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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

愛国心

2017-09-16 23:22:29 | 教育

>日本人に「日本という国を好きですか?」と尋ねると、大抵の日本人は好きと答えるでしょう。

日本人が特に外国を旅行したら、それを実感するでしょう。

>私は100%の確信を持って断言できますが、では「愛国心を持っているのですね?」と尋ねると、「う~ん、愛国心ですか・・・」と、現代の日本人は「愛国心」という言葉に対して、何らかの抵抗感を持っています。>これを読む人の中にも、子供の頃からずっと「私は国を愛しています」と言ってきた日本人が何人いるでしょうか。

「私は国を愛しています」などと言う人は、戦前も戦後もいないでしょうね。変な日本語です。’愛国心’ は、政府が発する掛け声のための言葉です。

>ちなみに一般的な家庭で健全に育った米国人であれば、ほぼ全員がこれらの質問に対して、「私は子供の時からずっと米国に愛国心を持っています」と即答するはずです。

アメリカ良いとこですね。

>そして私も、極めてそのような一般的な考えを抱いている米国人の1人です。>ゆえに日本人の愛国心への抵抗感を見ると、とても奇異に映るのです。

‘愛国心’は、我々の忌み言葉ですからね。それだったらアメリカ人にもあるでしょう。

>そう言うと、「いや、もちろん私だって日本は好きですよ」と言う日本人は多いでしょう。>ではそういう人に重ねて聞きますが、では「日本を好き」なのと、「祖国を愛している」との違いは何ですか? 

それは、庶民の表現と権威筋の表現の違いというものでしょうね。

>これはかなり難しい質問かもしれません。

込み入った問題になりますね。

>それに対する一つの答えは「マインドコントロール」です。>戦後の日本では、日本人が愛国心を持つことに抵抗感を抱かせるような学校教育と、マスコミによる意図的な報道や放送が行われてきました。>しかもそれは現在進行形であり、今、この瞬間にも行われています。つまり、日本人の皆さんは一種の洗脳を受け続けているのです。

日本人は、権威筋からの洗脳を望んでいますね。ですから、新聞を読んで、テレビを見ています。さすれば、日本人として胸を張って生活できます。

>「マスコミや学校教育を通して日本人が洗脳されているだなんて、そんなバカなことが!」と思ったあなたは、残念ながら見事にマインドコントロールされてしまった人です。

我が国では、マインド・コントロールが教育の基本です。
弟子は師に心に刻むべき内容を教えとして乞う。師に、’愛国心はいけませんよ’ と言われれば、それを忘れずに暗記するといった具合の勉強です。要は、暗記力の問題です。

>オウムの事件を引き合いに出すまでもなく、洗脳された人は、自分が洗脳されている事実になかなか気づきません。

そうですね。仲間と違いが無ければ、何も恥ずかしいことはありません。
自ら洗脳されるその励みが、縦社会 (序列社会) の中での序列昇進につながっているのです。これが我々日本人の日常です。

>うすうす気づいてはいても、容易にその事実を認めようとはしないものです。
>なぜなら長年かけて築いた価値観が、根底から覆(くつがえ)ってしまうからです。

そうですね。それは大損になりますからね。絶対に認められません。

>戦後、この洗脳を教育機関やマスコミを操作して行わせた陰の主犯は、GHQ(連合国軍最高司令官司令部」でした。
>それは米国政府が仕組んだと言っても間違いなく、アメリカ合衆国の占領政策による謀略でした。
>これは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)というものです。
>これの目的は要するに、日本人の心に、先の戦争についての罪悪感や嫌悪感を植えつけて、日本を二度と軍事的に立ち上がれない国にしようというものでした。
>米国政府がそこまでやった理由は、米国が日本や日本人を極端に恐れたことが原因です。

日本人は恐ろしいからですね。特に日本人を知らないアメリカ人は、日本人を恐ろしがりますね。
日本人には意思が無い。意思のない人間には加害者意識 (罪の意識) が無い。だから、深刻な反省に至ることも無い。あるのは被害者意識だけです。それで恨みやすい。
師の教えを守って日夜励む。それで、序列昇進の道が拓ける。自己判断ができないから日本人は恐ろしい。

