物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

老齢と辞書

2012-12-11 10:41:45 | 日記・エッセイ・コラム

老眼となっているので、辞書の小さな字は読むのがつらい。それでも大学を退職してから、特に最近はいろいろな辞書を引くことが多くなった。

ドイツ語のクラスで一緒のK夫人などは電子辞書を愛用されており、冊子の辞書を使っているのは私と私よりも1歳上のクラスリーダーのOさんくらいである。一番年長の医師の I さんなどもはじめは冊子の辞書をもって来られていたが、いまでは電子辞書になっている。

そういう事情を愚痴るともなく妻に話したら、電子辞書を買ったらいいではないかという。そしてある電気店に甥が勤めているOさんに電話をかけてくれて、電子辞書のカタログをもらったが、まだ購入するかどうかを決めかねている。

それはともかく、盛んに辞書を引くことになったのはいいことなのだろうか。広辞苑などももっていはいるものの、大学に在職中はほとんどその辞書を引いたことなどなかったが、最近はカタカナ外国語を調べるのに重宝をしている。大抵このカタカナ外国語の綴りとかを調べたいときに広辞苑を引くと出ているし、またその説明もある。

広辞苑は辞典とはいうもののある種の百科事典の趣がある。昨日書いた「もがりぶえ」なども広辞苑でその意味を知った言葉である。

いつかも書いたが、地球物理学者だった、竹内均先生が東京大学を退職したときに、辞書とか百科事典とかの類を除いて専門の書籍はすべて後輩の研究者にゆづって、雑誌「ニュートン」の編集長として科学の普及啓蒙に尽力されたというのは有名な話である。

竹内さんの真似はできないが、その万分の一でもと思って日夜励んではいるが、その意図を理解してくれる人が本当にいるのだろうかと思っている。だが、人生なんてそんなものだから、別に落胆しているわけではない。


虎落笛

2012-12-10 11:03:15 | 日記・エッセイ・コラム

虎落笛とは俳句を詠む人などにはおなじみの語句であるが、私のようにそういう素養のないものにはなんと読むのかもわからなかった。「もがりぶえ」と読む。

以前にある会の会誌の編集を数年間していたが、そのときに九州のSさんから投稿があり、その中に虎落笛という語句の入った、俳句があった。

それでよくわからずそのSさんに尋ねたことがあった。物を知らないにもほどがあろうが、それは仕方がなかった。最近朝日新聞の俳句の欄にそういう語句の入った俳句を見て、そうだったなと懐かしく思った。

いま国語辞典(この語は嫌いである。日本語辞典というべきだ)を引いてみると、岩波国語辞典(第3版)には載っていなかったが、さすがに広辞苑(第5版)には載っていた。

虎落笛は笛という語が入ってはいるが、別に楽器の笛とは関係がない。冬の烈風が垣や竹垣などに吹き付けて笛のような音を出すことをいうとある。こういう語は俳句や短歌とかをやっている人には当然知っている語ではあろうが、別に知らなくとも生活に困る訳ではない。

「俳句甲子園」という催しが毎年松山であり、高校生の俳句愛好家のチームが自分の俳句を相手とそのできばえを競ったり、その後の討論によって、勝ち上がって行く。

その放送をときどき見ることがあるが、高校生といえども俳句の愛好家には私たちのあまり知らない語彙があることに気がつかされる。なかなか私たちには及ばないことである。


恋のフーガ

2012-12-08 15:54:02 | 音楽

NHKの教育テレビで佐野元春のシンガーソングライターをこのところ金曜の夜見ている。

昨夜はなかにしれいさんの2回目であった。たまたま「恋のフーガ」という曲のフーガという意味をなかにしさんから聞かれたが、会場の人たちで知っている人はいなかった。

私も音楽でのフーガは知らなかったが、fugareというフランス語を知っている。と書いて仏和辞典を調べたら、「逃げる」という意味でのfugareという動詞はフランス語にはなかった。

ひょっとするとイタリア語にはあるかもしれないが、自宅に帰らないと伊和辞典はここにはないので、調べることができない。

そのfugareの代わりにfuirという語が「逃げる」という意味のフランス語にはある。そしてこれが私が探していたfugareのフランス語の対応語であった。

英語に亡命者とか避難民という意味のrefugeeがあるが、このfugeeのところにfugare(またはfugir?)の一部が残っている。

フーガに戻ると日本語では遁走曲といわれているとかでメロディーが1小節だか遅れて繰り返される曲だそうである。そんなこんなで初めて「恋のフーガ」のフーガの意味をはじめて知った次第である。

