今日のうた

思いつくままに書いています

夫・車谷長吉

2020-03-13 16:27:31 | ⑤エッセーと物語
高橋順子著『夫・車谷長吉』(くるまたに・ちょうきつ)を読む。
妻は詩人で夫は小説家、お互いに50歳近くになってからの結婚である。
出会いは5年ほど前の、長吉からの絵手紙に始まる。

その後、出家するという長吉を引き止めるために順子は手紙を書く。
「この期におよんで、あなたのことを好きになってしまいました」
長吉のふところに飛び込むのは怖かった。私は窮鳥ではなかったが、
「窮鳥ふところに入れば猟師もこれを撃たず」ということわざが
あるではないか。
長吉からは、「もし、こなな男でよければ、どうかこの世のみちづれにして下され」
という手紙がくる。
こうして彼は出家を断念して、二人は結婚することになる。

長吉は時々心臓発作を起こし、強迫神経症を抱える。
どんな結婚生活なのだろう。
お互いの作品の最初の読者は長吉であり、順子である。
そして誰よりお互いの作品を理解しているのも、長吉であり順子であった。
そのことを順子は次のように書いている。

「作品を見せあうことは別に約束したことではない。でもそれは私たちの
 いちばん大切な時間になった。原稿が汚れないように新聞紙を敷くことも、
 二十年来変わらなかった、相手が読んでいる間中、かしこまって側にいるのだった。
 緊張して、うれしく、怖いような生の時間だった。
 いまは至福の時間だったといえる。」

長吉のユーモアや愛らしさが感じられる逸話が楽しい。
特に「目もとうるおいパック」なるものを二人でしている場面を想像して、
大いに笑ってしまった。

また順子は、「結婚生活は修行のようでした」と書いている。
作品を生み出すということは、肉を削ぎ、血を流すほどの過酷なもののようだ。
遺品を整理して見つかったという長吉の手紙には、次のように書かれていた。

「去年は、正月明けに、まず失職の不安が身近に感じられるようなことがありました。
 その不安から、次ぎ次ぎに原稿を書き続け、それが心臓発作を呼び込み、
 さらに不安を深くしました。私は別に腹がすわっているわけではありません。
 あと数篇、どうあってもこれを書きたい、と思うことがあるばかりです。
 このまま原稿を書き続け、より衰弱するか、さりとて、書きたいことを書かないうちに、
 書けなくなってしまうのも辛いし。命は一つしかありません。
 いや、原稿こそが私の命だ、という思いがあります。
 原稿は、己れの命と引き換えです。いや、何よりも、私は文学の
 医す力なしには、生きて来れなかったし、これからも生きて行けません。
 文学というものは、恐ろしいものです。世捨て、とか、はみ出す、とか、どうしても
 そういう方向へ自分を押し流してしまいます。押し流されてしまいます。」

前田富士男さんという人は、「作家と詩人は狂気を養うところがちがうので、
いっしょにいられるのだろう」とおっしゃる。
それにしても長吉を受け容れる順子の生活は、私の想像を遥かに超えている。
自分に正直に生きることは素晴らしいが、それを貫くことで周りに不協和音が
生ずることもあるようだ。
これまでの水道料金4千円が1万5千円へと跳ね上がってしまうほどの
長吉の強迫神経症について、順子は詩に書いている。

    ふるえながら水を
 男が水を流している ふるえながら 深夜
 流している
 水を流すのは 男の意志である
 意志ではあるが 水に切れ目を付けることができないので
 水の意志に従わされているともいえる
 男は穢れたものを洗っているのである
 落ちない 落ちない 落ちない
 女の目には見えない穢れである

 見えないものは
 恐怖である
 水の音は恐怖の音である
 幻覚にとらわれた男に
 とらわれてしまった
 ということは
 女の幻覚ではない
 男は手を洗っている
 幻覚を洗っている
 洗いきれない
 いつまで いつまで洗うのだろうか

 「動かないで!」
 女が動くと すべてまた 一からやり直さなければならない
 女は身をちぢめ
 しかし出口へと跳躍する筋肉と神経を
 覚ましつづけながら
 坐っている
 男の目が世界の穢れとしての女を見る
 「あああ動いてしまった!」
 ふたたび水だ
 ふたたび

 男が強迫神経症になったので
 暮しは 水びたしである
 この家も 出なければならないのだろうか
 だが 今度は ひとりずつだ
 大甕よ
 結婚の甕よ
 しずかに割れておくれ
 沈丁花よ
 朝までに 枯れておくれ
 だが 朝は来るのだろうか

順子は次のようにも書いている

「私は長吉の狂気の原因の一つであり、治癒の条件の一つである」

そして「長吉は忘れない人だった。忘れないことは苦しいことである」

「赤目四十八瀧心中未遂」は書き終えるのに6年かかったそうである。
長吉は「赤目を書き上げたときから精子が出なくなった。ということは
あれがおれの子どもだったのだな」と突然ひとりごつ。 (引用ここまで)

荒戸源次郎監督も、この映画を作るのに6年かかったそうだ。
軽々に批判した自分を恥じた。   (敬称略)



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# ぜんそくの咳なんです

2020-03-05 08:53:08 | ⑤エッセーと物語
3月3日、朝日新聞『声』の島多美智子さんの投稿
「これ『ぜんそくの咳なんです』」を頷きながら読んだ。
私も30年近く気管支喘息を患っている。
咳は時と場所を選んではくれない。
スーパーやバスの中などで咳き込むと、白い眼で見られたり、
露骨に席を立たれたりする。
特に新型コロナウィルス・パニックが蔓延している現状では、
怖くて逃げ場のない場所には行けそうにない。

