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教養教育

2017-09-09 02:20:13 | 日本語脳
>「教養教育とは何か」
> (前略)
> 日本の教育史上最も成功した教養教育は旧制高校だと私は思う。

それは、どうしてですか。

>そこでは若者たちが起居をともにし、文字通り「同じ釜の飯を食う」生活をした。>彼らはその生活を通じて、集団内部での自分の果たすべき役割を学んでいった。>のちに大きな仕事をした人たちが高校時代を回顧して、「・・・に出会って、この分野ではこいつには歯が立たないとわかったので、自分は・・・を専門にすることにした」と述懐する言葉を私は何度も読んだことがある。

得手に帆を揚げるのですね。

> 旧制高校が教育機関として成功したのは、それが同学齢集団の中でどういうふうに「ばらける」と集団としての知的パフォーマンスが最高になるかを十代の頃から熟慮させる仕組みだったからだと私は思っている。

教育機関は同学齢である必要があるのですか。

> 今の学校教育では、学生たちを単一のある「ものさし」を使って格付けして、上位者を優遇し、下位者を処罰するという競争原理が幅をきかせている。>けれども、精度の高い格付けを行うためには、それに先立って、できるだけ学生たちを均質化する必要がある。>「それ以外の条件をすべて同じにする」ことでしか「ものさし」は当てられないからである。

同次元の序列競争をさせるのですね。

> 精度の高い格付けと多様性は共存できない。>どちらかをあきらめるしかない。>日本の大学は格付けを優先して、多様性を捨てた。

そうですね。切って揃えられたような人間作りをしましたね。

>21世紀に入ってからの日本の大学の学術的アウトカムの劇的な劣化はそれが原因で起きたと私は思っている。

そうですね。個性・独創性が失われましたね。

> 学生ひとりひとりの「学力」を査定して、点数化して格付けすることにはそれなりの意味はあるが、「それなりの意味」以上のものはない。

それは、縦社会 (序列社会) の序列人間作りですね。

>むしろそれがいま私たちの社会と学校教育の場に及ぼしている害毒についてもっと自覚的でなければならないと私は思う。

そうですね。個性は、考えの内容にありますからね。個性を破壊すると、考えの内容もなくなります。

>教育の成果は最終的には個人ではなく、集団単位で考量すべきものだからである。

そうですね。教育の成果は、多士済々により得られますね。

> 私たちは学校教育を通じて、私たちの共同体の未来を担うことのできる次世代の成員たちを育てている。>彼らの知性的・感性的な成熟を支援することによって、私たちの共同体が存続できるようにすることが学校教育の第一目的である。>それ以外のことはどれも副次的なことに過ぎない。

そうですね。同感です。

> 〈中略)
> 気づいている人もいるはずだが、20年ほど前から日本では「似たような能力を持っている若者たちを一堂に集めて、その優劣を格付けして、それに基づいて資源分配をする」という後味の悪い物語を人々は娯楽として大量に消費するようになった。>おそらくは社会の実相をそのまま映し出しているのである。

序列社会の陋習ですね。

>もう一度アカデミアは「多士済々」の場とならねばならない。

そうですね。まったく同感です。
現実の内容は、頭の外にある。非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。両者は所在が違うから、内容が同じにならない。

現実の内容は、ただ一つである。見ればわかる。ご唱和・異口同音の内容になる。
非現実の内容は、人それぞれである。見ることが出来ない。尋ねてみなければ分からない。伝達される情報は文章の中で全て提示される必要がある。矛盾のない文章は、正しい考えを示している。矛盾のない考えは、すべて正しい。だから、多士済々になる。個人を護る個人主義が必要となる。曖昧な言語を発し、それを忖度 (推察) で受ける学習は考えられない。
我が国には、高等教育の充実が大切である。正確性が必要とされる言語を使わなくてはならない。英米流の高等教育が、これに相当する。これは、大人になるための学習である。

非現実の内容は、時制のある文章により表現される。日本語文法には、時制というものが無い。だから、日本人には非現実の内容 (哲学) が無い。日本の大学には、英米流の教養が無い。大学人は、無哲学・能天気でいる。英語には、時制 (tense) がある。非現実の内容を現実の内容に変換できれば、それは創造したことになる。現実の内容を現実に再現しただけでは模倣になる。日本人には、模倣があって、創造が無い。没個性の競争は参入が容易であるが競いがはげしく、過酷なものになりがちである。我が国には、人手不足はあるが、頭脳不足の話は聞いたことが無い。だから、幸せが少ない。

>それが果たせなければ日本に未来はない。

そうですね。日本には何でもあるが、ただ夢と希望だけがありません。



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