「片麻痺お気楽日記」左半身麻痺 主婦の日記

産後の脳出血での左半身麻痺主婦。日々の生活や、半身麻痺さんへのお役立ち情報等。

私の始まりの日・パートⅡ

2011年08月31日 10時41分22秒 | 発症の時

今日は8月31日。「夏休みが終わる~」とホッとする人も多いかな?

22年前の今頃、私は病院のスタッフに囲まれ、あれやこれやの検査を
されていたと思います。朝の次男への授乳を済ませた後、とにかく身体が
重だるくて、頭は痛いし…でした。手をつけなかった朝食のトレーを
廊下のワゴンまで持って行き、ベッドへ戻ったところで、ベッドへ倒れ込み
天井の灯りが回り始め「ヤバイ」と思ったんだけど何も出来んかった
ナースコールにも手を伸ばせず、誰かに気付いてもらおうとして
「誰か~、看護婦さん呼んで~」と自分では言ったつもりだった…

後で聞いたら、私の“うめき声”が聞こえたので「どうしたん?」と
同室にお母さんが入院していた、高校のクラスメイトが覗いてくれたんです
私は痙攣を起こし、意識は飛んでいた…

それからは、大騒ぎになり、夫や母が呼ばれ、私は産婦人科の病室から
脳波やCTの検査に行ったらしいのですが…ここは記憶に無いんですよ
夫の話じゃ、CTの前には麻痺した左手で手を振って検査室に入ったらしい。

部屋は暗く、ベッドサイドの灯りの中、夫と話しをしている最中に、またも
爆弾投下朝に続いての痙攣です
朝の痙攣で全身の筋肉が凝り固まり、夫にあちこち揉んでもらってた
「左足が攣ったぁ」と私。夫が「おいおいまたかよ」って言って身体を
私の左足に向けたのまでは覚えてる。ところが、その時の私は2回目の
痙攣発作を起こし、意識は飛んでいた…。夫は左足を擦りながら
「どうだ?」と私の顔を見たんだって。私は目を吊り上げ、口をキ~
噛みしめていた…それはもう、夫にとって生涯忘れられない光景だったの
消灯後の病棟は、またも喧噪状態…。とうとう私はICU行き

産婦人科の病棟だったのに、夫は「検査結果に異常が無いなんて変だ」と
婦長さんと喧嘩して私に付き添っていたんです

大きな病院の中だったので、私は命は助かった…不幸中の幸いだった。

今朝のNHKの「あさイチ」でも、脳梗塞の特集してましたね

カルテ上では、9月1日が発症になっていますが、始まりは今日、
8月31日なんだと自分の中では思っています

今、片麻痺で暮らしている私の「始まりの日・パートⅡ」になるわけ。

今朝早く目が覚めてしまった夫は、今、隣でうたた寝しています
私はこの記事の投稿ボタンを「ポチっとな」したらシャワー浴びて来ます。

こんなお気楽な日が来るなんて、昔は思いもしませんでした

ご精読ありがとうございました

今日も暑いです。お身体、ご自愛下さいませ

 

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思い出せば…その5

2005年09月03日 11時51分48秒 | 発症の時

この「思い出せば…」も今日で終わりにします
また、何か思い出したら、書こうかな?

とっておきの話しっていうのは、『幽体離脱・臨死体験』とか言われてるやつ

ICUから出て個室に移って、自分の状況が把握出来だした時、
私の頭の中に大きく残っていた物…

それは、本当に不思議な体験でした
ベッドに私は寝ています。すると、段々と心臓の鼓動が弱くなって行くのです
マジで慌てました「おいおい、このままじゃ心臓が止まっちゃうよ」って。
そしたら、ホントに止まったんです
ぎょえ~私死んじゃうの~」って
慌てる私がベッドの上にいて、その枕元に、じっとそれを見てるもう一人の私。
走り回る看護婦さんや、電話をかけてるお医者さんが見えました
しばらく間があり、ふいに「トクン」と心臓が動いたと思ったら、徐々に鼓動が強くなり
わ~い動き出した~生きてるよ~」って
ホッとした所で、終わってるの。自分でも凄く不思議な感じだった
恐らく、麻痺した左手が心臓の上にあったんだと思うのね
だから、鼓動がリアルに伝わって来てたみたい。