ちなみにこの「恋のフーガ」はなかにしさん作詞のヒットソングの一つであるが、私はここではその歌をまったく再現できない。

歌詞を見て、それが昔大いにヒットした曲でも私などその曲を歌ってみることなどまったくできないことを昨夜思い知った。

(2012.12.11付記) 「イタリア語小辞典」によれば、逃げるはfugareではなく、fuggireとあった。そうするとfugareというのはまったく私の創作した語なんだろうか。後はスペイン語辞典くらいを見るしかない。


クラウドは権力の集中化を招かないか

2012-12-08 15:06:42 | デジタル・インターネット

「クラウドは権力の集中化を招かないか」というのが、私の昨夜のNHKのBizプラスを見ての不安であった。

確かに自分たちの会社がなんでも所有するというとその費用が大きくなって、利益が上がらないからクラウドコンピューティングが省エネになったり、施設への投資とか人員への資本投下をしないので、会社が利益を上げやすくなるという。

だが、「クラウドは権力の集中化を招くかもしれない」という恐れがあるような気がする。その辺は実際はどうなのだろうか。現に車のメーカーのトヨタはクラウドを導入しているそうである。しかし、この恐れはまったくないのか。

それと私の子どもなども IT 関連企業の一つに勤めていたりするが、彼が仕事がなくなったりはしないのだろうかという恐れも持った。これは本人に電話をかけて聞いてみようと思った。クラウドなどと技術概念を認めないというのではないが、その対策を早くしておかないと多くの人が仕事を失うということではまったく浮かばれない。

だから、もちろんクラウドとかいうアディアが浮かぶことは大いに結構だが、それに対する利害得失を考えて前もってその害の方には対策を立てておく必要があると思われる。

それとどこかに集中してしまうと大災害のときに損害をそこが受けてしまうと機能が麻痺してしまうという恐れもある。それは多分かなり遠くはなれたところにバックアップセンターをつくるとかしているかで問題をクリアしようとするのであろうか。

集中と分散というのは昔から大いに問題であって、パソコンが出回る前はコンピュータは集中方式であった。それがパソコンの普及である程度分散システムが普遍となった。もちろん、銀行のATMシステムなどは集中方式であろうが、それだけで十分なのだろうか。

国家の安全の問題もあるし、資本の独裁という恐れもある。よくSF映画である権力的な人がすべてを握った会社をつくり、それに対抗する人たちがその強大な権力とか機関に抵抗するという映画だったりする。そんな心配は皆無だろうか。

クラウドと聞いて過剰反応だろうが、そんなことを考えた次第であった。

(2012.12.11付記) このブログを書いた後で、クラウドをwikipediaで検索をしてみたら、ここで書いたような欠点というか恐れとかはすべて書いてあった。もっと徹底的に問題点を指摘してある。私がそんなことを知らなかっただけであった。でも自分でそういうことを考えついたからこそ、問題点の指摘にうなずくことができた。


12月8日

2012-12-08 14:06:21 | 日記・エッセイ・コラム

今日は12月8日である。それがどうしたという声がするかもしれない。

今日は日本がアメリカに宣戦布告して太平洋戦争が始まった日である。私はまだ小さくてよくは覚えていないが、ラジオで放送があったような気がする。

2つ年下の妹が生まれて数日たったときだったので、覚えているのかもしれない。歳にして2歳と少々の頃である。ところは朝鮮(いまの韓国)の鎮海に一家で住んでいた。

この鎮海はとても小さな町だが、いまでは春の桜の頃には百万を越す観光客が訪れる桜の名所である。友人のWさん夫妻はこの季節に数年前に訪れたらしい。写真を数枚私に送ってくれた。

私が住んでいたのは昭和15年(1940年)から昭和20年(1945年)のはじめのほぼ5年間ほどである。しかし、ここが私のふるさとという感じがしている。もっとも私の生まれは日本の I 市であり、この鎮海ではない。それでも物心がついた小さいときをここで過ごした記憶は薄れない。

