橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI#416≪カメラをさげて≫ 2021.11.13

2023年06月11日 | EHAGAKI

2019/11/17 7:02 江東区-大島

お世話になります
COVID-19は落ち着いたのでしょうか
油断なく、くれぐれもご用心下さい

さて「趣味は?」
と聞かれれば、まぁ相手に応じて答える訳ですが
「写真、カメラです」と答えるコトが多いです

で、何をしてるか、というと
カメラを持って散歩
普段のカバンの中には必ずフィルムカメラを持っている
ってことですが、これは皆様もほぼ同じ
スマホを持っておられるかと思います

散歩とカメラ
スマホで撮ると何時何処に居たか
撮ったかが記録されます


よく知られた
「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉は
戦前の物理学者で随筆家、俳人の寺田寅彦による言葉です

この人の文章、今や無料で読むことが出来ます
インターネットの図書館「青空文庫」
http://www.aozora.gr.jp/


ということで今回のお題は
写真というモノの存在が周知され
カメラを持っている人も増えはじめて来た頃の
寺田寅彦のエッセイです

今回の写真は「11月に東京で撮ったスマホ写真」のみです


2018/11/23 12:57 青山霊園


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

カメラをさげて
寺田寅彦昭和6(1931)年11月(大阪朝日新聞)


このごろ時々写真機をさげて
新東京風景断片の採集に出かける
技術の未熟なために失敗ばかり多くて
獲物ははなはだ少ない
しかし
写真をとろうという気で町を歩いていると
今までは少しも気のつかずにいたいろいろの現象や
事実が急に目に立って見えて来る

つまり
写真機を持って歩くのは
生来持ち合わせている二つの目のほかに
もう一つ別な新しい目を持って歩くということになるのである

この目はまず極端な色盲であって
現実の世界からあらゆる色彩を奪ってしまう

そうして空間を平面に押しひしいでしまう
その上にその平面の中のある
特別な長方形の部分だけを切り抜いて
残る全部の大千世界を惜しげもなく
むざむざと捨ててしまうのである

実に乱暴にぜいたくな目である

それだから
カメラをさげて秋晴れの郊外を歩いている人たちは
おそらく幾平方センチメートルの紙片の中に
全武蔵野の秋を圧縮して持って来るつもりで歩いているのであろう

この特別な目をぶらさげて歩いているだけで
もかなり多くの発見をすることがある

2019/11/20 18:07 品川区-東大井


手近な些末な例をあげると
銀座の裏河岸のある町の片側に
昔ふうの荷車が十台ほどもずらりと並べておいてある
その反対側にはオートバイがこれも五、六台ほど
並んで置かれてあった

その平凡な光景がカメラの目からは
非常におもしろく見えるのであった

昭和通りに二つ並んで建ちかかっている
大ビルディングの鉄骨構造をねらったピントの中へ
板橋あたりから来たかと思う駄馬が顔を出したり
小さな教会堂の門前へ
隣のカフェの開業祝いの花輪飾りが押し立ててあったり
また日本一モダーンなショーウィンドウの前に
めざしの頭が二つ三つころがっていたりするのも
やはりカメラの目を通して得られた小さな発見であった

2020/11/28 8:33 佃


こういう目をもって見て歩いた新東京の市街ほど
不思議な市街はおそらく世界じゅうどこを捜してもないであろう

極端な古いものから極端な新しいものまでが
平気できわめてあたりまえな顔をして隣り合い並び立って
仲よくにぎやかに
1931年らしい東京ジャズを奏しているのである

こういうものに長い間慣らされて来たわれわれは
もはやそれらから不調和とか矛盾とかを感ずる代わりに
かえってその間に
新しい一種の興趣らしいものを感じさせられるのであろう

こういうものの並んでいる間に
散点してまた実に昔のままの日本を代表する
塩煎餅屋や袋物屋や芸者屋の立派に生存しているのも
やはり印画記録の価値が充分にある

2018/11/4 11:42 千代田区-神田駿河台


鳥羽僧正の鳥獣戯画なども
当時のスポーツや
いろいろの享楽生活のカリカチュアと思って見れば
この僧正はやはり
一種のカメラをさげて歩いた一人であったかもしれない

この僧正にアメリカ野球選手との試合を
記録させなかったのは残念である

2019/11/11 17:08 江東区-亀戸


親譲りの目は物覚えが悪いので有名である
朝晩に見ている懐中時計の六時が
どんな字で書いてあるかと人に聞かれると
まごつくくらいであるが
写真の目くらい記憶力のすぐれた目もまた珍しい

1秒の50分の1くらいな短時間にでも
あらゆるものをすっかり認めて
一度に覚え込んでしまうのである

2018/11/16 8:18 墨田区-横網


その上にわれわれの二つの目の網膜には
映じていながら心の目には少しも見えなかったものを
ちゃんとこくめいに見て取って細かに覚えているのである

たとえばショーウィンドウの内の
花を写すつもりでとった写真を見ると
とるつもりの夢にもなかった
あらゆる街頭の人影の反映が写っているのである

2020/11/13 16:17 江東区-富岡


盛り場である人がなんの気なしにとった写真に
スリが椋鳥(むくどり)のふところへ手を入れたのが
ちゃんと写っていたという話を聞いたこともある

カメラをさげて歩いている途中で
知人に会ってちょっと立ち話をするとする

そのとき、相手の人によると
自分のカメラをさげていることなどにはあまり無関心なように見えるが
また人によると何よりも第一にすぐ写真機に目をつける人もある
同病相哀れむゆえんであろうか

2018/11/23 13:34 港区-青山


いちょうの黄葉は東京の名物である
しかし
いくらとっても写真にはあの美しさは出しようがない

そのいちょうも次第に落葉して
箒をたてたようなこずえにNWの木枯らしが
イオリアンハープをかなでるのも遠くないであろう

そうなれば自身の寒がりのカメラも
しばらく冬眠期に入って
来年の春の若芽のもえ立つころを
待つことになるであろう
(昭和六年十一月、大阪朝日新聞)

2018/11/2 11:18 港区-北青山


◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

ということでした
大幅にカットしてますのでぜひ全文をお読み下さい
「青空文庫」http://www.aozora.gr.jp/


さてさて、かつての日常は帰ってくるのでしょうか
この間の経験を、どう活かすか

「寝てて転んだ試しなし」

スローに行くべきかと愚考する次第です
皆様におかれましても
心の栄養補給は怠らない様ご自愛下さい

ではまた

2019/11/9 12:11 猿江恩賜公園


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