今日のうた

思いつくままに書いています

花びら供養 (1)

2020-06-29 07:00:20 | ③好きな歌と句と詩とことばと
2017年に書き始めたのですが、途中で断念してしまいました。
再度、載せます。

石牟礼道子著『花びら供養』を読む。
この本は2017年8月に出版されたもので、主に2000年以降の
石牟礼さんのエッセイなどが収録されています。
石牟礼さんがお書きになる人たちは、慎ましやかに暮らしていて、
お話になる言葉がていねいで美しく、思いやりにあふれています。
こんな言葉が日本にもあったのだと、思い知らされました。
またエッセイの中には、道子さんとお呼びしたくなるような、
愛くるしい目線で書かれたものもあります。
以前のものと重複する箇所もありますが、私の好きな言葉を
引用させて頂きます。

(1)第一次訴訟派で水俣病語り部の杉本栄子さんが、
   死の一年くらい前に語った言葉

  「道子さん、私はもう、許します。チッソも許す。病気になった私たちを
   迫害した人たちも全部許す。許すと思うて、祈るごつなりました。
   毎日が苦しゅうして、祈らずにはおれん……。
   何ば祈るかといえば、人間の罪ばなあ。
   自分の罪に対して祈りよっと。
   人間の罪ちゅうは、自分の罪のことじゃった。

   あんまり苦しかもんで、人間の罪ば背負うとるからじゃと
   思うようになった。
   こういう酷(むご)か病気が、二度とこの世に残らんごつ、
   全部背負い取って、あの世に持って行く。
   錐でギリギリもみ込むごつ、首のうしろの盆の窪の
   疼(うず)くときが、いちばん辛か。そういうとき、人間の
   仇(かたき)ば取るぞとばかり考えよった。
   親の仇、人間の仇とばかり、思いつめよりました。
   それで、疼きも一段ときつかったわけじゃ。

   許すという気持ちで祈るようになってから、今日一日ば、
   なんとか生きられるようになった」

石牟礼さんは水俣病の被害者の方たちを、
「このような地域ぐるみで拡がっている毒殺事件の被害者たち
のことを」と書いている。毒性が分かってからも有機水銀を
垂れ流し続けてきたチッソ、そしてそれを黙殺し続けてきた国は
毒殺事件の首謀者である。
そして石牟礼さんは次のように続けている。

  「ヨーロッパも日本も含めて『原罪』なる語があるけれど、
   『みんなの罪を、あの世に全部背負って行く』という栄子さんの
   言葉を超える教義があろうとは思えない。
   この言葉に対してはただひれ伏すばかりである」

(2)坂本きよ子さんという娘さんのお母さんから、
  次のようなことを頼まれた。

   「きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、
    わが身を縛っておりましたが、見るのも辛うして。

    それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。
    私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、
    縁から落ちて、地面に這うとりましたですよ。
    たまがって駆け寄りましたら、かなわん指で、桜の花びらば
    拾おうとしよりましたです。曲った指で地面ににじりつけて、
    肘から血ぃ出して、『おかしゃん、はなば』ちゅうて、
    花びらば指すとですもんね。
    花もあなた、かわいそうに、地面ににじりつけられて。
    何の恨みも言わじゃった嫁入り前の娘が、たった一枚の
    桜の花びらば拾うのが、望みでした。

    それであなたにお願いですが、文(ふみ)ば、チッソの方々に、
    書いて下さいませんか。いや、世間の方々に。桜の時期に、
    花びらば一枚、きよ子のかわりに、拾うてやっては下さいません
    でしょうか。花の供養に」

(3)人は何を求めて生きているのだろうか。ここでわが母のことを
  思い出す。祖母が発狂したのはいつごろだったか、
  尋ねたことがある。
  余命いくばくもなくなったのを、ねぎらうつもりだった。
  母ははっとしたようにうなだれ、深い息の底からかぼそい声に
  なって答えた。