朝鮮を日本が植民地にしていた時代であり、今から考えるとひどいことをしていたわけだが、そういう意識はさすがに幼児のわたしにはもてなかった。

反日の人がその当時でもいたらしいが、警察や軍によってすぐに抑圧されたようである。だから、その当時にあからさまな反日の旗を掲げた人たちはとても勇気があった人たちに違いない。

そういう経験を経ているせいか、ある政治家のような勇ましい話にはとてもついていけない。強い国づくりだとか誇りを持てる国だとか言われるとそんなものは口に出していうことではないだろうという感じがしてしまう。もし自分の国を誇りにしてるとしても、そんなことを口に出していうことではなかろうというのが私の感覚である。

これは母親が自分の子どもことを自慢しているというような素朴な話ではない。自分の国を誇りするときに相手の国も同じように誇ることを認める度量があるのか。自分だけが優位を誇るということは他国なり、他人をないがしろにしないでできることなのか。

胸の中の密かの誇りまで捨てなさいなどとはいわない。それはそれぞれの人々が自国に対してまたは自分に対してもてばいいことであって、それまでも誰も犯すことができない。


インフルエンザの接種

2012-12-07 13:47:02 | 健康・病気

数年前から毎年インフルエンザの接種を受けている。これはサーズだったかのインフルエンザが流行ったときにいつも通っている、診療所の先生に接種しませんかと言われて、インフルエンザの接種をしてから毎年の恒例の行事になっている。

ひどいインフルエンザに罹ったのは私の記憶では2回ある。1回目は大学2年から3年になる春休みで、私の出た高校の卒業生が私のいた大学の受験に来たので、その世話をしたことで疲れてインフルエンザに罹った。

このときにはまるまる2週間寝床に臥せった。数日寝床に臥せっていると、体の節々が痛くなって寝て居れなくなるが、それでも起き上がることはできないので、仕方なく寝ていた。そのときに遠山啓著『無限と連続』(岩波新書)を読んだことは何回かこのブログでも書いたと思う。

他に何もできないのだから、それぐらいのことしかできなかった。

私が研究対象としている、武谷三男などはもっとすごくて学年の間の春休みにワイルの「空間、時間、物質」だか、「群論と量子力学」を読んだというから、私などとは桁が違う。もっとも彼はインフルエンザに罹ったわけではなかった。

1941年大阪から東京の理研(理化学研究所)に研究生として武谷が出て行ったときには、ワイルの「群論と量子力学」を読んで、群論を修得した人して畏れられていたらしい。その後の素粒子論グループの研究者の仲間の間では武谷はあまり計算の得意ではない人という評もあるが、若いときには結構几帳面に勉強をした人である。

晩年、武谷が養護施設のラヴィアンローズに入っていた頃に武谷を尋ねた、化学工学者の西村肇は枕頭にこのワイルの「群論と量子力学」がおいてあったと書いている。

それが武谷が長崎正幸と「量子力学の形成と論理」II, III(勁草書房)を書いていた頃なのか、それよりも後のことなのかはわからない。多分上記の書の発行後のことではなかろうかと思っている。

またまた、わき道にそれたが、もうインフルエンザに罹ったもう一度はすでにE大学に勤めており、子どもも生まれていた。

子どもは普段は家にはいない、父親が家にいるので、嬉しがって私の体の上に覆いかぶさってくる。ところが子どもが私の上に覆いかぶさられ、体の節々が飛び上がるくらい痛い。それで邪険に撥ね退けたことがあった。ときどき咳をするだけでおなかが痛いくらいだったから。

私は元来は子ども小さいときには一緒にじゃれあって遊ぶのが好きな方であった。だが、このときだけは体が痛くてどうしようもなかった。このときも2週間ほど学校を休んでしまった。その後、これほどひどいインフルエンザには罹ったことがない。

ただ、知人の研究者がインフルエンザの高熱がもとで57歳で亡くなったと知っているので、たかがインフルエンザだとは思っていない。


数学・物理通信2巻6号

2012-12-06 11:30:42 | 数学

数学・物理通信2巻6号の発行の準備ができた。もっとも一通りの準備なので、まだすぐに発行するわけではない。

来週の発行になろうか。原稿を投稿してくださる人が結構いて、私たちのサーキュラーは成り立っている。そのことには編集者としてはまず感謝をしなければならない。

むしろ、投稿を十分にさばくことができていないので、投稿者にイライラ感を与えていないかと心配になる。そのためにできることはしてきたが、それでもまだ編集者としては十分な働きだとまでは言えない。

