一病と二人三脚年新た
これは、平成10年の私の作です。この頃はまだ一病でした。今ではもう三病か四病ですがね。
今、俳句の仲間たちや教室の生徒さん、み~んな口を揃えて「先生、いつもお元気でいいですね!」と言ってくれます。有り難いです。 それを聞く度に、ああ、私は元気なんだと、ホントにそう思えるのも不思議です。
言葉というものは〝ことだま〟と言って、「ダメだ、ダメだ!」とか「出来なかったらどうしょう?」とか、マイナスの言葉ばかりを口に出していたら、本当にそういう風になるのですよと、聞いたことがあります。私は昔から泣き言を言うのが大嫌いでしたから、みなさんにはいつも元気そうに映ったのかも知れませんね。でも、私の句集を読んでいただけたら、健康とはとても言えないということが分ります。
先日長門で講演された小川軽舟さんの著書、俳句日記『掌をかざす』(ふらんす堂)という本の中に、共感した言葉がありましたから、書きますね。
〝俳句はそこに何があったかを思い出させてくれる言葉だ〟です。まさにその通りだと思います。俳句はたったの17文字ですが、その中に凝縮されている時間や空間は無限なのです。自分の詠んだ1句を手にすれば、たちまちその当時にタイムスリップして、一緒にいた人たちや景色、その時の状況など、すぐに髣髴として蘇ってくるんですよ。
入院を明日に爪切る夜の秋 (季語「夜の秋」夏)
声かけて病者寄り合ふ今日の月 (季語「今日の月」秋)
髪脱けてゆくも治癒かと月祀る (季語「月祀る」秋)
食思なき歯に松茸の音はよき (季語「松茸」秋)
長き夜や死神様も神のうち (季語「長き夜」秋)
病み呆けし我に鈴虫昼を鳴く (季語「鈴虫」秋)
復職の出会ふものみな冬やさし (季語「冬」冬)
これらの句は、平成5年、C型肝炎で入院し、インターフェロンの治療を初めて受けた時のものです。まだ治験中の薬で、医者も手探りの状態でした。その副作用で苦しみましたが、どうにか6ヶ月間の治療を乗り切りました。その時のことが何も言わなくてもすぐに思い出されます。
その後もインターフェロン治療を2回受けました。若いときから数えると、出産を除き8回の入院、2回の手術と…その病歴を話し出せば、一冊の本が出来ます。どうですか、驚いたでしょう? 本当に人というものは外見だけでは分らないものなのですよ。
今日は半年ごとのその検診のため医大へ。いつもは何事もなく、ではまた半年後と、予約して帰るのですが、今回は違っていました。エコーに気になる影が有ると言われ、3ヶ月後にMR検査を受けることになったのです。でももう少々のことでは驚かなくなっていますので、みなさまどうぞ心配しないで下さいね。私は安心するための検査だと思っていますから。まだまだ頑張りますよ!