   「十(とお)ばかりじゃったろうか……」

   わたしは言葉が出なかった。十になるやならずの女の子が、
   発狂した自分の親とどう向き合ったのか。
   きれぎれの吐息とともに母は呟いた。

   「……自分の方が、親にならんば……ち、思いおった」

   宙をみつめてさまよっている眸(ひとみ)の色。
   発狂した母親を抱えて、自分の方が親にならねばと思ったとは、
   それまでに聞いたことがなかった。
   私は度を失なって絶句していた。死んでゆく母が、五十を越えた
   娘にはじめて言い継ぐ、絶え絶えの魂の声。
   何を思い出し、視ているのか、遠くをさまよっていた視線が
   ふっとわたしを見た。

   「あんまり、よか娘じゃなかったよなあ」

   やっとそれだけ言えた。

八十を過ぎた母上は、畑にゆく人に畑の草に言づてを頼んだという。

   「草によろしゅういうて下はりませ」

(4)渚のことを縷々(るる)と描くのは、この列島の近代と
  いうものが、おのが産土(うぶすな)の風土を、いかに
  骨ぐるみ腐食させ、隅から隅まで再生不能と思えるほど
  化学毒の中に漬けこんできたか、
  おのおの足もとを見ていただきたいからである。
  そこは何よりも今現在、生きとし生けるものたちを
  丸抱えにしたまま息絶えようとしている大地であるから。

   たとえば一個の人体としてこの列島を見てみるとする。
   水俣だけにかぎらない。
   心臓も腎臓も右脳も左脳も、もう血液どろどろではないか。
   ちなみに山つきの棚田のほとりの、水の源、小川のはじまる
   ところを見てまわっていただきたい。必ず、三面コンクリート
   張りのドブに改修され、フナもドジョウもウナギも足長エビも
   ナマズもタニシもシジミも川藻も死に絶えて、
   「小鮒釣りしかの川」は腐臭を発しているはずである。
   少なくとも私の身辺では、そうなっている。
   
   近代教育を受けるようになって知的に上昇したつもりで、
   田舎を見下げ、その山川や先祖の墓地の面倒を
   見てきた村落を見捨ててきた都市の年月があった。
   「都市と地方の格差」は経済のことだけではなく、この国の
   近代の精神史に、異様なゆがみをもたらしている。  2につづく

※ずっとInternet Explorerを使って書いていました。
 ある時からやたらと字が薄くなったので、投稿したものを
 全て太字にしました。
 今朝はじめてInternet Explorer以外を使ったところ、字が太くてでかい!
 これなら太字にすることもなかったと思いました。
 Internet Explorerもガラケーもなくなる運命にあるのでしょうか。
 私は二つとも好きです。

 だがInternet Explorerでは出来ないことが増えています。
 初めてオンライン診療を受けようとしても、Internet Explorer
 では出来ません。ツイッターも出来なくなりました。
 私は小学生の「かきかた」みたいに大きな字が苦手です。
 せめてガラケーだけは今のところ、死守するつもりです。

 そういえば、2018年に「ハタチ基金」に寄付をしようと
 したところ出来ませんでした。他のWebプラウザーを使うよう
 指示されたのですが、その時はその意味が分かりませんでした。
 今思うと、Internet Explorerが使えなかったのかもしれません。


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花びら供養 (2)

2020-06-29 07:00:01 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(5)うっかりテレビをひねると、タレントたちのしぐさ、表情、身につけているものの
   色も形も下品のかぎりである。日本人は世界の水準をこえて、その下卑さにおいて
   群を抜いているのではないか。子どもの学力や躾の無さは親や家のせいだろうから、
   戦後六十年かかってこの国は、精神のたががゆるんでしまったにちがいない。
   あらゆる意味で「美」と「徳」の基準を見失い、倫理社会から失墜してしまった
   としか思えない。政治家たちのむきだしの金銭欲はその象徴と思う。……