夢にしては、あまりにリアルなので、話しが出来るようになってから
夫にこの事を話したら、
「おまえは心停止はしてないぞ」って言うんです。
退院してから、長男に話したら、
「案外ホントはそういう事があったんじゃないの?」って言いました。

どっちにしろ、私は今生きてます
推測ですが、耳から入っていた周りのバタバタの様子を
脳が覚えていて、麻痺はしてても感覚はある左手が鼓動を感じていて
私に見せてくれた夢だったのでしょう

でもね、心臓が止まった時は、マジでびびってた私です

でも、長い期間、意識不明だった人って、似たような経験されてるんですよね
ってホントに不思議です

昨日は、竜が負けたので、2ゲーム差になった
今日は札幌ドームです。虎ファイト

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思い出せば…その4リターンズ

2005年09月02日 13時37分04秒 | 発症の時

昨日は、せっかく書いたのに、接続不良で投稿出来なくて…
気を取り直して書いてみます

ICUに入ってた2週間というのは、ほぼ意識の無い状態(薬も使ってたらしい)
でも、不思議とハッキリ判った事がある
それは部屋が変わったって事
ピンク色の部屋に移ったのね」と思ったの。
後で、“ICUの窓のそばのベッドに寝てた”と聞いて納得した

これも後で分かった事だけど、ICUにいた間の入院費の請求額…
300万円を越してました
休職中だったので、当時の社会保険本人が1割負担だったから、
それでも30万円超えるのよ
今は3割負担でしょ…

そして、ICUにいる間の看護婦さん同士の会話が、
なぜか、記憶にあるんだな

看護婦A「この患者さんどうしたの?」
看護婦B「お産の時の出血が多くて@#$%&(薬の名前)を多く使ったから
     悪くなったらしいよ」
看護婦A「まだ若いのに大変ね…」

このようなやり取りは、あったかもしれないし、無かったかもしれない
なにしろ意識レベルは、無いか極端に低かったんだし。
でも、耳って、死ぬ間際でも聞こえてるって事だしね…。

当時、付き添い婦さんが、まだ許されていたんです。
ICUにも出入りしていた付き添い婦さん達に、
私は格好の話題を提供していたようです。
これも、後で、ある付き添い婦さんから聞いた話しです。
「若いのにこの先大変だね」とか、
「子供産まなかったら、良かったのに」とか…。

この「子供を産まなければ良かったのに」という言葉は、
とてもショックでした
これを話してくれた付き添い婦さんは、
「あんた、こんなに元気になったの良かったね」と
言って下さり、「あの頃は、仲間内で『可哀相に…』と言い合っていたんよ」って。

これを聞いてから、ある意味開き直ったように思います
次男を産んだから、病気になったとは考えもしませんでしたから
ショックは、ショックでした
けど、言いたい他人には、言わせておけと思いました。
「自分がこうなってみろや」って。

でもね、現実は甘くはなかったのでありました

ICUにいる時の、とっておきのお話しは、また…

虎は、何とか意地を見せましたね
まだ5ゲームも直接対決が残ってるよ

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思い出せば…その3

2005年08月31日 15時34分16秒 | 発症の時

今日が、その日です。
16年前の今頃、私は検査の真っ最中でしょうね。
この時の記憶が無いから、意識レベル低かったのでしょう。

発症がてんかん様痙攣として出た関係で、後遺症にも痙攣が残りました
最初の大きな2発の発作の時は、意識が無くなったんだけど、
後遺症の痙攣は、意識があるのに、身体が固まって動かないし、
痺れるの…
周りが「大丈夫?」とか、声をかけてるのが分かるのに、話せなくなるの

そして、寝てる間に、私の意識の無い時(ぐっすり寝てる)に
身体がガタガタ震えだすやつもありました。
こいつが来た時には、隣で寝ている夫には悪夢の再来だったようです

