。
ラジオをつけると、深夜便に中島信子さんが出ていた。(再放送)
声を聴くのは初めてだが、とても優しい声で一言一言かみしめるようにお話になる。
子どもの頃の話をされていて、姉、弟にはさまれた三人兄弟で育ったという。
何人兄弟がいようと、子どもにとって親は一人。
だが親の思いは対等とはいかないようだ。
子どもは繊細、親のほんの一言でなんでもわかってしまう。
「なんでわかってくれないのだろう」という思いを抱きながら大人になったという。

亡くなられたご主人と初めて手を握りながら歩いた時に、やわらかくて、あたたかくて、
歩きながら涙がとまらなくなったという。
お母さんに手を握ってもらったことはなかったそうだ。

そういえば、私も母に手を握ってもらった記憶はない。
足が不自由だったので、介助のために私から手を握ったことはあるが。
私も下に妹と弟がいる三人兄弟だが、母はリウマチを患いながらも商売をしていた。
痛みと仕事でいっぱいいっぱいだった母は、子どもの手を握る余裕などなかったのだろう。
コミュニケーションが苦手だったのは、こんなところから来ているのかもしれない。

中島さんは、「見せない貧困」についても語っていた。
戦中や戦後の物のない時代の貧困よりも、物のある時代の貧困の方が深刻だという。
日本の子どもの7人に1人が貧困で、給食のない夏休みはつらいという。
今も新型コロナで学校が休みで、つらい思いをしている子どもたちが多くいることだろう。
子どもの世界では時に、自分たちと違うものを排除したり、いじめたりすることがある。
いじめられるのが嫌で、貧困であることを隠すほかはなくなってしまうのだ。
その結果、福祉の手がますます届かなくなってしまう。

先進国でこのように食べることにも不自由する子どもたちがいることを、
政治家はどう考えているのだろう。これでも親の自己責任というのか。
以前、政府は子どもの貧困対策に民間に寄付を募ったことがある。
今も「子ども食堂」など、民間の手を借りている。
だが本来、飢えた子どもを出さないことは政治の責任だ。
「国民の一人も飢えさせない」と言った政治家がいたが、
いかなるイベントよりも、このことの大切さを政治家は自覚しているのだろうか。
(2020年5月15日 記)



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