なんでも自分の理想と現実には乖離がある。それでも少数の人々の要望しか満たしていないとしてもこのようなサーキュラーの存在意義もあることと思っている。

基本的にはプリントして配布することをしないので、その点の費用はかからない。もしそうではなくていくらか費用がかかるようならば、このようなサーキュラーは成立しないに違いない。そういう点では社会に対する影響力はあまりないかもしれないが、このようなサーキュラーの発行はなかなかのいいアディアであったと思う(自画自賛?)。

一号のページ数はおよそ30ページを目安にしているので、今回もこの規準を守ることができたのでほっとしている。別に印刷をするわけではないので、何ページでもいいはずだが、出来上がりが十分であるかの検討するためには一度もプリントしない訳にはいかない。というのは一度はプリントをして原稿の検討をしておかないと思わぬ齟齬があるかもしれない。

何回も30ページにおよぶプリントをしなくてはならないのはちょっとたまらない。だが、ディスプレイ上だけではいくら検討してもミスが起こりうる。そのことを避けるためにはどうしても編集段階で数回のプリントはしなければならない。

できあがってしまうともちろんこのプリントは保存のための1部を除いて必要ではないので、これは編集人以外が知る必要はないが、なんでも舞台裏は厳しいところがある。


心がけていること

2012-12-05 13:08:14 | 日記・エッセイ・コラム

このブログはもう1950回をこえているが、いつも何らかの新しい視点や観点を示したいと考えている。

しかし、それは心がけていることではあるが、なかなか毎回はそういう新しい視点を提供するのは難しい。それらの視点は新聞、テレビや雑誌やまたは私の出席しているドイツ語のクラスの先生やクラスメートの話だったりする。

またはおこがましいことだが、私自身の思いであったり、妻の考えであったりする。それにしてもこんなに何回も書いていると重複は避けられないし、陳腐にもなってくる。それはある程度しかたがない。

もちろんだからと言って開き直るほどまでには傲慢ではないつもりである。いつでも一学生のつもりで学べるところからは学びたいという気持ちをもっている。これはすなわち閉じた観念ではなく、いつも自分の観念とか心を開いていたいと思っている。

体がもう首から上しか自由が利かなくなっている、ある企業家のインタビューが先日のNHKのニュース中にあったが、そういう障碍があるにも係らずこの人の前向きな心のあり方や積極的な生き方をすばらしいと思った。

これは政治的意見としてというよりは単に希望だが、TPPで日本の農業が壊滅してしまうと主張して政治を動かそうとするよりも、TPPがあってもそこから生き延びれるような、方策がないかと知恵を絞ることはできないのか。

確かに政治の圧力はアメリカとか、そういう言い方が許されるならば、資本主義のあくまで利潤を追求の結果としてそのためには他国の利害をも侵してもよいという考えが問題であるかもしれない。だが、小さな努力だけではなく抜本的な考えの転換が日本の農業従事者や農業経営者にできないのか。

逆に、もしTPPがいけないとしたら、どうしたらTPPに入らないで生き抜く方策があるのか。そういうことが十分に想像ができているのかどうか。そのときにはもちろん国の農業政策としての財政的支援に頼るなどということは抜きにしての話である。

そんな夢みたいな事などあるものかといわれるだろうが、要するにTPPを拒否するのであれば、そこまで考えなくてはならない。

私にはTPP問題は正直のところはっきりとはわからない。だから、賛成と反対との二つの立場でちょっと述べてみたに過ぎないが、そこまでみんなが誰でも考えなくてはならないとまでは言えないが、たぶんそういう政策を研究している経済学者とかは考えなくてはならないだろう。

言いたいのは単に主張だけではなくて、具体的な処方箋を示せるか、また現実の事態を改善できる具体策をもっているか。これにかかっている。これは日本でも最大のシンクタンクだと言われている官僚の方々の本当の考えなくてはならないことではないか。

最大のシンクタンクの官僚までそのことのシミュレーションができないとすれば、誰ができるというのだろうか。


百科事典を拾う

2012-12-05 11:33:55 | 日記・エッセイ・コラム

道端に落ちていた百科辞典を拾った訳ではない。近所に懇意にしている家があるが、そこの女主人は養護施設に入ってしまった。その若主人が自宅のガーレージに百科事典をゴミとして出していたのだ。