ICUに入ったのが深夜。詳しい検査は翌朝になったそうです。
朝一で撮ったCTには、素人の夫が見ても、ヤバイと思える写真があったんだって。
ご存知の方も多いかと思いますが、脳のCT画像って、
クルミを真っ二つに割ったような絵になります
左右の脳を分ける線が真ん中に真っ直ぐ入ってるのが普通です。
夫が見たのは、右脳が腫れ上がって、真ん中の線がグニャ~
左脳の方に曲がり込んでたんだって
血栓で詰まった所から出血を起こしていて、場所が悪い
「8:2の確率での覚悟をして下さい」と言われたらしい
助けて下さい、お願いします」としか、
夫には言えないですよね。お医者さんも「最善を尽くします」としか…。

実家の両親も、孫が生まれて喜んだと思ったら、今度は娘が死に掛けてるって、
夢見てる感じだったろうね…。
当の本人は意識が無くて眠ってるんだからさ

後で、上の2人の子供達に聞いた話しだと、
「最後になるかもしれないから」って、小さい子は規則では入れないのに、
長男と長女は、ICUの私のベッドサイドまで来たんだって。
「『お母さん、起きてよ』」って大声で言ったのに、お母さんは目を開けなかった」って
これを聞いた時には、息が詰まった
「お母さんは触ったら温かかったよ。揺さぶったけど目を開けんかった」とも。

子供達は、保育所に通ってたのね。その日に限って、お迎えが夫(父親)でなく
義父(おじいちゃん)が行った訳。
保育所には、私の事を知らせていなかったので、
先生達は見知らぬ義父のお迎えに戸惑われ、
子供達が「お祖父ちゃんだ」と言うのと、義父からの事情説明で
帰宅、となったんだそうです。

当時、団地の市営のアパートに住んでいましたが、
ご近所さんだって、“赤ん坊連れて帰って来る”っていう感覚ですもん。
事情が知れた後は、そりゃ、噂が先行しますわよ。
2週間もICUにいたでしょ。「喪服の用意せんでいいかな?」って
話しもしていた、と後でお見舞いに来られた方に聞きました。

脳外科では、やれるとなれば、即手術するみたいですが、
私の場合、メスを入れると、もっと出血するから無理との事で
薬も使いながら、意識の無い状態で様子を診てたんですね。
家族は2週間も針のムシロ(これも今や死語ですか?)の上だったのです。
申し訳ない気持ちでいっぱいでした(モチ、意識戻ってからね)
たしか、9/15に脳外科病棟の個室に移りました。

今日はここまで
次はICUにいる時の事を書きます。
意識無かったんですが、けっこう面白い話しがあるんですよ

今日は、夏休み最後って事で、ちょっと遠出をしてパークプレイスまで
映画を観に行って来ました
「STER WARSエピソードⅢシスの復讐」です。
次男は2回目でした。手帳提示で1000円×2=2000円
SWシリーズは、やっぱり大画面の劇場じゃなきゃね

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思い出せば…その2

2005年08月30日 16時23分55秒 | 発症の時

私の頭の血管ががプッツンした日の事は、
鮮明に覚えてる事もあれば、全く記憶に無い事もある。

あの時は…、とにかく頭が痛かった
加えて身体もだるかった
朝の授乳を何とか終えて、朝食が配られた。
でも、きつくてきつくて、食べる気しなかった
ベッドに横になり、一眠りした
「お膳を下げなきゃ…」と思い、食べずにトレーを持って廊下に出た。
厨房の係りの人が、病棟のワゴンを片付けに来ていたので、
トレーを手渡しした(つまり、ここまでは、私の身体は普通だったようです)

ベッドに戻ると、やたら身体が重くなって、落ち込むように横になった。
すると、部屋の天井の蛍光灯が回って見え出したので、ヤバイぞと思い
ナースコールに手を伸ばそうとしたが、手に力が入らんかった
とっさに「私はヤバイ状況になってる。気付いてもらわなきゃいけない」と
思ったので、6人部屋だったから、゛誰かが聞きつけて替わりにナースコールしてくれる”と思い
「看護婦さん呼んで下さい」と叫んだ(つもりだった)。
ここで、私の記憶は切れてる。