(略)


高級官僚

2017-09-16 15:32:25 | 政治

>・安倍総理夫妻が最近まで肩入れした森友学園に対する不当な国有地売却問題について、佐川前財務省局長はもんきり口調の国会答弁でしらを切り通した。
>その結果この7月の論考褒章人事で国税庁長官ポストを獲得した。(略)
>・一連の国会答弁で無理スジのしらを切るには相当の凝り固まった頭いる。
>人の人たる仁義信や志の欠片も見えない高級官僚が蔓延り過ぎではなかろうか、たぶん潜在思念を封印した偏差値70の受験脳(=暗記脳)の持ち主のなれの果てではなかろうか。

日本人には世界観が無い。それで、’あるべき姿’ の世界の内容が無い。大局的な個人判断を働かせることが出来ない。
世界観の世界は三つある。過去・現在・未来の三世界である。これらは ‘時制’ (tense) のある文章内容として表現されるので、それぞれの世界の内容が脳裏で入り乱れて混乱することは無い。
だが、時制は英文法には有っても日本語文法にはない。だから、日本人には世界観が無い
あるべき姿は、考えの内容であるから非現実である。現実の内容は人数に因らず一つであるが、非現実の内容は人の数ほどある。
英米人は自分の世界観を基準にして、現実の方策を決定する。だが、日本人には、世界観が無いので、師に教えを乞わなくてはならない。
日本人は、教えられた徳目を基準にして現実の方策を思案する。徳目は処世術実行の口実として利用される。
世界観には個人の自主性が反映されるが、徳目には自主性が無い。ちょうど、スポーツ選手が、所定のルールを守って競技するようなものである。枠内にはまって活躍して、世界を観ない。

>・試験問題は手の届かないところで作られ、不当な出題でもその問題を100%是としてひたすら解くだけとなる。

日本人の作る試験問題は、個人の世界の表現が要求されていませんね。個性に基づく判断を求めれば、答えは山ほどできる。だが、出題者は個性の価値を認めていない。

>難関大学を突破する頃には追求力も失せた暗記脳と化してしまい、与えられたことを疑問もなく解き続けることに順応し、権力に都合の良い男と成り下がってしまうのであろう。

処世術を駆使して争うわけですね。暗記は一種の模倣ですからね。個性に基づいた創造にはつながりませんね。

> 完璧なまでに受験脳=暗記脳と化すと、理不尽な方針もそうは思えずひたすら与えられた問題を解くだけの頭になってしまう。

あるべき姿が存在しないから、自分自身の判断基準が無い。’適当ではないが法律違反とは言えない’ という程度にまで品性が成り下がりますね。自主性のない人間の哀れな姿ですね。

>そして答案の採点に対しても何故と問うことなども思いも浮かばないのではなかろうか。

日本人には、リーズン (理性・理由・適当) が無い。だから、リーズナブルな答えを出す習慣が無い。また、だれからも期待されてもいない。ひたすら受け入れられることを願うばかりである。

>上の言うことは絶対、だから下に対しても自分の言うことは絶対として平気でしらをきり通すことができてしまうのではなかろうか。(略)

上位下達の一つ覚えで行く。簡単な事務処理になるのか。自己が無いので流される。

> 問題そのものがおかしくないか、評価に問題があるのではないか、常に問題を発掘して、どうする、何でと考えなければならない。

自分の頭で考える必要がありますね。我々は、’考える人’ にならなくてはなりません。

>熾烈な受験戦争を潜り抜けて追求力と志を失った者たちに国家や会社の舵取りを任せるわけにはいかない。(略)

その通りですね。’信なくば立たず’ ですね。





 

夜郎自大と非国民

2017-09-16 06:26:23 | 日本語脳

(略)
>21世紀に入ってからの日本の学術的発信力の劣化は、先進国唯一の事例であり、海外メディアの研究対象になるほどに例外的なものなのです。
>でも、文科省もメディアもこれを無視しています。>「それは違う、日本の高等教育は成功している」と思っていればきちんと反論すべきですし、「ご指摘の通りである」というのであれば、過去の教育政策の何が悪かったのかを自己点検し、修正すべきものを修正すべきでしょう。>でも、どちらもしなかった。