それを見た妻がその数冊を我が家に持ち帰っていた。月曜日の夕方のことである。帰宅したら、玄関に8冊くらいの百科事典がおいてあった。そして妻から百科事典をもらうかと尋ねられた。もらうと答えて、二人で残りの百科事典を引き取りに行った。

妻の母が半身不随になって、歩けなかったときに買った簡単な車椅子を押して回収に行った。強烈にたくさんある百科事典である。それでも往復回数が一回で済んだのはラッキーだった。

野口悠紀夫さんの「超勉強法」によれば、百科事典は数学のあるテーマを調べるのにいい書籍だとあったから、即断でもらうことにしたのだった。だが、それにしてもたくさんある。これではご近所のMさんが百科事典をゴミに出そうと思ったのは仕方がない。

それにしても書籍を捨てることが多くなっている。次兄などもたくさん書籍をもっているが、少しずつごみとして出しているとか聞いた。いつだったかマルクスの資本論は要らないかといわれてもって帰ったことがあった。もちろんこれは長谷部文夫の訳本である。長谷部文夫は今治市出身の経済学者であった。

住居の手狭さに自分で大金をはたいて購入した蔵書を泣く泣くゴミとして出すことが多くなっている。久野収のような有名な学者の場合にはどこかの公共図書館(彼の場合は大阪府立図書館)が受け入れてくれたりするが、一般の人の蔵書まではなかなか受け入れてはくれない。どこの公共図書館も手狭である。

一時、国際交流基金とかのお金で発展途上国の大学や研究所に学者の蔵書を寄付して送るとかいう話も聞いたが、なかなかそういう風なこともできにくいだろう。

話は突然変るが、今朝の新聞で障害者のための学習塾を30年もしている、遠山真学塾のことがでていた。それを主宰している小笠さんは私とほぼ同い年の72歳であるが、40歳くらいでこの塾を始めたことになる。もちろん、塾の先生は彼だけではなく何人かのボランティアによって支えられているのだろう。

それにしてもそういう施設を維持することも大変なことである。また、そういう施設がほしいものだが、それをもつためにはかなりの資金がいる。私設の図書館とか学習施設とかが民間で運営できるようになれば、すばらしいのだが、そういうことをするお金持ちの篤志家はいないものだろうか。遠山真学塾には現在130人の方が学びに訪れているとのことである。


年賀状の辞退通知

2012-12-04 10:41:11 | 日記・エッセイ・コラム

今年もかなりの数の「喪中につき年賀状をご遠慮申し上げます」との通知を頂いている。以前はご両親が亡くなったとの通知が多かったが、最近はご兄弟姉妹が亡くなったので、ご遠慮申し上げますとの通知が多い。

それと私が存じ上げていたご本人の亡くなったとの通知がお子様や夫人から頂くこともままあるようになった。昨日も私の懇意にさせて頂いた先生の訃報をお子様から頂いた。

このS先生は東京工大の卒業生である。情報通の方から聞いたところでは東京外国語大学にも合格をされた、外国語にも堪能な方だったという。

その後、アメリカで大学院の教育を受けて、その後の期間を含めて8年の長さにわたってアメリカに滞在されたと聞いている。だから、Sさんは日本語で文章を書くよりも英語で書くほうが楽だと言われていた。

文章を綿密に検討される方で、さすがにその点では隙がなかった。私自身もある論文の英語をみてもらったことがあった。

そのときに「完全に」という語を訳がよくないなと思いながら、totallyと書いたら、しばらく考えてentirelyと直してくれた。そのときはじめてentirelyという語の使い方がようやくわかった気がした。

英語の文章を書くときにはやはり自分で知っている語彙でなんとかしようとするのだが、それでもなんだかしっくり来ないなと思うことがある。

これは別の例だが、ある論文の英語で「実際に」と英語で表したいときがあったが、それに対応した語を思いつかなかった。しかたなく、reallyと書いたが、なんだか違うなと思っていたら、これは私の先生のYさんがactuallyと直してくれた。このときようやくactuallyとかactualとかいう語を覚えた。

いつのまにか主題が大きく外れてしまった。こういった思い出がこのS先生との間にはあった。ご本人が覚えておられただろうか。


civil engineering(土木工学)