   この国の国民的痴呆化現象は、敗戦を機に、長い間の占領政策が功を奏してきた
   結果ではないか。戦前までは、日本的知性が庶民の間にもあったような気がして
   ならない。たとえば他家を訪(おとな)うときの腰のつつましやかさなどに。

(断っておくが、ここに書かれていることは、安倍氏たちが提唱する戦前の教育への
 回帰と全く違うものだ、念のため)

(6)水俣の受難の中にいてやりきれないのは、世界に類例がないといわれる症状に
   苦しむ人々への、地域住民からの惨酷な仕打ちであった。
   ここにいちいち書くにしのびないが、人間というものは特定の極限状況に置かれ
   れば、残虐さを発揮する本質を隠し持っているのかとおもう。
   たとえば戦争を起こすのに兵器産業が動き出す。平和時でも化学産業のある
   ところ、一種の生物兵器ともいうべき環境汚染物質が氾濫する。企業あるいは
   行政側は、たとえ人命がそこなわれようとも、当然出てくる負荷として、はじめから
   計上しているのではないか。兵器産業の目的は生命の殲滅と引き替えに利益をうる
   という意味で現代の悪魔である。これが野放しのまま世界の経済をあやつってきた
   中で、高度成長を押しすすめてきたわが国の拝金思想は民意をあやつって、
   弱者切り捨てが国民性のようになった時代に生まれたのが水俣病である。
   公式確認からでも五十年以上経つのに、原因物質の総量や致死量がどのくらい
   流されたのか、被害者の実態がどうなっているのか、チッソはもちろん国の政策
   でもはっきり後づけられなかった。

(7)後ろずさりしてゆく背後を絶たれ者の絶対境で吐かれたどんでん返しの大逆説が
   ここにある。かねてこの人はこうもいう。
   「知らんちゅうことは、罪ぞ」
   光に貫ぬかれた言葉だと思う。現代の知性には罪の自覚がないことをこの人は
   見抜いたにちがいない。不自由きわまる体で、あらためて、水俣病とそこに生じる
   諸現象の一切を、全部ひきうけ直します、と栄子さんは宣言したのだ。
   皆が放棄した「人間の罪」をも、この病身に背負い直すぞとも言っているのでは
   ないか。自分にむかって、迫害する者たちにむかって、世界にむかって、
   仲間たちに対して。

(8)この地方の無邪気で神話の中にいるような人たちに加えられた残虐この上ない行為を
   どう考えればよいのだろうか。国策としての高度経済成長が背後にあった。
   それはしかし、万を越す弱者たちを供儀(くぎ=いけにえ)とせねばならぬほど必要
   だったのだろうか。経済の成長とは世界に示すべきわが民族の徳目だろうか。
   なぜ人柱を立てた金を握って富裕層になりたかったのか。猫四百号がチッソ付属
   病院細川一氏や、別の猫が水俣保健所長の伊藤蓮雄氏によって発見され、
   熊本大学医学部研究班が重金属中毒という原因もはっきりさせた時点でなぜチッソ
   と国は患者のところにかけつけ、いたわり、治療に集中し、貧苦のどん底に落ちた
   家族の面倒を見なかったのか。それが人情というものではないか。
   一人を名乗り出させて家のほとんどすべてが、家族全員既に発病していた。
   この時点から考えれば、親子、兄弟、じいちゃんばあちゃん、すべての魚好きの
   家族たちが発病しているとみてよい。なにしろ食べる量がちがうのである。

(9)私の親の世代では、「後生(ごしょう)を願いに行く」という言葉があった。
   今の世ではなく、生まれ変わった後(のち)の世を願いに。お寺に詣ることをそう
   表現した。
   来世とは、現世に失望した人たちの考え出した言葉である。近作の二句である。

    来世にて逢わむ君かも花御飯(まんま)

   生まれ変わったら、あの人に逢いたい。その時は花御飯を差し上げましょう。
   四、五歳の女の子が、花をたくさん拾い、つわぶきの葉っぱに盛って客に
   もてなすままごとの歌である。