以下は同部屋にお母さんが入院していた高校の同級生の話し。(=私の事)
「何かの声がしたから、“どうかしたん?”って、ベッドのカーテン開けたら
が痙攣起こしてて、大急ぎで看護婦さん呼んで、大騒ぎになったんよ

以下、夫の話し。
「俺が連絡受けて、お母さんにも連絡した。医者には“てんかん持ちじゃないか?”とか聞かれた。
それは無いと答えたし、お母さんもそう言ってた。直ぐに脳波とCTの検査に行った。
CTの検査室に入る時、おまえは俺に向かって左手で手を振った

脳波もCTも異常が無いからとまた元のベッドに戻って来たらしい。
夫は、「大きな発作を起こしていて、異常が無いっていうのは納得出来ない」から
このまま私に付き添うからと、病棟婦長とケンカして、私に付き添っていた。

ベッドの所のライトが付いていた。朝の痙攣を起こす前の状況とかを、夫に話した。
夫は、痙攣で強張った私の背中などを揉んでくれていた(私が揉ませていた、が正しい)
突然、左足のふくらはぎが攣った「左の足が攣った」と私。
「おいおい、またかよ」と夫。
(妊娠中から、足の筋肉が攣る度に揉んでくれていた夫である)
夫が私の足の方に身体を向けた。ここまでしか、私の記憶は無い…

以下、夫の後日談。
「左足をさすりながら、ふっとお前の顔を見たら、目の玉は上を向いてて、
口はキィーと食いしばってて、そりゃ凄かったんだぞ」
「それからは大声で看護婦呼んで、気道確保やらされてお前はICUに連れて行かれたんや」
朝に続いての痙攣発作でした。これが決定打?になっちまった。
夫の悪い予感は当たったのでした。

ハイ、今日はここまでね

今夜の首位攻防戦、頼むで~岡田さんよ~
虎キチだから、仕方無いんよね

がまた降り出した。台風のせいだろうね


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思い出せば…

2005年08月29日 14時09分21秒 | 発症の時

昨日、ある片麻痺の方のHPで、発症2年目の女性のHPを覗く機会があった。
発症当初の事を、それはそれは事細かく書いてある…
彼女は体調が良くないのに、HPの更新をコツコツやってるんだって…。

私も31日で発症から丸16年になるけれど、
思い出せば書けるだろうけれど、
なにせ、意識不明でICUに2週間もいたらしいから、
「こうまで書けんぞ」と正直思った

意識が飛ぶ寸前までの事は覚えてるんだけどね…
夫の話しの中には、記憶に無い事もあるし…
朝と深夜に2度痙攣来て、意識飛んだから…

次男の出産後、やたら頭が痛かった
母乳の事もあったので、薬は飲めないし、帝王切開の手術中に
麻酔が局麻から全麻になったから、麻酔のせいで頭痛いんだと思った
もともと頭痛持ちだったし、中耳炎の手術やらの経験もあったから
痛みには強い方だった(自慢にならんわい
小2で盲腸の手術してるし…(これも自慢にならんわい

半端な痛みじゃなかったから、「痛い」という事を、回診の時には言ってあった。
だから次男が3日間だけ保育器に入っていたのに、最後の日にしか
会いに行けないくらいきつかったんだよね
授乳が始まって、授乳の姿勢もキツイ状態だったのに、我慢してた

後になって、あの時、もっと騒いでおくべきだったと思ったよ

でもね、「○○していたら」とか「○○していれば」は言ったらあかん
と悟るまでには随分時間がかかったけどね

記憶が飛んでる所もあるんだけど、思い出せば、結構いろいろあるんだよね

私の“人生リセット記念”と銘打って、私が飛んだも直ぐなので
ちょっと書き留めておきましょうかね

続きはまた明日…

 

 

 

 

 

 

 

話し変わって、虎が連勝
そしていよいよ、明日から頂上決戦よ

お~い、井川~!仙さんも文句付けとったぞ~髪切れや~

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