そういえば、映画『ジョーカー』の主人公は緊張すると笑いが止まらなくなる。
彼は公共交通機関などで笑いの発作が起きると、病気を理解してもらうための
カードを提示して、周りの人に理解を求めていた。

私も島多さんが提案されているような「ぜんそくの咳マーク」カードを作り、
咳き込んだ時に提示しようかと考えている。
そうすれば、伸び過ぎてしまった髪のカットに行く勇気が湧いてくるかもしれない。

※3月10日の朝日新聞夕刊に、「ぜんそくマーク」の缶バッジのことが載っていた。
 早速、気に入ったのを注文しました。
    ↓

(画像はお借りしました。クリックすると拡大します)


新型コロナウィルスに感染しているかどうかの検査を、
都道府県が認めた医療機関で受けられるようになるという。
だがどこで受けられるかの情報は皆無だ。
厚労省のHPでも見つからなかった。
一日も早くあらゆるメディアを使って、情報を発信すべきだ。
これではかけ声だけの、【絵に描いた餅】になりかねない。

私の勘違いで、PCR検査は従来通り、「帰国者・接触者外来」(全国869か所、非公開)
 を受診し、医師が必要と認めた場合に限られるらしい。

 私の病気は難治性で、特別な治療を受けている。
 おまけに他県の病院で治療を受けている。
 いざ感染の疑いが生じた場合に、こうしたことを考慮してもらえるのだろうか。
 住んでいる場所で、一律に振り分けられてしまうのではないだろうか。
 せめて、いざという時にはどういった病院に行くのかを教えて欲しい。
 そうすれば心の準備ができるというものだ。
 今のままでは、あまりにも情報が少な過ぎて不安です。
 それでなくても感染の疑いが生じた場合に
 冷静に対処できるかどうか分からないのだから。

いくら3月6日に、検査に公的医療保険が適用されることになっても、
しばらくは
「帰国者・接触者外来などに限定」
されるという。
いつから、どの病院で、無料で検査が受けられるようになるのか、
このことを最優先に決めて欲しい。
これは特措法の改定よりも、国民にとっては遥かに大切なことです。

韓国では14万人が検査を受けたという。
日本ではせめて、医師が認めた人の検査を速やかに実施すべきだ!
でないと国民の不安は増すばかりです。
メンツは捨てて、民間の検査機関をフルに活用すべきだ!
検査数が増せば当然、患者数が増す。
まさかこのことを恐れて、二の足を踏んでいるのではないでしょうね。

民間への補助制度を拡充するという記事が載っていた。
遅すぎたとは思うが、遅きに失するということはない。
オリンピックよりも、一人一人の命の方が大切であるということをことを自覚して、
事に当たって欲しいと思います。

追記1
TBS NEWSによると、
PCR検査が無料になった3月6日から3月15日までの検査数は、1万3218
だそうです。(行政検査を含む)
そのうち保険適用はわずか329件、医療機関からのものはたった16件!
検査をさせたくないという意図的な力が働いているとしか、私には思えません。
確かに検査を増やすと医療崩壊を招くという説を、最近よく耳にします。
だが、症状の軽い人と重症の人の扱いを具体的に取り決めて徹底すれば、
防ぐことが出来ると思います。
そういった国の具体的な指針がないことが、医療崩壊を招く一番の原因ではないでしょうか。
医療従事者への感染が心配なら、韓国やアメリカのようにドライブスルーで
検査を受けられるようにするなど、いくらでも方法はあるはずです。
無症状の人を、本人が気づかないまま放置して感染を拡げるリスクの方が、
よっぽど問題だと私は思います。

3月17日の「NEWS 23」によると、アメリカは方向転換して「検査拡充政策」を
打ち出した。
来週には140万件の検査が可能になり、1か月以内に500万
の検査が出来るようになるという。
ドライブスルー方式による検査は、
韓国・アメリカ・イギリス・オーストラリア・ドイツで行われている。
韓国では更に進化させて、「ウォークスルー方式」が
採用されているという。
これは減圧された電話ボックスのようなブースに検査を受ける人が入り、
検査を行う人は手だけを入れて検体を取る。
1人の検査が終わると、ブース内は消毒される。
これで医療従事者の感染の危険性は更に低くなる、というものだ。

オリンピック開催に固執するあまり、そして感染者を増やしたくないがために、
今のやり方でいくと、日本だけがいつまで経っても感染を収束できない、
ということにもなりかねない。
世界は新型コロナウィルスに対して日夜、試行錯誤を繰り返し、
日に日に対処方法を向上させているのだから。
(2020年3月18日 記)

追記2
オリンピックの延期が決まるや否や、感染者数(特に東京都)が急増した。
やっぱりねぇ~と思っている人は多いだろう。
メルケル首相は、「行動を規制するのは民主主義に反する。だが、国民の6割が
かかるであろうと思われる現状では、一人一人が我慢して欲しい」と話した。
こうした言葉を私は聞きたい。
何でも疑ってかからなければならない今の日本、そして自分にうんざりだ。
(2020年3月26日 記)

追記3
ネットによるマスクの高額販売がなくなった(ようにみえる)。
だがウィルスを防ぐための商品は、相変わらずネットで高額販売されている。
持病があり常日頃からこうした商品を使っている人が、手に入らない状態だ。
私は免疫力が落ちているので、以前から外出する時はマスクとクレベリンは必需品だ。

店頭では手に入らない状態が続いているのに、
アマゾンなどのネットでは
高額で大量に売られている!!!!!   


マスク同様、ウィルスを防ぐための商品の
ネットでの高額販売を規制して欲しい!


高齢者で持病があっても、病院や日常の買い物に行かないわけにはいかない。
こうした買い占めによる品薄は、私たちにとって死活問題なのだ!
(2020年4月8日 記)




(クリックすると拡大します)



(画像はお借りしました)

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