そうですね。文科大臣にもメディアの編集長にも、責任感は無いのでしょう。相変わらず、無頓着でしょう。

>現に失敗しており、それを当事者たちも知っているのだけれど、失敗を認めず、引き続き失敗の「上塗り」をしている。

そうですね。正しい考え方が分からない。

>それが大学教育について僕が知っていることです。>こんなことがもうしばらく続けば、日本の学校教育のインフラは破壊され、教育研究のレベルが20世紀末の水準に復活することはもうないでしょう。

効果のある解決策が見つかると良いですね。

>こういう劣化現象はシステムの局所に単発的・例外的に発生するものではないはずです。>おそらく政治経済学術を含めてシステム全体が壊死し始めている。>そう診立てた方がいい。

そうですね。日本人の頭の中に問題があるのでしょうね。
 
>ご存じの通り「失敗を認めず、失敗を検証せず、失敗を重ねた」というのは大日本帝国戦争指導部の「失敗」の構造そのものです。

そうですね。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。責任感は無いので、原因究明もないのでしょう。

>そのせいで、日本人は国家主権を失い、国土を失い、国民的な誇りを失った。>その失敗から戦後日本は重要な教訓を得たはずでした。

そうですね。でも、もうこりごりだという程度のことでしょう。

>でも、今の日本を見ていると、この歴史的経験から学んだようには見えません。

そうですね。相変わらず不勉強ですね。無哲学・能天気でいては、英米流の高等教育の成果は得られませんね。

>現に、敗戦に至る政治過程の失敗を「失敗」と認めない人たちが政権の中枢を占めている。

そうですね。自然の流れとしか見ていませんね。

>敗戦という近代日本最大の惨禍を正しく受け止め、なぜこれほどひどい失敗を犯したのかその理由を吟味し、二度と同じ失敗をしないようにシステムを補正するという作業を拒否する人たちが日本の国の方針を決定する立場にある。

そうですね。でも、無意識的にそうなるのですね。

>そこに僕は大日本帝国の破局的失敗から何一つ学ぶまいという強固な意思のようなものを感じます。

日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語には時制というものがない。だから、日本人には意思が無い。それで、優柔不断・意志薄弱に見える。
全ての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。意思は文章になる。意味がある。恣意 (私意・我がまま・身勝手) は文章にならないので、意味が無い。
日本人には意思は無いが、恣意がある。恣意は意思と違って、文章にならない。バラバラな単語 (小言・片言・独り言) のままで存在する。意味もなければ、矛盾も指摘できない。議論にならない。話にならない。
恣意を鍛えると、根性・意地・大和魂となる。
日本人の精神活動は言動・文章では表すことが出来ない。心から心へと直接伝えられるものである。単語で発し、忖度 (推察) で受けるということかな。だから、真剣な議論は行われないことになります。

>僕の考える「国を愛する」というのは、現代日本についてなら、「国家主権を回復する」「国土に外国軍隊を常駐させない」「不平等条約である日米地位協定を平等で双務的なものに改定する」といった散文的な課題を一つひとつこつこつと仕上げてゆくことに他なりません。

勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ(ヘルマン・ゲーリング)。

>日本は過去一度も失敗なんかしたことがないし、昔も今も世界中から敬愛されているというような夜郎自大な自己評価にしがみつくことでも、目を血走らせて「非国民」探しをすることでもありません。

日本人には意思が無い。だから加害者意識 (罪の意識) が有りません。深刻な反省に至ることがありません。大人でありながら無心であります。
日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあるので、序列意識の方は強迫観念の域に達しています。序列作法から外れる者を非国民として執拗に糾弾しています。

>でも、主権国家として当然のこれらの重い政治課題を何よりも先に解決しようという強い意欲を今の日本人からは僕は感じることができません。

意思のあるところに方法はある。(Where there’s a will, there’s a way). 日本人には意思が無い。だから、解決の方法を示すことはできません。

>みんなはどうする気なのでしょう。(略)

ノウ・アイディアであります。そのうち、なんとか、成るだろう。お先真っ暗。教育改革が必要です。


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