    闇の中草の小径は花あかり

   ご先祖様も、親の親も、直接の両親も果たせなかった荷物を、来世にゆけば、
   下ろしてよかろうか。こう考えて、暗い野の草の小径を行くと、向こうに幽かに
   一輪の花が見える。それを目指して、命のあかりとして歩んでいる。
   光とは、私にとって、そのようなものである。水俣病の患者さんたちが、
   「水俣病を、自分たちが病み直す。引き受ける」と言われたのも、そういう
   あかりである。それは、もはや生身の人間の言葉ではない。
   仏、菩薩の言葉のように聞こえる。
   生命(いのち)の中の生命が、仄(ほの)あかりになって、遠いところへ行く野道が
   照らされる。そういう草林の原風景を見たい。 3につづく

    
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花びら供養 (3)

2020-06-29 06:59:33 | ③好きな歌と句と詩とことばと
(10)水俣病が発生した。聖なる供犠(くぎ)は閾値(いきち)を超えていた。
   チッソの調べでは、水俣市の人口二万七千六百七十一人。死者二千二百七十一人。
   水俣の特措法に基づく申請者三万五千三百九十九人、死者の実数はもっと
   たくさんいるだろう。初発から約半世紀、国も県も根本的な対策を立てようと
   しない。
   末世から地獄への道を示すような夏だった。

(11)不自由な体で、バスに乗って、バス代を払うのにお金を小銭入れから取り出す
   のも不自由で、車掌さんにそのお金をお渡しするのも不自由で、そういう思いを
   してお集りをなさって、月に一回集会をなさって、そんなふうな思いをして何年も、
   訴訟に踏み切って、まあ、ずいぶん隠しておられたそうですけれど、水俣出身で
   あることを。やっと今度判決が出るわけですけれど、人間の絆の崩壊と結び直し
   とがずーっと繰り返されてきて、それで、どういう判決がでるでしょうか。
   お体も不自由ですから、働き口もおありにならないですよね、満足な働き口は。
   この長い年月 ”お前さんたちは、この世にいなかったと思え”と言わんばかりの
   仕打ちでございましたよね、認定審査会の厳しい基準というのは。
   この世にいなかったと思えというふうに受け取られても言い過ぎではないような、
   歳月であったと思うんですよ。一日としてお金がなくては生きていけませんから、
   元気であっても。どんな思いでこの三十年を過ごされたのか、そのことをつくづく
   思います。

(12)私が思いますに、環境の世紀と言いましても、環境を汚すのは人間ですから、
   人間そのものが人類が体験したことのない毒素になっていると思わざるを
   えないんですね、私たち自身が汚染されているのではなくて、私たち人間が
   毒素になってきて、回りを、生物界を汚染していると思うんです。
   この事態をこのまま放置して水俣病はなかったことに、ほんの少し訴訟を
   思い切って打ち出した人以外の方々がいらしたことは、薄々みんな知っていて、
   知らなかったことにしてしまえば、私たちが毒素になっていますから、
   子どもたちが、殺し合うような国になっていくのは当然だと思うんですね、
   このまま放置しておけば。
   よほど、覚悟を決めて、いったい、この水俣病というのは何だったのか、
   何を私たちに示唆しているのか、全貌を全部調べ直すというのは無理かも
   しれませんけれど、いまならば、まだ間に合います。あの地域の、原田先生
   その他、水俣学に参加してくださっている方々の試算によると、それとなく隠して
   亡くなっていった人も含めて、二十万人ぐらいの被害というか、普通でない
   状態の人たちが死んでいったに違いない。それを追跡する最後の機会が、
   いま、来ているのではないかと思うんです。

(13)水俣のことを人さまにお願いするのに、なぜこうも心苦しいのか。ふつうに
   暮している人たちに訴えることで、その平穏をかき乱すにちがいないからである。
   しかしと、心をふるい起して考える。今まで水俣が体験してきた五十年間の
   ことは明日の皆さまの身の上でございますと。     (引用ここまで)



