橋長戯言

Bluegrass Music lover, sometimes fly-fishing addict.
橋長です。

EHAGAKI #409 ≪ウンコの話≫

2021年03月05日 | EHAGAKI

近頃、ほぼ完全に忘れているコトがあります
匂いです

肥、糞尿の匂い、イヤでした
「出来れば無い方がいい」と考えるていた訳ですが
近頃出会うことは、ほぼありません

さて、今回のお題は「ウンコの話」であります

かのハリスは1858年(安政5年)に
この様な主旨のコトを語ってました

完璧にみえる日本の生存システムを
ヨーロッパ文明が破壊するだろうと、懸念する

前回の続き的なキッカケではありますが
未来に向けてのSDGs的なお題であります

参考図書)
ウンコはどこから来て、どこへ行くのか
人糞地理学ことはじめ
湯澤規子著:ちくま新書
2020/10/9



◆ ◆ ◆ ◆


1562年(永禄5年)
◆ポルトガルの宣教師 フロイス

われわれの便所は家の裏など人目につかない所にある
日本の便所は、家の前にありすべてての人に開放されている

我々は糞尿を持ち去る人に金を払う
日本では糞尿を持ち去る人が金(米や野菜も)を支払う


1775年(安永4年)
◆スウェーデンの医師 ツユンベリー

世界中に日本ほどより丹念に肥料を集めている国はない
ヨーロッパの畑では
滅多に利用しない尿さえも
日本では大きな壷に丹念に集められる

その壺は農村だけでなく
街道の端のあちこちにも理めてある


1820年(文政3年)
◆オランダの商館員 フイッセル

土地には肥料を施すが
肥料には人間や動物の排泄物や
鰯その他のあり余る魚類が利用される

旅行者にとって何が不愉快だといって
肥料が施されたばかりの畑地の
悪臭絶えず畑に連んで行くために溜めておく下肥
とりわけ
村の中の家々のそばにおいてある
下肥の山や肥溜の悪臭ほど不論快なものは他にない


1848年(嘉永元年)
◇ポール・ゴーギャン Paul Gauguin
パリのノートル=ダム・ド・ロレット街に生まれる

その頃のパリは
生活環境、都市環境ともに極めて劣悪であった

住民は生ごみや屎尿を無秩序に通りに投げ捨てる
道の中央の溝には生ごみや屎尿が溜り悪臭が立ち込めていた

生ごみ、屎尿、雨水はセーヌ川に流れ込み
水質の悪化は避けられなかった
産業革命により急激な人口増が続いた時期であった


1858年(安政5年)
◆ハリス Townsend Harris

衣食住に関する限り完璧にみえる日本の生存システムを
ヨーロッパ文明とその異質な信条が
破壊し悲惨と革命の長い過程が続くだろうことに
愛情に満ちた当然の懸念を表明する


1859年(安政5年)
◆イギリス駐日公使 オールコック

町から田畑に送る液体の肥料を入れた
おおいのない桶を運ぶ運搬人が列をなして通った

いくらいかに貴重だとはいえ
「危険物」といえる例の物(人糞尿)を
積んだ馬が列をなしてとおったりすることは
全く嫌なものだ



1860年(安政6年)
◆ドイツの公使の随行者 ベルク

家畜の頭数が少ないので
日本の農民は自分自身と同胞のそれ(人糞尿)で
肥料作りをしている

家だけではなく
通りでも畑でも森でも
桶や容器が置かれて全部収容されるようになっている

それ(排便尿)をするときは
定まった所以外でなされることない

都会では糞尿回収は組織立っている
江戸付近でも、それ(糞尿)を積んだ
駄馬の行列や運河に数多くの肥料船があるのが見られる

本当の肥料作りは、大きな桶か石壺の中で行われる
これは農家の庭先や畑の至る所に
縁すれまで土の中に理められてある

この中に糞尿を注ぎ何一つ付け加えずに
水で薄め熱心にかき混ぜると
きれいに溶け均一な粥のようになる

2週ないし3週間発酵させる
固いものは下に沈み、水は蒸発する

日本人は生のままの状態で肥料にすることはない


◇ウンコの値段

仕入先によってランクがあった

武家の糞尿は高価だった
また長屋の便所に溜まる糞尿は
大家の重要な収入源であり財産であった

支払いは通貨の他に
野菜や漬物といった現物との交換によってなされた


1866年(慶応元年)
◆デンマークの海軍士官 スエンソン

目ではなく
臭覚が日本の風景に向ける非難は悪臭である

地味を肥やすために糞を尿に溶かしたもを用いるのだが
このどろどろの液体は
山腹に掘られた穴に貯蔵され
すぐに腐敗してえもいわれぬアンモニアの香水の悪臭を放つ

地面にこやしをまく月には
この忌まわしい混合液を
ふたのない桶に入れて畑を運びまわり
芽をふいたばかりの植物に浴びせる

おかげで植物は養分を得てすくすくと育ち
西欧の施肥法よりはるかにすぐれた効果をもたらす

しかし
目を楽しまされるのと同じ程度に
鼻をつかれ嫌悪をもよおすため
どんなに自然を愛好していようと
この季節ばかりは
恐れをなして田園から逃れ
町の空気や潮風で満足するよりほかにない


1869年(明治元年)
◆イタリア国使節 アルミニオン

ごく普通に用いられる肥料は人糞で
これに藁や麦藁を混ぜる

世界中のどこを探しても
日本の農夫ほどに
自分の田畑の耕作に精を出す者はいない

彼らが田畑を耕すときの
熟練、勤勉、そして入念さはまことに称賛に値する


1877~83年(明治10年~16年)
◆アメリカの生物学者 モース

死亡率がポストンより東京が少ない
ということを知って驚いた私は
日本の保健状態について、多少の研究をした

それによると
日本には赤痢及び小児霍乱(コレラ)は全く無く
我が国で、悪い排水や不完全な便所
その他に起因するとされている病気の種類は
日本には無いか、あっても非常に稀であるらしい

これはすべて排出物質が
都市から人の手によって運び出され
そして
彼等の農園や水田に肥料として
利用されることに原因するのかもしれない

日本ではこれ (都市の廃棄物) を
大切に保存しそして土壌を肥やす


1877年(明治10年)
◇フランス衛生学会設立~下水道の整備が進む
◇この頃、ゴーギャンは逃れるように、南洋のタヒチにたどり着く


2019年(令和元年10月)
◆「ウンコは汚いですか」というアンケート

「食・農・環境のつながり」
というテーマの講義に参加した
農業や畜産動物に関心のある高校生56人にアンケート

汚い:49人 87%
汚くない:6人 11%
どちらでもない:1人 3%

「汚い」理由は
・汚物~汚い、という学習と先入観
・臭いや色が不快
・菌が多い
・衛生的にみて
・未知、異物、自分には関係ない
・触りたくない、
など

先入観や認識
あるいは
学習によって「汚い」と思っている

「汚くない」という理由は
少数だが長い文章で具体的に説明している

・ウンコとは、食べものが、消化されて体外に出る時の姿
 排泄したものだから
・トイレに流すから汚いというイメージがあるが
 昔は畑の肥料としていたし、動物のウンコは今でも使っている
 そして、私たちの体の中に形を変えて入ってくる
・もともと食べものだから
・汚いという概念自体が、人間が生み出した考えにすぎない
・草食動物のウンコはあまり臭くない
・有益だから
・私は普段、豚や鶏のウンコを掃除し肥料として施肥している
 汚いとは思わない、そしてその食べものを食べるから

アンケートは高校生一般の意見とはいえない
逆にいえば
農業や環境に興味を持っている高校生でさえ
そのほとんどが、ウンコは「汚い」と認識している

「汚い」と答えた生徒が
「自分とは関係ない」「異物」と答えた
対して
「汚くない」と答えた生徒は
自分の体や「食べもの」と「関係がある」と答えている

「他人事」と退けているか
「自分事」として引き受けているか

ウンコを
他者とみるか、自分とみるか

トイレットペーパーが世界中に普及
それと足並みを揃えるように
私たちの暮らしは均質化し続け世界化に対する

1970年代の戸惑いや躊躇は後景に退き
21世紀に入ると
もはや立ち止まることすらなくなりつつある

「きれい」「クリーン」「衛生的」と聞いただけで
疑うことをやめてしまった時に
閉ざされる未来への可能性

「汚い」という認識と一言で
モノや相手を退けてしまうことをやめた時に
見えてくる未来への可能性
不潔と清潔という二項対立の問いでは決して解けない

ウンコはどこから来て、どこへ行くのか

我々はどこから来たのか
我々は何者なのか
我々はどこへ行くのか

ゴーギャンが絵画と言葉に込めたメッセージのように
ウンコの来し方、行く末を考えることは
つまるところ
私たち人間の来し方、行く末を
考えることにほかならない


 ◆ ◆ ◆ ◆

ということでした

ウンコとは「一喜一憂」であります
我が子や孫
そのウンチは未来への期待と不安であります

厳しい時は続きます

皆様におかれましても
心の栄養補給は怠らない様、ご自愛下さい

ではまた