2012-12-03 12:01:54 | 科学・技術

civil engineeringとは普通には日本語では土木工学と訳されている。civilとは普通には「市民の」という訳がふさわしいだろう。だから、civil engineeringは普通に訳すれば、市民工学ということになる。

civil engineeringが土木工学とはどういうことなのであろうか。という疑問をもたない人は少ないのではないかと思うが、その答えを知っている人は少ないかもしれない。私もそういう疑問をずっと抱えてきた。

大学の工学部に長年勤務してきたので、ある教授会の後に知り合いの土木工学の教授にその質問をしてみた。

彼の返答は「civilとはmilitary(軍人の、軍用の)に対応したものである」とのことであった。それでようやく土木工学がcivil engineeringといわれる理由の一端がわかった。確かに辞書を詳しく調べると、civllの訳語には「(軍に対し)民間の」という説明が入っている。

私の疑問をぶつけた方は土木工学の教授ではあったが、都市工学が専門で、いわゆる土木工学とかから連想される泥臭い先生ではなかったが。

ひょっとしたら、彼が大学で学んでいたときに彼の大学の先生からそういう説明を講義で受けたことがあったのかもしれない。そうだとすれば、彼はいい教育を受けてきたと思われる。それにしてもその説明にはなるほどと納得をさせられた。

私の祖父は軍人としては工兵だったと聞いている。ところが祖父は上官に直言をして聞き入れられず、その軍に居ずらくなって、神戸で警官となったが、病を得て、若くして(多分30半ばで)亡くなった。

祖母は子どもが一人(それが私の父)いたが、祖母の両親に子どもを預けて、東京に出てある専門学校で学び、そこを卒業して、最後には女学校の裁縫の先生になった。

そういういきさつがあるから、土木工学が私にそんなに遠い存在であるはずがない。それにしてもcivil engineering(土木工学)は私には長年の疑問の一つであった。

そういえば、The Civil Warといえば、アメリカの南北戦争を意味している。このときにはcivilは大文字で書かれており、定冠詞のtheがついている。この場合には国内で行われた内戦というような意味をもつのであろうか。

土木工学科という名前の学科はいまの日本の大学には存在していない。約10年ほど前に環境建設工学科という名前に代わってしまったからである。仮にまったく同じ内容であったとしてもまったくイメージが異なって、ポジティヴなイメージが環境建設という言葉から伝わってくる。


入力の変換ができない

2012-12-01 11:54:01 | デジタル・インターネット

いまさっきこのブログの入力をしようとしたら、英字しか入力できなくなっていた。あわててどこが悪いのか探したのだが、わからない。そのうちにキーボードの変換のところを押したら、元のローマ字変換にもどった。

学生のころに英文タイプライターの打てる練習をしたことがあって、それでローマ字変換のほうが便利である。もっともブラインド・メソッドは身につかなかったので、いつもキーを見て打っている。

英文タイプライターを学んだ人はワープロにもパソコンにも取り付き方が速かったと聞いている。妻が昔アルバイトで勤めていた新聞社の事業部長さんは英文科の出身だったとかで、ワープロがまだ珍しかったときだが、ワープロを使っていたと聞いた。

それはまだ、いまのようなインターネットもパソコンも普及していないころのことであるが、ワープロ専用機で文書をつくっていたらしい。もっとも勤めが新聞社とあっては文章を書くことは、事業部に配置されていても、お得意のものではあったろう。

パソコンの設定を変化させたつもりはないのに作業をしているうちに、どこかのキーボードを押すことなど日常茶飯事であろう。よくそのサインが点灯するのはニューメリックのところである。これはもう慣れたから、もう一度ニューメリックを押して解除できるようになった。

もう一つよくやるのは大文字のロックキーを押すことである。これははじめはわからなかったが、そのうちに大文字のロックがかかっていることがわかるようになった。

だが、ときどきまったくわからなくなることがあって単なるパソコンのユーザーである私は困ってしまうこともある。ただ、それでもパソコンが壊れることはないので、大抵は困るくらいが関の山である。これは車が乗っていて滅多に壊れることがないのと同様である。

私の先生のMさんがオーストラリアのキャンベラに研究留学していた1960年代のはじめは車は毎朝検査をしなければならなかったと聞いた。彼は毎朝自分の車を点検するだけではなく、隣のアパートの住んでいた、大阪大学の川口正昭さんの車まで点検をされるので、川口さんからいつも感謝されていたという。