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生きたい

2020-06-23 16:48:16 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
「裸の島」の成功で、近代映画協会は解散をせずに済んだ。
1998年、近代映画協会製作(公開は1999年)、新藤兼人監督「生きたい」を観る。
乙羽信子が生きていらしたら、老婆の役だっただろうか。
この映画の老婆役の吉田日出子は素晴らしかった。
22年前の映画なので54歳のはずだが、70歳の老婆にしか見えない。

この映画は三國連太郎扮する、所かまわず大便をもらす老人の日常と、
老人がたまたま手にする「姥捨て伝説」を描いた本とがオーバーラップしている。
吉田日出子扮する老婆は、「姨捨て伝説」の方に出てくる。
老人ばかりが多い小さな寒村では、70歳になると姥捨て山に行かなくてはならない。
この村の息子二人には、嫁になる若い女性がいない。それが心残りだ。
嫁をもらうチャンスは、夫を亡くした人が出た時だけだ。
夫を亡くした人が出ると、村中の人たちが集まってくじを引く。
くじを当てた家が、その人を嫁として迎えることができるのだ。

今回はこの老婆がくじを引き当てて、嫁を迎えることができた。
これで心置きなく姥捨て山に行ける。
一家はその準備に取りかかる。老婆をおぶう背負子(しょいこ)、
息子が履いてゆく草履、姥捨て山で敷く筵(むしろ)。
いよいよその日を迎える。
嘴太鴉(はしぶとからす)が巧みに使われている。
鴉は生きているうちは人間を喰わない。
山を登り谷を下り、やがて老婆と息子は鴉や野犬が待ち受ける仏が谷に着く。
息子が去った後、雪の降る中を老婆は筵に坐り合掌する。
その姿は、この世の物とは思えぬほど神々しく美しかった。

三國連太郎扮する老人は、躁鬱病を抱える娘(大竹しのぶ)、バーのマダム(大谷直子)、
医師(柄本明)などと騒動を引き起こす。
これだけだったら、騒々しい物語に終わってしまっていたことだろう。
だが「姥捨て伝説」を入れることで、映画に深みが出たように思う。
老いるとはかくも残酷なものか、と姥捨て山に行く年齢になり痛切に思う。
せめて排泄が一人で出来るうちに、あの世に行きたいものだ。

老人ホームの院長役で麿赤児が出ている。
このワンシーンだけで映画が引き締まる。
また、菊地凛子がこの映画でデビューしている。   (敬称略)








(画像はお借りしました)

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裸の島

2020-06-18 10:07:19 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
終活が一向に進まない。一人の人間が生きてきて、その付属物となると
至る所から出てくる出てくる。録画した映画も結構な数だ。。
整理していくとその中に、新藤兼人監督・脚本の「裸の島」があった。

1960年の映画だ。ウィキペディアによると、「近代映画協会」が資金難から
解放することになり、その記念として作られたそうだ。
キャスト4人、スタッフ11人、撮影期間1か月。500万の低予算だというから驚きだ。
モスクワ国際映画祭でのグランプリをはじめ、数々の国際映画賞を受賞している。
その結果、「近代映画協会」は解散せずに済んだ。

お椀を伏せたような小さな孤島に、父母、長男(小学生)、次男(未就学児)の
4人だけで暮らしている。
水もない、店もない、学校もない、医院もない、隣人もいない。
あるのは山の急斜面を開墾してできた段々畑と海だけだ。
畑といっても痩せた土地で、水やりしても直ぐに地面にしみ込んでしまう。
その水も小舟を漕いで、隣の島まで汲みに行かなくてはならない。
桶に汲んできた水が、4人の命と作物を支えている。

乙羽信子演じる母親が、汲んできた水を天秤棒で担いで、山の急斜面を一歩一歩
登っていく。この場面が何度も何度も繰り返される。
ある時、転んで水をこぼしてしまう。
すると殿山泰司扮する夫が飛んできて平手打ちする。
それくらい水は命と同じなのだ。

