今日のうた

思いつくままに書いています

緊急事態下の物語   復活の朝

2021-07-31 15:19:38 | ③好きな歌と句と詩とことばと
コロナ禍で様々な小説や音楽、ドラマやエッセイが生まれている。
「緊急事態下の物語」には、金原ひとみ、真藤順丈、東山彰良、
尾崎世界観、瀬戸夏子の作品が入っている。
中でも金原ひとみの『腹を空かせた勇者ども』と真藤順丈の
『オキシジェン』が面白かった。

①『腹を空かせた勇者ども』は、主人公の母親がコロナに罹ったことで
 学校や家庭での人間関係があぶり出されてゆく。
 ちょっとした言葉が物事の本質を突いている。たとえば

「この間担任の若槻先生に、『森山さんはあれとかそれとかこれとか
 こうとか、こそあどが多過ぎます』と注意されたけど、これとか
 あれとかこうとかそうとかそういうのが言葉にできないからこそ
 こそあどを使っているのに、彼女にはその言葉にできない気持ちが
 分からないんだろうか。ということの方が疑問だ。でも考えてみれば、
 パパとかママも、この世に言葉にできないものなどなに一つないと
 言わんばかりの我が物顔でつらつらと言葉を口にして、私の浅はかな
 主張を破壊していく。大人には、表現できない気持ちなんてないん
 だろうか」                 (引用ここまで)

 父親をコロナで亡くした友人が、人種差別まで受けていた。
 そのことを知った主人公は、「どうして話してくれなかったの?」と
 友人に詰め寄る。そのことに対して友人は

「私は心が泣いてても顔で笑う。そうしないと耐えられないんだよ。
 それに差別されてるって、レナレナに知られたくない。それは普通のこと。
 差別なんてしないレナレナに、差別の話なんてしたくない。本当は
 世界中の人が差別を知るべきかもしれない。でもね、差別された人が
 それを話せるようになるまでは時間がかかる」  (引用ここまで)

②『オキシジェン』は冒頭からして不穏な空気が流れている。

「さかのぼること二〇二〇年代からナショナリズムやポピュリズムを
 貪欲(どんよく)に呑みこむことで支持者も議席数も増やしていた
 政権与党は、歯止めのきかない人口の激減や少子高齢化、ふくれあがる
 財政赤字、差別や格差構造の悪化、マスメディアの大本営発表化、と
 坂道を転げ落ちるように劣化・退化・老化していくこの島国の歴史に
 おいて、たてつづけに重大な局面を迎えることになった。
 その一つが月禍症の感染爆発であり、そしてもうひとつが ”かならず
 起こる”と予言されていた南海トラフ巨大地震だった」 

 高額な報酬がもらえるという甘言にのり、主人公は臨床実験に参加する
 ことになる。だがそこはただ酸素が定期的に投与される治験の場と
 いうより、反(アンチ)ユートピアの作品を製造し続ける
 終身刑の獄(ひとや)だった。     (引用ここまで)


桐野夏生著『日没』といい、今の日本は小説家の眼にはこのように
見えるのか、と怖ろしくなった。

③岡林信康「復活の朝」
最近は朝の4時に目覚めてしまうことが多い。
4時に起き出すわけにもいかず、そんな時に「ラジオ深夜便」が有難い。
この時間帯にはインタビューがあるのだ。この日は岡林信康がゲストだった。
同じ時代を生きてきた人は、旧くからの知り合いのように懐かしい。

新型コロナで中国の工場が休みに入り、青空が戻って来たことを
報道で知った岡林は、不意に10年ぶりに歌ができたそうだ。
更に8曲が湧きあがるようにできて、1つのアルバムになったと言う。
YOUTUBEで「復活の朝」を聴いたが、穏やかで心が洗われる歌だ。

人間はほんの何十年の間に、これほどまでに地球を壊してしまったのか。
生まれ変わっても私は人間にはなりたくない。
アリがいいと思っていたが、集団行動が苦手なので蜘蛛がいい。
蜘蛛は生まれてから死ぬまで孤独だそうだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない 1

