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今日のうた

思いつくままに書いています

おそまつ川柳 ②

2020-01-29 08:50:31 | ⑮川柳
(4)新語発表 募っているけど募集はない

(5)困った時の民主党 困った時の鳩山由紀夫
  (あの人は困った時にいつも言うよね~)

(6)助け舟 今の役職何艘分?

(7)していない、関与もないし記録ない  しんちゃん、テレビ消しなさい



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2つ目の窓

2020-01-25 17:52:24 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
河瀬直美監督の「2つ目の窓」を観る。
「銃」の村上虹郎を観てから、彼のデビュー作を観たいと思っていた。
「萌の朱雀」で尾野真千子を見出したように、この映画で河瀬監督は
17歳の村上虹郎を世に出した。
父親(彼の父親である村上淳も映画に出ている)譲りの濃い眉。
寡黙ながら内に秘めた激しさが伝わってくる。

奄美大島に暮らす高校生役の吉永淳にこころ惹かれた。
今は名前を替えて、「阿部純子」として活躍しているようだ。
自然がさまざまな表情を見せるように、彼女もさまざまな顔を見せる。
人の心を射抜くように真っすぐな眼、自然の一部になったような大らかな姿態。
両親に甘える時の猫のように無防備な形。
黙っている時も、頭の中はしっかり物事を考えているのが分かる。
まさに彼女は映画の中で呼吸し生きている。
彼女がいるから、奄美の自然の中で繰りひろげられるさまざまな出来事が
現実味を帯びてくる。

4、500年立ち続けているガジュマルを身近に見ながら、
死期が迫っている彼女の母は、死は特別なことではないと言う。
自然の一部なのだ。
自然の中で死は美しい。
母親の周りを親しい人たちが囲み、三線を弾きながら歌う。

 あなたはどうしても行くの?
 私を忘れて
 行ってしまうのですか?
 あなたが行ってしまったら
 私はどうすればいいの?
 それは心苦しいです。
 やっぱり行ってしまうのね?
 どうしても遠い島に

 行かなくてはなりません
 千年 万年
 長生きしたいです
 生きたかったです

みんなで踊りながら見送ろうとする。
母親も一緒になってかすかに手を動かし踊る。
強い風が吹いている。

母親が亡くなったあとに、彼女は海に向かって歌をうたう。

 あなたはどうしても逝くの
 私を忘れて逝くの
 あなたが
 逝ってしまったら
 どうすればいいの
 それは心苦しいでも
 やっぱり逝ってしまうのね?

 どうしても遠い島に
 逝かなければならないの
 でもきっとあなたを
 想い出して
 戻ってくるからね

「人はね 誰でも死ぬんだよ でも命は繋がっている」 (引用ここまで)

美しい映画だ。

70歳を目前にして、持病のために映画館に行くことも美術館に行くことも
かなわぬ身に、死は決して遠いものではない。
この映画のように、自然の中で死ぬことの豊かさを想った。
そして「内地の人は長生きさせられて気の毒」という、母親の言葉が胸に響いた。





(画像はお借りしました)
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地の群れ、IT/イット THE END、夏物語、バイス、記者たち ②

2020-01-08 11:13:00 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(2)「IT イット ”それ”が見えたら、終わり。」を観る。

スティーブン・キングの小説を映画化したものだ。
観始めて15分で一旦停止した。更に10分観て、「このまま返してしまおうか」
と思った。それほど怖かった。(歳をとるとビビり度が増します)
だが試練だと思い、何度も心臓が止まりそうになりながら観た。
何なのだ、観終わった後のこの爽快感は!
「スタンド・バイ・ミー」を観た時のように切なく、また心がほっこりした。

登場する少年たちは、それぞれトラウマを抱えている。
その心の闇に、ペニー・ワイズ(クラウンの姿をした悪霊)が付け入る。
恐怖を膨らませ、破壊へと追いやろうとする。
いじめを受けている黒人の少年は、火事で両親を失った恐怖と呵責(かしゃく)を。
もう一人の少年もまた、弟を死なせてしまった後悔と呵責を。
だが私が一番興味を持ったのは喘息の少年と、父と二人で暮らす少女だ。

少年は発作が起きないようにと、生活のすべてを母親に支配されている。
その母親というのが、身動きするもしんどいくらいに太っていて、
家の中の椅子にすわって多くの時間を過ごしている。
そして「不潔なものは発作を起こす」、「外で仲間と遊ぶと発作を起こす」、と
少年を洗脳する。
”発作”という恐怖で少年をがんじがらめにして、自分の一部にしているようだ。
後に偽の喘息薬を飲ませていたことが分かる。