鯛が釣れると、一家四人が小舟に乗って町に売りに行く。
何軒も回ってやっと売れると、そのお金で食堂に入り楽しそうに食事をする。
子どもの下着のシャツも買うことができた。
この映画はモノクロでセリフは殆どない。だが感情はしっかり伝わってくる。
乙羽信子の笑顔はなんであんなに美しいのだろう。

長男の具合が悪くなった時に、両親は水くみに出ていた。
島には医者も隣人もいない。次男はただ両親が帰って来るのを待つしかない。
医者を連れてきた時にはすでに手遅れで、長男は命を落とす。
お葬式の時の母親の正装が浴衣だったのが哀しい。

いつものように畑に水やりをしていると、母親は急に気がふれたように
桶をひっくり返し、作物を引っこ抜き始める。そして地面に突っ伏して号泣する。
父親は分かっているだけに、なすすべもなく見守るしかない。
この時の殿山泰司のやるせないような、困ったような表情が、何とも言いようがない。
しばらくするとまた、母親は黙々と水やりを続けるのだ。

この映画を観ていると、せりふは邪魔だということが分かる。
目にしっかり刻まれて、忘れられない映画になった。
こうした経験は、「ニーチェの馬」以来のことだ。
二つの映画に、「生きる」ということを教えてもらった。

最近、奇をてらった内容の映画が多いように思う。
興行成績は良いようだが、筋だけの、派手で騒々しいだけの映画はごめんだ。
(敬称略)







(画像はお借りしました)

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すべての教育の場にエアコンを!

2020-06-17 08:28:20 | ⑤エッセーと物語
二十年以上前になるが、高校で教えていた時にオーストラリアからの
ALT(外国語指導助手)に次のように言われたことがある。
「なんで日本では真夏にエアコンなしで授業することに、父兄は抗議しないの。
なんで生徒たちは授業をボイコットしないの。」
オーストラリアでは教室にエアコンとホワイトボードがあるのは常識で、
それを満たしていない時は、生徒たちに授業をボイコットする権利が
あると言うのだ。

梅雨明け十日は特に暑い。狭い教室に4、50人もの生徒たちが
エアコンなしでいたのでは、汗がしたたり落ちるほどだ。
それでも例年ならすぐに夏休みが待っているから我慢ができた。

だが今年の夏休みは新型コロナの影響で、かなり短縮されるという。
ならば余計に空調(冷房)は必要不可欠だ。
自治体の財政力で設置に差があるようなことは、絶対にあってはならない。

新聞に大型冷風扇を使えば移動させて使うことができるとあったが、
前からは冷気が出ても後ろから排熱が出たのでは、かえって暑くなる。
政府はこういう時にこそ、国民のために税金を使って欲しい。

予備費10兆円の一部を回せば、教室・特別教室・体育館等のすべてに
空調を設置できる。
それに忘れてならないのは給食室です。

今後、体育館は避難所として使うことがあるかもしれない。
その時は、そのまま空調が使える。

空調工事は時間がかかるので、すぐにでも予算を付けて取りかかって欲しい。
それと強力な空気清浄機が必要なのは、言うまでもない。
子どもたちが少しでも快適に授業を受けられるようにして欲しい。
それがせめてもの大人の務めだと思う。

「暑さに耐えるのも教育」などと、門外漢には言って欲しくない。
子どもたちの命がかかっているのだ。

国会を閉会している場合ではない!  