2021-07-18 11:42:53 | ③好きな歌と句と詩とことばと
岸惠子著『岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない』を
読む。装幀・装画はお嬢さんのデルフィーヌ。

この自伝にはさまざまな逸話が描かれている。
知っているのもあるが、知らないものも多かった。
たとえばスリランカのヴァカンス中に、現地で岸信介にパーティに
招かれるが断った話。
本名を芸名にするのは、親がつけてくれた名前を呼び捨てにされる
ことだと断った話。(結局は聞き入れられなかった)
作品を選ぶ権利を勝ち取るために、女性だけのプロダクション
(にんじんくらぶ)を創った話。
イスラムの地で写真を撮り、刑務所に連行されそうになった話。
時に過酷な環境の中でも、国際ジャーナリストとして活躍している。
その逞(たくま)しさと勇気に読んでいてスカッとする。
デルフィーヌも冒険好きで行動的だ。

母と6歳しか違わないのに、なぜ当時からこのような自立した
生き方が出来たのだろう。
横浜の裕福な家庭の一人娘として育った。
自由な家風が、自立心やのびやかな性格を育んだのだろう。
私は彼女の、大らかで人を疑わない、人が何と言おうとわが道を行く
芯の強いところが好きだ。それでいて愛くるしいコスモポリタン。
彼女を知ると、誰もがファンになってしまうのではないだろうか。

あるコメント欄に、襟の合わせが開きすぎだと書いた人がいた。
私は「貞淑な妻でございます」といった襟の合わせが、私は嫌いだ。
この本の中でもそのことを話題にしている。

「細雪」の監督・市川崑が次のように言っている。
「着物の着方が最高だよ、ぞろっぺでだらしがなくて」
「先生!それ誉(ほ)め言葉?」

淀川長治も
「僕は昔からあの人のことを”おひきずり”と言ってるんです。
 つまり、昔の女郎さんみたいに着るでしょ、いいんだなあ。
 自然で、そのくせ色気があって、女らしくて」(引用ここまで)

他の女優が真似をしたら、だらしのなさだけが際立ってしまうだろう。
あのスタイルのよさと気品があればこそ、くずして着ることができるのだ。

これまでに観た作品は、「早春」「かあちゃん」「おとうと」「約束」
「雨のアムステルダム」「悪魔の手毬唄」「たそがれ清兵衛」
「細雪」「怪談」「風花」「黒い十人の女」
「我が家は楽し」(岸惠子のデビュー作 YOU TUBEで観られます)
「マンゴーの樹の下で~ルソン島、戦火の約束」(NHKドラマ)

TBSドラマ 向田邦子終戦特別企画(すべて久世光彦監督、岸惠子が
主演しています。どれも素晴らしく、後世に残したい作品です)
第一弾「いつか見た青い空」
第二弾「言うなかれ、君よ、別れを」
第三弾「蛍の宿」
第四弾「昭和のいのち」
第五弾「あさき夢見し」

どうしても借りられないのは「雪国」と「亡命記」だ。
「早春」はデジタルリマスター版になっているのだから、
岸惠子の「雪国」もそのようにして、後世に残して欲しい。

それにしても、「早春」の岸惠子は美しいが平凡な顔をしている。
それがだんだんと歴史が刻まれ、今の顔になっていくのは興味深い。
                   2につづく
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岸惠子自伝 卵を割らなければ、オムレツは食べられない 2

2021-07-18 11:36:52 | ③好きな歌と句と詩とことばと
心に残った言葉を引用させて頂きます。

①と、身近に爆音がして、B29とはちがう、小型の飛行機がぐーんと
 高度を下げ超低空飛行でわたしのほうへ飛んでくる。ピシピシという
 鋭い怪音を立てて機銃掃射が始まった。・・・
 「燃えろ、燃えろ」
 わたしは呪文のように唱えながら松の木にしがみつき、恐ろしさに
 がたがた震えていた。