少女は父親に怯えている。
父親は少女に、「今も自分だけのものか」と常に問い詰める。
恐怖から、洗面所の排水口から髪の毛が逆流し、洗面所を一面真っ赤に
染め上げてしまう。だがこれは少女には見えても、父親には見えない。
その後、父親は少女に性的虐待をしていたことが分かる。
少女の恐怖が、洗面所を血の海にしてしまったのだ。
恐怖を具現化する映像は見事だ。

恐怖に付け入るペニー・ワイズに打ち勝つには、自らの恐怖と向き合って
闘わなければならない。
少年たちと少女は、それをやり抜いたのだ。

(3)夏物語

川上未映子著『夏物語』を読む。
543頁の、その1ページ、1ページが隙間のないほどぎっしり文字で
埋まっている。その分量に圧倒された。
だがのめり込むように読んでいくと、無駄な言葉が一語もないことに気づく。
祖母、母、姉、姪、そして主人公の貧しい暮らしが、まるで目の前で繰り広げられて
いるように感じる。
状況が想像を絶するものであっても、話の進行が普通では考えられないことであっても、
細部を緻密に描くことで、読者はぐいぐい話の中に引き込まれる。
すべての言葉に血が通っている。言葉に生活が宿っている。

『乳と卵』を読んだ時は分からなかったが、今回は川上さんの筆致に
度肝を抜かれ、すっかりファンになっていた。

(4)バイス

ジョージ・W・ブッシュ(子)の下で副大統領を務めた「ディック・チェイニー」を通して
9・11に続く【イラク戦争が間違いだった】ことを訴えている。
たとえ役者が扮しているとはいえ、実在の人物をこれほど赤裸々に描くことの出来る
アメリカ映画の懐の深さに感銘を覚えた。

(5)記者たち 衝撃と畏怖の真実

ロブ・ライナー監督のこの映画も、イラク戦争の大義名分であったはずの
【大量破壊兵器の保有】は間違いだった
、という真相を追い詰める
記者たちの物語だ。
アメリカに追随した日本は、イラク戦争に対してどのような検証を行い、
どのように責任を取り、また今後に活かしたのだろうか!


アメリカは、ベトナム戦争を題材にした映画も数多く作っている。
トランプの出現があるとは言え、日本とアメリカの民主主義の違いを
まざまざと見せつけられた映画だ。

恣意的に間違った情報を流し、愛国心に訴えて国民を扇動すれば、
戦争は簡単に起こり得る
、このことをイラク戦争を描いた
二つの映画は訴えている。

















(画像はお借りしました)

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地の群れ、IT/イット THE END、夏物語、バイス、記者たち ①

2020-01-08 10:57:27 | ③好きな歌と句と詩とことばと
昨年はお読みくださり、ありがとうございました。
今年はこれ以上戦争を起こさない年に、そして一日も早い退陣を願っています。

年末年始のニュース番組は(極端に削られ腹立たしい限りですが)、どの局も
駅で孫を出迎え、見送るおじいさん・おばあさんの姿を映し出していた。
何でこうも毎年、毎年、紋切り型なのだろう。
おまけにコメントは、「今年はオリンピック・イヤーなので明るい年にしたいです」

素直で善良な、前向きで疑うことを知らない人々。
難しいことや、ややっこしいこと、今のところ自分に直接関係のないことには
目を背け、新しいものや楽しいものを追い求める。
その方が楽だ。皆が一つになって応援し楽しむ。
オリンピックが近づくにつれ、ますますこの傾向が強まっていくのだろう。

確かにオリンピックは、世の中にはびこる【臭いもの】に蓋をするには
もってこいのイベントだ。
この白々しさに、あと何ヶ月耐えなければならないのだろう。

年末年始に読んだ、あるいは観た次の作品は、そこにあるものから逃げず、
目を背けず、ごまかさず、真摯に作り上げたものだ。
観るのも読むのも辛くなることがあったが、心をえぐられた作品だ。

(1)井上光晴著『地の群れ』と、熊井啓監督の同名作品を観る。

井上光晴のことは、映画「全身小説家」でしか知らなかった。
この小説は佐世保を舞台に、長崎原爆被害者、被差別民、炭鉱で働く
在日朝鮮人、バタ屋の住民など、差別された人々を描く。
そして差別された者同士が殺しあう。

映画では何十匹ものドブネズミの群れが象徴的に何度も描かれる。
地を覆うドブネズミの群れが、1羽の鶏を奪い合い喰いちぎる。
その上を米軍の戦闘機が悠々と飛び、海には原子力空母エンタープライズが
堂々たる雄姿を見せている。
1970年の映画だが、この関係性は今も何ら変わってはいない。
今年は鼠年だが、私は何度もこのドブネズミの群れの映像を
思い出すことになるだろう。             つづく
(『地の群れ』は、ほるぷ出版『日本原爆文学5』に入っています)













(画像はお借りしました)
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