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色のない虹

2020-06-10 16:16:37 | ③好きな歌と句と詩とことばと
石牟礼道子さんの『〈句・画〉集 色のない虹』を読む。
画や俳句はなんの気負いも衒(てら)いもなく、作者を傍に感じることができました。
画はのびやかに描かれていて、句には短いエッセイが添えられています。。
石牟礼さんの句や言葉をPCに打ち込んでいると、まるで写経をしているような
穏やかな気持ちになれます。
だが年には勝てません。すぐに目と腰が痛くなり、長くは続けられません。
心に残る句や言葉を引用させて頂きます。

(1)亡魂とおもう蛍と道行す  (2016年4月9日)

(2)あめつちの身ぶるいのごとき地震くる   (2016年6月18日)

    私たち人間は、大前提として、悠久の宇宙的な時間に包まれています。
   それは、宇宙の摂理に従って生きる卑小な存在であるということです。
   その摂理にいくら反抗しても無駄だし、それは良くないことです。
   でも人間には、その大前提を忘れてしまう癖がある。
    私は天の声をつねに聞こうとしながら、生きてきたように思います。
    地震はとても怖いです。でもはるかな宇宙の時空にくるまれて生きる
   存在であることを感じると、人間の生死は小さな問題に思え、本当の
   意味では怖くなくなってくるのです。

(3)泣きなが原 鬼女ひとりいて虫の声   (2016年10月8日)

(4)わが道は大河のごとし薄月夜   (2016年11月19日)

(5)谷の道いまだ蕾めり梅一輪   (2017年2月25日)

(6)渚(なぎさ)にてタコの子らじゃれつく母の脛(すね)  
  (2017年3月11日)

    かつて、人間はを含むあらゆる生き物は、命の根源である海、山の恵みに
   抱かれ、今では考えられないほど幸福だったことでしょう。しかし近代の
   人間は、海も陸も着々と自分たちのものにし、利用するようになってしまいました。
   その結果起きたのが、水俣病です。

(7)汝(なれ)はそも人間なりや春の地震(なゐ)   (2017年4月8日)

(8)きょうも雨あすも雨わたしは魂の遠ざれき   (2017年6月10日)
           ※遠ざれきとは、魂がさすらって行方不明になるという意味。

(9)戦(いくさ)して赤いクレヨンもなくなりぬ   (2017年8月12日)

(10)朝の夢なごりが原はひかりいろ   (2017年10月14日)

    村人たちは、自分たちはいのちのにぎわいにあふれた世界に生きているという
   自覚があるのです。私は土手に迷い込んでは、その世界と一体化したいと思って
   いました。人間が嫌で嫌で、キツネになりたかったのです。

(11)モスリンの晴れ着着てまた荷を負いぬ   (2018年1月13日)

    年が改まり、また一つ年を重ねていくわけです。ただ、それは同時にまた
   一つ荷が重くなることでもあると、いつからか自覚したように思います。
   パーキンソン病を患ったこともそうですが、生きるとは荷を負うことだと
   実感しています。そういう生き方を私は選んでしまっているのでしょう。

(12)徒然(とぜん)のうなか イルカと漕ぎ出す晩の海   (2018年2月11日)
        ※徒然のうなかとは、寂しくない、孤独でないという意味。

(13)山しゃくやく盲しいの花のあかりにて   
       (可憐な画に、このことばが添えられています)

(14)顔なしの姫が笑えり波すすき   (1984年)

(15)のぞけばまだ現世かもしれず天の洞   (1986年8月12日)

(16)いつの世の声きかんとて花すすき   (1992年12月)

(17)わが海に入る陽昏しも虚空悲母   (1996年元旦)

(18)青梅の落つるや雨に紅さして   (2000年6月21日)

(19)前の世のわれなりや今ゆきし草の笛   (2006年6月8日)

(20)いつもより柿食べており母恋ひし   (2007年12月)

(21)目ざめては童女となりて母を呼びぬ   (2007年12月)

(22)花びらの吐息のごとし指先に   (2015年5月9日)

(23)一輪の緋の花ふるえ白象もゆく   (2015年)

(24)死化粧を嫋々(じょうじょう)として山すすき

(25)向きあえば仏もわれもひとりかな

※人疲れした時は、石牟礼さんのこの言葉を思い出します。
 「人間が嫌で嫌で、キツネになりたかったのです。」

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「Play back 」 「 きみの鳥はうたえる」

2020-06-06 10:53:04 | ④映画、テレビ、ラジオ、動画
日本映画専門チャンネルで、【いま、映画作家たちは 2020】を特集している。
三宅唱監督の「Play back」と「きみの鳥はうたえる」を観る。
1984年生まれの監督ということだが、観終わった後に静かな感動があった。

(1)Play back
端正な甘いマスクをした、昔の映画スターを思わせる男が主人公だ。
そう感じたのは、全編モノクロだからか。
しなやかにスケボーを乗り回し、ときおり人懐っこい表情を見せる。
映画は多くを語らないので想像するしかないのだが、どうも記憶がキーワードのようだ。
彼と彼を取り巻く人たちが、高校時代にタイムスリップしたり、現在に戻ったりする。
また同じ場面を時を経てPlay backすることにより、「ああ」と納得がいったりする。

男は俳優として声優として、それなりに名前が売れているようだ。
だが体の変調からか仕事に不都合が生じているようで、その埋め合わせをする
マネージャとおぼしき男の電話対応が面白い。
謝ったり時間を変更したりする時の対応が、まさにマネージャそのものなのだ。
男が検査を受けているところをみると、何やら深刻な病気を抱えているようだ。
それで記憶が飛ぶのだろうか。

この男の顔や体、身のこなしなど全てが魅力的なのだ。
特にスケボーをする姿など、彼を見ているだけで2時間が経ってしまった。
最後のテロップで村上淳と知り驚いた。村上虹郎のお父さんだった。





(2)きみの鳥はうたえる
この作品も三宅唱監督である。
本屋でバイトをしていてセフレの関係にある男女と、男とアパートをシェアしている
男の3人の物語だ。柄本佑(えもとたすく)、石橋静河、染谷将太。
お互いに考えを述べるわけではなく、感情を伝えるわけではなく、3人は一緒に遊ぶ。
実に楽しそうに酒を飲み、ビリヤードをし、ライブに行く。

柄本が演じる男が、なんともいい加減なのだ。仕事はさぼるし、やる気はないし、
臭そうだし、キスをする時にやたらと音を立てるし、何を考えてるのか分からないし、
怖いし。こんな男と別れて、誠実でやさしい染谷と付き合っちゃえば、と老婆心ながら思う。
女の心の変化を表わすのに、染谷から借りたTシャツのにおいを嗅ぐシーンは見事だ。
だが、ラストは王道だった。

それにしてもこの女優はただ者ではない。
普通のことを、普通に演じるほど難しいことはない。
のびやかに、あっけらかんと楽しんで演じている。
石橋静河、あとで調べて驚いた。
石橋凌と原田美枝子の子どもだった。納得です。
柄本佑も両親、弟、妻・・・が役者の芸能一家だ。
彼のいろいろな映画やテレビドラマを観てきたが、どれも素晴らしかった。
でもこの役だけは、嫌いになりそうなくらい嫌な役だった。

2世、3世の政治家は弊害ばかりが目立つが、
芸術家のDNAは確実に引き継がれていると思った。
(そうでない人も多いとは思いますが)






(3)燕 Yan
木村大作監督のように、撮影技師だった人が監督をするケースはある。
新聞によると、この映画の監督(今村圭祐)も気鋭のカメラマンということだ。
「新聞記者」の撮影を手がけ、米津玄師のミュージックビデオ(Lemon)の
撮影を手掛けている。
1988年生まれ、これから若い才能が発揮できる日が待ち遠しい。

※燕 Yanの監督の名前を書き忘れました。大変失礼しました。






(4)Drill & Messy
私は以前、短歌結社「塔」に所属していた。
私が辞めてから主宰になった方が吉川宏志だ。
吉川さんに次の歌がある。
「わが家にて性のシーンの撮られしを初めて知りぬ箪笥が黒い」

吉川さんの息子である吉川鮎太が、映画を撮るようになったことを知った。
才能のある人で賞を取っていた。
分野は違ってもこれからが楽しみだ。



(画像はすべてお借りしました)


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