 わたしが逃げ出した急ごしらえの横穴防空壕にいた人たちは、
 土砂崩れと爆風でほとんどが死んだ。大人の言うことを聴かずに
 飛び出したわたしは生き残った。
 「もう大人の言うことは聴かない。十二歳、今日で子供をやめよう」
 と決めた。

②当時(1956年)の日本には、我が聖なる日本国が外国人なんぞに
 分かってたまるか、というコンプレックス混じりの神経質な誇りが
 あったように思う。・・・
 今は違うかもしれないが、当時はかなりしっかりした知識人でも、
 外国人を前にすると、へんに遠慮がちになったり、腰砕けになる。
 か、不自然に居丈高(いたけだか)になったりする、とわたしは思う。

③わたしとイヴ(イヴ・シャンピ)は娘のために、日曜日の昼食を
 いつもともにした。けれどわたしの手料理が並んだ食卓に、娘が
 最後まで同席することは稀だった。口実を見つけては中座することが
 多かった。その都度、父親のせつない面差しを見るのは辛かった。
 太陽のように明るい餓鬼(がき)大将だった娘は、ひっそりと
 寡黙になり、偉大なピアニストである祖父が贈ったピアノに二度と
 手を触れなくなった。

④「無茶をやりますね」
 「ライオンと入れ込みのカットがあったらいいと思ったのよ」
 「撮りましたよ。ジープを降りずにね」・・・

 娘が、涙をためてわたしに駆け寄ってきた。
 「大丈夫よ、心配しないで」
 「ママンのことなんか心配してない!」
 「えっ?」
 「ママンのとんでもない行動で、あのライオンは殺されるところ
  だったのよ!サリーさんと二人のガードマンが銃を構えて
  いたのよ。ライオンが一歩でもママンに近寄ったら、三発の銃弾が
  あの哀れなはぐれライオンの命を奪っていたのよ」

⑤ある日、大事な仕事が一段落してぐっすり眠ったわたしは、
 豪勢なブランチを作って、ドア一枚で繋がっている娘を呼び出した。
 「美味しいブランチを作ったのよ。たまには一緒に食べましょう」
 娘は大きな瞳で、じっとわたしを見つめた。
 「たまに思い付く「家族ごっこ」はやめましょう。わたしはいつも
 一人でコーヒーを飲むことに慣れてしまったの」

 胸がささくれたように痛かった。

 しかし、自分の信念に徹して独り生きるスタイルは、家族にも
 ひどい犠牲を強いる。

 「わたしは絶対に女優にならない」と言った娘は、愚痴も言わない
 かわりに、心の内も明かさない少女になっていった。

⑥涙で濡れた大きな瞳でじっとわたしを見つめ、しがみついてきた。
 その愛おしい腕を剥がして娘の腕に返しながら、「祖母」という
 存在になったわたしという「母親」にも去るべき時があるのでは
 ないか、と突然に思った。胸がきゅんと痛かった。
                      (引用ここまで)

興味を持ったものに対して突き進む勇気、そして抜群の行動力は
時代を超えて語り継がれていくだろう。
若者にこそ読んで欲しいと思った。

記憶が曖昧な部分もあるが、以前に読んだエッセイに
次のようなものがある。
パリのアパートで水漏れ事件が起きた。
その時の交渉や工事の手配、賠償手続き、全部自分でしなければ
ならなかった。一人で生きるとはこういうことだ。

またセーヌ河を散歩している時にベンチに腰掛けたのだが、
ベンチにはホームレスの先客がいた。
その人にワインを勧められ、一瞬、躊躇したが頂くことにした。
ワインの味はともかく、いろいろと話題がつきなかった。

こうしたことが出来るのは、岸惠子を措いていないと思う。
地球規模の人だと、改めて思った。
私はデルフィーヌのことがいちばん胸に響いた。      
                        (敬称略)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする